そして聞く。
「ええ、勿論ですとも。レイ・カレンの処罰については私も最善を尽くしましょう」
「ありがとうございます、ジルベール宰相」
レイの屋敷からギルクリスト家を経由して帰城後、着替えを終えた私は報告を聞きに来てくれたジルベール宰相を部屋に迎えた。
ティアラはまだ父上のところで見習い中だけれど、ステイルはまだ報告を終えるまではと着替えた後に報告も付き合ってくれた。ギルクリスト家で一度分かれたアラン隊長が王居に戻ってくるまで、アーサーも一緒だ。部屋前で私達の帰りを待っていてくれたカラム隊長と並び、ジルベール宰相への報告を一緒に聞いている。
最初に今日一日の学校についての打ち合わせから始まり、そこからレイとの訪問についても語り始めれば結構長くなってしまった。最初に学校での一部始終についてはステイルが自分から説明すると補助してくれたけれど、ライアーもといトーマスさんの職場へお邪魔した時のことは私から話させてもらった。
トーマスさんが記憶喪失だったことや、レイがそれに動揺して能力を暴走させかけたこと、アーサーやアラン隊長のお陰で無事に済んだけれど彼が目を覚ますまでお邪魔することになったこと。そして、……最後はレイも〝トーマス〟さんの存在を受け止めてくれたこと。馬車では落ち着いた様子で本人もいつ糾弾されても良い覚悟ができたと語っていたことまで話せば、ジルベール宰相も「ご無事で何よりでした」とゆっくり頷いて聞いてくれた。
レイの能力が暴走したと話した時は、僅かに見開かれた切れ長な目が真っ直ぐに私へ尋ねるように向けられたから心配させたのだろう。止めてくれたステイルと、レイに迅速な対処をしてくれたアーサーとアラン隊長のお陰だ。
「明日から早速、こちらでアンカーソン家の正当な罪状とレイ・カレン関連についても調べさせましょう。〝アンカーソンが第三者に学校経営を譲ったことで学校そのものが崩壊した〟というプライド様の予知につきましても正式に。既にアンカーソンも大体の余罪は自白しています。……少々、口が滑りすぎている部分もあり、六年以上前の罪状についても裁くことになりそうですが。叩けば埃の出る人間は大変ですね」
「それは俺も同感だ」
ジルベール宰相の穏やかな声に、ステイルが敢えて低めたであろう声で応戦する。
眼鏡の黒縁を押さえ付け、漆黒の眼差しで睨むその顔は確実に「よくも自分を棚に上げて言えるな」と語っていた。ジルベール宰相もそれを分かってだろう、にこやかな笑みをステイルに返していた。無言で会話を二往復分くらい成立させている二人に、私も笑顔のまま強張ってしまう。
アンカーソンは今回の学校の件だけでなく、ゲーム通りであればレイのご両親の件にもいくらか関与している。
理事長権限を息子に無断で贈与した事実を隠す為にレイの存在も隠したがっている筈のアンカーソンだけれど、どうやら既にいくらか墓穴を掘っちゃったらしい。取り調べ官達もアンカーソンに隠し子がいることは突き止めているとのことだった。
調査の結果、六年前から使用人の数が一度に増えたり家庭教師が内密にアンカーソンの屋敷を出入りしていたりと怪しい点は多かったらしい。その上でアンカーソンが領地内で何か不正を働いていないか調べた結果、カレン家の事件と処分も出たと。……流石、取り調べ官も衛兵も優秀だ。
ジルベール宰相が上手く情報操作をして長引かせてくれたけれど、もうその必要もない。きっとレイの元へも衛兵からの取り調べと呼び出しが入るだろう。
「〝トーマス〟がレイの記憶を失っておられたことは……残念でしたね」
衛兵の捜査状況を説明し終えたジルベール宰相が、声色を落とし静かに眉を落としてくれた。
私もそれには少し肩が下がりながら短く肯定を返して視線を沈めてしまう。レイが納得してくれたことは幸いだけれど、それでもやっぱり彼が本当に望んだ再会でなかったことは変わらない。私がもっと早く思い出せていれば二人とも望む再会ができたかもしれないと思えば、胸がぎゅっと絞られた。彼に私ができたことなんて本当に僅かだ。
「……奴隷被害者には珍しくありません。特にライアーは洗脳を受けていたのですから。奴隷になっていた間の記憶だけでなく全てを忘れてしまう者はいます。責められるべきは人身売買組織です」
そっと気遣うように私の肩に手を置いてくれたステイルが、心配そうに顔を萎めて私を覗き込む。
彼にまで気を負わせてしまったと、私も俯いていた顔を上げてから気遣ってくれたことへの感謝を込めて笑みで返した。わかっている。そういった過去の記憶を失うことになった人はライアーだけじゃない。母上達だって、そんな彼らにできるだけの補助はちゃんとしてくれている。洗脳さえ解けた後は家に帰れた人だって居る。
ただ、ライアーとレイには他者から見つけられる繋がりが何もなかったから今日まで出逢えなかった。
「大体ジルベール。お前も本当は掴んだ時からわかっていたんじゃないのか?彼が記憶喪失だと。奴隷被害者の裁判に母上と同席していたのはお前だろう」
「とんでもない。……とは言い切れませんね。想定は、できておりました。戦場に戦力投下された奴隷被害者という時点で洗脳の弊害は考えられますし、ステイル様が仰る通り珍しいことではありません」
「トーマスさんの話では、彼は裁判辺りから記憶を失っていたらしいが?」
疑うようなステイルの鋭い言葉に、ジルベール宰相が肩を竦める。
一度目を閉じ、また開けば薄水色の瞳が私とステイルを順々に映した。あくまで冷静な表情で返す彼にステイルが不機嫌そうに眉を狭めた。
確かに裁判でのライアーの顔も覚えていたジルベール宰相なら、裁判中の彼の様子がおかしかったことも気づきそうなものだ。流石に我が国では「記憶にございません」「あらそうですか」で罪を軽くできる法律はないし、仮にトーマスさんが記憶喪失を訴えたとしても裁判の結果は変わらなかっただろうけれど。
「……まぁ。多少様子が気になったことは認めましょう。ただ、当時は保護した奴隷被害者は彼だけではありませんでした。陛下も王配殿下もヴェスト摂政殿も奪還線の後始末に多忙を極めておられたこともご存じのことかと。保護観察前の記録でも彼が衣食住の職場を望んだことと、本名不明ということくらいで判断に欠けました。大体、洗脳下にあった間は誰一人として名前は愚か、まともに口を利くこともありませんでしたから」
洗脳中で聴取どころではなく、洗脳が解けた後には裁判で処置を下し保護観察に回す。
その流れをあの混沌状況で行ったとなれば、流石のジルベール宰相も細かく記憶喪失か否かなんて気がつくのは難しいだろう。せめて彼が単純に罪人として裁判にかけられていたら判断も違ったのだろうけれど、彼らはあくまで洗脳されていた被害者だったのだから。
淡々と理詰めを返すジルベール宰相に、ステイルが顔を顰める。
最後に「ステイル様やプライド様が想定できた可能性をわざわざ言葉にして期待を削ぐ必要もないかと」と切られれば、腕を組んで口を結んでしまった。確かに奴隷被害者と聞いた時点で、私達全員がその程度の杞憂は想定できていた。ジルベール宰相自身が確証を持てなかったのならそれも仕方が無い。
言い返してこないステイルに、ジルベール宰相も眉を垂らしながら笑みで返したその時。
コンコンッ。
部屋に軽やかなノックの音が飛び込んだ。
音のする方向に全員が目を向ける中、扉の前に立っていた近衛兵のジャックが扉の向こうを確認してくれた。誰が来たかと告げてくれた彼に、私は一言返して通してもらう。ジャックの手により開かれた先で「失礼します」と礼をしてくれたのはアラン隊長だ。
ギルクリスト家からその足で帰還してくれたアラン隊長に私達からも労いをかける。お疲れ様ですと礼をしたアーサーが、今度は交代で入れ替わりに部屋を出た。予定よりも長く引き留めてしまったアーサーは、早足で騎士団演習場へと帰って行った。
打ち合わせ中に失礼しました、と言ってくれるアラン隊長にジルベール宰相がいえいえとにこやかに返す。そのままカラム隊長の隣に並ぶ彼へ「ちょうど良かったです」と視線を向け、簡単に今まで私達が話していたことを説明してくれる。
どうして護衛の立場でいる自分にまで説明するのかわからない様子のアラン隊長だったけれど、ライアーの記憶喪失について、という話しの流れに、さっきまでキョトンとしていたアラン隊長も納得したように相づちを打つ。
やっと要領を得たという表情のアラン隊長に、流れるようにジルベール宰相は問いを投げた。
「ところで、いかがだったでしょうか。確かアラン隊長はカラム隊長と共に捕縛前のライアーを捕らえた一人と記憶しておりますが」
「捕縛した時とは別人でした。今日会ったトーマスさんは温厚な人でしたけど、自分が捕縛した時はとにかく好戦的というか容赦なかったですし目付きからして別人でした」
捕縛時、つまりは裁判前だ。
ジルベール宰相からの問いに迷いなく手を振って答えるアラン隊長に、カラム隊長が「そこまでか」と驚いたように両眉を上げた。カラム隊長もトーマスさんには会っていなくても、ライヤーには会ったことがある。
戦闘において容赦がなかったことは、奴隷として洗脳を受けていただけとも思えるけれど。それでもはっきりと〝別人〟と言われてしまうことに胸騒ぎがする。それだけラジヤでの洗脳が恐ろしいものだったということだ。
ステイルが「つまりは〝洗脳〟下ではトーマスさんでもなかったということでしょうか……」と呟く中、ジルベール宰相も思案するように指の第二関節を口元に添えていた。
洗脳されている間は闘う兵器にされているし、別人となっている。洗脳中の記憶がないことはよくあることだ。洗脳が解けた時に弊害で記憶喪失になったのか、それとも洗脳を受ける中で記憶喪失になったのか……奴隷になる前に何かあったのか。きっとそれだけは天才のステイルにもジルベール宰相にもわからない。
「せめてきっかけだけでもわかれば、まだトーマスさんにできることがあるかもしれないのですが……」
そう言いながら悔しそうに下唇を噛むステイルは、まだ彼らのことを考えてくれている。
けれど、ゲームでもレイのハッピーエンドですらライアーが記憶を取り戻したとは語られなかった。少なくとも時間の経過やレイとの遭遇程度じゃ取り戻せない。病気や疾患でもなくアーサーにだって治せなかったのだから。
眉間に皺を寄せて険しくするステイルに、ジルベール宰相は目だけで確認するとゆっくりと部屋の時計へ顔を向けた。
おや、もう時間がと。積もっていた空気を入れ換えるように言えばステイルもハッと目を時計へ上げた。ステイルもこれから補佐へ戻らないといけない。
「……望んだ再会ではありませんでしたが、お陰でレイはライアーを探し続ける必要もなくなりました。ジルベール宰相達のお陰で、罰を受けた後はちゃんと自分の人生を歩めると思います。今後もトーマスさんには会いにいくつもりのようでしたから」
本当にありがとうございました。と改めてジルベール宰相に感謝を伝える。
停滞した話に区切りをつけるように明るい声でそう告げれば、ジルベール宰相からも「いえ私は何も」と柔らかな声が返された。大人びた声での柔らかさが少しトーマスさんを思い出した。
それでは俺もここで、とステイルがソファーから身を起こす。ジルベール宰相も行くかと確認するように横目を向けたけれど、すぐにステイルの意図を汲んだ彼からは「私はまだ学校について確認したいことがありますので」とやんわり断られた。
ステイルからの視線に少し嬉しそうに笑みを浮かばせるジルベール宰相は、ソファーに掛けたまま深々と礼を返した。たぶん、ステイルが一緒に行くかと誘ってくれたことのお礼もあるのだろうなと思う。続けてヴェスト叔父様は母上と打ち合わせ中だから父上の元へ行くようにと預かっていた伝言を伝えてくれる。
「問題ない。その前に俺も行くところがある。……そろそろ時間だ」
お疲れ様です、とカラム隊長とアラン隊長からの礼に返した後、部屋を出る直前にもう一度私に「また夕食で」と笑い掛けてくれた。
ジャックが開いた扉を一人潜っていった後、音もなく再び扉が閉ざされる。専属侍女のマリーが素早くステイルの分のカップを回収してくれた。
続けてロッテが新しい紅茶を淹れなおしてくれれば、私もジルベール宰相も一度湯気を立たせるカップへと視線を注いだ。紅茶の香りが鼻孔と通り気持ちを落ち着かせてくれる中、ジルベール宰相の言葉を待つ。……けれど。
「………………………………」
「……。……?あの……ジルベール宰相……?」
いつまで経っても、ジルベール宰相からの言葉がない。
紅茶を淹れ終え、お互いにカップを持って一口味わった後。いつもだったらここでジルベール宰相からの話しが入るのに、今は一向に入らない。
一瞬まだ考えているのかとも思ったけれど、にっこりといつもの笑みを私に向けたジルベール宰相は真っ直ぐに私を見つめている。どうみても考え中の顔じゃない。もしかして何か怒らせることをしたかなと思ったけれど今回は思いつかなかった。
暴走したレイに飛び込もうとした時だってステイルに止められたし、さっきの話ではアーサーとアラン隊長が止めてくれましたとしか話していない。まるでマネキンのようにカップ片手のまま笑みも崩さず微動だにしないジルベール宰相はそういうマネキンのようだった。
流石に私だけでなく、カラム隊長達やロッテ達も異変を感じたのか少し戸惑いの空気が部屋に広がった。
まさか体調でも、と心配になってジルベール宰相の向かい席から隣に移動しようかと腰を浮かせる。するとそこでやっと「さて」と、少し大きめの声をジルベール宰相が放った。まるで時間が経つのを待っていたかのような長い間の続きに、思わず私も慌ててソファーに座り直し姿勢を正す。はい⁈と声が裏返りそうになりながら返せば、カップをゆっくりテーブルへと着地させたジルベール宰相は笑みだけが未だに不動のままだった。
「プライド様。…………少々、〝内密な〟お話があるのですが」
ピクン、とその瞬間にまた張り詰めた空気がまた変わった。
さっきまでマネキン化していたジルベール宰相の様子を窺っていたマリーとロッテが速やかに空いた食器を片付け出す。更にジルベール宰相の視線が私と合わせた直後に背後に控える近衛騎士へも向けられる。
私への合意を求めるような切れ長な眼差しに、私からも近衛騎士へ振り返り頷けばカラム隊長もアラン隊長も同時に頭を下げてから動いた。〝内密〟……つまり、私以外には聞かれてはいけないという話に彼らもまた部屋を退出する。
近衛兵のジャックが扉を開き、専属侍女のマリーとロッテ。そして近衛騎士が二人とも順々に退出していく中、ジルベール宰相の笑みはまだ変わらなかった。
怒っているのかもわからない妙な気配に押されるように膝の上に重ねた手の平が湿っていく。さっきまでジルベール宰相が何も話し出さなかった理由がわかった。あれは確実にステイルが遠ざかるのを待っていた。つまり、護衛だけでなく私の片腕であるステイルにすら話せないこととなる。
最後にジャックによって外側から扉が閉められ、完全な無音が部屋を支配する。お互いの呼吸音以外なにも聞こえない空間は、自分の部屋の筈なのに息が詰まりそうになった。
「……それで、一体どのようなお話でしょうか」
ジルベール宰相、と。王女らしく身構えて今度は私から話を切り出す。
今までもジルベール宰相と内密な話はしたことがあるけれど、近衛騎士やステイルまで遠ざけられた話題なんて初めてだ。思わず心許ない喉を鳴らしそうになりながら向き合えば、やっとジルベール宰相から固定された笑顔が緩んだ。
「突然申し訳ありませんでした」と深々腰を折ってくれたジルベール宰相は、さっきとは打って変わった真剣な眼差しで声を抑えた。
「率直にお伺い致します。……〝ライアー〟の記憶。プライド様は取り戻したいとお望みでしょうか」
「?……勿論、です」
予想外だった話の続きに、自分の目が丸くなっていくのがわかる。
てっきり学校に関しての話か、父上や母上に何かあったのかと思ったけれど違うらしい。ライアーの記憶……もしかして、私がそれを探す為にまた無茶をすると心配してくれたのだろうか。勿論戻したいとは思うけれど、本来の目的と立場だって忘れていない。まだ最後の攻略対象者だって思い出せてはいないのだから。
正直な感想を言いながら、ジルベール宰相への次の返しを考える私に彼は一度口を噤む。私から一度も目を逸らさないまま、「落ち着いて聞いて下さい」と更に声を潜めた。単なる窘めではなさそうな声色に、私も自然と心臓が煩く早く響いてくる。
「実は、とある人物と話をつけました。その者の手によれば、……ライアーの記憶を呼び覚ますこともできるかもしれません」
「⁈本当ですか……⁈」
うっかり跳ね上がりそうな声を意識的に抑え、息を飲む。
大声か捲し立てそうになる自分を押さえ付けるように喉を押さえ、口を一度きつく閉じた。必死に殺した声だったけれど、それでもジルベール宰相は注意を呼びかけるように人差し指を口の前に立てた。
コクコクと私が何度も頷きながら続きを待てば、ジルベール宰相の声は耳をしっかり傾けないといけないほど更に小さくなった。
「ただし交渉できるのはプライド第一王女のみという条件でした。いま、秘密裏に王宮の客間へ招き入れております。交渉が叶うかどうかも確定ではなく、プライド様次第となります。……いかがなさいますか」
「行きます」
今ならまだ引き返せる、と暗に示してくれるジルベール宰相に私は間髪入れない。
ここまでジルベール宰相が慎重を重ねてくれた理由を理解する。言い方からしても間違いない、十中八九そういう特殊能力者だろう。
レイの為に、……もしくは気を落とすであろう私の為にジルベール宰相が持ち得る伝手を手繰ってくれた。
彼が奥さんのマリアの病を治す為にどういったことをしているかはよく知っている。国で一番特殊能力者情報に詳しいと言っても過言じゃないだろう。まさか違法な方法で……とは、今のジルベール宰相に限ってないとは思うけれど、それでもこんなに隠すような相手だ。
それでも、やっぱり私は可能性があるなら見過ごせない。交渉が叶うかどうかもわからない今、飛び込む価値はきっとある。トーマスさんも間違いなく良い人だけれど、彼もそしてレイだって前の記憶を知りたい、取り戻したいと思っていたのだから。
数秒間、真剣な眼差しで吸い込まれそうなほど私と目を合わせたジルベール宰相に「わかりました」と頷かれるまで、私も目を離さなかった。
殆ど音もなくソファーから立ち上がるジルベール宰相に私も続いて腰を上げる。扉を開ける前に潜めた声のまま、近衛騎士と近衛兵は客間の前で待たせること。そしてこのことは絶対に言わずにあくまで「来客の応対」とだけ答えることとジルベール宰相が重ねて念を押してくれる。大丈夫、私にも王族としてそれくらいの心構えはある。
頷き、扉を開ければさっきまで真剣な表情だったジルベール宰相はいつもの笑みだった。
迎えてくれた近衛騎士達に、これから来客の応対なのでと説明をして道を開いてくれる。私の背後に彼らも続く中、尋常じゃない空気を感じ取ってか、アラン隊長もカラム隊長もそしてジャックも終始無言のままだった。階段を降り、回廊を渡り、王宮へと移る。一瞬ステイルやティアラに会ったらどうしようと思ったけれど、そこは流石ジルべール宰相の手腕か、誰にも会わずその客間まで辿り突くことができた。
王宮の中でも一番奥にある小さな客間だ。
要人との話し合いよりも、個人的な〝公式に招かれていない〟来客を待たせる為の一室でもある。私もまだ使ったことはない。
既に衛兵が二人、扉の前に無言で佇んでいることから見ても中に誰かいるのだろう。あくまで表向きはただの「客人」なだけのジルベール宰相は、そのまま私に二度目の覚悟は確認しなかった。
コンコンッと軽やかにノックを鳴らした後、相手の返事もないままに私へと扉を小さく開いてくれる。いつものように大きくではなく、人一人入れるくらいの隙間で留めたジルベール宰相は、にこやかな笑顔のまま私を中へと促した。
どうやら彼は近衛騎士達と同じように部屋の前で待つつもりらしい。本当に私次第の一本勝負だ。
口の中を飲み込み、私もまたいつも通りを心がける。あくまで表情は緊張ではなく、いつもの来客を迎える笑みで。
「失礼致します、第一王女プライド・ロイヤル・アイビーです」と告げながら、扉の向こうへ足を伸ばした。
椅子とテーブル。既に置かれていた空のカップ二つとティーポット。窓のない部屋は代わりに絵画で彩られている。……けれど、人がいない。
開けられた扉の隙間から縫うように部屋へ入ったけれど、見回すまでもない狭い部屋には誰もいない。まさかお手洗いか入れ違いで待ちきれず帰ってしまったのかと考える中、ジルベール宰相が開けてくれていた扉だけが背後でパタンと閉じられる音がし
「背後もきちんと確認しなさい」
「キャアッ⁈」
すぐ背後で聞こえた声に、思わず悲鳴を上がる。
胸を両手で押さえ付けながら振り返れば、開かれた扉の影に隠れていたのだと理解する。私の遠慮無い悲鳴にすぐ扉から「どうかなさいましたか」とジルベール宰相が穏やかな声でノックと一緒に尋ねてくれるけれど、呼吸が浅くてすぐには返せなかった。
口を何度かパクパクさせながらやっと「転びそうになっただけです」と返せば、呼びかけも無事止まった。護衛に部屋へ突入される恐れがなくなった後も、心臓だけは激しくなるばかりで落ち着かない。音にも出るくらいに呼吸が激しくなる中、私は何度も何度も待っていた人物に目を疑う。
一瞬罠か、バレたのかとも思ったけれどきっと違う。私が返事をするまで敢えてずっと自分からはジルベール宰相に返さなかったのだから。……まるで、自分がここに居ることを外にいる私の近衛騎士や近衛兵のジャックにも隠すように。
内側がら酷く叩く心臓を押さえながら、私は今度こそ身体全体で向き直る。声を抑え、扉の向こうに聞こえないように細心の注意を払ってその人へ呼びかける。
「ヴェスト叔父様……?」
ヴェスト・ロイヤル・アイビー。
女王の片腕、我が国が誇る摂政がそこに立っていた。




