そして言い切る。
「あとは人身売買にも探りをいれさせた。といってもリストすら手に入らなかったがな」
「……言っておきますけど、人身売買は関わった時点で違法ですからね」
リストも見つからなかったという台詞に心の底からほっとしながらも彼を嗜める。
さらっと犯罪歴手前を語られて頭を抱えたくなる。人身売買が禁じられている我が国では、本来業者にならなくても〝市場〟に出入したり商品リストを売り買いするだけでも、本人に奴隷を売買する意思さえ確認されれば罪に問われる。ここで彼がリストを持っていたらその時点でまた彼の罪状が増える。……我が国の優秀な宰相も大昔は色々やらかしていた案件でもある。レイがリストだけでも欲しがる理由も無理もないことだとは思うけれども。
「それくらいのことにこの俺様が躊躇うか。奴さえ見つけられれば後はどうでも良い」
いまだって全く注意してもレイに反省の色はない。ライアーを見つけ出すためならそれくらいは躊躇わない子だもの。
この後、実際にライアーをみつけた後に彼へ待っている処罰も本当に気にしないんだろうなぁと思う。もっと自分を大切にして欲しい。それにもし見つかったとしてもライアーは……、いや。それは今考えることじゃない。どちらにせよ、彼はそれでも会わないと何も始まらないのだから。
「……今後は下級層だけでなく中級層の方にも探りを入れた方が良いと思います。中級層とはいっても、下級層に近いくらい貧しい地区はあるもの」
「?中級層に……下級層が混ざっているということか」
「中級層は最も貧富の差が激しい。お前の実家のような下級貴族から下級層と変わらないようなその日暮らしの者もいる。貴族なのにそれ程度も知らないのですか?信じられませんね」
フン、とパンを最初に食べ切ったばかりのステイルが嫌味を込めてレイに訂正する。
若干冷ややかを込めて侮蔑の目を向けるステイルに初めてレイも眉を釣り上げた。二人の表情を見比べながら私も思わず苦笑いしてしまう。中級層のちょうど中間にあたるアーサーやパウエルも、教師に習わずとも勿論そのくらいのことは知っているだろう。今もステイルへ同意するようにレイへ頷いて見せていた。
まぁ、レイが中間というものを知らないのは色々と無理もない。彼も彼である種の世間知らずだ。きっと下級層は貧乏、中級層は庶民や下級貴族、上級層は上級貴族くらいに考えていたのだろう。
流石に目から鱗だったのか、ステイルの嫌味へ返す暇もないくらいに小さく俯いたレイは一度垂れた髪をかけ直すと、一人で視線を沈め考え始めた。中級層……その日ぐらし……と、どうやら少しは私達も早々に役に立てたらし
「おーーーっとぉ?本当にまだ捕まっていなかったぜ」
……安心できたのも、本っ当束の間だった。
あまりにも一瞬だった、と。溜息を吐きたくなりながら私は声のした方向へ振り返る。見れば、高等部らしき生徒が三人ニヤニヤと笑って扉の向こうから私達を覗いていた。
素早く一瞬でアーサーとステイルが私を守るように身構えてくれる中、彼らの目的は当然ながらレイだろう。
「てっきり昨日の今日で城下からとんずらしちまったと思ったが、朝からおめおめと来るとはなぁ」
「国の手が届いてねぇとはいえ、やっぱお貴族サマってのは楽観的らしいな」
「なぁレイ様。そんなに余裕なら俺らの給料も払ってくれよ」
下品な笑みを浮かべながら、一歩一歩教室に入ってくる彼らは恐らくレイに雇われて高等部に所属していた裏稼業だろう。生徒でなければ守衛の騎士が見落とすとも思えない。
「……お前らには毎回前払いしてやった筈だ」
「それだけじゃ足りねぇって言ってんだ」
まぁ……裏稼業といえば彼ららしい言い分だ。
昨日ハリソン副隊長が捕まえてくれた輩もそうだけれど、一度逃げたくらいで諦める人ばかりじゃない。搾り取れるところからは搾り取り、甘い汁は枯れるまで啜るのが基本だ。大金を大盤振る舞いしていた未成年なんて格好の餌食だろう。
むしろ今の今まで現れなかったのが不思議なくらいだ。きっとすぐに強請で動くような人間は既にヴァルに追い出された後なのだろう。……つまり、今こうして偉そうに脅している彼らは今の今までヴァルにすら発見されなかったほど周囲を警戒しまくって〝何もしないで〟身を潜め続けていた人間だということだ。朝一番ではなく昼休みの、そして人の少ない今を狙っているところが本当に性格が表れているなぁと思う。
ピリッと、一瞬だけ刃物みたいな殺気に肩が上がる。
途端に私だけでなくレイのことも彼らの視界から背中に隠すようにアーサーが立った。括った三つ編みを背中に払い背筋を伸ばす。けれどレイは、守ろうとするアーサーも目障りと言わんばかりに歩き出し「退け」と肩をぶつけながら更に前に出た。
ちょっと⁈と、私も思わず立ち上がりレイの背後に駆け寄れば、並ぶ前にそこから先はステイルに腕で阻まれ止められる。
「出て行け。消炭にされたくなければな」
「良いのかぁ?そんなこと言って。没落貴族サマが〝ライアー〟を探してるって町中にバラしても良いんだぜ」
ボワッ!と次の瞬間、レイの足元が燃えた。
一瞬黒い炎が上がったと思えば、そこからは床に燃え広がり出していく。驚いたアーサーが慌てて踏んで火を消そうとしてくれる中、レイの背中から覚えのある殺気まで滲んでくる。
にやつきをやめない男達と違い、パウエルから小さく「特殊能力……⁈」と驚くような声が聞こえてくる。まずい!と怒りを露わにするレイへ、ステイルの阻む腕ごと反射的に前のめりになって喉を張る。
「落ち着いてレイ!貴方が隠していた理由は何だったか思い出してみて!」
レイは、ライアーを探していることは知られたくない。
だから裏稼業や取り巻きにも秘密裏に探すようにと命じていた。だからライアーを探していることを知っていた私達を脅しもした。
けれどそれは、アンカーソンに知られたくなかったからだ。今はもうその脅威は良かれ悪かれ去った。たとえレイがライアーを探していることを知られても、何らライアーを脅かすことにはならない。……けれど。
「こいつらがどういう手で探すか考えるだけ無駄だ……‼︎」
こんな言葉では誤魔化せない。一時的な気休めでも良いからと言ってみたけれど、やっぱりだめだ。彼が怖いのはアンカーソンだけじゃない。
警戒という意味では彼は正しい。けれど彼はそれ以上過敏と言って良いほどに裏稼業を恐れている。
確かに貴族がライアーを探してるなんて、噂が変に撒かれたらそれこそどういう風にライヤーが捕まえられるかもわからないしどんな扱いを受けるかだってわからない。彼が恐れる通り人質も交換条件もあり得る。
底から揺れるように唸るレイは、そこでまた足元をボワリと燃やした。特別教室の上等な床にまた焦げ目がつく。
「なんだぁ?テメェの女か?」
「ガキに興味ねぇ。ジャンヌ、お前は引っ込んでろ」
きっぱりと切り落とされた言葉に、私は口を結ぶ。
今のは、……私を庇ってくれた言葉でもある。確実にここでまたふざけて「俺の女だ」なんて言ったら標的が私に変わることもわかってくれている。例え九割九分〝ガキに興味無し〟発言が彼の本音であろうとも。
「おっと?俺達に何かしてみろ。こっちの方が早いか試してみるか?」
そう言って、男の一人が銃を出す。
躊躇いなくそれをレイに向ければ今度は足元だけでなく彼の周囲にまで黒い炎が上がりだした。彼らは脅しているつもりでも、レイには火に油を注いでいるだけだ。
今度こそ捕まるわよ⁈と叫びたいところを唇を結んで堪える。そんなことを言ったら唯一の切り札である特殊能力を敵の前で殺すだけだ。アンカーソンの後ろ盾がなくなった今、レイを守るのは脅威的な特殊能力だけ、……
…………だけ?
「……レイ」
ステイルが阻む腕から、アーサーが庇ってくれる背中の隙間から。前のめりに私は腕を伸ばす。
私の声では一目もくれなかったけれど、両手で思い切って彼の手をつかめば流石にこちらへ振り返った。黒炎を放とうとする身体は、既に防火性の布に熱を持たせていた。防火性だって特殊能力でも込められてなければ燃えないわけじゃない。
黒い炎に周囲が巻かれる中、その中心にいる彼を引っ張り込む。非力な腕では引き寄せることまではできなかったけれど、彼の重心を傾ける程度はできた。男達に向かおうとしていたレイが背後へ上体から傾いたことで相手の銃を構える手の照準が緩んだ瞬間
「銃を‼︎」
アーサーへ向け叫び、同時に飛び跳ねる。
十四歳のステイル、アーサー、そしてレイの頭上を飛び越えたところでアーサーも動き出していた。
私が跳ねた先の天井へぶつかる前に体勢を変え、最頂点から落下を始めると同時にアーサーが素早く男達の懐に潜る。次の瞬間には素手で銃を腕ごと叩き落とした。
私も男達の背後へ着地するより先に三人のうちの一人の後頭部に蹴りを入れる。そして床につくと同時に、背後を取った男の腕を関節技で捻りあげた。
グギィッと筋肉と骨の軋む音に男が反応して声を上げた時には、私が後頭部を蹴り飛ばした男の腹へアーサーが拳を減り込ませた後だった。こちらは声もなく、全身で床に音を立てて倒れた。
見通しが良くなった状態で私も捻り上げた男の背中から覗かせ他を確認すれば、銃を叩き落とされた男も既に無力化された後だった。流石はアーサー。
「ジャンヌ。そういうことは、…………ジャックに、任せてください……」
ハァ……、とステイルの力ない声と溜息が聞こえる。
俺達、と言いたいところをパウエルとレイの前で隠してくれる。私が関節で締め上げたままの男が首を痙攣させるようにして私へ振り返った。顔中の筋肉に力を入れて「なんだこいつ」とぎこちない声で呟く。けれどその目が私を捉えきるより前に、アーサーが鳩尾へ拳一つで無力化してくれた。
取り敢えず脅威がなくなったことを確認してから、私はステイルとアーサーに笑みを向け「ごめんなさい」と先ずは謝る。
「けれど、ちゃんと銃はジャックに任せたから」
「いえ‼︎三人ぐらい俺一人で大丈夫ですから‼︎‼︎」
私の言い訳に全力で抗議するアーサーに「そうね」と言いながら肩を竦ませてしまう。
アーサーなら確かに三人くらい余裕だっただろうけれど、私が注意を引き付けている間に銃をお願いすればすぐに片付けてくれると思った。もし万が一それでも倒しきれなかったらハリソン副隊長もステイルもいる。何より、彼ら三人を倒すことよりも今は……
「お前は……どこのバケモンだ?」
レイを止めることの方が先決だった。
二人に笑いかけた後、呼びかける呟きの方へ振り向けば瞬きを忘れて瑠璃色の目を見開くレイが居た。ステイルの隣に立っていたパウエルと同じ表情だ。一体何が起こったのかもわからないという顔をしている。
無理もない、戦闘に慣れてない人がみたらほんの数秒の出来事を把握するのは難しい。
化け物呼びされるのも懐かしいなと思いながら、私は敢えて表情を殺して彼を見返す。さっきまで私達を見下していた人とは思えない驚愕一色の眼差しがそこにはあった。
「ただの山育ちで庶民の〝ガキ〟よ?」
山育ちなのは言わなかったかしら、と軽く嫌味も混えてしらばっくれる。
足元に倒れ伏す男達の前で、真正面に彼と目を合わす。男達の隙間から足場を選び、もう一度レイへ歩み寄る。さっきまで踏ん反り返っていた彼が、半歩だけ足を背後に下げた。
彼が〝ジャンヌ〟をどう言おうと勝手だけれど、〝私〟として最低限の矜恃は示させて貰う。
「私はちゃんと貴方の力になれます。貴方が特殊能力を使わなくても、それでも問題を解決してあげられるくらいの力に」
それをちゃんと見せたかった。彼に怒りを買わない方法で。
教師か守衛、もしくは騎士を呼んできてくれるかというステイルの言葉に、パウエルが勢い良く教室を飛び出していく。
突然目の前で起きたことに怒りが消えたのか、気がつけばレイを取り巻いていた黒い炎も消えている。焦げ跡以外は炎の一つもない。
「勿論貴方の仰るように私は十四歳の〝ガキ〟ですけれど、権力と特殊能力にしか頼れない以上は貴方も十五歳の子どもに変わりはないわ。人を見下し貶して、それで自分が上に立てたと錯覚するのもね」
ゴクリと彼の逸らした喉が上下した。
単なる小娘と思った相手が突然暴力を振るったのを目の当たりにしたら引くのも当然だ。しかも倒した相手は裏稼業。ラスボスチートがなければ普通はあり得ない現象だもの。
大人しく黙るレイは、逆上する様子はない。なら、残すはこれだけは言わせて貰おう。
「それと」と言葉を切れば、早々に「騎士様こっちです!」とパウエルの声が聞こえてきた。きっと様子を見ていたハリソン副隊長が先回りしてわざと合流してくれたのだろう。騒ぎを聞き付けて、他の教室から貴族であろう生徒の声や足音まで聞こえてくる。
もう時間もない。それを時計をみる前から理解しながら、私ははっきりと彼へと言い放つ。
「本当の〝恋人〟なら、私より心も身体も弱い男は願い下げよ」
レイの目が限界まで痙攣するように見開かれた直後、試合終了のように昼休み終了を知らせるゴングが天から降り注いだ。




