Ⅱ269.頤使少女は向かう。
「それでは、本日の授業はこれで終了になります」
教師からのいつもの号令を合図に、生徒達がバラバラと立ち上がる。
私もこの後のことを考えればすぐにでも立ち上がるべきだったのだけれど、……腰が重すぎて動けない。ぴったりと椅子と身体が同化してしまったようだった。今も机の前に手を置いたまま茫然と置物のように、目の間で立ち去っていく生徒達を視界の中で眺める気力しかない。
原因は色々ある。その一つが、今も彼らから受ける視線だ。
いつものように帰りながらもチラリと目が私へ一瞬だけ配られたり、一緒に校門までと誘ってくれた子達も恐らく気まずさからか一定距離から私達の様子を窺った後じわじわ遠のいて最終的には去って行く。腫れ物に触るような視線に地味にがっつり傷つく。
四限前に、なんとも情けない上に曖昧な返答しかできなかったお騒がせ同級生に対して、あまりにも正直な対応だとこっそり落ち込んでしまう。
レイが教室で横暴の限りを尽くした上に、庶民である私とのスキャンダルを仄めかして口止めまでしてくれちゃったものだから、結局彼らを無駄に騒がせるだけになってしまった。
あそこまで騒ぎを起こしておいて結局中途半端な答えしか出さなかったら、いっそ嫌われても当然だと思う。前世だったらSNSで叩かれるパターンだ。最悪の場合、彼らの目には「え~、実は貴族様とお付き合いして……ごめんやっぱ言えない~!」みたいな自己顕示欲たっぷりの嫌な女子に映った可能性すらある。
でも本当に否定したくても言えなかったし、ついでに最後の質問に関しては本気で気まずさしかなかった。そう思うと、もうこのまま残りの二週間は灰色学生ライフで諦めるしかないのかなとまで思えてしまう。せめて今も私の両隣で同じく座ったまま動かないステイルとアーサーが同級生として居てくれたのが救いだ。地味な学生生活は前世でプロ級だけれど、完全ぼっち生活は流石に寂しい。
一時期はあんなにくっついてくれた女の子達も、今は遠巻きに去って行っちゃったしなんだか本気でやらかした感が強い。
四限前にも去り際に「ごめんね」とは言ってくれた子もいたけれど、それだけ気まずさを味わわせてしまったことも辛い。完全にあの場を盛り下げた私への優しさだ。
どうにもああいう話題になると、王族として以外の切り返しが上手く出てこない。社交界だったら全部「そんな機会もあれば素敵ですね」「ごめんなさい、そういうお話はまたの機会に」「お世辞でも嬉しいわ」と流せたのに、学校生活としてだとどうにも全部が不相応この上ない返事になっちゃうし……
「ジャンヌ、大丈夫⁇体調でも悪い?」
……第二天使が。
季節風が吹いたかのような透き通った声に、もう視界に入る前から誰かを理解する。
遅れて声のしたように少し視線を上げれば、鞄を持ったアムレットが心配そうに私達の方へ駆け寄ってくれていた。なんだかティアラを思い出す善意百パーセントの柔らかな表情にそれだけでほっとしてしまう。
アーサーが合わせるようにガタンと椅子を引いて立ち上がったかと思えば、私達のリュックを纏めて持ち何気なくステイルとアムレットの壁になってくれた。基本的には私の護衛をしてくれるアーサーだけれど、対アムレットに関してはステイルを優先して守ってくれるのが、事情を知る今は少し微笑ましい。
大丈夫よ、とちょっと力なくでも笑い返せば、アムレットは「本当に??」と言いながら私の前に立った。
「さっきは助けてあげられなくてごめんね。流石に人が多すぎて……、ジャンヌもあんなこと聞かれても困るよね。あのレイって人の言ったことが本当でも嘘でも、ジャンヌ個人の問題なんだから答える必要も全然ないから気に病まないで」
ジャンヌは悪くないから、と言って両手でぎゅっと私の手を握ってくれるアムレットにうっかり泣きたくなる。なんだかティアラに続いて、アムレットにも攻略されてしまうのではないかと思ってしまう。本当にキミヒカ主人公は天使過ぎる。
ティアラが理想の妹だったら、アムレットは理想の女友達といったところだろうか。ついさっきクラスの子達の前でもともと大してなかった筈の株を見事に大暴落させてしまった後だから一際沁みる。ありがとう、と言いながら自然に笑みも零れた。本当に自然体で話してくれるのってありがたい。
「私こそごめんなさいね、アムレット。レイが本当に失礼な言動ばかりで。勉強会だって結局全然進められなくて……」
「大丈夫!勉強は私達がジャンヌに教えて貰ってる側なんだし、あのレイって人も態度は悪いけどジャンヌが庇うならきっとどこか良いところもあるんだって信じてる」
ほんっっっっっとに良い子過ぎるアムレット‼︎
ニコッと明るく笑うアムレットに、堪らず私からも手をぎゅっと握り返す。私だけでなくあんなに失礼千万なレイのことまで嫌わないでいてくれるなんて!流石ゲームでも俺様且つ傍若無人なレイを矯正するのみならず攻略しただけあると本気で思う。今も私の恋人とかどうかも決めつけずにただ信頼だけを言葉にしてくれることが嬉し過ぎる。どうしよう、あと数週間で完全断絶とか泣くかもしれない。
「それより本当に体調平気?気分とか……」
「ええ、本当に大丈夫よ。心配してくれてありがとう。アムレットのお陰で元気いっぱいだわ!」
じわわわと感動し続ける中、アムレットはもう一度私の顔を覗き込む。
本当にゲームの主人公とか関係なく、こんな良い子と友達になれて良かったなと思う。他の子達とはちょっと距離が空いてしまったのは残念だけれど、特に被害を被った一人であるアムレットがこうして接してくれるのが嬉しい。レイの誤解を解けるようになったらアムレットにもしっかりと改めて謝ってお礼を言いたい。
彼女にこれ以上心配させないようにと心から力いっぱい笑って見せれば、アムレットは「良かった」と胸を撫で下ろし
「じゃあ、この後の補習も一緒に受けられるね!」
…………天使に、一瞬だけ黒い羽根が見えた。
いや、アムレットは本気で悪気もないし優しさしかないのはわかっているのだけれども。けれど、天然でアムレットに王手をかけられた感がズドンと後から効いてきた。今更ながらこのまま体調不良ということにして完全逃亡してしまえば良かったと本当の悪魔が囁いた。けれど目の前の天使を置いて逃げるなんて絶対できない。
思わず正直に笑顔のままガチンと固まってしまう私に、視界の隅でアーサーがフッと顔を背けて肩を震わした。絶対笑ってる。
アーサーにはもう私が授業を受けたくなさ過ぎて逃亡したのはバレている。ここまで来て二度目のずる休みなんてできるわけもない。ソウネ、イキマショウカと枯れそうな声で言いながらアムレットに笑い返す。とうとう私も席を立てば、アムレットに並ばれるまま裁縫執行場へと足を進めることになる。
ステイルも合わせるように席から音もなく立ち上がる。アムレットと並んで歩く私の背後に続く形でアーサーと一緒に付いて来てくれた。僅かに歩速を調節してアーサーを壁にアムレットから見えにくい位置を死守しているのがわかる。「ジャンヌと一緒で嬉しい」と笑ってくれるアムレットは、全くステイルの動きには気付いていない様子だ。
開けっ放しにされた扉を潜って教室を後にしようとした、その時だった。
「ジャンヌ!」
「遅過ぎ」
同じ声で違う台詞が二つ、同時に真横から投げられた。
熱量すら違う言葉に振り返れば、次の瞬間には突進かと思う勢いで片方が私に飛びついてきた。思わず声が出そうになったけれど、相手が相手だっただけに私もすぐに彼を両手で受け止めた。
むぎゅぅう!と締め付けられながらも、背後には転ばずに済んだことにほっとする。あやうくアムレットまで巻き込むところだった。
「ディオス、それにクロイまで。お姉様を迎えには……」
「だってジャンヌがいつまで経っても廊下に出てこないし‼︎昼休みはセドリック様と一緒だから会えなかったし‼︎三限の後は移動教室で……」
「ディオス。ジャンヌに抱きつくのやめなってば。あの性格悪い貴族に見つかったら面倒になるでしょ」
あーもー、と面倒そうにクロイがディオスの肩を掴んで引き離す。
一瞬だけ抵抗するように私を掴む腕に力を込めたディオスだけれど、すぐに引っ張られるまま身を引いた。表情筋に力が籠もったまま私を見つめ返してきた顔は、若干泣きそうだった。唇
をぎゅっと絞ったままのディオスがどうしてそんな顔をしているのかは考えるまでもなかった。
……うん、本当ごめんなさい。




