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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
頤使少女とショウシツ

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Ⅱ311.子息だった青年は言いたかった。


「ッ何故こんなにライアーの情報が見つからない……⁈」


苛立ちのまま踏みしめる足に憤怒を込める。

「申し訳ありません」と道案内する裏稼業もいつものように言い訳しか口にしねぇ。もうこれで何度目か数も忘れた。

アンカーソンの目を盗み、こうして俺様自ら足を運んで探しに来ているというのに本人どころかその手がかりにすら擦らない。ライアーを見つける為でなければこんな所に好き好んで近付きたくもねぇっていうのに。こんな……



人身売買の市場なんざ。




「おぉ、今日も来てるたぁ熱心だなぁ坊ちゃん。どうだ、今日も新しいのが入ったぜ?」

「あれが噂の……へぇ若いじゃねぇか」

「お前知らねぇのか。仮面のお貴族サマはここいらの常連だ。なんでも探してる奴隷がいるんだとよ。金に糸目はつけないらしい」

「取り締まりも面倒になってここ二年ほどで貴族サマの常連も減っちまったなぁ……」

国内の〝市場〟

人身売買を生業にする連中の巣窟だ。奴隷容認国へ売りつける為の仲介業者の溜まり場は、今日も顔を顰めたくなるほど人間が売り買いされている。

より質の良い奴隷を買い求める人間から、国に隠れて奴隷を飼う人間そして攫った人間を仲介業者へ売りつける裏稼業とが行き交う。中には裏稼業ですらなく、金欲しさに身内を売っている貧乏人も珍しくない。

貴族が売り買いに関わることは以前よりは減ったが、身内売りをする人間は今も昔も一定数変わらず目にする。



─ ……なんだ?どうして俺様がこんなところに……。大体、ライアーは見つかっ……



「クソッ……市場の数が相変わらず多過ぎる。市場一つでも回りきるのが限界だってのに……」

前女王が死んでから〝二年〟が経つ。

ライアーをこの手で見つけ出すと決めてからも、あと少しでそのくらいにはなる。

裏稼業の人間に下級層を探させても情報は手に入らず、奴が奴隷にされていることも視野に入れてリストを取り寄せた。だが、到底掌握しきれる数じゃなかった。

しかも奴隷は日に日に入れ替わりも激しく、国内どころかこの城下だけでも市場がいくつもある。


もともと前女王の時代から市場は多かったらしいが、二年前の革命前にラジヤ帝国とフリージアが同盟を結ぶという情報が漏れてから爆発的に人身売買組織も増えたらしい。

国内から城下に集まっただけでなく、国外からもフリージア王国の商品目当てに大手を振れると移住した商人もいると聞いた。その後に革命で女王は死に、ラジヤ帝国との同盟も流れたが……一度増えた人身売買連中は今も多くがここに居座っている。

当然だ。公的に認められなくてもこれだけの大規模な市場がいくつもあれば、組織にとって奴隷容認も禁止も変わらない。

ライアーを探すのに、奴隷が多すぎて見切れない。あの前女王は本当に死ぬ直前まで余計なものしか残さなかった。

フリージア王国の歴史に暗黒時代と呼べる傷跡を残したクソ女王を忘れられる人間は、きっと国中を探してもどこにもいないだろう。二年経った今では奴に苦しめられた国民から蔑称まで付けられている。

ティアラ女王になってからいくつかは潰されても、既に前女王の悪政で繁殖し過ぎた市場は簡単には減らなかった。昔のように少し裏通りを歩いただけで必ず目につくほど堂々としたものはなくなったが、それでも少し裏稼業に通じた奴に尋ねれば簡単に見つかる。

一年経った今も、……城下内の市場全ては一日かけても回りきることができない。



─ 嘘だ。市場なんざがある筈がない。俺様はリストすら手に入れられなかった。…………あんなに、手を尽くしても。



「おい!さっさと歩け塵が‼︎特殊能力もねぇくせに二本足で歩くんじゃねぇ!」

「そんなガキじゃ今どき女でも端金だ。もっとせめて顔の綺麗な奴を持って来い。……なに?特殊能力者⁇」

「やだっ……やだやだやだ‼︎父さんお願いだから売らないで!僕!僕ちゃんと良い子にするから‼︎‼︎」

「最近じゃ特殊能力者の商品も珍しくなったなぁ。前女王の時代は良かったよ」

……市場は、苦手だ。

今じゃ下級層や裏稼業より、遥かに。最初は俺様と共に付いてきていたクロイも来る度に体調を崩していた。それほどに吐き気のする場所だ。今日もこうして寮に置いてきて正解だったと思う。


本来なら俺様もこいつら商品と同じ立場になっていたんだという事実と、……今こうしている間にもライアーがこんな扱いをされているんじゃないかと何度も頭に過ぎる。

目の前の奴隷の扱いを見れば殺意も湧いた。もし今足蹴にされているのが赤の他人でなくライアーだったらこの場で全員殺している。

無意識に耳へ流し込まれる騒ぎ声や殴打音に、それだけで身が強張った。自分の腕を掴み爪を立て、顔の前で何度も手を叩いて気を紛らわせ堪える。

こんなところで特殊能力を出したら騒ぎになる。そうすれば二度と市場へ来れないどころか、下手すれば俺様自身が商品としてまた狙われることになる。

今はアンカーソンの名を盾に雇った裏稼業連中にも口止めができているが、一度嵌められれば……またあの時の繰り返しだ。


─ ……俺様が、もっと早く見つけていられれば、ライアーは……。


「……!」

市場を端から端まで歩いて、……不意に目が止まった。

店の男の背後に並べられていた檻の商品に、気付けば足も止まる。

いらっしゃい、お気に召す物はありましたかい、と。決まった言葉を掛けられながら、目は店主ではなく商品に固定されたままだ。

口が僅かに空いたまま閉じない。瞬きもせずに商品を見続けていれば、俺の視線に気付いたらしく檻の向こうも振り向いた。ライアーじゃない、あの男とは似ても似つかない、それでも。



─ 見覚えがある……!この男は……‼︎



「ッまさかテメェ……レイか⁈」

目玉が零れるほど見開いて俺様にそう叫んだのは、八年前に俺様を狙ってきた裏稼業連中の一人だった。

アンカーソンに指名手配されるまでは裏稼業の溜まり場で何度も声をかけられたこともあった。ライアーの嘘に騙されて俺様を女だと思い込み、指名手配された途端他の連中と一緒になって俺様達を屋敷まで追いかけ回し、……ライアーを撃った連中の一人だ。


なんだ知り合いかと、店主が軽く首だけで振り返りながら俺様と奴を見比べる。

檻の中で首輪と鎖で繋がれたこの男は、どうやらいつの間にか売る側から売られる側に転がったらしい。鉄格子に掴まり、鼻先を出して媚びへつらう目で俺様に声を荒げてくる。

これも何かの縁だ、助けてくれ、可愛がってやっただろと都合の良い言葉ばかり並べられる。

まさかとは思うが、あの時追いかけてきた連中の中にいたことを俺様に自分が覚えられていないとでも思っているのか。

この場で焼き殺したい衝動を抑え、俺様からも突進するように檻へ駆け寄る。勢いに任せて鉄格子を足蹴にガチャン‼︎と音を立てながら、顎を反らす男を睨みつける。殺すのはまだだ。


「ッライアーをどうした⁈答えろ‼︎情報によっては自由にしてやっても良い‼︎‼︎」

腹の底から声で怒鳴れば、周りが僅かにざわめき出した。

しまった、と僅かにだけ冷えた頭の隅で思う。ここでライアーと俺様との関係を知られるわけにはいかない。復讐相手ではないと知られれば、あの時のように今度はライアーが俺様の人質にされかねない。


慌てるのを気付かれないように、声を殺しながら「余計なことを言えば殺す」と男を脅す。ここでコイツを買えば、後は生かすも殺すも俺様次第だ。

ごくりと喉を鳴らした男は何度も首を縦に振った後、最後は横に断った。「知らねぇ……‼︎」と言いながら、必死に俺様へ「あの時は悪かった」「俺も仕方なく無理矢理」「俺は指一本何もしてねぇ」とどうでも良い嘘を並び立てる。そんな言い訳を並べたところで、あの時にコイツがライアーを撃って笑っていたのを俺様は昨日のことのように目に焼き付けている。


「知らばっくれるな‼︎奴を最後に追い詰めたのはお前らだろ⁈殺したなら教えろ!俺様がこの手で殺すまで奴を探すと決めている‼︎‼︎」

俺様からも嘘を並べ、聞き耳を立てている連中へ誤魔化しながら詰問する。

だがそれでも男は首を横に振るばかりだった。知らないと訴え、話を聞けばコイツは同業者の攻撃に巻き込まれて気を失ったらしい。自分が気を失う前まではライアーは捕まってもいなく、そして目が覚めた時には衛兵から逃げるのに必死で何もわからなかったとほざく。


「嘘じゃねぇ‼︎その後に仲間内でも噂になったが殆どの連中は奴に殺されたか途中で火の手がヤベェと踏んで逃げたってよ!林全体が火の海だったんだ‼︎奴は火に撒かれて死んだか上手く逃げたか、もしくはあの時に居た手練れの人身売買連中のどれかにって……」

「店主、この男はいくらだ」

そして、俺様の手で殺す。

屋敷に連れ帰り、売られていた方が楽だったと思えるまで拷問し続けてやる。どのみちライアーと俺様との過去を知っているコイツをこのままに嵩張らせてたまるか。ライアーと俺様を裏切ったことを後悔させながら殺してやる。

俺様の言葉に、都合よく受け止めた男の顔がパッと輝く。恩に着ると言うコイツをいつ絶望に転落させてやるか考えながら店主が並べる値段を聞く。

アンカーソンが俺様にかけた賞金額よりも遥かに安値で売られていた。こんな価値の男がライアーと俺様の人生を狂わせた一人なのだと思うとそれだけでまた感情に飲まれそうになる。最後はこの炎の練習台にして塵一つ残さず消してやると決めながら懐から金を




『……頼むから。お前は俺様みてぇにならねぇでくれよ』




「ッーー……」

……口の中を噛めば、鉄の味が広がった。

懐から金を出そうとした手が止まり、指先まで震える。商人がどうしたと片眉を上げる中、早く出してくれと調子に乗った男が喚く。

殺すと決めていた筈の男を見据え、顎が震えるほど食い縛ってから店主に言い直す。


「……気が変わった。その倍を出す。今すぐその男の口を訊けなくしろ」

喉を潰すでも舌を切るでも焼くでもどうでも良い。そう告げながら倍の金額を出して見せれば、店主からはすぐに合意が返ってきた。

商品である奴隷は、敢えて話せないように〝加工〟された者もいる。無駄に泣きわめいたり主人の秘密を漏らす心配がない奴隷はまた別の受容がある。……殺さなくても、これなら男の口も一生塞げる。

なんでだ、待てよ、冗談だろ、ふざけんなと檻の中で暴れて騒ぐ男は今自分の首の皮が繋がったことにも気付いていない。勝手に絶望し取り乱して喚き出す。取り敢えずこの男の声が潰されるのを見届けてから市場巡りへ戻ろうと腕を組んだその時。

「らっ……ライアーの居場所だって俺にゃあ検討だってついてるぜ‼︎何せ奴とは兄弟みてぇな仲だ‼︎どうだ⁈俺を買えば一緒にライアーを探し」




「私、知ってるわ」




その場凌ぎを並べ出す男の声を上塗るように、軽い女の声が横から鳴った。

考えるよりも先に振り返れば、一人の女がそこに立っていた。一瞬同じ商品かと思ったが、それにしては余裕がある。

売女という言葉が相応しい。男を誘うような露出まみれの格好をした女は、ニヤリと汚らしい笑みを俺に向けてきた。

商人か、それとも客か客引きか。どうやら男が喚いているのを聞きつけたらしい。ライアーを知っていると言えば俺様を騙せるとでも思ったのか、安直な考えの女に鼻息だけで返す。その程度の出任せなら、今ここで聞き耳を立てていた奴なら誰でも言える。

「私が会わせてあげる。〝ライアー〟を探しているんでしょ」

鼻で笑ったところで、ニヤニヤとした笑みを崩さない女はまだ諦めない。それともまだ騙せていると思い込んでる馬鹿なのか。こんな都合良くライアーを知る人間が現れるわけが







「レぇ〜イぃチャン?」







小首を傾げ悪戯のように擽ったその言葉に、……息が止まった。






……












「…………?」


胸を鷲掴んで、目が覚める。……苦しい。

茫然と目を開けたまま、見慣れた天井に眉を寄せる。べたつく髪を掻き上げようとすれば仮面が指に当たった。外さずに寝ていたらしいとぼんやり思う。

額から胸元まで汗がべったりついている。寝衣にも着替えずベッドに倒れたからか、夢でも見ていたのか。気分も悪いし、息が乱れる。

今更ながら上着をベッドに脱ぎ捨て、シャツのボタンを適当に開ける。意識的に呼吸を深く繰り返せばある程度は楽になった。防火性の布地はただでさえ寝苦しい。……昔は、服一着で路地裏でもよく寝れたのに。


「……何時だ……」

誰もいない。侍女も全員人払いした部屋で、誰も答えるわけもないのに口が勝手に呟く。

見回せば、灯した明かりがそのままに殆どが夜に飲まれていた。時計を見ればそれなりの時間だったことと、夕食の時間も寝過ごしたと気がつく。食堂まで降りるにも身体が重い。今日は部屋に運ばせよう。

鉛の身体をベッドから起こし、片手で頭を抱えながら項垂れる。二度も変な時間に寝てしまった。今晩はまともに寝れる気がしない。


「……夢じゃ、ないな」

脱ぎ捨てた上着を眺めながら、改めて確認する。

畑や家畜の臭いが残っている。屋敷に帰ってから、湯浴みをする気力もなかった。部屋で休むと言って閉め出して、ベッドに倒れ込んでからの記憶がない。

自分の感情がどう形付いたか整理がつく前に眠ってしまった。

ライアーがトーマスとなって、俺様のことを忘れていた。それでも無事に生きてくれていた。明日からはまた会える。

長い旅が終わってしまったような感覚に、疲労感がどっと出た。

こんな終わりは、予想も期待もしていなかった。


胸に拳を押し当ても、紛らわせない。軽くなった筈の胸はまるで空洞だ。だが、……安堵もある。

目を閉じ、息を吐き出せば肩まで下がった。今日まで急き立てられてていたものが全て落ちたような感覚だ。軽くなったのは胸だけではないと思い知る。酷く落ち着いたそれに、本当に俺様の目的は終えたのだなと理解した。

ライアーは、もういない。それでも、……トーマスに会えた。

奴がこれからどんな人生を選択するのかはわからない。それでも、この先はずっとあの一角に居る。明日も、明後日も俺様が足を伸ばせば会えるのだとそう思えば、握った拳の中にも温もりを感じられた。それだけで今は充分に胸も満たされる。

いつかは、あの不似合い過ぎる丁寧な口調や笑みにも慣れてくるだろうかと。腰を上げ、閉め切られたカーテンの向こうへと手を伸ばす。


「⁈おい待て勝手に入ッ」

「キャアアアアッ‼︎」

「ッ何事だ⁈」


「……?」

カーテンに引っ掛けようとした手を寸前で止め、扉の方へ振り返る。

何やらガヤガヤと屋敷の中が騒がしい。俺様の使用人達しかいない少人数の中で、奴らの騒ぎ声だけがこの部屋まではっきり届く。ドタバタと駆け回る音がいくつも聞こえる中で、とうとう裏稼業連中がきたかと考える。もしくは、……。


『これでもう、いつ衛兵に押し入れられようとどうでも良い』


馬車でジャンヌに告げた自分の言葉を思い出す。

扉一枚向こうに耳を済ませても、裏稼業特有の喚き声は聞こえない。大体俺様の屋敷に奇襲を狙うならもっと最初からするはずだ。

今までも周りに張ることはあっても、屋敷を襲うことはなかった。いつ足がつき踏み込まれるかもわからない俺様の屋敷にのこのこと訪れるわけがない。運悪く出くわせば、俺様だけでなく自分達も捕らえられることになるのだから。……つまり、この先にいるのは。


「……意外と早かったな」

トーマスに会えてのその日にか。

あまりにも段取りが良過ぎるが、寧ろ今日まで取り調べが来なかったことが奇跡だと思い直す。本来なら、アンカーソンが検挙されたその日に捕まっていてもおかしくなかった。それが何故か次の日もその次の日も来ず、……何とか間に合った。

仮面を手に取り嵌め、扉に手を掛け自ら開く。直後に使用人の一人が「部屋にお戻り下さい!」と叫ぶが無視をする。どうせ、たかがカレン家で雇われていたこいつらに追い払うどころか足止めすらまともにできるわけがない。

触るな、と一言切って廊下に出る。階段に向け踊り場に出れば、そこから騒ぎの中心を見下ろせた。侍女はもう奥に逃げたのか、俺様の衛兵がなにやらバタバタと走り回っている。まるで鼠でも追いかけるような動作の先には、……一人の男が居た。


「……トーマス?」

国の衛兵じゃない。見覚えしかない背中は、さっき別れた筈のトーマスだ。

自然と口から奴の名前ではなく、トーマスの名が出たことに息が溢れる。てっきり衛兵が俺様を捕らえに来たと思ったのに、玄関でゴタゴタと逃げ惑っているのはトーマス一人だけだった。そういえば、屋敷の連中は俺様が探しているライヤーがどんな人物かも知らないのだと思い出す。


俺様の客だ。そう喉を張り響かせれば、捕まえようとする衛兵が足を止めた。

ドタバタ逃げ惑っていたトーマスも、階段の上から見下ろす俺様を衛兵と同じ丸い目で見上げてきた。

どうして俺様の屋敷を知ったのか、一体何の用事なのかまさか何か思い出したのかそれとも裏稼業連中が嗅ぎ付けてトーマスの家を襲ったのか。考えながら、……声は出ない。トーマスに目を固定しながら、階段を降りる。表情が変わらないことが余計に不吉だ。たかが数段降りただけなのに、考えるだけで手の平が湿った。期待と、俺様の所為でまたと恐怖が湧き上がる。

俺様が降りきった瞬間、トーマスは衛兵を腕で軽く押しのけながら駆け込んできた。何も言おうとしないトーマスに、胸騒ぎが酷くなる。会った時と同じ格好なことに、やっぱり急いで来たのかと口の中を飲み込んだその瞬間。




「レイちゃん‼︎‼︎」




がばっっ!


………、………………………何だ?

トーマスが叫んだ言葉と、寸前に見た表情に思考が止まる。丸くしていた目が鼬色に輝いて嬉しそうに笑っていた。

俺様に意味もなく抱き付いてきた直前の笑みはトーマスのアレと違う。……これは。


「ひっさしぶりだなあ!本当に居やがった‼︎元気してたかあ?!なんだよこんなにデカくなっちまって!」

ハハッと楽しそうに笑いながら、俺様を締め上げる腕の力を強めてくる。

瞬きもできなくなった目で、棒立ちのまま動けない。まだ夢の中かと考えながらこれが悪夢かどうかも判断できない。息どころか、一瞬心臓も止まっていた。


「あんな可愛いツラだったのに随分と男前になったなぁ!まぁ俺様ほどじゃねぇけどよ」

見開いた視界の中で、衛兵が信じられないものを見る目で俺様達を見比べる。明らかに不審者なこの男の言動か、それとも……俺様の顔が珍しくなっているのか。

こんな俺様に馴れ馴れしい男なんて世界に一人しかいない。


「よく逃げれたなぁ……、でもなんでまだ〝カレン〟なんだ?アンカーソンの息子になったんじゃねぇのかよ。ちゃあんと取り入っとけって言っただろ?」

嘘みたいな明るい声が、まるで遠い記憶が戻ってきたようだった。

無遠慮に俺様に抱き付いてきたまま、何事もないように話しかけてくる。今日、確かに会った筈なのにとぼけてやがるふざけるな。

偽物か、俺様を慰める為のトーマスの嘘か偽物か、裏稼業か特殊能力者の罠か、それとも都合が良い夢か。目の前のことがわからず、理解も届かない。

息が詰まり過ぎて酸欠になりかけた頭で思考は巡るのに声に出ない。歯を食い縛り、力なく垂れ下がったままだった両手で拳を握る。顎も肩も震え、無理に息を吸い上げれば喉が引き攣った。

白い頭で何もかもわからない。ただ、俺様がずっと都合良く望み続けたそれは



















「ッ遅い……‼︎‼︎」

















現実だった。

絞り出した声が、自分でもわかるほどにガラついた。

拳を握った両手で奴の背中へ回したまま叩きつける。ドン、と鈍い音と振動がライアー越しに伝わってきた。

見開いたまま乾ききっていた眼球が勝手に湿っていく。息を引きながら目蓋を強く絞れば、大粒が伝い食い縛る口に入った。何も考えられない、考えたくないと本気で思う。


「いや俺様も色々あったんだっつの。レイちゃんがのんびりご馳走食ってベッドで寝こけて楽してた間にそりゃあもう血反吐吐く思いで」

「ッ楽なわけあるか‼︎ッ……遅い、遅い、遅い‼︎お前を探す為にこの俺様がどんな苦労をしたと思っている⁈勝手に逃して勝手に消えやがって‼︎」

もう、夢で良い。

しゃくり上げる喉を必死に殺し、背中に当てる拳に爪が刺さる。歯を食い縛り、思考が混ざって息が苦しい。

後から追いかけてくるように黒いものが腹を煮え滾ってはふつふつ煮立ってくる。一瞬でも気を離せばこの場を火の海にでもできるだろう。

濁った声で怒鳴る俺様に、今度はすぐに答えない。さっきまでの馴れ馴れしい軽口が嘘のように黙り出す。嘘でも言い訳をしねぇことに煮え滾った腑が溶岩のように溢れ、




「……会いたかったぜ。兄弟」




「───っっ……」

ほつれる。

その言葉、それだけで。血が滲むほど握り続けた拳が開かれ、もう振り下ろせなくなった。さっきまでの軽口の声とは違う、低めた声が最後に聞いた時の約束と重なる。

勝手に見開いた目が滲んだ視界で何も見えなかった。食い縛ろうとした顎が震え過ぎて力も入らなくなる。

懐かしい呼び方も、むかつく呼び名も、馴れ馴れしさも熱苦しさも言い訳も誤魔化しも嘘も、……本音も。全部が記憶の中にいる、俺様が知る恩人だった。


「……ああ……ッ」


……会いたかった。

喉の苦しさと熱と引き換えに、胸の欠けていた何かが埋まる。

肺が刺されたように痛い。手足も重くて吸い上げた息すら震えて濁る。

全身が身震いするほど苦しくて堪らないのに、それ以上に満たされる。間違いなく、本当に会いたかった奴に会えたのだと全身の全てが受け入れる。初めて、この六年間が報われたと本気で思う。……間違いようがない。




俺様が会いたかったのは、〝この〟ライアーだ。




「…………兄弟っ……」

もうそれしか返せない。

溢れる滴が頬から顎に伝い零れ、仮面の下から締め返すこの腕に落ちた。


Ⅱ299


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