Ⅱ270.頤使少女は踏み入れる。
「……あの、ディオスもクロイもさっきは本当にごめんなさい。レイが失礼なことばかり」
「結局付き合ってるの?あの人と」
バキンッ、と話の脈略をクロイの言葉に叩き折られた。
まるで本題はそこだと言わんばかりに言うクロイに顔を向ければ、じーっとディオスとは対象的な冷め切った視線を注がれた。一番探られたくない腹を裁かれてしまったような感覚に喉を詰まらせると、アムレットが一歩前に出た。
「二人ともっ」と声を掛け、そのまま私とディオス達の間に入ってくれる。
「ジャンヌはそのことはまだ言えないんだって。肯定も否定もしていないから、今はジャンヌを責めたら可哀想だよ」
「別に責めてないし聞いてるだけだし」
「えっ!そうなのアムレット⁈じゃあレイが言ってるだけなんだ⁈」
穏便に済ませてくれるアムレットに、早口で言い返すクロイに続いてディオスの目がパッと大きく開く。
ある意味、ここでレイとの関係を最初から肯定的ではなく否定的に見てくれるディオスもすごくありがたい。アムレットに感謝しながらも、思わず笑ってしまえばクロイが「なに笑ってんの」と速効でお咎めの杭を投げ込んできた。
「君のお陰でディオスがずっと鬱陶しかったんだからね。さっきだってさっさと教室に入ればいいのに、急に嫌だとかどんな顔すれば良いかわからないとか何言えばとかいつまでもうじうじぐだぐだぐだぐだ……」
「ッく、クロイがジャンヌに会いに行こうって言ったくせに」
「僕はそんなに気になるなら、って言っただけ。別に僕が会いたいって言ったわけじゃないし」
ずるい‼︎と、ディオスが完全に身体ごとクロイに振り返ったところで、いつもの兄弟喧嘩が始まった。
どうやらお姉様を迎えに行く時間も惜しんで私に真偽を確かめに来てくれたらしい。せっかくの学校なのに一限後からずっとディオスに嫌な気分をさせていたのだなとわかると申し訳なさでいっぱいになる。しかもあのゼロ距離アタックのディオスが気まずさを感じるなんて相当だ。
二人の喧嘩にも大分慣れたらしいアムレットが「二人ともジャンヌに会いたかったんだよね」と仲裁に入ってくれ始める中、元凶である私が丸投げするわけにいかない。とにかく今は真実を言えない分、なるべくは二人への誤解を解こう。
「本当にごめんなさい、二人とも。言えるようになったら、ちゃんと三人にも話すわ」
できればそのまま誤解だと思う方向で居て下さいと願いながら、アムレットも含める三人に約束する。
その途端、「うん‼︎」と目いっぱい元気な声を返してくれたディオスは、満面の笑顔を向けてくれた。ディオスの機嫌が直ったからか、クロイも喧嘩をそれ以上続けるつもりはないように溜息だけで返してくれた。
にこにこと笑うディオスが再び私の方に振り返りながら「じゃあさ」と前のめりに私を覗いてくる。若葉色の瞳をきらきらさせて自分を指した。
「ジャンヌはレイと僕どっちが好き⁇」
……一瞬、前世の記憶でも遠すぎる小学生以下の記憶が蘇った気がした。
直後に背後からステイルとアーサーの思わずといった「は⁈」の声が重なった。ディオスの背後ではアムレットの笑みが半笑いのように固まって、クロイが疲れた顔でこちらを見ている。
きらきらと水晶のようなディオスの目が今だけは嘘発見器のように思えてくる。「先生は僕とあいつどっちが好きー?」という園児と同じ純度だ。これもレイとの約束に抵触するかと考えたけれど、まぁそれらしく振る舞えとまでは言われてないから良いかと考える。ここは正直に言わせてもらおう。
「勿論、ディオスの方が好きよ」
心からの言葉でそう返せば、きらっとディオスの笑顔が輝いた。
やった!と笑うディオスは次の瞬間にはまたむぎゅううと抱きついてきた。頬が擦れ合うほどくっついてくるけれど、もうその笑顔を見ると頭を撫でてしまう。少なくとも今の俺様レイと比べて圧勝してしまうくらいクロイは可愛い。今は私と同じくらいの身長だけれど、元の姿になったら私より小さい分もっと可愛く思えてしまうのだろうなと自覚する。中性的な顔立ちも手伝って、なんだか段々ティアラみたいに思えてきた。
そう思っていると、……段々とまた一方向から恐い気配が濃くなってきた。
さっきから見逃してくれているなと思ったけれど、どうやら流石に二度目はくっつき過ぎらしい。ディオスの頭を撫でる手を止めて思わず背筋が強ばりそうになったところで、ナイフが飛んでくる前にアーサーが「すんません、ジャンヌの息が止まるんで」とやんわりディオスを引きはがしてくれた。
アーサーに肩を触れられた途端、クロイに止められた時よりも素早くパッとディオスは私を離した。
「ごめん!」と私とアーサーに交互に謝ったディオスは、その後にまた「えへへ」と顔がほころんだ。レイよりも仲良しだと証明できたお陰で気持ちも晴れたらしい。アムレットも嬉しそうなディオスに微笑みながら「良かったね」と声を掛けている。それに元気良くディオスが返事をすると、今度はクロイが並ぶように前に出た。
「……ねぇ、僕は?あとジャックとフィリップとついでにアムレットも」
じっ、と私を睨むように見ながら言うクロイは、早口で三人の名前を言いながらも私から目を離さない。
何故アムレットだけついで?とちょっとだけ思ったけれど、今は首を傾げるだけで質問に答える方を優先させる。アムレット本人も、自分の名前を出されたこと自体に目を丸くしていた。
「もちろん好きよ」
「何が、誰が、誰と比べて。ちゃんと言わないとわかんないし誤魔化されてる気分でむかつくんだけど」
むすっとした声で言い換えされ、思わず私が一度唇を結んでしまう。
まさか第一王女ともあろう十九歳が、主語述語について指摘されることになるなんてとちょっとだけ恥ずかしくなる。上げ足取りにも思えたけれど、確かに誤解を解くための話なのに一言で済ませちゃいけなかったかもしれない。
私の言い直しを要求するようにディオスの隣から動かないクロイに、ちゃんと今度こそ言葉にして返す。
「レイよりクロイの方が私は好きよ。ジャックのことも好きだし、フィリップのことも好き。アムレットのことも好きよ」
流石に逐一「レイより」と言うのは陰口を叩いている気がして言えなかったけれど、なるべく細かく言葉にしてみせる。
するとやっと納得できたのか、クロイは相変わらずの眼差しで私を見ながら「ふーーーーーーーーーん」と、冷ややかな返答だけ返してきた。せめて一言「合格」くらいは言って欲しい。
なんだか国語力を試されている気分で私だけが中途半端な気分になってしまう。今度は私から返して欲しいと口を閉じて見返せば、顎を僅かに上げたクロイが三秒以上の間をつくってから口を開いた。
「まぁ良いんじゃない?」
なんだかすごく釈然としないのだけれども‼︎‼︎
あまりに中の下程度の評価に、思わず結んだ唇に力を込めてしまう。
けれどその後はもう話しは終わりと言わんばかりに視線を一度私の隣と背後に投げたクロイは、そのまま口を閉じてしまった。彼の視線に釣られるように私も振り返れば、隣に立っていたアーサーが唇を無理に閉じたような顔で肩に力が入っていた。さらに背後にいたステイルは片手で口を覆ったまま何だか複雑そうな顔を横に逸らしている。年下に言葉を指摘された王女に呆れてしまったのだろうか。正直私も恥ずかしい。
「あっ。大変ジャンヌ!そろそろ行かないと」
アムレットが思い出したように声を上げた。
その途端、私も大事な試練があることを思い出して「あっ」と声を出してしまう。なに、何かあるの?とクロイとディオスが尋ねてくれる中、先にアムレットがこれから裁縫の補習だと明るい声で返した。
私も慌てて逃げるように「その時間にちょっと用事があって出れなくて」と聞かれてもいないのに言い訳をしてしまう。女子に裁縫の授業があることは知っている二人がそれぞれ一言零す時には、アムレットが早足で私の手を引いていた。確かに急がないとまずいかもしれない。私も並んで足を速めれば、ファーナム兄弟もお姉様を迎えに高等部に用があるからか、渡り廊下まで早足で付いて来てくれた。
「ジャンヌ!アムレット!刺繍できたら見せて!」
「針で指刺すとかやめてね。もう君ら十四なんだから」
ステイルとアーサーの更に背後から放たれる二人の言葉両方に私は肩をギクリと上下してしまう。
一拍おいてからアムレットが「そんな見せるほどのものじゃないよ」と笑って返してくれ、全力で私も同意する。続けて「気をつけるわ」と二人にも見えるように手を振った。今のところはささくれ一つないこの手が、どうか明日も二人の前で無事でありますようにと祈る。
転ばないように気をつけながら背後に軽く振り返れば、さっきは笑っていたアーサーが今は若干白い顔を向けてきた。とうとう笑えない状況までお見通しにされてしまっている。
心配してくれるアーサーに苦笑で返し、高等部に入った私達はそこでとうとうファーナム兄弟とも別れた。
二人が向かうのはこの階にいるお姉様の教室、そして私達が向かうのは一階の専用教室だ。
また明日、と声を掛け合いながら分かれた二人は、気が付けばもういつもの調子に戻っていてほっとした。アムレットも小さな声で「良かったね」と言ってくれ、なんだか背中から荷物が一つ降りたような気持ちになる。……これから、最重量級試練が待ってはいるのだけれど。
「ンじゃあ俺らは廊下に待ってますから。……えと。ジャンヌを、宜しくお願いします」
被服室に辿り着き、扉の横で一歩引いたアーサーが一度唇を結んだ後にアムレットへ頭をぺこりと下げた。
なんだか死出へと見送られるような気分に、本当に心配をかけてしまったなと逆に私の方の気が緩む。女子生徒のみの補習授業に男子であるアーサーとステイルは同席できない。まさか二度も二人を私の補習で待たせてしまうなんて、と思うけれどこうするしかない。
ごめんなさいね、とアーサーとそして彼の背後に微妙に隠れているステイルに謝ってから、私達は被服室の扉に手をかけた。
教室と違って、窓のついていない扉を前にうっかり先生が不在だったらなと往生際悪く願ってしまう。ガチャリと扉を押し開ければ、当然ながら一人の講師がそこに待っていた。
「待っていたわ、今日は宜しくね。…………あら?」
入って速効で扉を閉めた私に、優しく迎える声が掛けられる。
宜しくお願いしますと挨拶するアムレットに遅れて向き直れば、教師用の椅子から腰を上げた先生はきょとんとした顔で私を見ていた。心の中で絶叫の悲鳴を上げながら、笑顔が強張りそうになる私に一歩歩み寄ってくる。
万が一にも扉の外にこの先の会話を聞かれたら困る!と私は敢えてこちらから距離を詰めるべく慌てて先生の方へ駆け寄った。ご無沙汰しています!と声を抑えながら思い切り頭を下げれば、先生も「やっぱり」と柔らかな声で返してくれた。
「貴方だったの。なら自己紹介は不要ね」
どうぞ座って、とにこやかに先生が空きしかない席へ促してくれる。
見れば私とアムレット以外補習の生徒もいないらしい。……つまりこの近日で補習になった生徒二名だけの為に、わざわざ放課後まで残ってくれたということだ。私が無駄に逃亡した所為で二度目の時間外労働本当にごめんなさい。
心の中で謝りながら、促されるままに窓際の最前席に私達は並んで腰を下ろす。
必要な布や裁縫道具を先生が私達の机に置きながら「時間はあるから心配しないでね」と笑ってくれる。するとさっきまで不思議そうに私と先生を見比べていたアムレットが、「ねぇ」と私に顔を近付けてきた。
「ジャンヌ、先生とも知り合いなの?」
当然の疑問に、私は思わず言葉に詰まる。
そう、私はこの先生と知り合いだ。選択授業を受けるのは今日が初めてだけれど、面識だけはしっかりある。しかも〝ジャンヌ〟として。何故ならば
『はい。もう平気よ』
「この前はスカートに刺繍をさせてくれてありがとうジャンヌ。すごく楽しかったわ」
ふふっ、と敢えて誤魔化すように言ってくれたネル先生に、私も引き攣りそうな笑みで返した。
以前のスカートビリビリ事件で助けてくれた心優しい裁縫の授業講師。まさか調理の先生に続いてこんな優しくて素敵な先生まで二度もご迷惑と壮絶なサプライズを提供することになるなんてと、私は早くも落ち込みたくなった。
まさか私の方が凄まじくサプライズされることになるなんて、思いもせずに。
Ⅱ86




