Ⅱ274.頤使少女は息を飲む。
「それはそれは。プライド様も随分と学校生活を楽しんで頂けているようで何よりです」
ごめんなさい……、と。私はジルベール宰相へ頭を下げたまま俯けて動けなくなる。
朗らかな声で言ってはくれているけれども、若干の含みを確実に込められた言葉だ。怒っているというよりも「本来の目的はお忘れになっておりませんよね?」と念押しだと思う。
学校からギルクリスト家を経由して我が城に帰った後、今回は後の予定もあるから着替えはせず子どもの姿のままでジルベール宰相と打ち合わせが始まった。
護衛の騎士もアラン隊長とカラム隊長に入れ替わり、父上から休息時間を得てくれたティアラも訪れてくれた。今日一日の学校活動とレイ、そしてアムレットのお部屋訪問についてもジルベール宰相に報告し終えたところだった。
レイに嫌がらせで擬似恋人ごっこを無茶振りされたと言った時点で、ジルベール宰相は既に笑顔で青筋を立てて指をパキリと鳴らした。カラム隊長も咽せこむし、アラン隊長は「うわー……」と言わんばかりの苦笑いを浮かべるしでなかなかの惨状だった。
私からも自己弁護するべく代わりにちゃんとレイからライアーに関する情報を預かれたし、彼も一応ある程度は協力的になってくれたことも話したけれど、それでも部屋の空気は戻らなかった。むしろ口を両手で押さえていたティアラにまで「その方と絶対二人きりになっちゃ駄目ですよ‼︎」と力一杯注意される始末だ。
「騎士団長との相談に関しては俺から話をつけておきます。……今回は。折角ですしこれを機会に取り入れたいことも思い付きましたから」
「えっと……待って、ステイル?その、私も行くわ。だって今回のお詫びはちゃんと私からするべきだし」
「いえ、その件については俺がしっっっかりと騎士団長と打ち合わせたいですし、プライドは次にお会いする時にでも挨拶と感謝をお伝えしてくだされば結構です」
その〝次〟が問題なんですけれど‼︎‼︎
私を置いて単独で騎士団長に事情を話してくれるというステイルに、待ったをかけたのに断られてしまった。
確実にステイルもわかって言っている。私が用事も無しに騎士団長とお会いする時となればもうそれは確実に……!と、思えばそれも含めて今回のお仕置きなのかなと思う。
にっこりと笑むステイルは、恐ろしくも今はいつもの調子だ。眼鏡の黒縁を押さえながら笑むステイルは、確実に「ちゃんと反省してください」と私に言っている。なんだかこうして並ばれると、相変わらずジルベール宰相に似てきたなとこっそり思う。
最終的には「はい……」と私が折れるしかなくなる。本音を言えばこれもアムレットの相談に乗りたかっただけではなくて、ちゃんと攻略対象者を見つける為の糸口でもあるのだけれど。……流石にそれは言えない。
むぐぐ……と口を無理やり貝のように閉ざして打ちひしがれる。後日の騎士団長からのお咎めを想像すれば、今から肩が上がってしまう。
ティアラが慰めるように丸くなった背中を撫でてくれる中、今度はふぅ……とひと息吐く音がかけられた。また誰かが呆れたのかなと思って上目をあげればステイルだ。
「……反省して頂きたいのは本当ですが、俺からの最大限の補助です。ちゃんと責任を持ってお望みは叶えますから」
困ったような目と少し緩んだ口もとに、指先で押さえていた眼鏡の位置を整える。
まるで私の方が妹にでもなったかのような窘めに、小さく口の中を噛んでから頷いた。……うん、わかってる。
本来ならここでジルベール宰相とステイルがタッグを組んで、アムレットとの約束を理由をつけて断るように説得するのが当然なのに何だかんだで補佐する方向で進めてくれている。
騎士団長への報告に私を同行させてくれないのは軽いお仕置きで間違いないけれど、ステイルが行くのもちゃんと私のことを考えてのことなのだろう。頭ではちゃんとわかっている。
アムレットに快諾してしまった時だって、ステイルが何も口を挟まなかったのは単にアムレットの前だからというだけではない。彼ならあの場で「ジャンヌは忙しいので」と一刀両断することも可能だ。
「今週は登校できる日も俺達は限られています。アムレットとの約束を果たすのもそのどちらかになるでしょう。まだレイのことも片付いていませんし確定はできませんが、そのどちらでも間に合うように俺と騎士団長で手配しますから」
「……はい」
本当に本当にごめんなさい、と。さっきからもうそれしか言えてない気がする。
もうステイルに完全にご迷惑しかかけていない上に窘められている情けない第一王女に、近衛騎士も何も言えない様子だ。
ジルベール宰相が続くように「私も最大限便宜は計らせて頂きます」と優しく言葉をかけてくれた。更にはティアラが慰めるように背の近づいた頭を撫でてくれ、私の方が甘えるように頭を深くおろす。もう完全に長女の威厳ゼロだ。「そっ、そういえば!」とティアラが元気付けるように明るい声を一生懸命な様子で上げてくれた。
「お姉様っ。先ほど見せて下さった刺繍、是非ジルベール宰相と近衛騎士の方々にも見せてあげてくださいっ!」
話も空気もを変えようと私の腕に優しくぎゅっとしがみつくティアラに、さっき見せた物を思い出す。
瞬間移動で帰ってきた時には既に私の部屋で待っていてくれたティアラに、いの一番に癒されたくて見せたハンカチだ。
結局、三人から駄目出しをされてしまって落ち込んだ後は、とてもギルクリスト家にプレゼント断行もできず持ち帰ってきたままだ。
自分でも気に入っている刺繍ではあるから大事に保管しようとは思ったけれど、もう心が大分穴ぼこになっていた私はすぐ勿体ぶる余裕もなくティアラに見せて早速癒してもらった。ただでさえステイルと私から三日後のお願いをしてから、ずっと機嫌が良くてるんるんオーラが溢れている。
ほう?と、気になるようにジルベール宰相が薄水色の目を開く中、背後からもいくらか視線を感じる。なんだかこの空気で見せるのは気恥ずかしくて両手の指を何度も結んで開いてを繰り返した。おずおずと視線を部屋の隅に控えていたロッテに向ける。
さっきマリーへのお願いと共に彼女達へ預けていたハンカチの内一枚が改めて私の手に戻される。帰り道に呆れられたことも手伝って、王女の部屋でこれをジルベール宰相達にどうどうと自慢げに見せるのは流石に年甲斐もなくて恥ずかしい。けれど、ここまで来て見せないわけにもいかず、くぐもった声で「今日の授業で、刺繍を……」と彼らに聞こえるかどうかもわからないまま広げて見せれば、反応を受ける前から耳が熱くなった。
おやおや、おぉ、と声が重なる中、まるで赤点の答案でも見せるように私はハンカチだけ掲げて顔を俯かせた。
帰ってきた直後も力いっぱい「素敵ですっ!」と癒し効果満点で褒めてくれたティアラと、一緒に専属侍女のマリーとロッテも口々に褒めてくれて癒されたけれど、女子会の気持ちと今は全く別だ。帰路も男性陣三人に最後ダメ出しされてしまったもの。
最初に「刺繍ですか……」と呟いたジルベール宰相が感想を言葉にしてくれた。
「お見事な出来ですね、プライド様。初めてなのにその腕前とは流石です。講師の方も腕前はいかがだったでしょうか」
「ええ、とても教えるのがお上手で。……本当に、見事な人選でした……」
明るくティアラの意思に沿うように話を変えてくれるジルベール宰相に心の中で感謝する。
褒めながら私が返しやすい問いを投げてくれるところとか流石だ。このままネル先生の件についても話そうかなと一瞬思ったけれど話が脱線しすぎる。既にあの大作はマリーに預けたし、今はジルベール宰相達にも関係のあることを話さないと。
それは何よりです、と柔らかな声で返してくれるジルベール宰相に今度はアラン隊長とカラム隊長まで「いや本当に初めてとは思えませんよ!」「アラン、横入りするな。……ですが、良い刺繍だと思います」と暖かい言葉をくれる。傷に滲み入るような優しい人達のお陰でやっと重くなっていた頭が上げられてきた。
功績のほとんどがネル先生だし、そうでなくても本当ならこの年頃の女性ができて当然の初歩中の初歩なのに本当に優し過ぎる。
最初に正面に顔を向ければ、ジルベール宰相が切れ長な目を柔らかく細めていた。完全にステラちゃんに向けるのと同じような眼差しにまたちょっと恥ずかしくなる。ステラちゃんまだ三歳なのに!!
視線を逃がすように横へ逸せば、ステイルが顔をがっつりこちらに背けていた。
口を片手で覆ったまま動かないステイルに、一瞬笑っているのかなと思ったけれどどちらかというと恥ずかしくての赤面だと長年の経験で察する。……うん、確かにこの年で「上手にできました」と見せびらかす姉は恥ずかしいわよね。今ならちゃんとわかる。
ありがとうございます……、と声だけでなく姿勢まで小さくなって顔が緩む。褒めてくれた嬉しさと恥ずかしさが均等に混ざっている感覚にどういう顔をすれば良いかもわからなくなり、そのまま逃げるようにテーブルの上に置いていた資料をジルベール宰相の前へと滑らせた。
「ええと……、それでこちらが、先ほどお話ししたレイからの資料になります……」
擽ったさを誤魔化すようにそう言って、話の軌道を戻せばジルベール宰相とステイルもすぐに引き締めた顔で応じてくれた。……若干ステイルはまだ頬が熱っているけれども。
そういえばアーサーも、城に帰ってきて早速私がティアラに刺繍を見せた時逃げるように部屋を去っていったなと思い出す。あの時も二人とも顔が赤かった。
「なるほど……確かに詳しく書かれていますね。これだけの情報があればある程度は探しやすくなるかと。いっそ前科でも記載されていればある程度更に探しやすかったのですが。私の方で早速騎士団とー……、…………」
ピタリ、とジルベール宰相の言葉が止まった。
一枚一枚資料を一定速で捲っていた手が途中で止まったことに、私もステイルも口を噤む。ティアラも不思議そうに小さな顔を傾ける中、ジルベール宰相の眼差しが探るようにじっと真剣みを増した。まさか、と期待を込めて口の中を飲み込めば、ステイルが訝しむように腰を上げてジルベール宰相の持つ書類を覗き込んだ。
「……この人相描きに、覚えがあるのかジルベール」
人相描き‼︎
ステイルの低めた声に、私も思わず目を見開いてしまう。
どうやらジルベール宰相が目を通しているのはライアーの人相書きの頁らしい。人の顔をしっかり覚えているジルベール宰相ならもしかして本当にいつかのライヤーの顔が引っ掛かったのかもしれない。期待を込めてテーブルを越すほど身体が前のめりになってしまいながら返答を待てば、ジルベール宰相は口元に曲げた指の関節をそっと添えた。
「……人相描きに、覚えはあります。ですが、彼は……。…………それに、こういった顔つきの男はよく居ますから。髪型で大分印象は変わりますし、確証というほどは」
「勿体ぶらずさっさと言え。いつ何処でこの男に会った?校内での姉君の汚名返上がかかっている」
言い淀むジルベール宰相に、苛立つようにステイルが口調を強める。
腕を組みながら眉を寄せる彼に、ジルベール宰相は思案するようにまた残りの頁を捲った。最後まで情報を確認したい様子のジルベール宰相に私もうるさくなる胸を両手で押さえて待つ。これで本当にライアーを見つけられるなら……!
「……特殊能力も、当てはまりますねぇ……」
ハァ……、と少し重さのある息を吐きながら言うジルベール宰相に一気に心臓が飛び跳ねる。
そう、ライアーは特殊能力者だ。我が国の特殊能力としては珍しくないし大した特徴とは言えないけれど、顔も似ていてその上なら可能性はかなり高い!胸を押さえつける指に力が籠る私に反し、ジルベール宰相の眼差しは段々と憂鬱げだ。
まさか……と、裁判を司っているジルベール宰相に最悪の結末まで頭によぎる。
間も無くして、最後の頁まで見終えたジルベール宰相はまた最初の頁まで閉じて資料をテーブルに置いた。一呼吸置いてから「先に断らせて頂きますが……」と前置き口を開く。
「私はセドリック王弟ほどの記憶の優秀さはありません。特にこの者については、正直記憶に留める必要はないと判断していましたので朧げです」
それはわかっている。セドリックの絶対的記憶力みたいに、無意識に出会った全員の顔を覚えているなんてジルベール宰相にも不可能だ。あくまで覚える必要がある人間だけをきっかりと把握しきっている。
それでも常人と比べたら凄まじい記憶力だし、人の顔を覚えているという点では私やステイルよりも幅広く網羅している。その日その日の式典に参列する招待客の名前と顔、更には来賓の服装から髪型や装飾品のちょっとした変化まで毎回把握して気付けてしまうくらいなのだから。
そのジルベール宰相が覚えがあるというのなら、それだけで十分確証になる。
構いません、と言いながらジルベール宰相に続きを望む。ティアラが気になるようにまだ目を通していない資料を細い指で摘み、自分の方へと引き寄せた。テーブルの上で一枚目から順に頁捲っていく彼女もまたライアーの人相を確認しようとしている。
紙をめくる音を聞きながら、もう一度私はジルベール宰相に尋ねる。せめてどうか彼が生きていることだけを願って。
「ジルベール宰相、お願いします。彼は、ライアーはいま一体どこに」
「うわっ……」
「これは……‼︎」
……不意に、二つの声が思わずといった様子で私の言葉を割った。
振り向けば、アラン隊長とカラム隊長だ。
私とそしてステイル、ティアラの視線を受けた二人は少し慌てるように「失礼致しました」と若干悪い顔色で謝罪した。二人とも私達の背後から、ティアラの広げていた資料を覗いていたところだった。近衛騎士達にも見えやすいように、手に取らずテーブルから捲ってあげていたのであろうティアラも、まさかの二人の発言に今は目がまん丸だ。
「……あの、お二人もまさか」
「この男をご存知なのですか……?」
私の間の抜けた声に、ステイルも続く。
あまりにもはっきりとした騎士二人の反応は、明らかに知らない人間に対する発言じゃなかった。
そして、これこそ確証と言わんばかりにジルベール宰相が深い息を吐く。
私達の問いかけに気まずそうに笑うアラン隊長と、難しそうな表情で前髪を押さえつけるカラム隊長は、それぞれ頷いた。まさかジルベール宰相だけでなく、騎士二人まで覚えがあるなんて。
「……かなり、最近に」
「多分、間違いないと思います。髪型は違いますけど、顔はがっつり本人ですから」
最近⁈
カラム隊長の発言を後押しするアラン隊長の言葉を聞きながら唖然としてしまう。まさかそんな有力情報が‼︎‼︎と口がポカリと空いて閉じなくなる。
さっきまで黙していたジルベール宰相も静かに声を低めた。
「……〝その〟男で宜しければ、居場所の特定も難しくはありません。一日猶予を頂ければ、所在も確定できると思います」
一日で⁈
もう驚き過ぎて交互に視線を向けるしかできなくなる。せっかく確証を持てたのに痛そうに片手で頭を抱えるジルベール宰相と目が合えば、「ただし」と強い言葉が押された。
「レイ・カレンの望むような再会になるかは保証しかねますが……」
ドクン、と。
ジルベール宰相の言葉に、一瞬で前世の記憶が脈打ち開いた。扉の隙間から黒い靄が溢れてくるような感覚に思わず肩が悴む。ライアーのことを思い出してから何度も思い返した恐れを彷彿とさせる言葉に、どうしてジルベール宰相がと思う。
驚愕しかできなかった顔の筋肉が強張っていく中「どういう意味だ」と投げるステイルに、ジルベール宰相は今度こそ核心を放った。
「裁判では〝本名未明〟であったこの男は、先の奪還戦で騎士団に保護された……奴隷被害者ですから」
通称〝ライアー〟
レイの恩人であり、ずっと探し求めていた下級層の住民。
〝炎の特殊能力〟を持つ彼がどうしてそんな身に置かれていたのかは、……想像に、難くなかった。
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