Ⅱ322.騎士は恥じらう。
「ごめんなさい二人とも、結局一年の教室もまた駄目だったわ……」
萎れた声で申し訳なさそうに首を垂らすプライド様へ、ステイルに続いて俺も一言返す。
三限が終わってまた今朝回った一年の教室をざっと見て回ったプライド様だけど、やっぱり予知に引っかかるような奴は見当たらなかったらしい。
これで二年も一年も再確認し終えて、残りはいよいよ三年と特別教室だけだ。確実にちょっとずつ絞れてはいるんだし、焦るのはわかるけどそこまで気落ちする必要はねぇと言いたいのに無駄な言葉が今は出てこない。
俺だけじゃなくいつもは上手く舌の回るステイルも今は口数が少ない。俺もステイルもどっちも覇気のない声になった所為で、すぐにプライド様が振り向いちまう。
「大丈夫二人とも?もしかして二人もちょっと疲れているんじゃ……」
「いえ‼︎大丈夫です。少し考え事をしていただけですから」
「ッ俺もです!その、……ジャンヌこそ、もう体調は……?」
心配そうに眉を垂らすプライド様に俺もステイルも全力で否定する。昼休みの仮眠だけで本当に休み足りたのかの方が心配になった。
するとプライド様は少しおかしそうに口元を手で隠して、ふふっと笑った。さっきまでの無理した感じと違う、自然な笑みにそれだけで今は頭が呆けそうになる。
「大丈夫よ。昼休みにすごく休めたから。パウエルには失礼な態度を取っちゃったけれど、お陰ですごく今は身体も楽だわ」
さっきは無理をしてごめんなさい、と落ち着いた口調で謝ってくれる。
やっぱこの人はそォいう笑い方が一番似合う。……ッけど‼︎‼︎
ぐわッッと急激に頭の血が巡る。
〝すごく休めた〟という言葉に指摘されたわけでもねぇのに勝手に目がその白い手に刺さる。十四歳の姿で、余計に細くて小さくて……柔らかくて温かい手に。
一瞬に堪えきれず口元を腕ごと使って押さえ、背を反らす。視界にチラッと入ったステイルも口を片手で覆って顔を逸らしていた。何気ないプライド様の言葉が今は殺されるほど心臓に悪い。
大丈夫?と心配してくれるプライド様に誤魔化すことだけでいっぱいになる。今のこの人はいつもの不意打ちどころか昼休みに自分が何をやったかも絶対覚えてない。
パウエルに起こされた途端に驚いてステイルの膝からも飛び起きて俺の手から離れたのも気付かないくらい動転してた。覚えていないでくれンのは助かったけど、だから余計に今は何も話せない。
〝アーサー〟
今呼ばれた訳でもねぇのに、急にまた頭の中にあの時のことが頭に蘇る。
記憶を疑いたいぐれぇなのに、冷静な部分が間違いねぇと言っている。目敏くなった自分を殴りたくなる。
これもやっぱダチが半分死にかけてンのをにやにや眺めてた罰かなと思う。
つってもステイルの膝で眠ってるプライド様は本当に幸せそうだったし、絶対芝生の時よりも寝心地が良さそうだった。他の野朗だったらそりゃァ止めたけど、相手はステイルだ。俺が間に入るのも悪い気がしたし、眺めてたい気分にもなった。
ステイルも死にかける以外は顔が緩むか、それを隠す為に口を結ぶぐらいで俺が引き剥がさなくても問題ねぇかなと、……いや。単に俺がアイツのツラ見て楽しんでただけかもしんねぇけど。
城でもなかなか気を張ることが多いステイルが、ああしていられンのを見るのは俺も結構嬉しかった。
「教室で休みましょう。次は三年と、一応特別教室も確認したいわ」
そう言いながら、一年を確認終えたプライド様な早々に切り上げる。
自分が辛い時もそうしてくれりゃァよかったのに。俺らがしんどいと思った時ばっかそうやって気を遣ってくれる。
二年の教室へ戻る為に階段へ足をかけたプライド様は、まだ少しだけ危なかっかしい。いつもみてぇな重いドレスじゃなく身軽な格好だからか、俺らを教室で休ませたいからか手摺りも捕まらず早足で駆け上がる。しかもそのまま「医務室に行かなくて大丈夫?」と俺らに振り返るから
肩を、掴む。
「っ……危ないンで、登りながらはやめて下さい……」
まだ本調子じゃないんですから、と続けながら俺はプライド様を隣から腕を回して肩ごと掴んで背中を支えた。
もう本当に調子は良さそうなプライド様だけど、振り返ってくれた瞬間に少し足元がグラついた。ほんの一瞬だけど、それでも倒れたらとか思うと心臓に悪い。
転ぶ前に掴んで支えた俺に、プライド様の目が僅かに丸くなる。俺も俺で反応が過剰過ぎたかなと後から後悔してすぐに顔だけ俯けちまう。プライド様の小さな足元と真新しい階段を睨みつけて目が逃げる。
口をいくら力いっぱい絞っても、それ以上に胸が苦しくて息ができなくなる。マジで死ぬ。
「ごめんなさい、あの……ジャック?もう大丈夫よ」
「ッす⁈みません‼︎‼︎」
声がして、戸惑い気味のプライド様の声でハッと我に返る。
気が付いたらいつまで経ってもプライド様の肩を掴んだままだった。触れンだけで苦しくなってるのに放さねぇとか馬鹿か俺‼︎‼︎
今度は俺の方が階段から落ちそうになって腕ごとプライド様から飛び退く。本気で堪らなくて数段登った位置からまた二階にまで着地した。丸い目をしたプライド様が大きく瞬きするのまで、それでも目が離せない。
「私こそ危なっかしくてごめんなさい。気をつけるわね」
「ッいえ‼︎ンなことよりすッげぇいきなり掴んじまって‼︎‼︎そのッ痛くなかったですか⁈いやそうじゃなくても本当にすみません‼︎驚かせちまって‼︎」
俺の代わりにプライド様に並んでくれるステイルまで、急いでまた段差を数段飛ばして駆け上がる。
なんですぐ手を離せなかったンだとか、いっぱいいっぱいだったけど力入れ過ぎちまってなかったかとか後から色々死にたくなる。ぐああああって頭から足先まで全身に血が流れまくるのを感じながら捲し立てれば、またプライド様が笑った。また、ふふっと口元に手をやって花のような笑みで、その仕草は何歳の姿でも変わらな
「私は大丈夫よ。ジャックの手は触れるだけで落ち着くから全然平気。格好良い騎士の手だもの」
死ぬ。
本気で、マジで、心臓が一瞬止まった。
今度こそ頭から階段を落ちかけると思ったら、ステイルに背中を拳で叩かれた。ここで落ちるな馬鹿と言われた気がするけど、ほとんど耳から過ぎ抜けた。
心配してくれるプライド様と笑いを噛み殺した顔のステイルに促されて階段を上るけど、頭が馬鹿になってぐるぐる視界とは別のもんばっか頭に回った。さっき寝ぼけたプライド様に手を掴まれて、動けなくなった時のだ。
背中を押してくるステイルと、またうっかり俺の腕を引いちまってるプライド様の感触に視界が半分以下まで狭くなる中、記憶だけは鮮明だった。
あの時、手が掴まれた瞬間全身が雷でも打たれたぐらい痺れた。けど、必死に寝惚けてるだけだって、……前からこの人は寝惚けてると触れたものを離さねぇ人なんだって。余計に恥ずかしい記憶で目の前のことに冷静になろうと口の中を噛んだ時。
『アーサー』
……あとちょっとで舌を噛みかけた。
寝ぼけて、目も閉じ切ったプライド様の口が声には出さずそう動いたのが見えちまった。
口の動きだけで読み取るなんて限度はあっけど、自分の名前くらいは一目でわかる。騎士団でも声を出せない場面じゃ手の合図とそれだけでやり取りする。間違いなくあの時のプライド様がそう唱えていたのは俺の自惚れじゃない。
ステイルみてぇに目が開いてもねぇし、寝惚けた頭じゃ握った手が俺だってわかる筈ねぇのに。
アレがなかったらもっと早く冷静に戻れた。まさかあの時も起きててわざとからかってたンじゃねぇかなとまで思っちまう。そういうことをする人じゃねぇって痛いほどわかってンのに。……けど。
『触れるだけで落ち着くから』
……つまり、あの時に俺の手を掴んだのは偶然じゃねぇのかなとか。
そう思ったらまた頭がぶわりと燃えた。
この人が安心できる為なら俺の手なんて何度でも貸すのにとか。
ンな自惚れたことを言いたくなるぐらいには頭が舞い上がってるのを、結んだ口の中で確信した。
……
「ここで、良かったわよね……?」
細身の女性が持つには少し大きめなトランクを転がしながら、被服講師ネルは周囲を見回す。
自身が担当している選択授業を終えた後に急ぎ荷物を纏めた彼女だが、いつも以上に学校を出るのも自体も遅くなってしまった。
補習の生徒に合わせて放課後まで刺繍をして居残ることも珍しくはない彼女だが、そうでない日は切り上げるのも早い。トランクの中に皺が付かないように入念に畳んだ作品を仕舞えば、あとは戸締まりをして鍵を職員室へ返すだけだ。
学校に就任したての頃はトランクに詰めるだけ詰めて滞在の許される限りは被服室で作業をしていたが、やはりトランクに詰められる量は限られている。
普段遣いの刺繍系統であればトランクに詰める量で十分だが、最も時間の掛かる衣服は流石に持ち込むのにも限度があった。
完成後であれば畳んでトランクにも詰め込めるが、未完成品はあまりに繊細過ぎてそれもできない。あまり家に仕事を持ち込むのも長時間滞在するのも避けたいからこそ、被服室は彼女の城だった。しかし仕事の時間以外は一分一秒でも自身の刺繍や作品に費やしたい身としては、必要最低限の荷物しか仕舞えないトランクよりも必要道具一式が揃っている自室での作業の方が効率的でもある。
いっそ被服室にそういった大きい未完成品を置いたままにできれば一番だったが、自身の管理下でない場所に大事な作品を置いたままにするのはどうにも気が引けた。
なかなか買い手が見つからずとも、自分にとってはどれも我が子同然の手塩をかけた作品である。
その為最近は補習以外早々に退勤をしていた彼女だが、今回は違った。いつものようにトランクへ荷物を詰める前に鏡の前に立ち、髪を整え、化粧を直し、衣服すら皺を気にして自ら被服室でできる限り伸ばした。いっそトランクに入っている商品のどれかに着替えようかとすら思ったが、都合も悪く今日持ち込んでいた品はどれも庶民の自分が着るには不相応なものだかりだった。
いつもの何倍も身嗜みを整えた彼女の姿を見た教師や生徒は、これから恋人の元へでも行くのかと誰もが考えた。
一目見てよそ行きとわかる身嗜みの気合いの入れ方に、陰ながら彼女の武運を祈る教師すらいた。デートをするには大きすぎる荷物をゴロゴロと転がし、歩きやすい靴で校門を抜けた彼女が足を運んだのはとあるカフェだ。
「……少し早かったかしら……?」
あまりの緊張に汗で化粧が落ちていないかとそわそわしながら落ち着かずに店の前で立ちすくむ。
今後の作品への参考を観察する為に年頃の女性が通うカフェにこそそれなりに行き慣れてもいる彼女だが、今日は流石に気軽に店の中を覗く気分にはなれなかった。
いつもの中級層や庶民も行き慣れた観光地のカフェではない。今いるのは、上級層御用達である王都のカフェだった。
来たことがないわけではない。しかし、そんな中で大荷物をゴロゴロと転がしドレスも着ていない自分が気軽に入ることは流石に躊躇われた。
未だ待ち人も訪れない中、時計を確認したネルは口の中を飲み込んだ。まだ、時間まで三十分は余裕がある。
服の中にしまった手紙を取り出した。ジャンヌからアムレットに、そしてアムレットから自分へと託された手紙だ。
読み終えた後もきちんと封にしまい直したその手紙を、彼女は慎重に再び封から開けた。
一字一句、自身の間違いがないことを確認し改めて読み込む。指定場所も把握していた時間も間違いない。一瞬悪戯だったらとも頭に過ぎったが、手紙を託したのは他ならないジャンヌとアムレットである。あの二人のどちらかがまさか自分にそんな陰湿なことをするとは思えない。
一度広場かどこかで時間を潰そうかしらと思ったが、相手を待たせることの方が気に掛かってしまう。友人や身内であればいくらでも待たせるが、初対面の相手であれば悪印象に繋がるような待ちぼうけをさせたくはない。
周囲を見回そうと首を動かし掛け、止める。こんな店前で大きな鞄を抱えてキョロキョロしていれば変な誤解を受けてしまう。代わりに目だけで可能な限り見回した彼女は、そこで手紙を再び服の中へしまい込んだ。皺のできないように丁重に扱い、それから押さえ付けるように自分の胸へ両手を当て
「失礼ですが、プラデスト被服講師のネルさんで宜しいでしょうか?」
ビクッッ‼︎と激しく肩が上下する。
キャアッ⁈と短い悲鳴がでかかり、口の中で無理矢理しまい込む。振り返る直前店の人間から声を掛けられたのではないかと錯覚したが、直後に名前を呼ばれればネルもすぐに理解した。
背後から話しかけてきた声の主に、ネルは身体ごと振り返る。胸を両手で潰れんばかりに押さえ付けたまま、勝手に瞼が大きく開かれた顔で見返した。
そこに居たのは、綺麗な女性だ。
きりりと引き締まった表情の女性は、ネル以上に身嗜みへ上から下まで気が払われていた。服装こそネルと並んでも恥をかかせない同じ系統の装いではあったが、唾の広い帽子と手袋を嵌めた女性はそれだけで上級層にも居そうな印象を持たされる。何よりも毅然とした彼女の伸びきった背筋と張られた胸が余計にその印象を強くした。
口をぽっかり開けて唖然としてしまったネルは、すぐには返事が出なかった。間違って上級層の婦人に話しかけられたのかしらとも思ったが、間違いなく呼ばれたのは自分の名前である。皿のような目で自分を見つめ返すネルに、その女性は深々と礼をした。
「突然失礼を致しました。私、マリー・クレランドと申します。てっきりお約束していた方かと思いましたが……差し支えなければお名前をお伺いしても宜しいでしょうか」
間違いありませんっ……、とネルは少し早口で切り返す。
改めて挨拶と共に名乗り、手紙の差出人と同じ名前に逸る鼓動を押さえ付けるのも惜しみ服の中からもう一度手紙を取りだした。
緊張のあまり肩が上がったままになった彼女が示してくれた手紙に、マリーは柔らかな笑みで返した。
「お会いできて光栄です、ネルさん。こちらの都合で突然のお呼び出しをしてしまい、申し訳ありませんでした」
「とんでもありませんっ、こちらこそ大変な失礼を致しました。とてもお綺麗な方だったので驚いてしまいました。お手紙本当にありがとうございます」
整った言葉と一つ一つが洗練された所作に緊張は拭えないが、間違いない待ち人が来たのだとネルは確信する。
目の前で手紙を握り締め過ぎないように意識しながら、なるべくいつも通りの口調を意識した。自分より年上で初対面とはいえ、手紙を確認した彼女は必要以上に改まった態度になってもいけないとも考える。
いえこちらこそお待たせしてしまい……と互いに挨拶を交わしながらネルは、頭の一カ所でマリーからの手紙の文面一部を思い出す。
『私も刺繍は子どもの頃から嗜んでおります。ぜひ、ご友人となれれば幸いです』
「今日はお話できるのを楽しみにしていました。どうぞ宜しくお願い致します、ネルさん」
では入りましょうか、と。マリーは速やかに彼女をカフェの中へ促した。




