Ⅱ32.支配少女は脅す。
「どう?簡単なお仕事でしょう?」
プライドが全て話し終えた後。
クロイはそれでも納得ができないように彼女を睨んだ。話は通っている。しかし、あまりにもうますぎる。どう考えても詐欺か罠としか思えない。そしてなによりも目の前にいるジャンヌ達がどうしても信じられなかった。彼が暫く唇を固く絞り沈黙を通した後、返事を待ち続けるプライドは笑顔のまま敢えて何も言わない。そして、沈黙に先に耐えかねたのはクロイの方だった。
「……どうして僕を誘うの。どうせ何か裏でもあるんでしょ」
「ちょうど知り合ったのが貴方だったから。私達、まだ学校に入学したばかりで友達いないの。……なんて言っても信じないわよね」
疑り深いクロイに、プライドは当然の反応だろうと肩を竦める。
クロイでなくても、自分達の話は胡散臭すぎると思う。十四歳であれば充分にその話の巧さと怪しさは理解することができる。それもまたプライド達も最初からわかっていたことだった。
ここでどれほど納得できる言い訳を使ったところで、最悪の初対面を済ませた相手にいい仕事を斡旋するなど、陥れようとしているとしか考えられない。一度言葉を切り、唇を閉ざして笑んだプライドにクロイは逆立てた猫のように警戒の色を増した。
しかし、次にプライドが放った言葉に彼は眉間に刻んだ皺を真っ新に伸ばしきる。
「〝人の弱みを知る〟特殊能力」
抑えながらもはっきりと言い放ったその言葉は、凛と郭を持って一字残らず届いた。
言葉の意味を考え、疑い、そして最後には「まさか」とクロイはプライドに背中を反らし、半歩退がった。歯を食いしばり、先ほどよりも更に悪くなった顔色でプライドを睨む。それに対し、プライドはにっこりと敢えて圧をかけるように笑み、顔を傾けた。
まるでお前よりも優位に立っているぞと宣言するかのような立ち振る舞いに掌が湿る。まだ、彼女の特殊能力を宣言されただけだ。しかし、確実にクロイは今自分が脅迫されているのだと感じ取った。
何度口の中を飲んでも干からびるように渇く喉で、クロイは何とか声を精製する。このまま無言でプライドに笑まれ続ける方が遥かに不気味で胃の中を覗かれるようだった。上擦り、不出来な声で彼女に問う。
「な、にを知ったの……⁈」
瞬きを忘れた眼球が目蓋の下でゴロつく。
目の前の存在が、単なる同年代の少女と思えないほどに恐れた。まるで天敵に出会ったように身動きどころか指先すら動かせなくなる。言うな、言うな、言うな、と心の中で叫びながらも喉をせり上がらない。絞首台のレバーを握られている感覚に首や背中まで湿り出す。
不規則な心臓の音が耳の奥に鈍く響きながらクロイはプライドの返事を待った。どこまで知られたのかと、昨日の彼女の言葉を思い出せば嘘とは思えなかった。
特殊能力はその全てが明らかにはされていない。自分が今まで聞いたことがない特殊能力でも、そんなものがある訳ないと断言できる材料を学もない庶民が持ち合わせているわけがない。
クロイの問いにプライドは今度は自分から上半身を前のめりに傾ける。口の横に手を添え、彼が更に下がる前にとその舌で言葉を紡ぐ。〝予知〟と銘打ち続けた前世の記憶を、また更なる偽りとして囁いた。
彼の隠したい真実と〝弱み〟そのものを、早口で擽るように謡った。そして最も大切な彼らへの
〝警告〟を鳴らす。
その途端、一度大きく肩を震わせたクロイは化け物を見るような目で顔ごと向け、恐れから敵意一色に目の色を変えた。
「っ……僕達を、どうしたいの?まさか学校にっ……」
「言わないわ。だけど、これで納得できたでしょう?弱味を知った私達相手に貴方達も断れないもの」
だから選んだの。と、そう断言すればクロイは屈辱で顔を赤くしながら両手で自らを抱き締めるように力を込めた。
カチカチと食い縛った歯が僅かに音を立てながら彼女に怒りを向ける。明らかな敵意にそれでもプライドは目を逸らさない。
庶民と呼ぶには綺麗過ぎるほどピンと伸びた背筋のまま、今の自分と殆ど変わらない背のクロイを紫色の瞳で見据えた。
「……受けてくれるわね?」
「っ……本当に、それだけなの……?犯罪とか僕らに何か他にもさせる気とか…ッ信用、できない……」
恐喝で受けるしかない状況にも関わらず、あくまで気丈に振る舞う。
自分と同年の少女相手に折れて溜まるかと、背を丸くならないようにと奮い立たせた。ここまで脅し、やらせたいと語る仕事がどんな代償も併せ持つか考えながら、それでも弱みを握られた彼は逆らえない。「勿論それだけよ」と軽く返すプライドは、予定通りクロイが頷いてくれたことに気づかれないように息を吐きながら言葉を続けた。
「もちろん警告を受け入れてくれればそれが一番なのだけれど。……どうせ聞かないのでしょう?なら、少なくともこの仕事を受けてくれれば良いわ。仕事は朝の予鈴前と昼休みだけでやり方もそっちに任せるから。……どう?貴方達に得しかない、良い仕事でしょう?」
得しかなさ過ぎる。
その言葉をクロイは敢えて飲み込んだ。当然リスクもあるが、怪しめばきりがない。そしていくら疑っても弱味を握られた自分はそれを受けるしかない。
どれだけ彼女から納得のいく理由を語られても確実に自分は納得できないし、不安も消えない。だが、彼女の警告に従うことはもっと嫌だった。
「……っ、……わかった。でも姉さんは巻き込みたくない。姉さんには絶対言うな」
「ええ。そっちも〝私達との関係〟は誰にも言わないでね。……今日の昼休みから早速お仕事よ」
もうどんな人かは伝えたから。と一言断り、待ち合わせ場所を伝えたプライドはくるりと背中を向けた。
冷たく見える眼差しを返せば憎しみだけが返ってくる。ステイルとアーサーもその背にそうように身を引けば、途端に「待って‼︎」と短い怒声が矢のように放たれた。流石の大声に今度こそ教室の生徒全員が一度は振り返る。喧嘩か、と見ればクラスでも目立たない白髪の少年が、二人の少年を率いた少女と対峙している。その光景に誰もが口を閉ざし、注目した。
うっかり生徒達の注意を集中させてしまったクロイは、僅かに首を竦ませた。次の言葉を放つ前に、自分の発言が全員に聞かれてしまうという可能性から華奢な細い身体を更に狭め、必死に頭の中で言葉を選ぶ。
「っ……、……僕らのことを……どれだけ知ったの」
誰にと言葉を伏しても、充分にプライドには伝わった。
あまりの注目の数に、慣れないクロイは手のひらが湿り出した。抱き締めていた片方の腕で服越しに自分の胸を鷲掴む。注目による気持ちの悪さと、この先の不安で震え出しそうになる身体に気づかれないように口の中を噛み、必死に堪えた。
彼が聞かれることを警戒しているとすぐ気付き、プライドは早々に顔だけで振り返る。周囲に聞かれないようにと、潜ませた声を限界まで落とした。
「全部よ。乗ってくれなければ、お姉様にも学校にも話します」
短直過ぎる強迫に、クロイは肩に力を入れたまま動かなかった。
じゃあね、と今度こそプライドは背を向けたまま教室の外へと歩き出す。庶民にしては綺麗過ぎる歩き方は、クラス全員の注目を浴びた中では特に際立った。共に歩くステイルとアーサーも視線は崩さず、彼らに見覚えが殆どない生徒は誰もがその悠然とした立ち振る舞いに振り返り、姿を確かめる。注目はいやでもクロイではなく彼女達へ集まった。
容姿の目立つ三人の噂は、中等部二年の間で瞬く間の内に広まる。
一人、彼女らへの敵意に満ちる少年のことなど誰も印象にすら残らないほどに。




