表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
頤使少女とショウシツ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

416/1000

Ⅱ271.頤使少女は明らかにされ、


「さて、始めましょうか。内容は授業と変わらない簡単な刺繍だけど」


一から教えるわね、と明るい口調で言ってくれるネル先生は、教卓ではなく私達の座る机の前に椅子を置いている。

授業に参加したアムレットに軽く断りを入れてから、裁縫の方法を一からわかりやすく説明してくれるネル先生の腕前はやっぱり本物だなぁと思う。流れとしては私も前世でやったことのある縫い方を使って、渡された布に自分の名前を縫い込むというものだった。一個一個段取りを追って教えてくれるからすごくわかりやすい。前世の家庭科の先生よりもきっと教え上手だろうと思う。

はい出来上がり、と見せてくれた刺繍には〝プラデスト〟と綺麗な筆記体で縫い込まれていて、あんなに簡単そうにやっていたのにどんな手品かと目を白黒させてしまう。見るのが二度目であろうアムレットも「すごーい」と声を漏らしていた。


「まずは縫い方から始めましょうか、二人とも私と同じように布の下から糸を通してみて?」

ふふっ、とアムレットの純粋な反応に笑みを返したネル先生から、とうとう本格的な実施が始まる。

さっきまで布と針糸を前に座っているだけだった私も、アムレットと同じく凶器を摘むことになる。針を持っただけで指先どころか肩まで力が入ってしまい、布の下から糸を通すだけの作業なのに指が震えた。ネル先生の指示通り指を動かしながら、何度も口の中を飲み込んだ。


まず、私は今世で裁縫なんてやったことがない。


王族として生まれた私は、裁縫は必須科目ではなかった。料理と同じく、本来私ではなく侍女がやってくれる作業を学ぶ必要もなかった。貴族令嬢であれば教養の一つとして刺繍を学ぶのも珍しくないけれど、私の場合は代わりに教え込まれたのがダンスやマナー、法律、帝王学だ。

そして前世では、……まぁ可もなく不可もなく程度でまともにはできた。一応針で指を刺すようなことは一度もなかったとだけ自慢させて欲しい。

ちゃんと作れと課題に出された作品は、教師に怒られない程度には完成させられたしミシンだって一応使えた。今もう一度やって見てと言われたらちょっと記憶に自信はないけれど。そして今回、今世初めてとはいえ前世の一般庶民として裁縫の技術経験がある私は


ビリッッ


……見事に、最初の一刺し目で布に大穴を空けてしまった。

うわぁぁぁ……、と声にならないまま口だけが歪に開いて固まってしまう。いっそ授業中ならごまかせた音だけれど、目の前に講師がいる今は当然防げない。

そう、元ラスボス女王ことこの私プライド・ロイヤル・アイビーは家庭的な作業全般が壊滅的である。

そしてもう、する前から充分わかっていたことだった。私がどのつく不器用というだけの話ではなく、そういう〝設定〟なのだと。

調理の授業でもそうだったけれど、基本的に私の力量ではどうにもならない。もう炭か液状化現象か惨殺死体か皿割り係しかできない私が、針と糸なんて持ったらどうなるかはわかりきったことだった。

こうして優しいネル先生と仲良くなれたアムレットに知られてしまったことだけが心苦しい。そしてステイルとアーサーにバレずに済んだことが不幸中の幸いだ。ティアラのお陰で料理の方は汚名返上できたままだけれど、今度は縫い物まで〝苦手〟の一言で片付けるには烏滸がましいほどに壊滅的なんて知られたくない。


一瞬、ティアラの奇跡みたいに主人公補整でアムレットに手伝って貰えればなんとかならないかなとも考えたけれど、希望は薄い。第一作目のティアラみたいに、攻略対象者と一緒にお料理を作るイベント的なものがあれば良いけれど、第二作目にはそれも記憶にはない。

ゲームでもアムレットがファーナムお姉様へのプレゼントの為に頑張って大作を作るべく指南を受けながら縫い物をしたり、他ルートでも裁縫の授業を受ける場面はある。けれど、当然ながら男性である攻略対象者が関わることもなく彼女は先生の教えの元、縫い物をしながらルートに入った攻略対象者のことに想いをふけるというだけの場面だった。

攻略対象者が絡むどころか、裁縫の授業がメインイベントでもない。つまり、アムレットがいくら裁縫をできたとしても、ティアラみたいに女子力チートだとしても、教えてもらったところで私が恩恵を受けられる確証はない。

少なくともティアラとのお料理と同じく、一緒に並んで作業するだけでは発動しないことがたった今証明された。……正直、我が儘を言わせてもらえるのなら第一作目がエンディングを迎えた時点でこの呪いも解けて欲しかった。


けれど、そう都合よくもいかない。調理の授業で散々やらかした時にわかっていたことだ。そして今度の被害者は目の前にいる心優しいネル先生である。

私達の前に座っていた彼女は、豪快に針以上の大穴を空けた私を前に手が止まっていた。まだなみ縫いの「な」の字も教える前にこれかと言いたいのだろう。固まった表情で私よりも、哀れに風穴を空けてしまった布と凶器の針を凝視している。もう今からでも窓から逃げたい。正面のネル先生だけでなく、隣できっと同じような表情をしているであろうアムレットの方を見るのも勇気が



ビリィッ



「あっ……」

…………へ?

顔を向ける前に、隣から聞こえてきた音と漏れた声に自分でも目が丸くなるのがわかった。

見れば、アムレットの手の中で布に通された針が斜めに食い込んで入り口を裂いていた。私の大穴と比べれば小さいけれど、失敗には変わらない。

さっきまでの私のように布の腹を貫いたままの手で固まってしまった。

数秒の沈黙のあと、思い出したようにアムレットが正面にいる先生と隣にいる私とに視線を向ける。まるで悪いことを見られてしまったような表情で眉を落としたアムレットの頬がだんだんと赤らんでいく。


「…………ご、めんなさい。私も破けちゃいました……」

ぽつぽつと消え入りそうな声に続き、とうとう彼女の耳まで赤くなった。

私もそこで思い出して「私もです」とむしろ若干アムレットよりも堂々として正面に向き直る。私の方が大失敗なのは変わらないけれど、仲間がいるだけで心強さが違う。

ネル先生は私達二人からの報告に一度針を通しきってから半笑いになった。あらぁ……と、本当に薄く声が聞こえたけれどなんともいえない表情だ。


「……ジャンヌも裁縫は苦手だったのね。教えがいがあるわ……」

ネル先生、本当に優しい。

やんわりと力ない声だったけれど、それでも戸惑い以外は嫌な顔ひとつしないで笑ってくれた。……そして、ジャンヌ〝も〟ということは、もしかしてアムレットは前回の授業でそうだったのだろうかと今更になって気付く。


そういえば、元はといえばアムレットが補習ということ自体に疑問を持つべきだった。彼女から補習を口にされた瞬間にもう自分の最強難関しか頭になくて考えられなかったけれど、どうしてアムレットまで補習になったのか。

見た通り、今日までの選択授業で補修になったのは私とアムレットだけ。つまりネル先生の〝補習〟を課す基準が特別厳しいというわけでもない。そして見た通り、アムレットはどうやら裁縫が得意ではないらしい。……ゲームでは難なくこなしていたのに、何故か。

むしろ家庭的な授業はティアラと一緒で乙女ゲーム主人公チートでもおかしくないと思っていたアムレットには意外すぎる展開だ。ゲームのようなチートがないにしても、庶民に生まれたアムレットがここまでできないのは不思議過ぎる。まだゲームが始まっていないとはいえ、たった三年前なのにどうして



『──が居なくなってから、自分のことは自分でするようになっただけ。別にすごいことでもないよ』



不意に、布を片手に硬直するアムレットと記憶の中のゲームのアムレットが重なる。

今の気まずそうな表情ではない、憂いを帯びた表情だ。誰かの、服のボタンをつけながら語っている場面。うっすらと相手の男性の顔が浮かんで、……駄目だ消える。

思わず一人首をブンと横に振ってしまえば、アムレットが驚いたように朱色の目を丸くして私に向き直った。どうかしたのと言いたそうな眼差しに、誤魔化すべく「失敗したのが恥ずかしくて」と笑ってみせる。実際本当に恥ずかしくもあるけれど。

多分、最後の攻略対象者のイベントだろう。そういえば、アムレットが攻略対象者の外れたボタンをつけてあげる場面もあった気がする。家庭的なアムレットに攻略対象者が愛しげな眼差しを向ける場面だ。……うん、やっぱりアムレットは授業どころかばっちり裁縫ができている。少なくともゲームが始まる三年後には。


「ええと、……こういうの私全然やったことなくて。アムレットはどう?今までやったことは。刺繍とかボタンをつけるとか」

「全然。恥ずかしいくらいに全然やったことがないの。この前の裁縫の授業でもこんなんで……。でも、私以外で裁縫ができない子なんて初めて」

きょとん、と大きな瞬きで見返され、苦情気味に微笑まれる。

……光栄なんだか、悲しいんだか。自分でもわからない感情が混ざるけれど、最終的にはアムレットの今の笑顔に繋がっているなら良しとしようと思う。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ