Ⅱ31.支配少女は踏み出す。
おはよう。と、声を掛けられた。
中等部の昇降口を潜れば、昨日の男の子達が最初に声を掛けてくれた。
数人が纏まって現れたから不思議に思えば、彼らはもともと近所の友人同士だったらしい。おはよう、今日も宜しくねと声を掛けながら教室までの階段を登る。他にも同じクラスの女の子がいたので話しかけ……ようとして、できなかった。
侍女や城下の民にはできるのに、クラスの子だと思うと変に前世と被って緊張してしまう。地味に生きてきた前世の学生生活では当然ながら仲の良い子以外に話しかけるなんて必要以外絶対にやらなかったもの。
顔が笑顔のまま強張り、息が止まった間に女の子達はスタスタと去ってしまった。偶然振り返ってくれた子も何人かいたけれど、彼女らの視界に入ったのは私ではなく美形クラスメイトのステイルとアーサーだ。……うん、二人の前では当然ながら私の存在が霞むのはもう仕方がない。
少なくとも彼らの親戚ポジションで嫉妬されて嫌われて囲まれて「アンタちょっと馴れ馴れし過ぎるんじゃない?」と言われるルートよりは、空気扱いの今の方がずっと良い。
ステイルとアーサーも知り合った子以外には自分から話しかける気はないらしく、そのまま昨日の男子グループと一緒に教室まで向かった。
ステイルは「社交界でもないのに必要以上愛想を振り撒く必要はありませんから」だし、アーサーは「一ヶ月後には居なくなりますし、変に印象つけンのも……」ということだった。わりと二人ともサバサバしてる。
昨日、ステイルがジルベール宰相も巻き込んで母上に直談判してくれた結果、ひと月後までに私が無事予知の詳細を思い出したらその後は王女の極秘視察として私が訪れたことを騎士団にも事後報告として知らされることになった。
といっても知らせるのはあくまで〝極秘視察の為に近衛騎士達が極秘に護衛していました〟という事実だけだ。これで無事、アラン隊長達の冤罪も晴れる。許可を得てステイルも満足そうに笑っていた。……ジルベール宰相に「いやはや、ステイル様がアーサー殿以外の騎士の為にもここまで動くとは」と満面の笑みで喜ばれた時は凄く不機嫌この上なかったけれど。
でも私も正直、ステイルが近衛騎士達をここまで気遣ってくれたのは嬉しかった。ステイルのことだし、ジルベール宰相に怒ったのも半分は照れ隠しだろう。
こうしてサバサバ組三人の私達は、一度教室にまで辿り着く。教室に入った時も知り合った子達とは挨拶を交わしたけれど、それ以外の子達とはやはり無い。こういう時、コミュ力最強のティアラだったら分け隔てなく物怖じせずに「おはようございますっ」と笑顔でクラスの子達に言えたのだろうけれ
「おはよう、ジャンヌ。おはよう、ジャック。おはよう、バーナーズ。おはよう、ビル。おはよう、ポワソン。おはよう、ボブ」
……アムレット。
流石主人公。登校と同時にさらっと私達にまで挨拶をしてくれた。
おはよう、と反射的に挨拶を返しながら振り返れば、にっこりと春風のようなさわやかな笑顔が返された。もう既に存在が眩しい。胡桃色のショートヘアと朱色の瞳が目の前を横切るだけで輝いて見えた。
ステイルが生返事だけ返し、こそっと一歩下がった。同時にアーサーがアムレットからステイルを隠すように何気なく前に出る。私はまだ知らされてないけれど、ステイルのことだしアーサーにはアムレットのこととかを話したのだろうか。疎外感が少し寂しい。
するとアーサーが逸らすように「取り敢えず」と私と背後のステイルに言葉を掛けてくれた。
「まだ時間もありますし、どっかのクラスでも覗いて見ますか?」
探しに、と。言わずともアーサーが言おうとしてくれてる言葉がわかった私達は同時に頷く。
もともと予知の調査の為に学校中を捜索する予定だ。その為にも近くのクラスから確認しないと。まだ生徒名簿がない今、足で探すしかない。
昨日、ジルベール宰相に事情を話してクロイ達の生徒名簿を見せて貰おうと思ったけれど、まだ城には届いていなかった。本来なら昨日出欠確認した時点で、その日中に学校から届いても良い筈なのに。一応ジルベール宰相が再度提出を促すように使者を出してくれたから、近々手に入る筈ではある。……そして、初日からそんなミスが起こった理由を考えると、少しだけ嫌な予感もする。ファーナム姉弟と一緒に思い出せた彼であればそれぐらいはやらかしかねない。そしてできることなら単なる学校側の初日稼働によるうっかりミスであって欲しい。
……まぁどちらにせよ、第三作目以外のキャラなんて名前を見たところで思い出せる自信はないけれども。
昨日と同じ机の場所に鞄を置き、再び私達は廊下へ向かう。
席は別に自由だし固定でもないけれど、殆ど皆登校してきた子は昨日と同じ席に座っている。授業意欲満々の彼らには、最後尾の隅席は幸いにも不人気なのがありがたい。前世の学校ではありえないことだ。
一緒に教室に入った男子組が何処に行くのかと尋ねてきたけれど、ステイルが上手く誤魔化してくれた。行きましょうと私からも二人を誘い、私達は廊下に出る。
念の為、窓の外を眺めたけれど今回は屋上には誰も上がっていなかった。命令通り、施錠された屋上にはもう上がっていないと胸の中だけでほっとする。昨日も色々指定したし、ちゃんと教師を困らせず平穏に過ごしてくれていれば良いのだけれど。
階段に遠い、奥側のクラスである五組から確認する。別クラスに入っちゃいけないとかの決まりもないし、教室の扉からそのまま生徒に紛れて入らせてもらう。まだ一限まで時間はあるけれど、二日目だからかこちらの教室にもわりと生徒が埋まっている。
やっぱりステイルやアーサーが目立つのか、結構男女共に振り返ってはきたけれど、敢えて気付かない振りをして教室を見回した。そして
「!ジャンヌ、あそこに」
最初に、アーサーが見つけた。
言葉と同時に指で示してくれた先にちらりと見覚えのある白髪の後頭部が見える。私達が入った教室の扉から見て一番奥の席、最前列の窓際だ。ここから私だと爪先立ちしないと生徒の影で見えないのに、流石は高身長アーサー。
彼を確認し終えた私達は互いに目配せし合い、早速歩み寄る。もうクラスは見つけたから第一目標は叶ったけれど、予鈴が鳴る前に時間はあるしこのまま接触してしまおう。
隅にいる彼は、誰とも話そうとする素振りもなかった。頰杖をついて窓の外を眺め、ぼんやりしているのかこちらが近づいていることにも気付かない。小さく隙間程度に開いた窓から差し込む風が彼の白髪を数本撫でた。
可愛らしい二本のヘアピンに止められた前髪だけは煽られずに止まったままだ。こうやってみるとまるで人形のような顔だなと思う。
若葉色の瞳が宝石のようで、切り揃えられた白髪と中性的な顔立ちがゲームより幼いから余計にそう思えてしまう。本でも読んでいたら絵に描いたような文学少年だろう。
学校では教科書は授業ごとに貸出制の為、今彼の手元には一冊も本はない。それでも彼が纏う空気がそこだけ別世界のように閉ざされている気がした。まるで深海のようだ。
「……クロイ」
水底へ泡を放つように言葉を掛ける。
ぽわんと呆けた彼はすぐには反応しなかった。もうこんなすぐ傍にいるのに、無視ではなく本当に気付いていないらしい。
肩に触れようかとも思ったけれど、それより先にもう一度彼を呼ぶ。クロイ、と今度は至近距離にしては大きめの声で言えば彼は頰杖を突いたまま顔の角度だけ変えるようにして振り返った。温度のない眼差しが私達を捉る。
「………………」
呆けたように半開きの目はまるで寝起きのようだった。
寝不足なのか疲れているのか、頰杖を突いたまま私を眺める眼差しは無感情に近かった。
昔のステイルのように読めない無表情というよりも、本当に何とも思っていないような空っぽの表情だ。てっきり牙を剥かれるかと思って身構えていたから少しだけ拍子抜け、……ゲームと似た雰囲気を纏う姿に胸がざわついた。
「おはよう、クロイ。昨日の放課後のこと、覚えているかしら?」
一度口の中を飲み、冷静を意識して彼と目を合わす。
私の予想が間違っていなければ恐らく、と記憶に呼び掛けてみればさっきまで寝ぼけていたようなクロイの目がみるみる内に覚醒するかのように見開かれていった。
「…………君は」
緊張するように両肩が上がり、強く開いた目が固定されたまま顔ごと向けてくる。
白髪が揺れ、まだあどけない顔つきの少年は最後に身体ごと私達に向き直った。瞬きもしないまま私と、アーサー、そしてステイルを順々に確認した。眉を険しく寄せ、最後にまた一番前に立つ私を睨む。
「僕に、何の用?」
「警戒しなくて良いわ。今日は貴方に話があって来ただけだから」
「僕は話なんかないけど。頭のおかしな奴が僕や姉さんに近付かないでくれない?」
「おかしくなってきているのは貴方達の方でしょう?」
ガタン、と。
棘を刺す彼の言葉に挑発を返せば、分かりやすく彼は席から立ち上がった。
不快と敵意に全身を満たし、私から目を離さない。食い縛った口から雪のように白い歯がギリッと鳴った。
何……?と敵意が湯気のように湧き立つ。合わせるようにステイルやアーサーが私を守るように身構えた。
……何だか、本当にベタな悪役みたいだ。元ラスボスの私は仕方がないけれど、次期摂政と聖騎士まで格下取り巻きポジションになってる気がして申し訳ない。ステイルもアーサーも本当はヒーロー側なのに。今回だって本当は、最初に昨日の失礼を謝りたかった。……けれど。
─ 今だけはこれでも良い。
「……自己紹介してなかったわね。私はジャンヌ、貴方と同じ中等部の二年生よ」
アーサーとステイルの覇気に押されてか、身を硬くする彼に私は敢えて落ち着かせた声で笑い掛ける。
表情を険しくし、不気味そうに私を睨んだ。口を固く閉ざして私よりもステイルとアーサーへ警戒しているように見える。当然だ、女性の私よりも男性の二人の方が強敵に決まってる。私を抜いても二対一。しかもアーサーには昨日振り上げた腕を止められている。
何か言いたそうに目だけでアーサーを睨むクロイは、まだ何も言わず、握っている拳を下ろしたまま私に振り上げようとする素振りもない。
「今日は貴方に良いお話を持ってきたの。……折角なら、学校生活しながら稼げたら素敵だと思わない?」
ぴくっ、と彼の両肩が飛び跳ねる。
目に見えた反応は、警戒というよりも何処か怯えているようだった。見開いた目の奥が震え、若葉色の瞳が丸く私を写す。首の後ろを擦って唇をぎゅっと結ぶ。
一言で断じたいけれど、それ以上に本当なら聞き逃せないとも思っているのだろう。彼らにとってお金を稼ぐことはとても大事なことなのだから。
喉を鳴らし、葛藤を露わにする彼に私は低めた声で撫でる。まだ彼らはゲームのようにはお金を稼いでいない。完全に校内での稼ぎはゼロだ。ならば、そこにこそ付け入る隙がある。
本来ならば彼らが辿るべき未来と紡ぐべき顛末を、私が別の形に変えれば良い。そうすることこそが、正体を隠したまま彼らを止める為の唯一の手段。なら、いっそ
─ 彼らの悪役に、私がなろう。
「興味、ない?」
彼らを救う為なら、恨まれたって構わない。




