Ⅱ323.副隊長は寄り道し、
……プライド様、大丈夫かな……。
ぼんやりと空を眺めながら、エリックは静かに思う。
中級層の街並みを歩まながら思うのは、今朝の時点で本調子ではなさそうだった第一王女のことだった。アーサーやステイルほどプライドと付き合いが長くはない彼は、二人よりも気付くのに遅れをとってしまったがそれでも顔色が優れなくなっていることはプライド本人よりは遥か先に気付いた。
何か慮っているようにも見えた彼女だが、いつもの笑みにも力がなくその後も時折足取りが不安だったのを思い出せばアーサーかステイルがなんとか彼女を休ませてくれていることを願うばかりだ。ただでさえ、生徒として緊張感を保ち続けなければならない上に今回は放課後まで予定があるのだから。
昨晩、彼女の近衛であるアランがいつもより帰りが遅かったことは同じ一番隊の副隊長としてエリックも把握していた。
翌朝にはアランに何かあったのかも尋ねたが「危険とかは全くねぇから大丈夫」と肩を叩かれただけだった。気楽そうに笑うアランの反応には少なからず胸を撫で下ろしたが、今朝のプライドやステイルの反応を見れば全く気にならないわけでもない。
だが、今はそれ以上にプライドの体調の方が気になった。
今もこうして歩きながらまだプライド達へ合流できない歯痒さが強い。
いつもならばジャンヌ達への送迎に向かっている彼だったが、今日は少し時間を持て余していた。
事前にアムレットの件を知らされていたが、いつもと殆ど変わらない時間に城を出ていた。騎士団長であるロデリックからもプライドを迎えるまでの時間は内密に休息を許されているが、それでもいつもと同じ時間に城を出てしまった。放課後はいつも彼女達が校門に辿り着くまで人知れず護衛に張っているハリソン達も、今日だけはセドリックと共に一足先の帰還である。
そして実際プライドが居るのは王居ではなく学校。どうせ時間を持て余しているのなら、もし何かあった際にかけつけることを考えても王居でのんびりするよりも学校の周辺を見回った方が良いとエリックは思う。
……ノーマンに見つかったらまた怒られそうだけど。
以前、校門前で棘を剥き出しにした後輩騎士を思い出す。
ノーマンの所属する八番隊ではあんな反応も珍しくないが、それでも丸渕眼鏡の位置を中指で直しながら睨んでくる彼の顔を思い出せばそれだけで苦笑いが溢れた。
こんな城下をぶらぶらしているのが見られたら、一目でさぼりだと指摘されるだろうと思う。ジャンヌ達の送迎時間がいつもより遅いにも関わらず城を抜け、送迎の為の時間を私用に使っていると。
その時にノーマンの眉間の皺の数まで鮮明に想像できた。
しかし、実際はサボりどころか私用の時間を費やしてのプライド達の為の見回りだ。
この潜入視察後は騎士団へ正式に今回の任務について伝えられるという話があった今はまだ少し気楽である。
誤解さえ解ければ、ノーマンもいつまでも言い訳をしてまで自己正当化する人間でもないこともわかっている。あくまで彼は正論しか言わない。ただその場合は誤解してしまったことを謝ってきそうなところまで予想できてしまえば、やはりノーマンの為にもここはあまり目立たず〝さぼり疑惑〟に気づかれないように努力しようと今から意識を改める。
「……そろそろこの生活も終わるなぁ」
はぁ……、と何とも言えず溜息が漏れてしまう。
最初こそ地獄のような試練であり任務だったが、あと数日でプライド達の潜入視察が終わる。それまでに彼女が予知で見た生徒の正体を掴めれば良いと思う。が、同時に少しだけ長引いても良いかなと今は小さな欲も頭にチラついているのも自覚する。
長期任務として休息時間も不定期な上、末の弟であるキースを始めとした自分の家族が王族に不敬を犯す心配が自分にはある。
任務を終えれば、自分のことについて必要以上に色々バラされる心配もなくなる。そうすればやっと安まる時間が戻ってくると本気で思う。実際、当初キースの暴走が凄まじかった頃は本気でその日を指折り数え心待ちにした。しかし、もうすぐで終わってしまうと思えば惜しくもなる。
こんな任務でもなければ、十四の姿とはいえ庶民の姿のプライドとこうして城下を歩くことなどないのだから。
今は毎日が心臓に悪い実家と学校の往復だが、きっと暫くしない内に懐かしくなってしまうのだろうなぁと思えば無意識に溢れそうな苦笑いを噛み殺す。
街並みを歩けば、見慣れた市場に辿り着く。
人と売り物の多さから、彼が城から学校までの道のりで言えば最も犯罪件数が多い場所である。
人通りへと進んでいくにつれ、ぼんやりと馳せていた頭を周囲への注意に払う。既にこの任務期間中に三度ほど軽犯罪を捕らえたエリックだが、そう簡単に出会すわけではないと期待もしていない。
少なくとも彼が身に纏う団服に気づいた上で、犯罪を起こそうとする者など滅多にいない。抑止力、という意味では彼が歩くだけでその効果は絶大だった。
既にひと月近くでこの時間帯の騎士に見慣れてきた商人達もいた。その姿に気付く度、今だけは何も起こらないだろうという安心感さえある。……しかし。
「ッ待ちやがれ‼︎‼︎」
まだ半ばを歩いていた途中で、物騒な声を聞いたエリックは足を止めた。
盗みか、それともと。目で確認する前にいくつかの可能性を考えながら騒ぎの方へと早足で駆け出した。
大声が飛び出した時から他の民もその方向へ振り返る中で、人混みを突き抜け最短距離で向かう。物騒な掛け声とざわざわと周囲の民や商人が声を抑えて騒ぐ中、場所が変わらないことに盗みではなく喧嘩か何かかなと考え出す。もし喧嘩であれば、そこで場を治めるのも公務の一環である。
すみません、失礼しますと掻き分ける先へと声をかけながら確認した先は
「テメェがライアーなのはわかってんだ‼︎‼︎良いから俺達と来やがれ‼︎‼︎」
「いやいや俺様はトーマスだって言ってんだろ。超激平和主義の一般人ですからお引き取りしやがれっつーの」
「レイ・カレン‼︎この名に覚えがねぇとは言わせねぇぞ‼︎」
「誰だそれ。覚えねぇから帰ってくれ。俺様怖くて震えが止まんねぇよ」
「ちょこまか逃げ回っておいてほざくんじゃねぇ‼︎‼︎」
市場から裏路地に近い場所である。
そこで五人もの男達に詰め寄られているのは、か弱い女性でもない成人男性だった。刈り上げられた短髪を意味もなく掻き上げる動作をしながら、裏稼業であろう風貌の男達から逃げ惑っている。
路地の細い道を挟む壁や市場の屋台を使い、文字通りチョコマカと三次元を使っていた。敢えて人通りの多い場所ばかり選んで逃げ回るライアーに、男達も安易に武器が抜けない。
彼を捕まえて取引はしたいと考えていた彼らだが、元々は小金稼ぎの小物である。安易に人の目が多い場所でうっかり人殺しをする度胸もなかった。
そしてライアーもそれをわかっているからこそ、市場からこのまま敢えて抜けようと思わない。
視界に入ってすぐ、その会話内容と男の容姿でいくらか想像がついてしまったエリックはあんぐりと口を開いてしまった。
ライアー、という名前に自分はまだ本人に会ったどころか姿絵すら見たことがない。特徴こそどちらも近衛騎士内で共有されているだけのエリックは、止めるよりも先に目がこぼれ落ちそうになった。
トーマスという名のライアーに無事レイを引き合わせられたと共有された際の彼の身体的特徴は、完全に目の前の彼そのままである。痩せ型タレ目に鼬色の目と黒の短髪に無精髭。しかし、言動はあまりにも掛け離れ過ぎていた。
温厚で争い事にもそぐわない、言葉遣いも丁寧な男だったとは思えない人物だった。
そうアーサーやステイルから語られた彼が、今エリックの目の前では見事に裏稼業達へ臆することなく渡り合っている。
言葉まで雑破に乱しながら、手慣れたように壁や屋台の上を逃げ惑う姿は曲芸師にも手練れの盗人にも見えた。
このまま成り行きをもう少し確認したくもなったが、明らかに裏稼業である男達に襲われている人間を放っておくわけにもいかない。
一度口の中を噛んで引き締めたエリックは、次の瞬間に「お前達‼︎」とその場から声を張った。




