Ⅱ312.頤使少女は合わせ、
「……良かっ……た……」
はぁぁぁぁ……と、玄関に佇んだまま長い息を吐く。
アラン隊長が隣に並んでくれる中、屋敷の衛兵越しにレイとライアーを見届ける。
ライアーの長身な背中にしがみつき返しているレイは、年相応の十五歳に見えた。トーマスさんとは時間を掛けて埋めようとした溝が一瞬で繋がったのが一目でわかる。
二人の様子に茫然としていた衛兵も、今は武器を下ろして佇んでいた。私達がこうして立っていることに気が付いても、既に顔を知っているからかそれとも騎士であるアラン隊長が一緒だからか捕らえようとはしてこない。
最初はどうなるかと思ったけれど、何事もなく済んで本当に良かった。……ほんっとうに。
馬車から飛び出された時はどうなることかと。
トーマスさんをヴェスト叔父様が待つ馬車へ案内してから、次に扉から開かれればトーマスさんは気を失っていた。
最初は本気でびっくりしたけれど、ヴェスト叔父様の話を聞けば一度に多くの記憶を取り戻した所為なだけですぐに目を冷めると聞けば安心できた。それから叔父様の指示でアラン隊長がトーマスさんの雇い主に一度こちらで正式に預かることになったことと場合によってはこのまま彼が本人の意思で辞める可能性もあると許可と説明に行ってくれた。
御者にも私がお願いする前から指示を出してくれた。お陰で気を失ったトーマスさんが目を覚ますのを待つ間にそのまま馬車でレイの屋敷へ向かえた。
目を覚ましたトーマスさんに本人の意思を聞いてから屋敷に移動するよりも、今のうちにレイの屋敷付近まで連れて行った方が時間の短縮だと。叔父様の口から馬車で彼を送っていくことを許してくれた。……それだけ、きっとヴェスト叔父様には記憶を取り戻したライアーが記憶喪失前の人格に戻ることもわかっていたのだろうなと思う。
ライアーが目を覚ましたのは、レイの屋敷が遠目に明かりだけ見えてきた頃だった。叔父様がフードを深く被ったままカラム隊長の背後で気配を消した中、薄目を開けて目を覚ましたライアーは最初すごく混乱している様子だった。
「ここはっ……⁈」とぼやけた声で呟きながらキョロキョロと顔ごと視線を動かしたライアーに、私からゆっくりと状況を説明した。
彼が気を失っている間に、ライアーの記憶回復状況や目覚めた後に考えられる症状や行動についてもヴェスト叔父様から解説して貰えていたお陰で落ち着いて対応はできた。今は馬車の中で、もうすぐレイの屋敷に着くことを説明しながら窓の向こうの明かりを指で示せば、……突然だった。
走行中にも関わらず馬車の扉を開けて飛び降りたライアーは、乗り心地重視で慎重にゆっくり走らされていた馬車を追い抜いてレイの屋敷に走っていった。
ヴェスト叔父様からその可能性も示唆されていたし、安全速度であれば好きにさせれば良いと許可は頂いていたけれど、まさか本当に飛び降りるとは思わなかった。
急がなくてもあと少しで馬車が屋敷に着くこともそうだけれど、何よりトーマスさんしか知らない私には想像もできない行動力だった。
ゲームでもレイが再会した時点で名前は語られなくてもそのままトーマスさんだったし、過去のレイ回想場面にもライアーの出番自体は殆どなかった。元裏稼業で生きてきた人と言えば馬車から飛び降りもわりと納得だったけれど、ちょっと温厚穏やかトーマスさんの印象が強すぎた。
ライアーが飛び降りた後、当然ながら私は飛び降り許可も貰っていないからすぐにアラン隊長が扉を閉めてしまった。
カラム隊長はヴェスト叔父様の、アラン隊長も私の護衛だから流石にライアーを単独で追いかけられない。代わりに御者が馬車の速度を上げてくれたけれど、突然飛び出したライアーが何かしでかさないかとヒヤヒヤしてしまった。
レイ相手に大丈夫だとは思うけれど、仮にも裏稼業なのと記憶を取り戻した直後だ。色々と戸惑うことも多すぎるに決まっている。
追う馬車の窓から目を凝らしてライアーを見れば、そこからは見事に恐ろしく鮮やかだった。
屋敷の門に辿り突けば、衛兵に声を掛ける間も与えず流れるように門へよじ登って飛び越えてしまった。……因みに、この時点で本当なら貴族への住居不法侵入だ。
流石に門を飛び越えることはできない馬車が止まったところで、事前に決めていた通りアラン隊長と私が降りて衛兵に事情も説明した。
ヴェスト叔父様とカラム隊長が控える馬車だけ門前に置き、私と騎士のアラン隊長だけなら不審者極まりないライアーを追いかけることを許してくれた。多分半分は、アラン隊長にライアーを逮捕して貰う目的もあったのだろうなと思う。完全に指名手配犯人二十四時みたいな状態だったもの。
私達が門を通して貰って屋敷内へと走り始めた時には、もうライアーが見事に屋敷へ押し入る瞬間だった。
侍女に内側から開けられた瞬間扉の隙間へ強引に身体を滑り込ませる技術が、やっぱり流石本場と思ってしまう速やかさだった。できればその押し入り技術は記憶を取り戻した後も有効活用して欲しくなかったけれども。
侍女の悲鳴や衛兵の騒ぎ声が聞こえる屋敷へ急ぎ、開けたままにされた扉から状況を確認した今。……何事もなく再会を果たした二人に目眩を覚えるくらいにほっとする。取り敢えずアラン隊長にライアーを取り押さえて貰う必要はなくなった。
「あの……本当に、夜分遅くに申し訳ありません……」
息を吐ききった私は、声を潜めながらそっと放心する衛兵に話しかける。
頭を下げながら上目に覗けば、衛兵も丸い目で見返してくれた。アラン隊長からも「騎士のアランです」と紹介から入り、穏便に済むようにと事情説明が始まった。
決して強盗目的ではないこと、逃走中犯人でもないこと、彼がレイの探していたライアーであることを一つ一つ説明すれば、衛兵も納得したように何度も深く頷いてくれた。
「あの男が……」と改めてライアーとレイを見比べる様子から、きっと彼らもライアーのことは聞いていても本人を見るのは初めてなのだろうと思う。むしろレイのことだから、ライアーが見つかったこと自体も彼らに話していなかったのかもしれない。
本当にお騒がせしてすみませんでしたと今度ははっきりとした口調で衛兵に謝れば、突然視界の隅でライアーの肩がピクリと揺れた。
レイを抱き締めていた腕を下ろすと、おっかなびっくりのような表情で私に振り返る。レイも同じく今気が付いたように「ジャンヌ……?」とこちらに濡れた瑠璃色の瞳を向けてきた。
奥に逃げていたのであろう侍女達もこそこそと私達の話し声を聞きつけて姿を現す。そこで思い出したように衛兵がゆっくりと背後の玄関扉を閉じた。
「どうしてお前までここにいる。……まさか、ライアーを連れて来たのは」
「ええ、私です。ちょっと忘れ物をしたのでアランさんにお願いして馬車を借りて戻ったら、ちょうど〝トーマス〟さんが貴方の元へ行きたいと仰っていたので」
あくまで偶然を装わせて貰う。
ヴェスト叔父様の特殊能力は存在自体なるべく隠さないといけないし、記憶が戻った経緯なんて話す必要もない。本当はライアーとも口裏を合わせたかったけれどその前に馬車から飛び降りてしまった。ここは上手く話を合わせて貰うしかない。
私の言葉にレイが解せないと言わんばかりに眉を寄せる。これだけじゃライアーの記憶が戻ったこと他の繋がりに納得できないのも当然だ。
私達とライアーを泣き腫らした真っ赤な顔で見比べるレイは、仮面に半分隠されていてもわかる怪訝な顔だった。ここは駄目押しで「私もトーマスさんの様子が違ったから心配したのよ」と記憶が戻ったことも知らない振りで続けようとした、その時。
「ッッジャンヌちゃん騎士サマも本ッ当に助かった‼︎こんな夜中に無理言って悪かったな本当!」
ハハハッ!と笑いながらライアーがこちらに身体ごと向き直ってきた。
レイと並ぶように立つと、そのまま彼の肩に腕を回し軽く手を上げて挨拶してくれた。
さらっと順応してもらったこともそうだけれど、何よりトーマスさんと違い過ぎる口調にこっちの方が虚を突かれる。
レイが目をライアーに向けると、それも図ったように「本当に運が良かったぜ」と繋げながら、すらすらと口を動かした。
「聞いてくれよレイちゃん!あの後いろいろあったんだが気がついたら俺様何所にいたと思う?家畜商の屋根裏部屋だぜ⁇せっかく自由になってたってのにそんなもんだからレイちゃんに会いに早速出ようと思ったらちょ~っどジャンヌちゃん達が来てよ。しかも俺様のことなんでか知ってるし呼び名はトーマスだし、っていうかこの俺様がトーマスってどうよ⁇んで話聞いたらレイちゃんのことも知ってるしついでに住処も知ってるって言うから俺様がちょいとレイちゃんの家まで頼んでみたわけよ。騎士サマも居るのはびびったがなんでもジャンヌちゃんの親戚なんだってよ!っていうかレイちゃんいつ女とよろしくやるぐらいになりやがった⁈俺様がいない間にちゃっかり隅におけねぇなあ⁇」
……すごい。息を吐くように嘘を並べてくれている。
あまりにも次々と並べられる設定の数々に、私まで目が丸くなる。説得力の有無はさておきアドリブ能力だけで言えばジルベール宰相やステイルに近いかもしれない。
取り敢えず私達が記憶回復に関わっていることを隠してくれているのは本当に助かるけれど、……なんかそれだけを隠すにしてはちょっとおかしいような。あとさらっと〝レイちゃん〟呼びもすごく気になる。
奴隷だった時の記憶はヴェスト叔父様が消したままにしてくれたお陰か、ライアーも今のところ苦しむ様子はない。むしろゲームでは思い出しかけた方が不思議だ。あちらはヴェスト叔父様が原因じゃないということだろうか。
あくまで今はライアーのアドリブ設定に乗るべく表情には出さないようにしたけれど、レイは眉を寄せるばかりだった。
じっ、とライアーを横目で睨み続け、彼が話し終わった途端に私へ視線を向けてくる。奥歯を噛んで見返せば、「ジャンヌ」とさっきよりも低めた声だ。まだ少しガラついている。
「コイツの言うことは殆どが嘘に決まっている。どこまでが本当か俺様に説明しろ」
「レ・イ・ちゃ・んコノヤロウ‼︎それが感動の再会を果たしてやった俺様に聞かせる台詞か⁈」
肩を組んでいた状態から腕を抜くと、ライアーが今度はレイの背後に半歩回る。その動作一つ一つに逐一侍女や衛兵が息を飲んだり響めくのが聞こえる。確実にいつものレイならお怒り案件だからだろう。
そのまま今度は彼の頭を両手でがっつりボールのように左右で挟んで鷲掴んだ。ぐりぐりと手根で報復しているように見えたけれど、……次の瞬間。本当の意図が別にあるのだと理解した。
隣から背後に回ったライアーが、レイの死角で私達に向け思いっきり首を横に振って訴えてきた。
「六年半待たせたのはお前の方だ。大嘘つきのお前の言うことを信じるほど馬鹿じゃねぇ」
背後でライアーがどんな表情をしているか知らないレイが淡々と憎まれ口を叩く中、ライアーの表情は間違いなく「言うなよ⁈なっ⁈なっ⁇⁈」と叫んでいた。口を思いっきり「い」の形にしている。トーマスさんの時には見たことがない形相を向けてくる彼に、思わず口端がヒクつきそうになる。……というか、さっきから〝レイちゃん〟呼びは二人ともスルーなのだろうか。
どうやらライアーは〝トーマス〟だった間のことは記憶にないことにしたいらしい。
彼の話だとまるでトーマスとしての記憶はないみたいな口ぶりで、レイとも私達とも今回が初対面ということにしている。けれど、ヴェスト叔父様はあくまで記憶を戻しただけで、トーマスとしての記憶が消える筈がない。
叔父様も「トーマスとライアーどちらの生き方を選ぶかは彼次第だ」と話していたし、消したとは考えにくい。
何よりトーマスとしての記憶が無ければ、私達と話を合わせることは愚か自分が家畜商の屋根裏部屋に住んでいたこともアラン隊長との親戚設定も覚えているわけがない。……寧ろ敢えてこうして口に出しているのも暗に私達へ「記憶はあるけど、知らない振りをしてくれ」のサインだったのだろう。
口達者な上に話し方やテンションも何もかもが違い過ぎるライアーにそれだけでも豆鉄砲を撃たれたような気分なのに、ここでトーマスとしての記憶もなかったことにしたがるから余計に呆けたくなってしまう。
「……全部本当よ。私達が会った時には、トーマスさんは私達のことも覚えていなかったもの。様子がおかしいなと思ったのだけれど、記憶を思い出した代わりにトーマスさんだった時のことは覚えていないみたいね」
「なら何故こいつは突然思い出したんだ?」
「わからないわ」
社交界で鍛え抜かれた表情筋で平静を保ちながら、全力でライアーに合わせる。
どうして隠したいのかはわからないけれど、彼も私達に合わせてくれているのだからここは乗るべきだろう。こちらだって記憶関連の特殊能力についてはお墓まで持って行って欲しいのだから。
私の返答に、ライアーがレイの背後で私達へ大きく二度頷いた。「ほら見ろ」と軽い口調でレイに言いながら、その顔は「大合格‼︎」の良い笑顔だった。
仮面に隠された顔を怪訝に顰めるレイと、背後でおちゃらけているようにも見えるライアーがまるでコントだ。
「多分、貴方に出逢ったのがきっかけで思い出したんじゃないかしら。こういうのって、小さなきっかけでという場合もあると思うもの」
「なんだぁレイちゃん⁇もう俺様に会ってたのかよ?おっしいなぁ、俺様とどんなこと話した⁇」
「…………ジャンヌ。絶対コイツには聞かせるな」
話をライアーに合わせる私と、見事にしらばっくれるライアーにレイがとうとう自ら封印を決めた。
六年ぶりの筈なのに、なんだかライアーが見事にレイを手の平で転がしている気がする。自分から私達に口裏を合わせてと合図した筈なのに、今はまたレイの隣に並んで肩へ腕を回し直しながら「なんだ聞かせろよ〜」と迫っている。どっちなのだろう。
でも結果的には私もライヤーもお互い隠したいことを隠したままレイを誤魔化すことができたし、良しということにしたい。
……それにしても。




