Ⅱ317.配達人は溜め息を吐く。
「クソガキ共……」
舌打ちまじりに呟き、校舎裏の壁に一人分の高見台へヴァルはゴロリと寝返りを打った。
一限が始まる鐘と共に校内全体は静まり返っていた。既に校舎外で過ごすのも馴染んでいたヴァルだが、教室よりは過ごしやすいにも関わらず今は若干機嫌が悪い。もう何度目かにもなるかわからない欠伸を零せば、牙のような歯まで剥き出しになった。
直射日光こそ浴びないものの、仰向けになれば嫌でも太陽が目に入る。次の瞬間には壁面を操り、足元だけでなく全体を箱のように覆い隠した。薄暗く囲われた空間で、ひと息吐いてからまた目を閉じた。
最近までは不良処理の為に中等部や初等部の校舎裏に張ることが多かった彼だが、今はまた高等部の裏側に移っていた。アンカーソンの一件が解決してからは不良生徒を見ることもパッタリとなくなったが、引き続き教室外で過ごすことが許された今は初日よりも大分過ごしやすい。
さっさと配達物を済ませられないことは苛立たしいが、単純な休息としてはちょうど良かった。プライド達からの要請がない限り、学校も仮眠場所と変わらない。思考も身体も休ませられる。
目を閉じればグラグラと、昨晩から今朝までのことが勝手に頭に回る。
昨晩、レオンが学校見学に訪れた為に教室へ避難していたヴァルは、帰りもまた護衛の騎士団が去るまで校内に潜むしかなくなった。特殊能力を使って壁に擬態しても騎士には怪しまれる。空き教室を探したが、中等部から高等部まで歩いてみても何処も鍵がかけられていた。日に日に校内もしっかり施錠されるようになってきている。以前のように内側から鍵がかけられる教室が、運良く〝全ての扉を開けられる鍵〟を持つ発明少年によって放置されることもない。
隠れられれば高等部や中等部でなくとも構わなかったヴァルだが、凶悪な顔つきの為初等部や幼等部では確実に怯えられるか泣かれるかが目に見えていた。
今の姿だった年には既に顔の凶悪さで怯えられることが日常だった。自分の顔を見て表面上だけでも怯えなかった子どもはセフェクかケメト、もしくは野盗全員を掃滅した第一王女くらいである。
高等部の生徒がそんな子どもばかりの後者に入りこみ、意図せず泣かせれば完全に騎士にお縄になることは必至だった。
最終的には高等部で何故か一つだけ扉が破壊されたまま修理を待つ空き教室でやり過ごした。扉から見て死角になる位置であれば、通り過ぎるだけなら扉が空いていても気づかれなかった。
レオン達が去って暫くしてから、ゆっくりと腰を上げてセフェク達との待ち合わせ場所に向かった。が、……そこからがまた大変だった。
遅かったじゃない、何かあったんですかとセフェクとケメトには交互に詰め寄られ引っ張られた。最近はケメトが面倒なことも増えたのに常に手間のかかるセフェクと組まれれば余計面倒でしかない。騎士が去るまで校舎に引っ込んでいたと話せば、じゃあ今度からは一緒に校舎でこっそり待つとまで言い出す。自分一人でも隠れるのに苦労するのに、ガキ二人まで連れたら目立つに決まっている。
騎士に見られるのも面倒だが、それ以上に〝この〟姿でいる自分と二人との関係を知られることも死ぬほど不快だった。
自分はどうでも良いが、学校での自分がどういう立場で見られているかは理解している。行動を改めることなどしたくもない彼にとって、二人との関係を隠すことは間違いなく最善手だった。
下級層で生きてきた頃と今は全く環境が違う。そしてそれを二人に言ったところで「別に今更よ」「僕は平気ですよ!」と言われるのが嫌でもわかった。
……寮で大人しくしてりゃあいいものを。
クソが、と。また一人吐き捨てる。
あともう少しで一ヶ月が経つのに、未だに二人は毎回自分の配達についてくる。学校にいるのが嫌ならばまだわかるが、二人の話を聞いてもその逆だ。
セフェクは友人と呼べる相手ができ、しかも不良生徒の一件からはクラスでも一目置かれている。最近では男性相手にも年が離れていても一人で話せるようになったと聞いた。
ケメトは特待生になったことも大きいが、そうでなくても性格の良さも手伝ってセフェク以上に男女ともに友人が多い。下級層生まれ同士や初等部で寮暮らしの仲間も多い為、他クラスの生徒とも交友関係ができている。ケメトを時々迎えに行くことも多いセフェクの話では年上の友達すらいるらしい。昔からセフェクや自分、ティアラ、プライドやレオンと年上に囲まれてきたケメトはセフェク以上に年上への物怖じをしないとヴァルは思う。
しかしそこまで友人関係もそれなりに出来ている二人は、未だに自分から離れない。離れ時をわざわざ考えてやろうとするヴァルではないが、それでもいい加減にしやがれとは思う。
放課後も寮に入れば二人も他の生徒と同じように普通の暮らしができる。特にケメトなら、働いていないことも初等部では何ら珍しいことではない。にも関わらず、二人揃って〝普通の生活〟も振り払い、待ちぼうけを喰らってもまだ懲りない。
下級層育ちのヴァルには全く覚えもないが、少なくとも今の二人には仕事以外の選択肢がいくつもある。
別に一日離れても、ケメトの特殊能力を二日に一度は受けないと自分も仕事はできない。なのに何故毎日毎日、しかも学校の休日まで自分にひっつくのかと疑問すら浮かぶ。……そしてそれを直接二人に聞けば、確実に二人からこの上なく不快で面倒な答えが返ってくることも。
せめてもの救いは、プライド達の極秘潜入が終われば少なくとも自分は学校にこうして潜入する必要がなくなるということだ。そうすれば彼らが学校の間は当然ながら、二日に一度の会うペースにも落とせる。遠距離の配達を理由に次に帰るのは二日後だと言えば、二人も流石に文句は言わない。
「…………〜っ……」
そこまで考え、ギリリッと歯軋りと共に顔を顰めた。
当然のように頭の中で〝帰る〟という言葉が浮かんでしまった自分が、未だに気味が悪く苛立たしい。クソが、と今度は言葉にはしなかったが、その分胃の中はグツリと煮えた。目を閉じていても一向に眠気はこない。
どうせいくら自分が考えても、彼らの考えが変わらない限りはいつまでも変わりはしないのだと思考を切り替える。このままセフェクとケメトのことばかりを考えれば夜になる。
二人のことから、つい最近までぎゃあぎゃあ騒いでいたアンカーソンとレイ・カレンのことを思い出してみれば簡単に思考は冷めた。全くその人物二人に自分は興味がない。
プライドが話していたレイの事情や、探しているライアーという裏稼業、そして早々に処罰されたアンカーソンという貴族。最終的にはプライドがレイの暴走を止めた上でそのライアーという人物と引き合わせたいと言えば呆れしか出なかった。
それからプライドがどういう動きをしているのかは知らないが、どうせまた面倒なところに足を突っ込んでいるということだけは断言できる。
裏稼業程度で物怖じする彼女ではないのは、文字通り身に刻まれて知っている。
『そこの姉弟。生徒の中で噂ー……いや、そんな身内だけで聞いてもあの男が納得する情報にはならねぇか。なら……、……!あぁそうだ』
ジルベールに命じられて学校周辺と学校理事長であるアンカーソンの情報収集を依頼に行った日、ベイルがそう言っていた時からきな臭い気はしていた。
セフェクとケメトに、校内で突然消えた生徒や恐喝された生徒はいなかったかを尋ねられた時はどんなことが何に関係があるのかと思ったが、今なら確かに繋がると理解する。
最初聞いた時は人身売買組織が学校に潜んでこっそり商品の補充をしているのかとも思ったが、結局はレイのライアー探しによる影響だけだった。
まさか裏稼業も学校周辺どころかレイに手引きされて校内に潜んでいたことは予想いなかったが、そういう意味ではヴァルにとってもはた迷惑な騒ぎだったと今さら思う。プライドから聞いた事情から考えても、最悪の場合ライアーが死んでいてもおかしくいと思っている。
裏稼業に所属していた人間に〝裏切り〟が絡めば、大概は死んでいる。
群れを下手に裏切れば殺され、組織に裏切られても殺される。レイとライアーとの間に具体的に何があったかは知らないが、レイに対してはよく何年もそんなのを探す気になれたなと小さく思う。
ヴァルからすれば、レイの行動自体全て〝余計〟としか思わない。自分であれば、もし裏稼業に捕まったとしてもセフェクやケメトにわざわざ何年もしつこく探されたくはない。裏稼業に一度関わった時点で、大概の人間はまともな死に方をしないこともある程度の諦めはついている。目の前で何人も非情に無残に殺され、自身も死体を作り続けているのだから自分がその一人になることも身近な可能性でしかない。
『ええ?僕なら探すよ?』
チッ‼︎と。
思い出した瞬間、今日一番大きな舌打ちが弾かれた。
全く別のことを考えていたはずなのに、勝手に昨晩言われた言葉が脳裏に甦る。そういえば昨日も同じような話をレオンとしたのだと眉間に皺を刻んだ。
昨日セフェクとケメトと合流を果たした後、その日分の配達を終えた後で苦情も踏まえてアネモネ王国へ乗り込んでいた。いつものようにレオンの部屋の酒瓶を何本も空にしながら、セフェク達が寝静まってからは殆どの話題がプライド達の動向だった。
レオンが今回の極秘潜入を知っている以上、ヴァルとしても話す愚痴が出るのは当然だった。そしてレオンもまたプライドが今どういう動きをしているのかは気になるところだった。
その時も、レイとライアーを引き合わせようとしているプライドのことで呆れながら悪態をついたヴァルにレオンはいつもの滑らかな笑みでそれを聞いていた。
ある程度の秘密保持はしているとはいえ第三者から見ればプライド達の悪口でしかないが、レオンにはそうは聞こえなかった。が、……一度だけヴァルの話を遮った。
レイが何年も恩人であるライアーを探して裏稼業に嗅ぎ回らせていたという話だ。ヴァルがそんなの探されても迷惑だ、裏稼業で生きてた奴相手に時間の無駄だと吐き捨てた時、レオンは躊躇いもなくヴァルの言葉を上塗った。
『ええ?僕なら探すよ?君に何かあって消えたら。きっとね』
意外そうな声でそう言われ、ヴァルは不快に顔を歪めた。
頭湧いてんのか、気味悪いこというんじゃねぇと全身の毛が逆立つほど怖気を覚えながら言い返したが、レオンは全く動じなかった。
『セフェクとケメトだって、プライドだって探すと思うよ。君がどれだけ嫌がろうとそんなの関係ないさ』
そう言ってワイングラスを優雅に回しながら妖艶に笑んだレオンの笑みは、いま思い出しても身の毛がよだつ。
怪しげな笑みは、ヴァルに対して窘めようとも怒っていてもいなかった。ただただ事実を静かに突きつけたレオンは、絶対的な自信と共に、この程度でヴァルが談笑を止めない事もわかっていた。
ヴァルにとってそれがどれだけ不快で腹立たしくても、彼自身もセフェク達がそうなることは否定できない。
そしてレオンは寧ろその後に突きつけた言葉の方が遥かに彼を怒らせることもわかった上で、言葉を続ける余裕もあった。
『君だって、彼女達がそんな風にいなくなったら必死に探すだろう?』
そう言われた瞬間、ヴァルは飲みきった瓶底をテーブルに叩きつけた。
契約で器物破損ができない為、壊すほどの力を掛けられなかったことも苛立たしかった。
あまりの大音にセフェクとケメトも流石に目を覚ましたが、どんな会話をしたかはヴァルもレオンも敢えて言わず、彼らも聞かなかった。いつものように滑らかな笑みを向けてくるレオンに、セフェクもケメトもまた彼がヴァルに何か言ったのだろうなと察しはすぐついた。
ヴァルもまさか大昔の殲滅戦のことを誰かが言いふらしたとは今更思わなかったが、それでもレオンの言葉に二度も否定できなかったことは充分胃が煮え滾った。
しかも今は彼よりも年下の姿を晒した状態でレオンに笑まれたから余計に不快だった。
また学校見学の時は迷惑かけるよ、またいつでも今夜みたいに苦情を言いに来て欲しい、と。楽しそうな笑みで言われれば、舌打ちしか出て来ない。
うるせぇ、余計なお世話だと返しながらもレオンが今後も学校見学に訪れる頻度が増すと思えば、どうにか早くプライドの極秘視察を終わらせたいと考える。
今までは一カ月待つことしか考えていなかったが、今は一日でも早くである。
……どうせコレが終わっても、またどっかに首突っ込むんだろうが。
セフェクとケメトに苛立たされるのも、レオンに舐められるのも、プライドに使われるのも決してこのひと月だけの話ではなく、今後も当たり前のように続くことなのだと。
そう思えば、最後には地の底に届くような低い溜息が出た。
既に一度、自分はそれを望んでしまったことがあると自覚しながら。
薄い壁越しに一限終了の鐘の音が聞こえるのは、それからすぐのことだった。
Ⅱ84.143番外
質問コーナーは5月4日更新予定です。




