そして別れる。
……それにしても。
「で、レイちゃん。ジャンヌちゃんとはどういう関係なワケ?俺様にも付き合ってくれちゃうしやっぱお前の〝コレ〟だろ」
「うるせぇ、寝言は寝てから言え色呆け」
楽しそうにからかうライアーとそれに冷たく遇らうレイを眺めながら、私は改めて苦笑いをしてしまう。
気になってアラン隊長へも視線を上げれば彼も半分笑っていた。最初からだだ上がりっぱなしのライアーを少し面白そうに見ている。
トーマスさんに会った時は戸惑っていたレイがこんなに平然としているのを見ると、恐らくこの話し方が彼の通常運転なんだろうなと思う。
私のことで新たな誤解をかけられても否定する気力すら湧かない。
「それにこの洒落た仮面はどうした?いやイケてるぜ?イケてるけどよ、んな家の中でも格好つけるとかどんだけ……」
「俺様の仮面の下がどうなってるか忘れたか」
「デロドロだろ⁇」
レイの肩に腕を回したまま、彼よりも高い背を丸めて覗き込むライアーは指先で無遠慮にレイの仮面を突いた。
コンコンと何製の仮面かと尋ねながら値打ちがあるか確認する。
見ていて飽きないやり取りだけれど、何とも見れば見るほどにトーマスさんとは別人過ぎる。
丁寧な口調は言わずもがな、優しげに見えた垂れ目も今は鋭さの方が際立って悪いおじさん感が凄まじい。失礼ながら、このまま裏稼業の集団にポイしても見事に溶け込めてしまうだろう。……レイへの絡みに至っては、何だか正月に会う親戚の悪いおっちゃん感もする。
改めて、レイがどうしてあれほどトーマスさんに狼狽していたのかがわかった。だってトーマスさんを知っている私達から見れば、今のライアーは文字通り別人だもの。
ちょっと角が取れたとか、謙虚になったとかそういうレベルじゃない。ケラケラと笑いながら六年の空白なんて無かったかのようにレイと肩を組む彼は、トーマスさんが持っていた距離感が全くない。
家畜商で働いていると聞いて信じられずに戸惑っていた理由も、そんな生活を送っているわけがないと話していたのも今なら頷ける。本当に姿は変わらないのに、今のライアーからはそういう印象が全く持てない。
物腰柔らかな男性から、今はチャラいおっちゃんだ。トーマスさんはヴェスト叔父様と仲良く話せそうな雰囲気だったけれど、……ライアーは確実に怒らせちゃうんだろうなぁと思う程度には。
「にしても腹減ったなぁ。レイちゃんなんか食わせてくれよ。今じゃお貴族サマだろ?」
「…………ちょっと待ってろ」
ライアーの言葉に一度侍女へ目線を投げたレイは、ぐいと一度ライアーを腕で突き放した。
ライアーも押されるままにレイから手を離すと、侍女の方へ自分から歩いていくレイにヒラヒラと手を振っていた。「昔より愛想良くなっちゃってまぁ」と呟くのを聞くと、どうやらあれでもレイは愛想が良い方らしい。……少なくとも私達が到着してからレイは通常運転の話し方だけれども。
それでもヘッと垂れ目で笑うライアーの表情はトーマスさんとは違う意味で柔らかい。
「……なぁおいジャンヌちゃん」
急にハッとしたように目を開いたライアーが、今度は声を潜めて私達に歩み寄ってきた。
さっきまでの余裕の表情とは打って変わり顔色を変えた彼は、私の身長まで腰を曲げるとそのまま口元に手を当ててヒソヒソと声を抑えた。何を言おうとしているのかは想像できる。
アラン隊長も気になるように耳を傾けても構わず、レイが背中を向けていることを確認しながら私達へ口を動かした。
「さっきは助かった!ほんっっとに助かった‼︎若いのに空気読める女だって関心しちまったぜ‼︎でよ、できりゃあこのまま俺様はトーマスだったことをまるっと覚えてねぇことにー……」
「ええ……わかりました。あの、代わりにと言ったら変ですが、今日のことや記憶を取り戻した件についても今後秘匿して頂けますか?できれば私達が関わったこと自体秘密にして頂けると助かります。私と一緒にいたフィリップやジャックにも……」
「よっし取引成立だな!?勿論美人の頼みならあのことは……、……ん??」
早口で捲し立てるライアーに返せば、途中で引っかかるように彼が眉を寄せた。
どうかしたかと尋ねれば、ライアーは片手を頭に当てながら少しだけ口を結んだ。その様子に一瞬まさか……と思いながら冷たい汗が頬を伝っていくのを感じる。
ライアーは視線を私やレイから宙へと浮かせ、そして難しい顔でじわりと声を低めた。
「…………確か、ジャンヌちゃんが何か方法見つけて会いに来てくれたんだよな……?」
そこは覚えてる。そう呟くライヤーにひゅっと背筋へ怖いものが走り抜けた。
ひぃぃぃっ‼︎と心で叫びながら、表情に出さないように噛み殺す。「ええ……」と言いながらももうこれはと確信する。
「気が付いたら馬車だろ?」「その前にジャンヌちゃんに俺様からも頼んで……」とぶつぶつ記憶の破片を拾い上げるライアーからは一度も〝特殊能力〟という言葉すら出なかった。
今更ながら、ライアーが目を覚ました時にヴェスト叔父様がフードを被ってカラム隊長の背中に隠れ続けていた理由を理解する。
流石ヴェスト叔父様。口止め程度で安心しようとしていた私よりも何枚も上手だった。ここまで完璧な特殊能力だとやっぱりゲームでライアーが記憶を無くしたのはまた別の理由かしらと考える。ヴェスト叔父様の完璧な特殊能力ならそれこそ一瞬すら思い出すわけがない。
レイが大嘘つきだと言っていたし、今もとぼけてくれている可能性もゼロではない。けれど、交換条件をぶつけるここでしらばっくれる理由が見当たらない。
これはもう間違いない。
「ほ……本当に記憶を取り戻した反動かもしれませんね……?とにかく、私が関わったことも含めて秘密にして下されば充分ですので……」
「いや今度は俺様がすげぇ気になるんだよ‼︎マジで何やったジャンヌちゃん⁈」
あ゛ーーーー‼︎と、とうとう頭を両手で抱えてその場に座り込んでしまう。
私よりも小さくなったライアーが必死に頭を絞るけれど恐らく一生思い出すことはないだろう。……若干、私に今度は謎の容疑がかかっていそうなのが心配だけれど。
本気で思いだそうとしているライアーに枯れた笑いしか出てこない。アラン隊長から微かに「うわー……」と声が聞こえたからこちらも予想できているのだろう。見上げれば頬を指先で掻きながら笑った口端が引き攣っていた。
お互いに目が合えば、もう言葉にせずとも私は頷いた。申し訳ないけれどこのまま真実ごと闇に葬らせて頂こう。
心に決めながら今度はレイへと目を向ける。
視線の先ではガチガチの侍女に向けてなにやらコソコソと命じているところだった。何を話しているかはわからないけれど、「はい‼︎」「か、かしこまりました‼︎」と裏返った侍女の目がまん丸だったから、きっといつものレイにしては珍しい注文だったのかなと思う。
他の侍女も連れてパタパタ退場したり、外へ走り去ったりと交差していった後、レイがくるりとこちらに振り返った。
「⁉︎どうしたライアー!」
「ッうるせぇジャンヌちゃんにちょうどフラれたところだよ!察しろ‼︎‼︎」
心配するように声を上げたレイに、ライアーが一気にその場から立ち上がる。
開いた手の指先へ力を込めるように曲げながら叫び返すライアーは至って元気だ。というか、何気に私が彼を振ったことになってしまっている。
その途端、レイもすんなりと呆れたように冷めた目をライアーへ向けて息を吐いた。
「……女なら誰でも構わず口説きやがって」
「イイ女だけだイイ女だけ。〝男にばっか〟色目使われたレイちゃんと違って俺様は女にモテてぇんだよ」
ガンッッ‼︎と。
次の瞬間、レイの拳がライアーの頭へと命中した。
まさかの会いたかった恩人へその日に与えるとは思えない威力の殴打音に思わず私まで肩が揺れる。まさかの背後からの攻撃にライアーも今度こそ痛みで頭を抱えていた。「いって……」と声を漏らすライアーに、レイの瑠璃色の眼光が燃えている。
どうやらレイちゃん呼びは良くても今の嘘は腹が立ったらしい。……というか、これはちょっとまずいような。
「だ、れ、の所為でっ……‼︎」
地の底に響く声で呟くレイの拳が握ったままぷるぷると震え出す。
アラン隊長がすぐに私を自分の背後に下げて身構えてくれる中、私も口の中を飲み込んだ。せっかくライアーに会えたにも関わらず、レイからまさかの黒い炎が生じ出す。
人魂のように灯っては次々とレイの周りを取り巻いていく。
ざわりとさっきまで傍観に徹していた衛兵が慌てて何かを取りに走り出した。恐らく以前のように鎮火作業だろうか。ライアーも慌てたように「うおっ⁈マジか‼︎」と叫んでいる。
歯を食い縛って怒りを露わにするレイに呼応するように、とうとう床にまで黒い炎が灯り出
バチンッッ‼︎‼︎
「ッちょおっと待てレイちゃん‼︎お前っ……まだそのクセ抜けてねぇのか‼︎‼︎室内ではねぇだろ‼︎室内では‼︎‼︎」
突然ライアーの両手がレイの眼前で鳴らされた。
ただの猫騙しだ。なのに、目を見開いたレイの周りからは嘘のように黒い焔が消えていた。
……当然ながら、特殊能力は猫騙し程度で消えるとかそういうレベルのものじゃない。なのにバチンとライアーが両手を合わせきった時にはもう黒い炎の影も形もなかった。
ゲームではレイが自分で一度燃やした炎をびっくり程度で消した場面なんてない。勿論、こんな猫騙し方法なんてライアーもアムレットも使わない。回想場面でもライアーが火の特殊能力者という紹介はあってもこんな止め方見せて貰わなかったのに。
「まだ制御しきれてねぇのかよ⁈」と叫ぶライアーに、レイも猫のように目を丸くしたままだ。瞼のなくなった目でライアーを凝視している。
「まさかアンカーソンの屋敷も燃やしちまったからこっちに引っ越したわけじゃねぇだろうな⁈」
「馬鹿が。そんなわけあるか、アンカーソンの屋敷ならあのままある。こっちに移り住むことになったのはお前の所為だ」
「たった今自分ん家燃やしかけた馬鹿に言われたくねぇよ‼︎……って、なに?俺様の為に別荘まで用意してくれちゃったわけ?マジ⁇」
……何だろう。段々とレイよりもライアーの方が常識人に見えてきた。
口調もテンションも全く違うのに、まともで温厚で常識人だったトーマスさんが脳裏にちらつく。冗談めかしたりしているけれど、ちゃんとレイを怒ってくれる内容は正論だ。
最後の軽口にレイはすぐには返さず、視線を逸らして黙してしまった。ライアーからすれば「そんなわけないだろ」と言われるの待ちだったのだろうけれど、……わりと的を射てしる。
後からバタバタと水の入ったバケツや重厚な布を抱えてきた衛兵が戻ってきたけれど、焦げた絨毯以外はもう何もない。レイもいつの間にか怒り自体が鎮火されたらしい。まぁもともとライアーに向けても怒っただけで、殺したいほどの攻撃意思があったわけがないけれど。
「…………。食堂で食事が用意される。食いたければ勝手にしろ」
「!流石貴族サマ‼︎愛してるぜレイちゃん‼︎」
話を完全に切り替えるレイに、よっしゃ!とライアーは嬉しそうな声を上げた。
そのまま「酒もあるか?」と尋ねるライアーに、今侍女が買い出しに出ているから食後にしろと言うレイは大分いつもの調子だ。
そのまま食堂へと向かおうとする足が、途中でピタリと止まった。ちらりと首だけで振り返り、半分仮面に隠された顔を私達に向けてくる。
「お前達も、……好きにしろ」
「!……あ、りがとう。だけど、気持ちだけで充分だわ。家で待っている人がいるから」
まさかのレイからの食事のお誘いに胸の中だけでびっくりしながら、言葉を返す。
誘ってくれたのにごめんなさいと笑い掛けながら、アラン隊長の隣に並んだ。馬車にはヴェスト叔父様とカラム隊長も待っているし、城ではステイルとティアラ達もいる。あまりのんびりはしてられない。
するとレイは首だけではなく今度は身体ごとこちらに向き直ってくれた。更には屋敷の奥に意気揚々と向かおうとしていたライアーもこっちに振り返る。「なんだレイちゃんも振られたか」と軽く声を掛けながら、レイの背後で私達に手を振ってくれた。
「…………………ライアー、先に行ってろ。俺様はまだコイツに話がある」
突然そう言い切ると、レイは大股で私に歩み寄ってきた。
ライアーが短く一声で返した後も立ち止まってこちらを見ていることにも気付かず、ダンダンと床を踏み鳴らしてくる。
アラン隊長が何気なく一歩前に立ってレイを牽制すると、一瞬だけ怯むように足を緩めた。それから私の眼前二歩手前で立ち止まる。
明らかに今の私より背の高いレイに、顎を反らして見返す。仮面に隠されていない右側の顔が、険しく私を睨んでいた。黒い炎こそ出さないけれど、確実に心境は穏やかじゃないことだけはわかる。
一体何を言われるかと敢えてこちらからは促さずに待てば、レイは一度背後を振り返った。同時に立ち止まった位置から器用にライアーが物陰に隠れてやり過ごす。
自分の目ではライアーが居ないことを確認したレイは、また私の方に向き直りそれでも低く潜めた声を放った。
「……何をした?」
想像したよりもずっと真摯な声と疑問に、思わず息を飲む。……きっと、その一言に疑問の全てが集約されている。
ライアーを嘘つきだと語る彼に、何か私達のやり取りでひっかかるものがあったのだろう。
ヴェスト叔父様のことも、特殊能力のことも、そして私が関係したことも彼には言えない。あくまで私はライアーをここに連れて来ただけ。ヴェスト叔父様がライアーの記憶も消した今、私がレイにそれを教えるのは禁忌に近い。
私は関係していない、ライアーが記憶を取り戻したのも、ここに私が立ち会ったのも偶然。それが正解だ。
今、それ以外に言えるとすれば……。
「……貴方との全てを思い出したいと願ったのは、トーマスさんとライアーの意思よ。それは間違いないわ」
私がどうやってもヴェスト叔父様が協力してくれても、大事なのはたった一人の意思だった。
トーマスさんを迷わせなかったのがレイなら、……記憶を取り戻したライアーが最初に急いだのもレイだったのだから。きっとそれだけは、彼が誇って良い真実だ。
瑠璃色の目を大きく見開いたレイは、僅かに肩を上げたままそれ以上の言及はしなかった。唇を噛んで険しい表情のまま私を睨むけれど、そこに黒い焔はない。
「トーマスさんとのことはライアーに言わないわ。だから貴方も今夜のことは誰にも言わないで。フィリップにもジャックにも、誰にも。………記憶、取り戻してくれて良かったわね」
おやすみなさい。
レイから背中を向ける。明日も彼に会えるのか、……もう二度と会うことがないかもわからない。レイにはまだちゃんと償わなければいけないことも残っている。
ライアーだって、トーマスさんの生き方をこのまま選ぶことはできる。レイがこの屋敷で貴族らしい生活ができるのもきっと残り少ないだろう。
お邪魔しましたと、最後にレイや使用人達に声を掛ける。アラン隊長が腕を伸ばす前に、衛兵が私達に扉を開いてくれた。
立ち止まったレイは、もう何も言わなかった。ただ、……初めて玄関先まで送ってくれたなと思う。
外に出て、うっすらとした夜風に吹かれながら馬車へと歩む。数歩進んでから小さく振り返れば、屋敷の扉が閉められる瞬間まで彼はそこに立っていた。
仮面を、外して。
瑠璃色の綺麗な両目が、私達を見送ってくれた。
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