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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
頤使少女とショウシツ

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そして終わらせる。


「だ~から覚えてねぇっつの。その〝トーマス〟ってのも全然しっくりこねぇしよ」


グビリと酒で鳴らし、手をパタパタと払うようにはためかせながら煙に巻く。

久々のアルコールと湯上がりに顔を火照らせながら、食事の時と殆ど同じ返答をレイに返した。いくら酒を出されてもこれだけは知らぬ存ぜぬで通しきるという絶対意思が頭を冷やす。


思い出そうとすれば、アルコールにぼやけた頭でもはっきりとトーマスだった頃を思い出せる。

たかが二か月程度ではあったが、トーマスと呼ばれれば自然と振り返るくらいには馴染んだ。もともとライアーという名前自体自称に近かった為、正式名称とも呼べない。そして振り返ってみれば、なんともトーマスとしての人生は自分でも驚くほど馴染んでいた。

記憶を取り戻した今、家畜の世話だけは性に合わない為なるべく早くおさらばしたいとは思う。だが、悪い目に合わせずに雇ってくれた雇い主に対しては少なからず義理を通そうと考える程度には悪くなかった。取り敢えず迷惑をかけない程度は明日も仕事に入ろうかくらいは頭の隅で考えた。

昔の自分なら迷いなく金目の物を奪ってトンズラしたが、今はそう思わない。保護観察下の為下手なことができないのもあるが、やはりトーマスとしての自分も確かにあると自覚する。


むしろ裏稼業としての記憶がなくなった途端、あんなに自分でも呆れるほど腑抜けになると考えるとあちらの方が自身の本質に近いのかとも思う。

のらくらと平和呆けして、世界に本当の悪人などいないと思えた自身にはもう戻れない。裏稼業として生きてきた経験から、それが真実ではないことも今はよく知っている。自分自身もまた外道の類なのだから。

トーマスとしての記憶もある今、冷静な頭で考えれば忘れたままの方が幸せな頭で生活できたなとは思う。自分の悪行も世界の暗い部分も知らずに平穏だけを願ってた生活は、今までの人生にはないほど平和で満たされていた。


「こっちの気も知らず軽く忘れて思い出しやがって。俺様がどれだけ苦労したと……」

「だぁから知らねぇって。んなこと言ったらこちとら奴隷だぜ?ったく、どんな目に合ったのか想像もしたくねぇぜ」


だが、それでもこうして記憶を取り戻すことを選んだ今は思い出せて良かったと本心から思う。

グビリッと勢いのあまり口の端から細く零しながら、足を靴ごとテーブルに乗せて踏ん反り返る。

トーマスとしての人生は間違いなく悪いものではなかった。記憶さえ取り戻さなければトーマスとして生きることも幸せだった。だが、今までの自分ではあり得ないような言動や思考をよりにもよって過去の関係者に見られたというだけで羞恥心が凄まじい。

正直、ライアーとして奴隷に堕ちたところを見られる方が百倍マシだった。

あんな平凡で妙に丁寧で穏やかにニコニコしている自分の言動を思い出すと、死ぬほど恥ずかしい。それが自身の本性だと思えば余計にだ。

しかもよりにもよってそれをレイに見られてしまった。一瞬でもそれを意識してしまえばそれだけでも喉を掻き毟りたくなる衝動に駆られる。

正直、トーマスとしてレイには絶対会いたくなかったと血を吐いて叫びたい。


あんなのが自分の性分だと思われるだけでも嫌なのに、あんな顔であんな言葉を自分の口でレイに言ってしまった。

最後に会ったのが六年も前の、彼にとって子ども扱いしていたガキに、見られたくない一面を見られてしまった。もう二度とレイにトーマスとして関わりたくなければ、いっそこのまま自身もトーマスの記憶は闇に葬りたい。

思い出しそうになれば自身に対しても誤魔化すように自然と舌が回った。数年ぶりのお喋りの筈にも関わらず、流暢に滑る舌と比例してライアーの心臓は焦燥でバクバクとけたたましく鳴り続けていた。

顔にも動作にも声色にも気ほどもそんな様子を見せまいと偽りながら、懐かしい自身の特技が蘇ってくるのを感じる。今でもやろうとすれば平然とトーマスとして振る舞えるが、絶対にライアーの自分を知る関係者、特にレイには絶対に見せたくない。

今も目の前にいるレイの意識を逸らそうとうんざりしたように声を低めてみたが、実際は奴隷だった記憶などどうでも良い。

レイと関係ない記憶ならば忘れたところで問題ない。むしろ自分の人生でこれ以上不快な記憶は消えてくれて清々する。レイに出会う前もろくな人生を送ってこなかった彼だが、記憶を取り戻した瞬間はそれに頭を抱える暇もなかった。目を覚まし、記憶を取り戻して最初に頭に引っかかったのは自身の前科でも奴隷に身を落とす直前でも、ましてやレイとの最後の別れですらない。ただただその身を急き立てたのは




『ッなんで!忘れられるんだ‼︎そんな全部……たった二ヶ月だろ⁈』




トーマスとして見た、目の前で嘆くレイの姿だったのだから。

レイが自分を探していたなどと知らなかったら、記憶を取り戻したところであそこまで取り乱さなかっただろうと自分で確信する。記憶を取り戻した直後こそ夢から醒めたような感覚で戸惑ったが、トーマスとして見てきたものが全て記憶を取り戻した後だと頭の中で全く違って捉えられた。

過去の自分を知っている青年が自分を前に嘆く姿にはトーマスとしてはそれなりに胸が絞られたが、ライアーである今思えば絞られるどころか死にたくなる。まさか何年も自分を探し続けていやがったのかとその事実が先ず衝撃だった。


図体もでかくなった上、顔つきも昔のようになよなよしくない寧ろ男らしく凛々しい顔つきの青年だ。

その青年がグズグズとよりにもよってたかが自分が記憶喪失だという理由で泣き出し、その後も昔と変わらずライアーライアーとその名ばかりを口遊む。その事実だけでも全身を擽られるような感覚に口の中を血が滲むまで噛んでしまうのに、しかも泣いたのは自分の所為だ。

人を殺しても騙しても見捨てても滅多に感じなかった人生で数少ない〝罪悪感〟の一つは、寝起きに馬車から飛び下りてしまうくらいには重かった。



…… どうせ泣かすなら、ガキより美女が良かったんだがなぁ……



「なに。俺様が居なくて寂しくて泣いちゃったかレイちゃん?」

「つけ上がんなボケが。無駄に派手に消えたお前が悪いんだろ」

ああそりゃワルカッタ。棒読みに相槌を打ちながら、揶揄いまじりにレイがもっと言いにくくなるよう外堀を埋めていく。

絶対にレイの口からもトーマスとの思い出は語られたくない。お互い無かったことにするのが一番平和で幸せだと信じ疑わない。いっそ、自分ではなくレイの方が全て忘れていれば丸く収まったんじゃないかと本気で思う。


自分が記憶を取り戻しても、失っていても、レイが忘れていればどちらにせよ自分の中では一秒で全部終わった。

もともとレイに引き取り手が見つかれば、さっさと押し付けて行方を眩ますつもりの時期もあったと遠い記憶を昨日のことのように思い出す。にもかかわらず、レイはあんな中級層の端の端まで自分を探し出し、もう恩に着る必要もなくなって全て綺麗さっぱり忘れていた自分相手に怒り出ししまいには思い出して欲しいと泣き出した。

女を泣かせるならそれなりに気分も良く悦にも浸れたが、よりにもよってレイ相手では生きた心地もしない。ただでさえ子どもに泣きつかれるのは苦手な性分である。


記憶を取り戻してから最初に思ったことは、早く彼を泣き止ませないとという一念のみだった。一緒に人身売買から逃げた時のように、彼を放っておくことはもう自分にはできなかった。

そして本当に記憶を取り戻して良かったと思う。レイがトーマスといくら打ち解けようとも、トーマスとライアーを別人として見るレイを自分が一人過去に残すことは変わらない。

世界の端の端みたいな場所にレイ一人を置いて逃げる事はもう自分にはできない。あのままベソベソ泣くレイと、自身の恥ずかしい本性だけが曝け出されたトーマスが仲良くなるなど考えるだけで悍まし過ぎて身の毛がよだつ。


『トーマスさん、貴方の記憶を取り戻す方法が見つかりました』


「……なぁぁ、結局あのジャンヌちゃんって何なワケ?お前のコレじゃねぇならなんで」

「知るか。勝手に首突っ込んできた奴だって言っただろ耳まで老いたか」

「だぁからなんで突っ込んできたんだって聞いてんだろ。俺様達みてぇな善人以下を相手に、急に現れてまるっと納めて代償も求めねぇ女なんざ妖精か女神サマ以外ありえねぇんだよ」

食事の時間に詳しい話は聞いた。レイとジャンヌが恋仲でないことも今は理解している。

どういう流れで彼女がレイと関係を持つことになったかも、レイの口からあらかた説明された。しかし、聞けば余計にライアーには納得いかない。トーマスとしての記憶もあれば余計にだ。

無理やり納得させるとしたら、ジャンヌがレイに片想いしているというのが一番筋も通る。自分に対してもレイの代わりに謝ったり仲を取り持つ為に助言したりと忙しなかった。


だが、レイの話を聞けば突然屋敷に乗り込んできては好き勝手言って半ば無理矢理協力に名乗り出たと言う。

あくまでレイ主観の話だが、ライアーはよくそんな怪しさ満点の奴と組んだなと半ば引いた。ジャンヌからの要求が何もないのも気味が悪い。裏家業で過去に何かしらやらかした自分への復讐の為にレイを利用したという方がまだ納得いく。しかしレイに復讐する為だとしたら、今度は懐への入り方が雑過ぎる。

まるで彼にどう思われても、この件だけ解決できれば後はどうでも良いと言うかのような投げやりさだ。そして結局、彼女のお陰で自分達はこうして再会できてしまった。


「……そういやぁちゃんと礼はしたのか。見送りした時に何話した?」

「言っ、…………最初は、言った」

断言しようとしたが、途中で止まる。

何だそりゃ、とすぐにライアーから返されたが唇を結んだレイは答えない。

一度は確かに礼を言った。だが、それはあくまでトーマスに会えた後の話だ。その後にライアーを連れてきてくれた時は言葉にもしていない。

本当にライアーを連れてきただけなのか、それとも何かトーマスにしたのかも未だに懐疑的だったせいもある。

もし、ライアーの居場所を掴んだ時と同じように彼女が何かしらの人脈で彼の記憶を取り戻したなら礼を言えたかもしれない。しかしあの時は圧倒的に、彼女がどうしてどうやってと疑問の方が強かった。

ライアーと同じくレイもジャンヌの行動原理が理解できない。ここまで来たら恩着せがましく踏ん反り返ってくれた方が楽だった。見返りを求めてくれれば納得できた。しかし、それを考えればもともと没落寸前且つ断罪前の自分に彼女が擦り寄ってきたことからおかしくなる。


一人酒を傾ける手を止めながら黙々と考え込んでしまうレイに、ライアーも諦めた。

眉を怪訝に寄せて表情筋に力を込め過ぎた半顔を眺めながら、レイもジャンヌのことは計りかねているらしいことを理解する。

レイにとってはあまりにジャンヌの行動は不可解だった。あまりにも都合が良過ぎる。見返りも求めずただ善意だけを押しつけてくる意味不明な人間が昔から自分の周りには多過ぎた。ジャンヌに、屋敷の使用人。そして目の前にいるー……


「……ライアー」

「?どうした兄弟」

不意に、先ほどまでの鋭さを忘れたように細い声で尋ねてくるレイにライアーは顔を上げる。

見れば、昔と同じ眉を釣り上げたまま睨みつけるようにして自分を見据えてきていた。目が合った瞬間、これは本人なりに真面目な話をしたがる時のものだとわかりライアーは〝マズい〟と後悔したがもう遅い。昔ならここで「いつ俺様を売るんだ」と余計なことを聞いてきたレイが、今はどんな余計なことを言うかは予想もできた。

レイにとって一番最初の意味不明な人間こそ、目の前にいるライアーなのだから。


「六年……いや、八年前のあの日。どうして俺様を拾った?売れなかったなんて嘘だろ」

もうわかってる。そう言いながら、真っ直ぐに目を合わせてくるレイにライアーは初めて頬へ汗が滴った。

昔なら平然と嘘で流せたのに、今は小さな子どもではないレイが昔と同じ方法で尋ねてくるせいでどうにも調子が狂う。しかも今日一日で二度も泣かせたことも考えれば、昔のように自分主義で利用したとも言い張りにくい。


引き攣った笑みで返しながら、酒瓶の手を止めてテーブルに頬杖をつく。

トーマスとして話した時も、自分の悪口を話した彼がそれでも奴隷として売る為に育てたとは一言も言わなかった。それどころか拾われたと語ったことを思い出しても、きっとある程度の事実は成長と共に気づいてしまったのだろうと理解する。

当時のことを思い返せば、ライアー自身本当のことを言っても信じて貰えるか自信もない。

レイを女と間違って馬車から引き取ったことが事実であれば、その後にレイを引き取ったことを後悔した数も知れない。いつでも手放す気はあったし、彼が自分と同じ炎の特殊能力者だと知ってからは手放し難くなった。

女と間違って引き取ったのも事実。最初から奴隷にする気がなかったことも事実。そして女だったら()()()()()()()()()こともまた事実。……それを全てここで説明しても、信じて貰えるとは思わない。だからこそ


「……ナイショ」


この先も、言うつもりはさらさらない。

どちらにせよ、自分が身体を張ってまでレイを助けてしまいたくなったのは当初は予想外だった。それをここで答えればいつ絆されたのか、ならどうして、と探られたくもない腹を捌かれる。

今更になって当時の心境を語りたくなどなかった。大体自分にとって人身売買に捕まったこと自体は




悪い思い出でもない。




「今更言ったからってなあんにも変わんねぇだろ。俺様がしたくてそうしたワケ。最後はレイちゃんも騙してアンカーソンに押し付けたんだから恩に着る必要もねぇよ」

眉間に皺を寄せるレイへ笑い飛ばしながら、酒と一緒に事実を飲み込んだ。

当時レイを逃す為に死をも覚悟したライアーだが、戦闘不能に追い込まれ人身売買に繋がれた時ですら自分のやった行動に後悔は微塵もなかった。生きたいように生きた結果として流れ着いた先に不満はなく、そして今目の前で不機嫌そうに自分を睨みつけるレイを前にすれば寧ろ懐かしくも良い思い出にもなる。

当時守りたかった相手を守り、ちゃんと無事にこうして生きてくれていたのだから。互いの無事を願ったのはお互い様だと、うっかり本音を零したくもなる。


煙に巻くライアーに、レイは酒瓶を置いて腕と足を組む。

昔も本当のことを話さなかった彼が、今更簡単に口を割る筈がないこともわかっていた。しかしあまりにも予想通りに流されれば腹も立つ。

どう言えば彼の口を割らせられるのか、この六年間彼を見つけることばかり考えていたレイはその方法までは考えていなかった。

まさか自分が知らないだけで実は何処かの遠縁かもしくはもっとずっと前にでも会ったことでもあるのかと突飛なことまで考えたことはある。だが、どれをとっても自己完結できるほどのものはなかった。

だからこそ、本人の口から答えを聞きたい。


「……嘘でも良いから俺様が満足できる理由を言え。これじゃあお前を見つけ出した意味がない」

「俺様が満足だから良いんだよ。一番思い出してぇガキんちょにこうして会えたからな」

それに酒もうめぇ。グビグビと直後に酒を一気に仰ぎ、視線を逸らす。

冗談めかして笑うライアーに、悔しいほどレイの唇が結ばれた。大嘘つきを目の前にしながら、今の一言で納得はできずとも自身の蟠りが嘘のように打ち消されるのを自覚する。

決して誤魔化されはしないが、満足はしてしまう。夢にまで見た再会が唐突に鼻先に突きつけられているのだから。


むすっ、と頬杖を突いて自分からもライアーから目をそらせばその途端「酔ったか兄弟」と揶揄われる。

まだ飲めると、酒瓶をまた掴めばそのまま一気に残り半分以上も飲み干した。勢い余って口端から溢れた酒を袖口で雑に拭う。その様子に囃し立てるようにライアーは口笛を吹いて笑いかけた。


「やるなぁレイちゃん。そんだけ飲めりゃあもう大人だ」

「抜かせ。軽口よりも俺様に背を越された時の言い訳でも考えてろ」

「俺様がお前ぐらいの頃はもっとでかかったぜ、諦めな」

「三十年前の話だろ」

「ッいやだから俺様そんな年じゃねぇから‼︎‼︎」

あいも変わらず自分の見かけ年齢を貶してくるレイに声を上げ、呆れたようにまた笑う。

昔よりもムキになることが減ったレイの言葉は、ライアーにはそれだけで大人びて見えた。さりげなく話をそのまま流してくれたことに安堵しつつ瓶を空にする。

自分への口の悪さがそのまま未だ距離感を掴もうとしているように見えた。口が減らないくせに遠慮もない。六年ぶりにも関わらずしっくり来る目の前の青年は間違いようもない、自分が命懸けで逃した少年だ。

新たな酒瓶に口をつけながら話せば、レイも同じようにまた栓を抜いた。そのままのらくらと食事の時と同じようにどうでも良い雑談へ流れ出す。

ふと時計を見れば日時が回っていたことにどちらともなく気がついた。そろそろガキは寝る時間だぜとライアーが酔いの回り出した頭で言えば、レイも酔っ払い相手に顔を顰めた。


「ライアー、お前はこれからどうするつもりだ?」

「ま、取り敢えず朝には一度帰るぜ。仕事の仕方なんざ忘れたが、金が貰えるうちは貰っとかねぇとな」

「……、もし。俺様が……、……」

ん⁇と、突然声量が絞られたレイにライアーも両眉を上げた。

自分に尋ねた時こそさっきまでと同じ声だったのに、突然消え入りそうな声で止まってしまった。自分へ真っ直ぐに向けていた視線も今は伏せられる。

何本目かも忘れた酒瓶に手をつけながら返事を待つ。だが、顔に力を込めたままのレイは火傷した方も無事な方も変わらず苦悶の表情だ。グビッ、グビッと細切れに酒を飲むレイは、それでも言葉だけは続けない。


敢えて促さず欠伸をしながら待つライアーに、それが言えたのは更に十分以上後のことだった。

レイからの話に、ライアーは何の気もないように姿勢を浮かす。今まで自分を探していたことしか殆ど話さなかったレイに、初めてそれ以外の現状を語られた。テーブルに両足を乗せたままグラグラと椅子を斜めに揺らし、聞いてないような顔をしながらしっかりその話を頭に落とす。

トーマスの時にも知らされてなかった彼の事情を聞き、何度か「なにやってんのお前」と言いたくなったが、まさかそれも自分のせいかとぼんやり思う。


言い終えた後のレイは、今度は酒にも逃げれず黙りこくってしまった。

自分がどうすべきかも覚悟はできている。だが、それ以上に終わらせたくないものも今はあった。

六年越しに掛けられた相談に、ライアーは一度だけ溜息を吐く。まだまだ手の掛かるらしい目の前の青年に、勿体ぶるように「どうしよっかなー」と軽く言ってみる。グラリとまた椅子を傾け、レイの顔が見れないように細部まで彩られた天井を仰ぐ。


「…………ま、何とかなんだろ。」

最後に、辿り着いた答えはシンプルだった。

低めたライアーの声に、レイは思わず息を飲む。手の痺れたような感覚が止まった瞬間、さっきまでは震えていたのかと今気が付いた。

見つめた先のライアーの態度はまるで人の話を聞いていないようにしか見えないが、その声色だけは間違いなく真剣そのものだった。


「そん時はそん時で、〝全部終わってから〟考えようぜ兄弟。底辺の暮らしなんざ、お互い一度は慣れただろ」

励ますような、投げ捨てるような言葉は間違いなくライアーの本音だ。

お互い、という言葉に小さな期待を持って続きを待つレイは、知らず内に口の中を噛んだ。さっきまで天井を仰ぎながら椅子を傾けていたライアーが、ガッタンと乱暴な音と共にレイへと顔を向ける。下級層を共に生きていた時に何度も見たその顔は、見慣れた懐かしい笑みだった。




「もう置いて行かねぇから、好きにしろ」




一番言われたかった言葉に、思わず息が詰まった。

唇を絞ったレイは暫く返事ができなかった。限界まで見開き、瑠璃色の瞳が一筋輝く。潤ませまいと歯を食い縛ったが時間の問題だった。

それに気付いたライアーも、へらりと笑ったまま何も続けない。この先レイがどうなろうとも、六年も自分なんかを探し続けてくれた青年に今度は自分も待ってやろうと考える。もともとその日暮らしの方が慣れている。

その為ならば、性に合わない仕事だろうが生き方だろうが我慢しようとも思う。目の前でとうとう肩から震え出す青年を眺めながら、頬杖だけを突いてただ笑んだ。

世界で一番手間も世話も面倒もかかる青年と、飽きるまで共に生きて行こうと覚悟を決めた。


……翌朝。

宴の終えたレイの屋敷へと城から遣わされた衛兵が数を成して訪れるのは、ライアーが早朝の仕事へ去って間も無くのことだった。


躊躇いも抵抗もなく、レイ・カレンは王城へと出頭した。


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