Ⅱ308.頤使少女は焦燥する。
「本当にごめんなさい、アラン隊長カラム隊長……」
ハァ……、とため息を溢しながら馬車の中で肩が丸くなる。
「いえ」「そんなことは」と言ってくれる二人も、若干苦笑いに近い。私だって未だに心の整理がつかないのだから、何も知らない二人は余計に訳もわからないだろう。
ヴェスト叔父様との交渉……もとい説得を成功させた私達は、いま馬車に揺らされていた。
部屋に戻って、急ぎ専属侍女のロッテとマリーに登校用の庶民服を用意してもらった私は髪の毛だけ仕上げてすぐにアラン隊長達と馬車へ乗り込んだ。本当は着替えの為にマリーかロッテを連れて行きたかったのだけれど、ヴェスト叔父様の連れてきて良い指定は近衛騎士だけだ。
……本当に。まさか、ヴェスト叔父様の特殊能力が記憶消去だったなんて。
この展開は想像だにしていなかった。ジルベール宰相が紹介してくれるから大物だろうとは覚悟していたけれど、特殊能力どころか立場すら我が国の摂政だ。
そりゃあ騎士にも隠すし城の人間にも最低限知られないようにするだろう。むしろ今回、こんな個人的なことでヴェスト叔父様が秘密を明かしてくれたことが奇跡だ。本当にここまでお膳立てをしてくれたジルベール宰相には頭が上がらない。
キミヒカのゲームではヴェスト叔父様は存在もしない。
記憶系統の特殊能力者はちょいちょい登場したと思うけれど叔父様とは別人だし、記憶消去ができる摂政がいたなんて設定は全く覚えがない。
しかも、その人が実はライアーの記憶を奪った張本人だったなんて。……いや、ゲームでもそうかはわからないけれども。
衝撃の展開過ぎて私自身頭がついて行けていないところがある。一応ここまで来る際もこの事は誰にも言わず内密にとアラン隊長達にもお願いはしたけれども。
急遽外出を伝えた時も、二人とも応じながら両眉が上がっていた。ジルベール宰相との話から、さっきの〝来客〟、そして突然の外出とで疑問ばかりだっただろうに、質問一つなく続いてくれた。流石は騎士。護衛として王族のそういう黙認事項も察してくれている。
「これから行くのはジルベール宰相のお屋敷とのことですが、そこからは私達も馬車で控えるべきでしょうか」
「アーサーだけでも呼べれば良かったですね。あいつなら聖騎士だから同行も可能でしたし」
ほんっっとに二人とも大人の対応ありがたい。
どこまで護衛が介入して良いか前もって確認してくれるカラム隊長と、明るく空気を変えてくれるアラン隊長に本当に今は救われる。
正直、ステイルとアーサーの不在は我ながらなかなかに心細かった。けれど、アラン隊長とカラム隊長が近衛騎士で本当に良かったと思う。
気を遣ってくれる二人に、思わず顔から力が抜ける。ふにゃり、と緩んだ顔のまま私からも「ありがとう」と心からの笑みで返した。
「二人のことは同行しても問題ない筈だから屋敷の中までも大丈夫よ。アーサーもいたら確かにもっと心強かったでしょうけれど、二人が傍に居てくれるお陰で充分心強いわ。この後も頼りにしています」
そう心からの言葉で伝えれば、唇を一文字に結んだアラン隊長も前髪を指先で押さえたカラム隊長も、僅かに頬が火照った。……しまった。また過度に圧をかけ過ぎたかもしれない。二人からすれば、謎の密談二連発直後の急遽お出かけという世にも恐ろしいミステリーツアーなのに。
けれどこれも二人への信頼の証なんだけれども、私は思わず笑んだまま顔を傾けてしまう。このミステリーツアーが笑う程度で誤魔化せるわけじゃないことはわかっている。けれど
「お二人と一緒で、すごく嬉しいわ」
そう言って力いっぱい笑って見せる。
カラム隊長もアラン隊長も頼もしい騎士であると同時に心強い人であることに変わりはないもの。
補足せずともその気持ちだけでも伝わればなと思う。……余計に二人とも赤みが増してしまったけれども。本当にこの、人への圧を掛けるラスボススキル解呪したい。いや、一番解きたい呪いでいえば別の物だけれども。
私を見返したまま、顔色だけが変わってしまった二人に私の方が申し訳なくなり口を結んで押し黙る。
そのまま視線の置き所を探すように塞がれたカーテンの隙間から窓の外を見れば、見慣れた景色が目に映った。ジルベール宰相のお屋敷までもうすぐだと理解する。
ジルベール宰相のお屋敷には奥さんのマリアや娘のステラちゃんに会う為に定期的に訪れているからもう見慣れたものだ。……それ以外でも、本当に色々とお世話になっている。
今回も急遽お借りすることになっちゃったけれど、きっと城内ではなくて更にはヴェスト叔父様の秘密と今回の件も知っている人ということでピンポイントで適合しちゃったのだろうなと思う。本当にジルベール宰相、重ね重ね申し訳ない。
ヴェスト叔父様も、まさか私達まで個人的にお借りすることが多い場所だとは夢にも思わないだろう。
ゆらゆらと揺られ、屋敷が近づいた緊張感からか僅かに馬車の温度が高くなったと思いながら私は額を拭う。
王族の馬車がゆっくりと速度を落とし、開かれた門を潜る。その傍に衛兵のサルマンが私達の馬車へ向けて礼をしてくれたのが見えた。
屋敷へと入れば、既にもう一台の馬車が停まっていた。私達と同じお忍び用の馬車だけれど、恐らくヴェスト叔父様の乗ってきたものだろう。外見だけじゃ一般の馬車と見分けがつかないようにしてあるけれど、ジルベール宰相の馬車でもないし間違いない。
屋敷の敷地内だからか、わりと堂々と停めてある。屋敷の外からは見えないだろうけれど、恐らくカラム隊長達も見ればある程度察するだろう。一応極秘ということもあり、到着するまで馬車内のカーテンで塞がれているから捲らないと外は見えない。私一人がカーテンの隙間から覗いているから、二人はまだ気付いていないだろう。けれど降りてしまえば少なくとも相手があの馬車を使える身分だということはわかってしまう。
到着しましたと御者が扉を開き、アラン隊長とカラム隊長が先に降りて安全を確保してくれる。
次に私も降り、カラム隊長が手を貸してくれた。ちょこんと指先を乗せただけで、いつもと違い手のひらが揺れたカラム隊長の反応が少し珍しい。やっぱり今の状況に少なからず緊張しているのだなとわかる。
カラム隊長と反対側に立つアラン隊長の方が、今は比較的落ち着いているように見える。今も私とカラム隊長を見比べるようにこちらへ目を向けては笑っている。馬車から降りれば、二人ともやはり気付いたらしく目だけがちらりともう一つの馬車へと向けられていた。
三人で並び、玄関の前に立てば荷物を持ってくれたアラン隊長が代わりにノックを鳴らしてくれた。ドンドン、と響く音を二回鳴らせば内側から鍵が開かれた。侍女のテレザだ。
「お待ちしておりました、プライド第一王女殿下。どうぞ、こちらへ。旦那様もお待ちです」
既に顔見知りとなった彼女に案内されるまま、広間から奥へと進む。
やっぱり問題なく近衛騎士二人も通された。
テレザの話を聞くと、マリアがステラを連れて今は自室に控えてくれているらしい。挨拶出来ないのは残念だけど、やはり二人にも最低限は極秘にということだろう。
人払いのされた廊下を抜け、案内された客間はジルベール宰相のお屋敷で一番特別なもてなし用の客間だった。コンコン、と鳴らしてくれたテレザが私が到着したことを伝えると、すぐに向こうから扉が開かれた。
「お待ちしておりました、プライド様。近衛騎士の方々もどうぞお入り下さい」
自ら内側から開いてくれたのはジルベール宰相だ。
にこやかな笑みで迎えてくれた彼は、流れるように私と近衛騎士を一緒に部屋の中へと通してくれる。もう中に誰がいるかわかっている私が恐る恐る「失礼致します」と挨拶をかければ、カラム隊長達も続いた。
五人入っても広々とした印象の部屋は、座り心地の良い椅子が綺麗に並べてある。更には侍女がまた一人控えていた。今度はアグネスだ。深々と礼をした後は私の分を今から淹れようとポットに手を添えていた。……そして。
「時間通りだなプライド」
いた。
本来家主が使う位置にある中央の椅子で、今はジルベール宰相の代わりに一人の男性が腰掛けている。その声と姿を前に、流石のアラン隊長とカラム隊長からも戸惑いの音が聞こえてきた。きっとここで振り返れば確実に目がこぼれるくらいに見開いているだろう。
確信できる。驚かない理由がない。誰にも想定できる状況じゃない。誰でもきっとこの状況を理解したら瞬きも忘れて見入ってしまう。だって
私も今、そうなのだから。
「あのっ……その、御姿は……⁈」
顎が外れそうになりながら、言えた言葉はそれだけだった。
〝彼〟をどう呼べば、どこまでしらばくれれば良いかわからず放心する。その姿はどう見てもどう考えても、私が知るヴェスト叔父様とは程遠い姿だったから。
庶民に多く馴染みのあるシャツを第二ボタンまで開け、七分丈のズボン。そして顔を隠すようにフードの上衣を羽織った姿は、市場に行けば似たような格好が一人はすれ違うような格好だ。
敢えてだろうか、新品だろう服にどれも皺がついている。いつもの整然としているヴェスト叔父様からは考えられない。髪型まで見慣れた七三わけではなく、分け目も雑破に変えられている。そして何より驚いたのは
それが青年の姿をしているからだ。
十九歳の私より若い。
ざっと見て、十五歳前後だろうか。私がジャンヌの姿になれば、揃った歳に見られる姿だ。
一瞬、誰⁈とも思ったけれど、青い髪と同色の瞳。そして目元の柔らかさとピシッとした姿勢や仕草は間違いなくヴェスト叔父様だった。
正直、私が子どもの頃から叔父様とは知り合っていたけれどそれでもやっぱりもう別人だ。実年齢から考えると、うっかり可愛い‼︎と言いたくなる幼いヴェスト叔父様に私はパクパクと口を開いては閉じてを繰り返してしまう。
「見ればわかるだろう。中途半端な変装では私の関係者に気付かれてしまう。……現に、今こうしてお前とジルベールとの繋がりというだけで勘の良い者には気付かれる」
言いながら目の前に置かれたカップを手に取った叔父様は、優雅な動作で一口味わった。
この香りはコーヒーだろう。味わった後には、一度切った話を続けながら目だけを私の背後に向けた。
視線を追うように振り返れば、見事にカラム隊長の目が見開かれたまま揺れていた。唇を結んだまま若干頬にまで汗が伝っている。
隣に並ぶアラン隊長はまだ青年の正体まではわからないように目を丸くする中、私は思わず苦笑いしてしまう。
流石カラム隊長。この状況証拠とヴェスト叔父様の面影だけで察しがついたらしい。あからさまな動揺を見せてはいなくても、赤茶色の目がばっちり「まさか」と言っている。
確かに私達が若返って学校に通っていて、更にはここまで念には念を入れる大物でジルベール宰相のお屋敷となれば、ある程度は絞られる。しかも私へ向けての口調を考えれば、更にだ。
ヴェスト叔父様からの指摘に僅かに肩を揺らしたカラム隊長は、深々と礼をした。アラン隊長もそれに続くけれど、彼はきっとまだわかってはいないだろう。
二人の礼を気にしないようにカップをテーブルへ置く叔父様は、「まぁ良い」と一言返し、私たち三人を見やった。
「プライド。この先、私を呼ぶ時は〝アンドリュー〟と呼びなさい。近衛騎士達には私のことも護衛するように命じなさい。今回の件の箝口令を含めてだ」
はい!と思わず背筋伸びる。
直後には私から改めてその通りにお願いしますと二人へ振り返る。承知致しました、とすぐ答えてくれた二人だけれど、まだヴェスト叔父様からの言葉は終わっていなかった。
敢えてのように部屋に響かせる声は、波音のように静かにそしてはっきりと私たちの耳に残った。
「これは、摂政としての命令だ」
ン゛、と微かにアラン隊長からも息の詰まる音が聞こえた。
直後にゴクリと喉を鳴らす音が聞こえて、もう一度振り向かなくてもどんな顔をしているかさっきより目に浮かぶ。……ほんっっとにごめんなさい。
再びカップを手に悠然とコーヒーを嗜む十五歳のアンドリューは、間違いなくこの場の主導権全てを握っていた。




