Ⅱ300.頤使少女は到着する。
「……着いたか?」
ガタン、と馬車が動きを止めて一拍してすぐにレイが腰を浮かせた。
視線をちらちらと窓の向こうへ振り、眉を顰める。私も一緒に窓の向こうへ目を向ければ、なんとも目を見開く。ステイルやアーサー達もつぎつぎと窓の向こうの景色を興味深そうに眺めては私と見比べた。探るような視線が暗に貴方も行くつもりですかと尋ねているのがわかる。……まぁ、そうだろう。
けれどここでお留守番なんてできるわけがない。勿論よ、と意思を込めて大きく頷けばステイルが溜息を溢した。多分、彼も私が行くなら付いてきてくれるつもりではあるのだろう。申し訳ない。
そんな私達の無言のやり取りをアラン隊長が少し面白そうにレイの隣から眺めていた。馬車の窓から扉が開くのを今か今かと注視するレイは、もう私達にはひと目もくれない。
御者により扉が開かれれば、その途端思わず私とステイルは同時に背中が身動いでしまう。早く降りたがるレイに合わせるように素早くアラン隊長が先に馬車から降りた。続くレイが追いかけるようにして段差も使わず飛び降りる。
まるで扉の向こうへ吸い込まれるように去っていく二人に私達も続いた。腰を浮かせたアーサーが先に降りるべく扉の淵に手を掛ければそこでステイルと私を心配そうに振り返った。
「俺は全然大丈夫ですけど……二人とも、鼻平気すか」
ええ、大丈夫だ、と。私もステイルも頷きだけで答える。……話すは、無理だった。あまり安易に息を吸うのは躊躇われる。
御者が扉を開いた時から、ぶわりと襲うように家畜臭が飛び込んできていた。獣と肥料と餌の匂いが混ざってなんとも言えず凄まじい。
騎士のアラン隊長やアーサーはともかく、王族生活と香水や花の香りに慣れている私とステイルにはなかなかの攻撃力だ。こんな中で全く文句ひとつ言わず飛び込んだのは流石レイ。ライアーに会いたい気持ちが勝ったのもあるだろうけれど、一時的に下級層に降りたり生活していたこともあるから私達よりは耐性があるのだろう。
私も下級層に降りたことはあるけれど、あれはほんの一時だ。それに獣臭が混ざっている分この匂いはなかなか凄まじい。足元もところどころ柔らかかったり泥濘んでいたりでまるで罠だ。
前世で農場見学をした時を思い出す。少し鼻が慣れれば懐かしくも思えそうだ。……全く嬉しくないけれど。
心配そうに眉を寄せてくれたアーサーが降りた後、今度はステイルが口を一文字に閉じたままそれに続く。
私も彼らを待たせないよう、すぐ降りるへわく覚悟を決めた。先に降りたステイルに手を取られながら馬車を降りる。アーサーと一緒にアラン隊長も待っていてくれていて、数歩先にレイの背中が佇んでいた。
「こんなところに……」
ぼそりと独り言のように呟かれた声は、茫然としているようにも聞こえた。
ゲームでも確か、最終局面後にアムレットと共にライアーを見つけたレイが同じ台詞を呟いていたなと思い出す。流石にゲームでは「ここよ」の一言で、具体的にどんな場所かまでは語られていなかったと思うけれど。
馬車が止まったのは城下にある中級層の中でも端に位置する一角だった。市場や広場からも離れ、見回せば民家も少ない。人気の少ないそこでは、こうして降りてみても人の話し声は殆ど聞こえない。代わりに家畜の鳴き声だけははっきりだ。
モーモー、コッコ、という音や豚の鼻の音まで聞こえてくる。結構な数を買い占めているのか、まるで家畜商というより畜産農業だ。今だけは誰よりも貴族の装いをしたレイの服装が最も浮いている。
年季の入った建物と小屋の前で棒立ちになったままのレイは、あまりにも穏やかな農家風景に溶け込まない。
すると大人であるアラン隊長がその横を抜け、まるでご近所さんかのような気軽さで「すみませーん」と玄関まで進んでくれた。玄関扉に拳で強めにノックを叩き、また家畜小屋へも聞こえるような声で「誰かいますかー」と呼びかけた。
アラン隊長の声に目が覚めたように、レイも少し遅れた足どりで玄関まで進んだ。私とステイルもハンカチで鼻から口を軽く押さえつけながら、アーサーと一緒に彼らの背中へ続き見回す。もしかしたら小屋で作業中なのか、それともちょうどと 仲介業で農家か精肉店に出ているのかとも考える。
アラン隊長が一回で諦める様子もなく、根気強く大きな声で「すーみーまーせーん」と呼び続けると、とうとう建物の中から「はいよー!」と元気な声が返ってきた。
怒っているようにも聞こえないただただ大きな声に、どうやらさっきまで聞こえていなかっただけかなと思う。
古びた扉の鍵が開けられる音がここまで聞こえ、顔一個分の隙間が勢いよく開かれた。古びたシャツによれたズボンを履いたおじさんが、まさかの騎士の登場に一瞬で目が丸くなる。
騎士……?!と言葉を漏らした後、今度は傍にくっつく私達を順々に見定めた。
レイの貴族らしい装いにもびっくりしていた様子だったけれど、やっぱり一番は騎士の来訪だ。
突然すみません、と軽く挨拶をしたアラン隊長に、おじさんがゆっくりと扉を大きく開いてくれた。皿のような目のままポカリと開いた口を動かそうとしたその時。
「ッライアー‼︎何処にいる⁈」
ぐいっ、と大きく開けられた扉から家主であろうおじさんを背中から押しのけてレイが建物の中に突撃した。
あまりに不意打ちの家宅侵入におじさんもびっくりしたのか、押しやられた丸い背中のまま前のめりに転びかけたところでアラン隊長が支えてくれた。「こら‼︎中に勝手に入るな!」とレイへ呼びかけながら、おじさんと一緒に不法侵入のレイを追いかける。
失礼します!と私達も声を上げ、最後にアーサーが扉を閉めた。一階建ての平家は、階段のない分広いけど廊下は狭い。複数人一列でレイを追いかけ回すことになる。先行したレイに続いて家主を追い抜くこともできず、彼の足音を追いかけるおじさんに列を作って私達も続いた。まるで鈍行列車だ。
レイ‼︎レイ!と声を掛け、おじさんが追いかけながら「あの御方はどちらの家柄の⁈」とアラン隊長に投げかける。レイの風貌のせいだろうけれど、まるでどこぞの貴族の領地抜き打ち視察だ。
アラン隊長よりも先にステイルがおじさんに声を張る。
「すみません、最近保護観察下の人間を一人雇っていませんか?彼は今どこに?」
「⁈またか‼︎昼前にも城の使者が来たばっかだぞ⁈」
どういうことだ⁈と城の使者と私達が結びつかず声を荒げるおじさんは、そこでやっと家の奥で立ち止まったレイに追いついた。
流石に探しているのが物ではなく人なお陰で、扉以外は何も荒らされずに済んだ。おじさんもそれを確認するように棚や引き出しをいくつか切れた息のまま確認した後、改めて背後にくっついてきたアラン隊長に向き直る。
「一体どういうことでしょうか……⁈まさか奴が何かの容疑にでも……⁈使者の方にもお伝えしましたが、奴は住み込みで働いていますし決して悪さをするような人間じゃありません。私も、国から一度引き受けた以上ここにいる間は責任持って援助も監視も……」
咳を切ったように尋ねる言葉は、ライアーの弁護だ。
確かに城や騎士やらと立て続けだから、何かの事件容疑者にされたと考えても仕方ない。しかもライアーが何か犯罪を犯したとなれば、監視している立場にいる彼にも責任が問われるから余計に焦るだろう。不要の心配をかけてしまって申し訳ない。
アラン隊長がおじさんの前に両手のひらを上げて見せながら「わかってます」と何とか宥めてくれる。決して抜き打ちでも逮捕でも検挙でもないと説明しながら今回の私達の目的を話そうとすれば、レイがくるりとこちらへ踵を返した。顔中の筋肉に力を込めているのが仮面の半分からでも充分わかる。
早足でおじさんに歩み寄ってきたと思えば、今度は口より先に手が伸びた。
おじさんの胸ぐらを掴み上げようとした手に、素早くアラン隊長が上から掴んで止めてくれた。反応が遅れておじさんもレイから怯えるように半歩下がり、掴み上げられずとも喉を反らした。じわじわと沸き上がっているようなレイの覇気に怯えるように言葉も止まってしまう。
よせ、とアラン隊長が一言嗜めるけれど、レイの方はギリリッと歯を鳴らしただけだ。鋭くした瑠璃色の眼差しを光らせながら声を荒げ出す。
「ライアーは何処にいる⁈どこに隠した⁈本当にお前の言うその男はライアーなんだろうな⁈」
凄まじい剣幕で怒鳴るレイに、おじさんも気圧される。
微かな声で「ら、らいあー……⁇」と疑問を零すけれど、レイには自分の声で届かない。さっさと出せと言わんばかりの彼に、アラン隊長がまた一言止めた。
それでも当然ながら聞くレイじゃない。あとちょっとでも刺激したらまた黒い炎を放ちそうだと肝を冷やしながら、今度は私からレイにもおじさんにも伝わるように投げかける。
「ごめんなさい、彼の探し人がよく似ているらしくて。その人に会えれば結構ですから、今どこにいらっしゃるか教えていただけませんか?」
怪しい者ではありません、貴方の保護下にいる人の関係者ですと訴える。
申し訳なさが伝わるように眉をぎゅっと寄せながら訴えれば、おじさんもやっと少し状況についていけたように肩から力を抜いた。アラン隊長もそれに合わせてレイから手を離せば、彼も聞き入るように両手を真っ直ぐに下ろした。
おじさんは私の問いかけに「あいつなら」と言いながら、私達がついさっき入ってきた玄関の方を指し示す。
「あいつなら家畜小屋だ。今はちょうど餌やっている時間だから声も聞こえなかったんだろうな」
言っておくが、とおじさんがそのまま声を低めたところでレイはもう動き出してしまう。
バタバタと踏み荒らした部屋を往復する形で玄関へと戻る。すみません、ありがとうございました、家畜小屋も失礼します!とアラン隊長を始めに私達もお礼と断りをかけながらレイを追う。
先頭からまた「ライアー!」とその名前を呼ぶ声が廊下に響いた。
玄関を出た私達はそのまま併設された家畜小屋へと突入する。鍵が掛かっていたらドアノブごと壊したんじゃないと思うほどの勢いでレイが開ければ、バタンとけたたましい音を扉が響かせた。同時にさっきまでとは比べ物にならない異臭と、大合奏かと思えるほどの家畜の声が溢れ出す。確かにこれじゃあアラン隊長の呼び声も聞こえない。
家畜小屋の中とはいえ、家畜ごとに区切られた環境下の小屋内は意外と広かった。けど農家と比べたらわりと詰め込んでいる方だなとも思う。
まぁ育てるのではなく、あくまで仲介業だ。王都や城下の市場から離れた農家から買い付けた家畜を、精肉店に下ろすまで保管しておくだけの空間である。
ライヤー‼︎とその中でも構わずレイが叫ぶ。家畜用の柵も、家畜の間も構わずズカズカ奥へ進んでいくから何度も泥が跳ねた。私達や家畜にだけじゃなく、自分の服にも掛かっているのに全く気にしない。
あまりにも密集した家畜達のせいで、一望するだけじゃ人がどこにいるかもわからない。しかも家畜達からすれば私達は完全によそ者だ。
鶏エリアに豚エリア、そしてとうとう最奥である牛エリアにまで突き進んだところでレイの足が止まった。さっきの立ち尽くしていた時と同じように真っ直ぐ固まるレイの背中に追い付いたところで、……聞こえた。
「ライアー」
ぽつりと、呟いたレイの微かな声が不思議と耳に届いた。
さっきまでと違う、丸い声だ。追い付いた背中からそっと覗けば、ちょうど牛の毛繕い中だったらしい男の人がそこに立っていた。
立ち尽くしたレイの背中からは、表情は読めない。ただ、こちらに向けて目を大きく見開いている男性は間違いなく私が知るライアーだった。
レイよりも筋肉質な身体。黒髪は男性らしい短さで驚愕一色の顔を少しも隠さない。人相書きのように無精髭を生やした男性は、ぱっと見ジルベール宰相よりも年上だろうか。寄れたシャツから露出した肌が腕をはじめとしていくつもの古傷が重なり合うように浮かんでいた。……全てがゲームと同じだ。
先頭に立つレイを食い入るように見つめた彼は、手入れ用のブラシの手も止まっていた。まるで今この場で二人だけ時間が止まったような緊張感に、音すら聞こえなくなった気すらした。
力なく下ろした手を肩ごと微弱に震わせ続けるレイに、今度はライアーが見開いた目のまま静かに口を開く。
「失礼ですが、どなた様でしょうか……?」
……ゲームと同じ、哀しい言葉を。




