Ⅱ319.騎士隊長は鑑みる。
「さて、……今日は時間も余ったな……」
二限が終わり、教室を後にするカラムはいつもよりゆっくりとした足取りで中等部へと向かっていた。
いつもは騎士の選択授業の延長で昼休みも校庭にいることが多いカラムだが、今日は初等部で騎士についての講義だった為それもない。
中等部以降でも実技とは別に男女共有の選択科目で騎士に関しての授業はあるが、それは歴史や組織を説明することが主である。フリージア王国の歴史を語るのに欠かせない存在である騎士はそれだけで一科目に相当する歴史の一面だ。授業もカラムではなく、別の講師が担当している。
そして今回カラムが行ったのは、もっと根本的な授業だった。
幼等部から少しずつ常識というものを知っていく彼らに、騎士とは何なのかを応える為の講義である。
口をあんぐり開け、騎士という名前しか知らなかった少年少女達への質問に答えるのはカラムにとっても有意義な時間だった。自分は当然のように騎士について知る機会にも深く知る方法にも一般人よりは恵まれてきたが、下級層の子どもともなれば騎士と衛兵の区別が付かない子どももいた。中には「騎士はお金持ちを助ける人」という間違った認識を唱えた生徒にも正しく騎士の在り方を説明できた、
最後には少年達の中から「俺も騎士になりたい」と目を輝かせてくれた生徒が複数見れれば、満足しかない。本当にこの中から未来の騎士が現れる可能性もあると思えば、今から楽しみにも思えた。
飽きやすい子どもにも興味を持って貰えるように質問時間を設ければ、毎回質問も飛び交った。
「騎士様はどこに住んでいるんですか」「騎士様はどうして強いの」「なんでたまに城下を歩いてるの」「その服はみんな同じなんですか」と疑問は尽きない。中には「聖騎士って本当にいるんですか?」という質問が出た時には思わず笑いそうになった。つい最近までは本でしか見なかったのであろう聖騎士が、今は実在する。しかも今は彼らと同じこのプラデストに生徒として紛れ込んでいるのだから。
アーサーが聞いたら滝のような汗を流しそうな質問だなと考えながら、カラムはその問いにも他の質問と同じく丁寧に答えていった。
中等部の校舎へと入り、そこから職員室へ向かうかこのまま見回りをするかと考える。
アンカーソンの逮捕から一気に平和を迎えた学内だが、やはりまだ手を抜こうとは思わない。開校して一週間目でプライドが教室へ監禁されかけた件もある。もしものことを考えても、やはりせめて中等部の校舎だけでも見回りしてから職員室へ戻ろうと考える。そして、職員室の教師達にも問題が無ければ高等部へと昼休みの予定を即座に積み立てた。
一階から始まり、校舎の端から端を歩く。
行き交う生徒や特に今は食堂へ急ぐ生徒が多い。未だに〝王族の食事風景〟は学内の人気最上位を誇っている。
通り過ぎる度に「お疲れ様です!」「こっ、こんにちは!」と目を輝かせて挨拶をする生徒に応えながら、カラムは注意深く通り過ぎる教室を確認していく。そうして目と耳に神経を研ぎ澄ませながら、思考をまた別のことへと回し出した。
……結局、昨晩のあれは何だったのか……。
そう、カラムは小さな歯車を回す。
いくら思い出そうとしたとしても記憶は途絶えている。切り落とされたというよりは、自然に忘却へ染まっていくように違和感がない。普通に昨日のことを思いだそうとする分では忘れていることにすら気付かない域である。しかし、つい昨晩での一件をはっきりとは思い出せないのが記憶力の良いカラムにとっては妙な感覚だった。
プライドの護衛として何かの任務に当たり、そこでライアーの居住場所へと向かいそして彼は記憶を取り戻しレイの屋敷へと走った。言葉にさえすれば何も可笑しくない。ちゃんと覚えているとすら言える。
しかし、そこで確かに何かがあった。
あくまで自分は護衛。プライドが何をしようとも、自身が関わり説明を求めるべきではない。
ステイル達から尋ねられた時も、自身が記憶にないことも含め全てを黙秘したカラムにとってそれは当然のことだった。しかし、あの妙な託けを自分の頭に残した人物が何者だったのかと興味は湧く。むしろ昨晩に騎士団演習場へ帰る時点で「ま、覚えてねぇもんは仕方ねぇんじゃねぇ?」とあっけらかんとするアランの方が珍しい。
自分の記憶では馬車に乗っていたのはライアーを入れて四人。しかしきっと他に誰か居たのだろうと考える。記憶系統の特殊能力者であれば、記憶を消すことも書き換えることも充分にあり得るとカラムは考える。
『プライド第一王女を大事にしなさい』
少なくとも、彼女を悪く思っている人間とは思わない。
しかし場合によっては、ラジヤ帝国の皇太子のような件もある。あの人物が何者か声すらも思い出せない今、もし男性であればプライドに特別な感情を持つ相手であることもあり得ない話ではない。そしてその人物について情報を持つのは恐らくジルベールとプライドのみ。
そして記憶を意図的に消された以上、これ以上の深入りは許されない。相手が何者かわからない今、対処法もない。
自分が少しでも探りを入れたことで己だけでなくプライドまで口封じをされる可能性もある。護衛である自分とアランの記憶まで消す人物なのだから、かなりの徹底ぶりである。
本音を言えば、正体を明かせとまでは言わないがプライドに一言、その人物を信用し過ぎないようにと助言をしたい。ジルベールを通した以上、ある程度信頼に足る人物であることは推測できるがそれでも侮れない。
……ステイル様も、知られたらご心配なさるだろう。
そういった意味でも、この事実はステイルに隠しておいた方が良さそうだとカラムは考える。
相手の正体もわからなければ、そんな相手とプライドが接触したなどと知れば今すぐにでもジルベールへ問い詰めにいく彼の姿が容易に想像できた。
プライドの近衛騎士として関わる間に、もうステイルとジルベールとの関係もそれなりにカラムも理解している。火花を散らすことも多い二人だが、それ以上に今では信頼も厚い。そんな二人の関係に亀裂を生むような真似はしたくなかった。
昨日もプライドが帰ってから、一体どこに行っていたのかと問い詰めるステイルの表情は彼女の身を按じてのものだった。しかもプライドの口からも自分達の口からも話せないと語れば、すんなりと身を引くティアラと違いステイルは気落ちしているようにも見えた。
あくまで〝第一王女の従者そして補佐〟として引くべきだという頭とは別に、過剰とも見れる落胆が合わさっていたのが見て取れた。ここで、彼女が昨晩何をしていたのかを具体的に知れば、また彼が心に細く薄い傷をつけることもまた容易に想像できる。
六年前、騎士団長であるロデリックを救う為に崖下へと身を投じた彼女が王居へと帰ってきた時、自分もステイルのいる場に居合わせたのだから。
あれから身も心も強く逞しくなった彼だが、やはり根本は変わらないとカラムは一人分析する。ステイルにとってプライドは特別過ぎる上に傷が深いことも理解している。
第一王女としてだけでなく七歳で養子になった彼にとってプライドは数少ない〝甘えられる〟家族でありそして─……、と。カラムの思考が僅かに深まりかけたその時。
「!……ネイト」
一階を確認し終わり、中等部の階段を昇ろうと足を掛けたところでカラムは止まった。
上がる為の踊り場で、ちょうど二階から降りてこようとしたネイトが目を丸くして立ち止まったところだった。相応に膨らんだリュックを背負う小柄な身体の彼は、今はもう包帯は不要で過ごしている。
まさかのカラムにバッタリ遭遇してしまったことに、ネイトも開口一番の声が出なかった。
いつもなら眉間をぎゅっと詰めて食ってかかっていた筈なのに、まるで図られたかのように現れたカラムへフィリップの言葉が頭を横切る。
あ……う……と、僅かに口を開いてはまた結ぶネイトにカラムの方が眉間を寄せる。また何かあったのか、それともこれからやらかそうとしたところだったのか。どちらにせよ、なにか疚しいことがあるのかと考えながらカラムは一段一段固まるネイトへと距離を詰めていった。
「傷の具合はどうだ?あれから何か困ったことはないか」
「べ、……別に。もう包帯も取れたし、父ちゃんも母ちゃんも元気だし……」
先ずは一番気に掛かることから尋ねて見れば、ネイトも素直に言葉を出した。
言うべきかどうか悩んでいる情報がある所為で、他のことまであしらう余裕がない。ちょっと前までは暴力的な伯父のことを隠し続けていた少年が、今は比べようもないほど小さなことで喉が引っかかる。
タン、タンと昇ってくるカラムに、このまま逃げたくなる。しかし、ここで逃げたら一生自分は言わないだろうなということもネイトは自分でよくわかっていた。
そうか良かった、と優しく返すカラムに口の中を飲み込み、数センチだけ後退る。
「授業はどうだ?少しは興味を持てるようになったか?」
「ハァ⁈ちゃ、ちゃんと受けてるよ‼︎授業も本当にさぼってねぇし!!」
「それは知っている」
ムキになるように声を荒げるネイトに、カラムは少しだけおかしそうに笑んだ。
講師として職員室に所属するカラムは、校内の治安や教師の具合も気に掛けて話を聞いている。ネイトのクラスを担当する教師からは特に「ついこの間までは授業にすら現れなかった生徒が嘘のように真面目に授業を受けている」「これも毎回学内に隠れる彼を見つけては指導して下さったカラム隊長のお陰です」と直接感謝までされていた。
実際は自分よりもプライドやレオンの効果が大きいと思うカラムだが、そこはやんわりと「きっと停学処分がきっかけでしょう」と嘘にならない事実で飲み流した。
「ちゃんと君が努力していることは聞いている。あれから問題行動も起こさずしっかりと勉学に励んでいるのは素晴らしいことだ」
ザクッ、ザクッ‼︎とカラムの褒め言葉が今だけはネイトに刺さる。
真っ直ぐに褒められたことは顔から火が出るほど嬉しいが、それ以上に罪悪感が凄まじい。つい今朝まで自分は何も悪いことをしていなかったと思ったのにと、ネイトの表情が部分部分で強張った。まるで目の前の騎士を騙しているような感覚に足まで落ち着かない。
気が付けば直視もできず、視線がカラムから別方向へと逸れてしまった。この前までは当然のように学校で好き勝手やってきたというのに、今は凄く悪いことをしているような気になってしまう。
ネイトの顔色が変わったことに、やはり何か悩みがあるのかとカラムも言葉を選んで行く。段差を登り切り、同じ踊り場に並んだところで少し腰をかがめた。
「何かあったか?家でも学校でも構わないから気になることでもあれば話して欲しい。もし、何か問題が起こったなら……」
「~~~っっ‼︎べっつになんでもねぇし‼︎‼︎」
善意に堪えきれず、落雷のような声が上がる。
階段どころか一階にも二階にも響く声で怒鳴ったネイトは、全身に力が入りすぎて茹で蛸のように真っ赤だった。両拳を握り、床を押し返すように膝まで力が入り過ぎたネイトにカラムも一度口を閉ざす。
あきらかに何もない反応ではないと思いながら、釣り上がった狐色の目を見返した。何か自分が気に障るようなことを言っただろうかとまで考え出す内にネイトは捲し立てるように声を荒げ出す。
「こッの靴‼︎すっげーやつだから‼︎‼︎」
自分の口を指差し、宣言する。
彼の発明自慢はもう聞き慣れたカラムもそれには驚かない。靴まで発明だったことは意外だったが、自慢することはいつものことだ。靴も発明ならば他にもまだ彼が身に着けている発明はあるのかもしれないとも考える。ただ、何故この時に突然言い出すのかだけがわからない。
そうか、と一言返すカラムにネイトは更に響く声で続け出す。
「かッ、壁も!歩けるし‼︎特殊能力者みてぇに歩けるし‼︎……っっき、昨日もッそれでムカつく貴族の馬鹿のバカな噂!中等部中で広め歩いてやったんだぜ‼︎ざまあみろ‼︎」
声の音量を下げろ、と言うカラムの言葉もネイト自身の声で聞こえない。
動かしているのは口だけの筈なのに、視界がぐるぐる回る錯覚を覚えながらネイトは声を荒げる。
もしステイルがこの場に居たら、もっと穏便に白状する方法もありましたでしょうと溜息を吐いたほどの大っぴらな自白だった。
ネイトの響く声を聞きながら、カラムはそういえば職員室でそんな話題が上がっていたなと思い出す。
誰かが校舎の壁を歩き回って変な噂を撒いて喚き歩いていたと。てっきり特殊能力者生徒による悪戯かと思ったが、やっと犯人が目の前にいるのだと理解する。
もし次にまた犯せば、特殊能力の無断使用で職員室へ呼び出そうということで職員間の話はついていた。詳しい噂の内容まではカラムも聞いていなかったが、撒かれた噂の内容自体も程度が低かったことと噂を撒かれた本人からもその問題に触れること自体を拒否された為大して大きく議題にも乗らなかった。それよりも王族が学校見学に訪れるという連絡の方が遥かに心臓に悪かったのだから。
今度は問題なく鮮明に思い出せた昨日の記憶を巡らせながら、カラムはどうしてネイトが言いにくそうにしていたかをやっと理解する。
「でも!今日まで見つからなかったし‼︎バレなかったし‼︎‼︎もうそれっに、……も……もう……~っ‼︎」
息継ぎの余裕も忘れて叫び続け、途中でまたつんのめる。
言葉を詰まらせたネイトは拳だった両手を今度はわなわなと震わせ始めた。
まだ言いにくいことがあるのかとカラムは前髪を指先で軽く押さえ付けながら顔を傾ける。少し角度を変えてみたところで、肩まで強張らせ下を顔ごと俯けてしまったネイトの顔は覗けない。
少なくとも彼自身に何かまた弊害が起こったわけではないことに、続きを言いきられる前からカラムは安堵の息を吐
「もう‼︎‼︎やんねぇから‼︎‼︎‼︎」
天井を仰ぐ勢いで顔を上げたネイトは、塗りつぶされたように熱で赤くなったままカラムへ張り上げた。
まさかの〝やらない宣言〟に流石のカラムも目が丸くなる。わざわざ彼はそれを言う為だけに立ち止まってくれたのかと思うと、公共の場で騒いだことを指摘するよりも微笑ましく思ってしまう。
「間接的であろうとも、特殊能力を安易に使ってはならない。他生徒の迷惑にもなるだろう」
残念ながらここで「なら良い」と安易に自分が職員達の総意を告げるわけにも行かず、自分から穏便に教師へ報告しようと考える。「あっそ!それだけ‼︎じゃあな‼︎」と階段であるにも関わらず、自分に肩をわざとぶつけ逃げるように階段を駆け下りていくネイトを見届けながら、教師に報告する旨だけ伝える。
もう振り返らなかったネイトは声だけで「勝手にしろ‼︎」と返し、文字通り逃げていった。
バタバタと階段を駆け下りるネイトが転ばず無事に一階まで辿り突いたのを音で確認してからカラムは、二階への見回りを再開した。
以前は壁を歩くどころか、窓から飛び降りかけたり煙幕弾を投げつけては逃亡を繰り返した彼が成長したものだとしみじみ思う。しかも、自分から問題行動を報告してくれた。
やったことは褒められることではなく、やらない方が偉いに決まっている。しかしそれでも、自分へと彼なりに一生懸命打ち明けてくれたことは純粋に胸が温かくなった。
もうやらない、と。
彼が問題を起こしていないことを褒めた自分への罪悪感と勢いに任せて宣言してくれたその言葉を信じてみようと思えるくらいには。




