Ⅱ39.支配少女は叱りつけ、
The day before.
「ごめんなさい、私もこの後は家の手伝いが……」
高等部、三年の教室。
既に成人として認められ、今年で十八になる女生徒は困惑していた。
同じ年であり、身分もそう変わらない彼らに言い寄られても浮き足立ちはしない。学校が始まって初日にも関わらず昼休みは他クラスや下の学年に、授業合間の休息時間には自分達のもとへと忙しなく往復する彼らに本気になれる者は当然いなかった。
それなりに誠意ある対応を見せられれば会話を楽しみもしたが、今目の前にいる彼らからはどう見ても誠意の欠片も見当たらない。それどころか、彼女達も放課後には家の手伝いや仕事が残されているにも関わらず、安易に遊びに、もしくは自分の職場に来てみろと誘って来られても迷惑でしかない。彼女達は彼女達で互いの交流を図りたいのに、彼らが邪魔でまともに話もできなかった。隠そうともせず声に出して何処のクラスが一番美人かと話し合う青年達に、いっそ侮蔑の意識の方が強い。
「そんなこと言ってていいのか?そろそろ女は仕事より所帯持ってくれる男が欲しい頃だろ?」
少なくともそんな言い分の男性と一緒になりたいとは誰も思わない。
彼らも、それなりに必死ではあった。
たった一年の学校で学べることなど限られていると考える彼らは、授業に期待していない。それよりも仕事場に年頃の女が居ない今、未来の妻を本気で探していた。
しかし恥や外聞を捨て、自分が女性に飢えていると、相手がいないことに困っていることと正直に言えるわけもない。その結果、自分の優位を示すべく相手の女生徒の方を貶める言葉ばかりを選んでいく。彼らは彼らなりに己の矜恃と体裁を守ることに必死だった。その為に午前の仕事も投げだし、役に立つかもわからない授業も大人しく受け、嫁候補探しに精を入れているのだから。しかしそれでも当然ながら
やって良い事と悪い事の分別がついていない彼らが、迷惑な存在であることは明白だった。
悪ではない。ただただ迷惑な人種である彼らに、同年の女生徒も早々に不快を露わにする。男尊女卑があるとはいえ、女王制のフリージア王国では女性もただ男性に従うばかりの関係を良しとしない。「いい加減にしてよ!」と女生徒の一人が怒鳴り友人になった女性を庇えば、矜恃を傷つけられた男性は当然牙を剥く。なんだと⁈何よ!と叫び合い、言い合いが始まる中で男の方が拳を握る。学内では当然暴力沙汰が禁じられているが、今この場に教師はいない。
「テメェらみたいな行き遅れ相手に俺達が本気になるわけねぇだろ!!」
暴言が教室中に響き渡る。
更には共に並んでいた男達もそうだそうだと同意の声を上げる。己が矜恃を守る為ならば、女を何人陥れても構わない。
「高等部なんか成人になっても相手が見つからねぇような女ばっかだ」
「隣の教室には下級層の奴もいるらしいぜ」
「うえっ、この教室にはいねぇだろうな?」
「二年のクラスに綺麗なのもいたぜ、幸薄そうなツラだったけど」
「やっぱり売れ残る前のまともな女探すなら中等部だろ」
「ばーか、中等部じゃガキ過ぎだろ」
いくらでも下げ、貶し、馬鹿にし、侮辱する。
当然男性全員がそういう人間ばかりではないことを女生徒達も理解している。だからこそ、ただただ目の前の彼らが不快だった。周囲で様子を伺っている生徒達も男女関係なく彼らの言動に引くばかりだ。三年の中にも本気でこの一年で己が学を向上する為に、より良い将来の為に入学した生徒もいるのだから。
あまりにも過ぎる言動に、彼らがこれ以上学内で迷惑を振りまけば、自分らの代の三年は全員今年は入学不可にされてしまうのではないかとまで考える。まだ学校という機関も未完成な上、今後の同盟国との共同機関の試験運用でもある現状で、問題の根源を丸ごと除去されるなど容易に考えられる。
三年内で同じように女生徒を誘っている男子生徒の集団は、彼らだけではない。自分達のクラスでは最も目立つ行き過ぎた言動をするのが彼らなだけだ。
目の前についさっきまで誘っていた女生徒がいるにも関わらず、当てつけるように大声で騒ぐ。もう彼女らは女性としての価値もないのだと暗に示すかのような言動に、受けた女生徒もこの場で平手を放つか本気で悩む。彼女達の怒りも知らないまま、彼らの暴言は更に調子だけが乗っていく。
「良いじゃねぇか、中等部の三年とかなら丁度だろ」
「放課後に覗いていってみるか」
「確か二年に赤毛の美女がいたぞ。男二人連れてたが、俺らで囲めば逃げるだろ」
「二年ってことは十四かよ?まぁ美人なら見てやるぐらいは」
「うぜぇ」
突然割り込むように、別の声が放たれた。
文句の意思を込められた低いその声は、自分達を断った女生徒への苛立ちを紛らわせていた彼らの耳にはっきり届いた。
女ではない、男性特有の低い声で自分達に苦情を示してきた相手に彼らは振り向く。見れば、窓際の一番隅の席にどっかりと座っていた男がこちらを睨んでいた。
お前が言ったのか、と確認するまでもなく彼の声だと誰もが理解した。
教師からの自己紹介時間さえ一言も話さず、机に突っ伏し眠り続けていた彼の声を聞いたのは、生徒の誰もが初めてだった。もともと肌の色でクラスの誰よりも浮いて目立っていた彼を、全員が遠巻きにしていた。
その彼が今、初めて牙を剥くように自分達を睨んでいる。焦げ茶色の髪を短く尻尾のように括っただけの髪で、垂れた前髪を掻き上げ見せた凶悪な顔と鋭い眼差しに一瞬怯んだが、ここで黙るわけにもいかない。矜恃と人数だけを武器に彼らはその青年へと歩み寄った。
なんだと?聞こえたぞ、文句でもあるのか、と。月並みな台詞を吐いて集まる彼らを前に、青年はゆっくりと立ち上がる。座っている状態から立ち上がれば、姿勢を正さずとも彼らより背は上回った。立場が一転し、彼らを見下ろす高さになった青年は先ほどから最も声が大きかった筆頭の男子生徒の首根っこを掴み、片手で窓へと投げるように突き飛ばす。
ガンッと一人分の背中が窓枠にぶつかる。風通しが良いように全開にされていた窓は大きく、しかし手すりはなかった。あまりの不意打ちに男子生徒は大きく仰け反り、勢いに押されず両手を左右に開いてなんとか踏み留まったが、ひやりと冷たい汗が額に伝った。言い合いをするまでもなく突然突き飛ばされるなど思いもしなかった。
しかも壁ではなく窓だったせいで、危うく窓から本気で落ちかけた。あまりに突然の危機一髪に本人だけでなく、取り巻いた他の男子生徒達も息を飲んで硬直した中、突き飛ばされた彼は怯んでいることを悟られないように仰け反った状態から体勢を立て直す。そのまま「危ねぇじゃねぇか」と男子生徒は声を荒げ
……る前に。
ゲシッと、躊躇なく腹を足蹴にされた。
打撃というよりも、背後へ押しやる力。
今度こそ両手の掴む場所もない。窓から大きく身体をこぼし、頭から真っ逆さまに放り出された。
自分が放り出された窓から男女の悲鳴が響き渡る。その声で、自分が四階から落とされたのだと遅れて理解した男子生徒は浮遊感に煽られながら絶叫する。
死ぬ、死ぬ、と空を仰いで叫べば、窓から自分を落とした張本人のニヤニヤとした嫌な笑みだけが視界に残った。
何故自分は落とされたのか、何が起こったのか、殺されるほどのことをしたのかと一瞬のうちに次々と疑問が浮かび上がる中、凄まじい速さで窓が遠のいていく。
殺されたと、そう思った瞬間に背中から頭を何かに打ち付けられる。バコッ、ドコッ、バコ。ドカッ、ドカッ、ドカッと短い間隔で何度も何度も背面を打ち付け、その度に一瞬落ちきった後かと思うがまだ死なない。〝彼を助ける為に〟青年の特殊能力で飛び出し伸びた壁の一部だ。いくつもの遮蔽物で落下が減速されていった彼は、痛々しい音を響かせながらも最後の最後に本当に地面に落下しきった時は、ドサッと身体を強打するだけだった。血が出るどころか骨折もなく、ただただ身体がバキバキに痛むだけだ。
今度こそ落下が終わったことと、自分がまだ生きていることに茫然と仰向けに天井へ転がる中、二階と三階、そして一階の選択授業で使う専用教室の窓からも高等部二年と一年の生徒達が目を丸くして自分を覗き込んできた。
生きてるか⁈何があった⁈どこから落ちてきた⁈と次第に騒ぎが大きくなる中、打ち付けた痛みで起き上がれない彼は自分の生存だけを確信する。その中で
「ヒャッハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!」
悪夢のような高笑いが遥か上から聞こえてきた。
こんな状況で誰が笑っているのかと考え、結論で考えられるのは一人しかいない。目を凝らし、自分が落ちた筈の四階を見れば、一階から三階の生徒も同じよう見上げていた。
そこには自分を落とした張本人が、反省することも青ざめることもなく平然と笑っている。間違いなくあの男は自分を落とすつもりで足蹴にしたのだという事実が、冷たく背筋を駆け抜ける。
何故自分が助かったのかはわからない。ただ、ただただ高笑いで見下ろしてくる男が自分を躊躇いなく殺そうとしたのだということに脂汗と震えが止まらない。殺されかけた、殺されかけた、と繰り返し脳に刻まれた。
やっと放心から身体が動いた頃、騒ぎを聞きつけた教師が安否確認と共に医務室にと、そして何があったのかと尋ねたが、彼はガタガタと首を左右に振り、口を絞って黙秘した。
下手なことすれば今度こそ殺されると確信する彼は教師の助けを借りて立ち上がると、血の巡っていない顔色のまま一目散に校門へと逃げ出した。引き留めの声を上げた教師がまさかと校舎を見上げたが、既にその時には興味本位で覗いている生徒しかいなかった。
教室では、男子生徒を突き落としたヴァルが機嫌良く自分の席に戻っていた。窓際のそこから校門へと逃げ去っていく背中を眺めて笑い、そして教室は凍り付く。
他の男子生徒達は、仲間の一人を突き落としたヴァルへ報復どころか、窓を見下ろす勇気すら出なかった。逃げた男子生徒と同じように息巻いていた彼らも、被害に遭っていた女生徒も遠巻きに気にしていた生徒も全員が、顔面蒼白のまま言葉も出なかった。当然だ。彼らは成人しているとはいえ、あくまで〝一般人〟なのだから。
窓から落とすぞと脅したり、集団で殴ったり、ナイフを突きつけるくらいならば残された彼らにもできる。しかし何の躊躇いも大した理由もなく、人間を四階から落とすなどとてもやれることではない。腕力や不意打ちという問題ではない、倫理的にあり得ない。それを平然とこなしながら、突き落とした後にも高笑いを上げ続けたヴァルに対して彼らの思いは〝恐怖〟だけだった。
落とされ、逃げた彼も問題はあったが悪人ではない。しかし、今自分達の視線も気にせずに非道なことを行ったヴァルは間違いなく〝悪人〟の類いだろうと、自分達が〝関わってはいけない〟人種なのだと誰もが理解した。
今の今まで迷惑行為を続けていた彼らも、元々は中級層の生ぬるい生活を許された側の人間だ。そういった本物の〝悪意〟に晒されることには慣れていない。むしろ、今まで運良く遠ざけて生きてこられた世界に、この先も踏み込みたくない。今、このクラスにもヴァルほどではなくとも顔付きや風貌の悪い生徒は複数おる。しかし彼らは授業こそ聞かないが、基本的には大人しい。休み時間も何処かへフラリと消え、教室にいても女生徒にちょっかいをかけたりしない。ヴァルも彼らと孤立しているだけで同じ分類だと今の今まで生徒全員が思っていたが、その認識はこの瞬間に大きく変わった。
ひとしきり笑い終えたヴァルは、今頃視線に気がついたように自分を青い顔で凝視する生徒達に目を向けた。自分に怯え、拒絶し、恐怖や侮蔑の対象としての眼差しを向ける彼らに懐かしい感覚を覚える。ちょうど彼らぐらいの歳の頃は、自分にとって〝コレ〟が日課だったものだと懐かしむ。
自分達を見て、ただニヤニヤと笑うヴァルに仲間の男子生徒達は喉を鳴らし、鼻の先まで汗で湿らせた。
授業が始まり、教師が入ってくれば、全員が無言で席へと戻った。教師に何が起こったかも言わず、ただただ怯えてヴァルから目を逸らす。
彼にだけは関わらないようにしようと、この瞬間クラスの心は一つになった。
落とされた男が何故か無事で、そして血相を変えて逃げて下校していったことを後から教師に知らされた後もそれは決して変わらなかった。
ヴァルがまた大人しく机に突っ伏し仮眠を取り始めた後も、生徒の誰もが今後関わるどころか話しかけようとすら思わない。
この事件の噂が高等部間で広まる頃には、誰もが彼とは関わらないようにしようと心にとめた。
……
「ッッですから!!!!四階から生徒を落とすのはやり過ぎでしょう⁈」
放課後。
城に戻ったプライドは、早速ヴァルを怒鳴りつけることとなった。
ステイルの瞬間移動で呼びつけられたヴァルから、今日までの配達物を受け取り、その分の報酬を手渡すまではまだ落ち着いていた。しかし、パウエルから聞いた噂の真相と本人確認を終えたプライドは顔を真っ赤にして十八のヴァルを叱りつける。
既に配達へ向かおうとしていた彼の傍らには、同じく授業を終えたセフェクとケメトも並んで話を聞いていた。着替えを終えたプライドの部屋には休息時間を得たティアラ、そして近衛騎士の護衛で交代前のアーサーとカラムも並んでいる。
プライドとステイルが命令で話を聞けば、やはり予想通り犯人はヴァルだった。四階から突き落とした生徒に特殊能力で学校の壁から着地台をいくつも作り、降下を遅めて助けたことにはプライド達もほっとしたが、それ以前にヴァルが〝喧嘩を売られたという理由で〟主犯格の生徒を窓から問答無用で落としたことは問題でしかなかった。
「別に命令は破っちゃいねぇだろ。怪我人も死人もいねぇ。お陰で今日は平和なもんだったぜ?」
目を吊り上げて怒るプライドにヴァルはケラケラ笑う。
反省どころか、久々に楽しめたと言わんばかりの態度にプライドは両腰に手を当てて鼻の穴を膨らませた。そういう問題じゃありません!と返しながら、高い踵で地団駄まで踏んで怒りを露わにする。ただ暴力を振るったことだけに怒っているわけではない。それ以前に腹立たしいことは
「私はそこまでさせる為に〝許可〟を与えたわけじゃありません!!」
プライドの怒鳴りに、意味がわからないように首を捻るセフェクとケメトに反し、ヴァルはニヤリと笑みを引き上げた。




