Ⅱ262.頤使少女は同意する。
理事長子息レイ・カレンと従者ディオス・ファーナム。
ゲームではずっとクロイと呼ばれていた彼は、レイの従者だった。
ゲーム開始時は既にラスボスの従者同然に振る舞っていたディオスだけれど、元々はレイの従者だ。たとえ貴族でも従者を連れ歩くことを禁じられた学園で、アンカーソンが監視兼報告をさせる為にレイへつけることを課した年の近い従者。……といっても、ディオスがアンカーソンと絡む場面なんて皆無だけれど。
正確に言えば、どうしても生徒として潜り込める年齢の従者を付けることをアンカーソンがレイに条件付け、そこでレイが雇ったのがディオス達という形だっただろうか。同調の特殊能力で混ざってしまった二人は、ラスボスにもレイにも入れ替わっていることは気付かれずクロイという従者として働き続けた。
二人で交代だったかそれともどちらか一人だけなのか、片方は姉の介護を続け片方は従者として働いた。
たった一人分の稼ぎでも貴族からの給料は高く、姉を匿い養う為に環境の良い部屋をレイの権限で無償に借りられたことも大きかった。最初はレイの屋敷、そして開校後は学園寮になったとディオスルートで語られていた。本来なら生徒ではない双子の片割れやお姉様は寮に住めないけれど、レイの権限で寮でもラスボスの次に良い部屋を使っていた。
そんないい条件だったからこそ、ディオスもクロイもお姉様の為にレイの仕事を手放すわけにはいかなかった。……定期的にラスボスが上がり込んで、お姉様を玩具にしていびろうとも。お姉様を生かす為にはそれしかなかった。
それにディオスやクロイも「レイ様には感謝しているんだ」「お陰で僕らも姉さんも飢え死にせずに済んだ」とレイ個人のことも悪く思ってない様子だった。ラスボスのことは憎んでいたけれど、自分達をラスボスに差し出したことには恨み言の一つもなかった。
あれだけ現実でも裏稼業の人間をがっつり雇っていたレイだし、きっとゲームでもディオス達へのお給料はかなり弾んだのだろう。隠しキャラのディオスルートでもずっと、ラスボスへ学校の支配権譲渡しようとしていたレイについても「レイ様にはレイ様の事情があるんです」「ッあの女……‼︎ずっとレイ様を騙していたなんて……!」とやっぱり怒りを向けることはなかった。…………そんな、ディオスが。
「お前なんか大大大っ嫌いだ‼︎‼︎」
「語彙力を増やしてから出直せ」
ハハッ!と楽しげなレイの笑い声が響く。
顔を真っ赤にして怒るディオスを、レイはこの上ないと思えるほどの上機嫌で未だ煽っている。完全にディオスを馬鹿にしている。
兄の口を覆っていたクロイが、今は口の代わりに背後から羽交い締めにしている。口を塞いだ後に怒り出したディオスが今度は拳までレイに振ろうとしたからだ。
むがぁぁぁっ‼︎と塞がれた口で唸り、そして今は取り押さえられるディオスをそれはもう楽しそうにレイは眺めていた。同じ俺様キャラでも、絶対この子セドリックより性格悪い。
アムレットが立ち上がってディオスを傍で宥めてくれる中、私はもう頭が痛くなって片手で抱えてしまう。一体どうしてこうなったのかと、わかっている筈なのに思う。
正直、レイが背が年齢のわりに高い上に大人びた顔つきのせいで大学生が小学生をいじめているように見えてしまう。完全に前世だったらSNSにあげられて炎上だ。
ゲームでは主従関係だった二人が大喧嘩というだけでも凄まじいのに、さっきの二人の喧嘩始めを思い出すとまた記憶と現実がおかしくなる。
「そんなにこんな女を取られたのが悔しかったのか。女ごときで熱くなるなんてとんだガキだな。一体こんなののどこが良いんだか」
「全部に決まってるだろバカ‼︎大バカ‼︎バーーカ‼︎‼︎」
……また話の方向性が捻れていく。
とうとう私まで話題に巻き込まれる。レイのそんな悪役鉄板発言は良いからさっさとライアーについての相談を進めたい。何よりこれ以上ディオスを虐めないで欲しい。
女性蔑視にも聞こえる発言に、今度は主人公アムレットまでムッと唇を結んでいた。ぱっちりとした目がとんがっていく。
クロイだけが変わらず冷静、……というか若干うんざりとした顔でディオスを押さえている。
本当に三人をこんな風に巻き込むとは思わなかった。
「レイ。貴方はこの教室へ何しに来たのですか」
「今は威勢の良い駄犬の躾も悪くない」
なんだとぉ⁈とまたディオスが怒る。
この問題児、今だけはネイトもヴァルも上回る困ったさんだと確信する。いきいきと楽しそうな笑い顔で自分より弱い立場の相手を馬鹿にする彼が、たかだか十五歳程度の子どもにしっかり見えた。
完全に新しい玩具を見つけた横顔を睨みながら、ぼんやりと私は頭の中の違和感に思考を働かせる。
『たまには威勢の良い猫の躾も悪くないな』
ゲームのレイの台詞だ。
そして間違いなくそれはディオスに向けたものじゃない。……他にも子猫か子犬か小鳥か子リスか小熊か子うさぎか誰かに呼ばれていたような。
ライアー探しが最優先ではあるのは変わらないけれど、彼のこの性格もなんとか矯正できれば良いのに。ライアーが見つかったところで改善するかどうかもあまり自信がない。……なので。
ムギュゥゥゥウウッッ
「⁈だだだだだだ‼︎‼︎⁈」
つねる。
第一王女としては絶対にできない子どもへの折檻だ。私に向ける横顔の耳を力の限り引っ張りつねる。どうせ十四歳の私の力なんてたかが知れているけれど、それでも不意打ちには充分効果があった。
お貴族様の威厳とは程遠い声と、まさかの展開でもあろう光景にアムレットやクロイだけでなくお怒りだったディオスまで目が丸くなるのが視界の隅でわかる。
レイは反射のように偉そうに組んでいた両足を一瞬だけバタつかせた後、あっさりと力付くで手を掴み上げてきた。「なにしやがる⁈」と一気に目を鋭くさせる彼に、敢えて私は冷ややかな眼差しを向ける。
一歩間違えれば火ダルマだけれど、潜めるだけして彼に言う。
「友達になりたいならそう言えば?」
ピクッッと、わかりやすくレイの目が獣のように開く。
私の手を掴み上げたまま固まる彼は、唇を固く結んで私から目を離さない。仮面に隠された半分の顔からでも彼の顔色が変わったのがはっきりわかる。
私の腕を跡が残りそうなほどガッチリ握っていた手がゆっくりと緩められていく。見計らって反対の手で彼の手を掴み返せば、すんなりと下ろせられた。
待っていても良かったけれど、既にどこからか分からない殺気がこちらに向けられ出しているし早々に回避する。ハリソン副隊長我慢してくれてありがとう。
自由になった手で私は握られた手首を摩り、ディオスへと向き直る。
「ディオス本当にごめんなさいね。貴方は悪くないから、この人のことは放っておいて勉強頑張って」
レイに代わって二度目の謝罪で頭を下げる。
お仕置きをしましたと目の前で示したことも効果があったらしく、きょとんとしたまま目が丸いディオスは今クロイと同じ表情だ。「あ……うん」と弱い声で言ってくれれば、羽交い締めが解かれても熱は入らなかった。
アムレットがディオスの手を引いていつもの勉強をと誘えば、クロイも瞬きをしないままいつもの席に着いた。ディオスもクロイが動いたことで吊られるように歩き出す。
三人が取り敢えずは落ち着いてくれたことに胸を撫で下ろした私は、そこでもう一度レイへと振り返る。引っ張られた耳を押さえる余裕もなく呆けた顔の彼を一瞥してから、私は彼の向かいの席に腰を下ろした。
喧嘩の仲裁とディオスを虐めた罰とはいえちょっと意地の悪い手を使ったことは自覚するけど、これくらいは良いだろう。何より今のはどう見てもレイが悪い。
まぁ、ライアーを探していなければきっと今頃用無しの私か学校が炎上させられていただろうけれども。
……ほんっっとに。こんなんだからゲームでも友達いないのよ。
「それで。まだ続けますか?本題は二の次ですか?」
ハァ、と聞こえるくらいに大きめの溜息を吐いてから私はレイを正面から睨む。
心で悪態をついたせいか、勝手に強めな口調と早口になってしまったことを自覚しながらも今は気にしないことにする。レイも敢えて答えないまでも、ディオスへの興味が一度は収まったらしく足を再び私に向けて組み直した。
これはこれで一応は彼なりのちゃんと話を聞くという態度だろう。最後にフンと鼻息を鳴らした彼は、再び踏ん反り返るように偉そうに顎を上げて私を座ったまま見下ろした。
「それで、ちゃんと中身は確認したんだろうな?」
「しました。これで返事は二度目ですちゃんと聞いて下さい。それよりも先ず確認したいのですけれど、彼の力はどの程度ですか?」
「むかつくほどだ。んな話題をここに出すな。そんなことよりどうやって探すつもりかを話せ」
トゲのある嫌味で返したけれど、気にされずに返事が貰えた。
彼も彼で自分なりの本題を投げてくる。やっと本来の流れに戻れた。こんな風に他人を不快にするくらいなら、今朝の俺様態度で周りを圧迫する方がずっと良い。
「最後の頁に書いてくれた可能性も鑑みて捜索はしたいと思います。私達の親戚から騎士にも尋ねて貰って、あとはまた別の遠縁に……」
怒り口調になりながらそこまで言ったところで、……予鈴が鳴った。
せっかく話せると思ったのに、結局ほとんどまともに話せなかった。ディオス達も一門解く時間すらなかっただろう。広げたばかりのノートやペンを再び片付ける三人にすごく申し訳ない気分になる。
レイも流石に授業に遅刻してまで居座る気はないのか、私に続きを促すことなくそこで席から立ち上がった。
「昼休みにまた来る。次には本題に入れ」
誰の所為で進まなかったと思っているのか。
けれど鎮火した彼にこれ以上言う気にもなれず、低めた声でわかったわとだけ返す。眉間に皺が寄ってしまいそうなのを意識して伸ばす。
堂々と周囲の視線も気にせず私に背中を向けた時、不意に別方向から「ジャ、ジャンヌ!」と声が上げられた。顔ごと向けて見れば、席を立ったディオスが真剣とも取れる険しい表情を私に向けてきた。
もしかして二戦目か、もしくはレイの苦情だろうかと半ば覚悟しながら向き直る。声を僅かに吃らせ、ビッと伸ばした人差し指を私とは別に向けた彼はクロイの制止も聞かず声を荒げる。
「こっ、コイツとどういう関係なんだよ⁈なんでこんな奴と仲良くなって……もしかして、まさかっ……」
怒りを思い出したようにまた顔を赤くするディオスは、そこまで言うと続きが出ないように口をパクパクさせてしまった。
アムレットが半笑いでなんとも言えないようにディオスと私、そして指されたレイを見比べる中、クロイが呆れたように顔を顰めて息を吐いた。「ディオス」と強めに窘めるような声を掛け、背後から彼の肩を掴んだところで
「恋人だ」
…………は?
時が、止まった。感覚だけでなく、確実に教室中が息を飲んだ。
私の目が点になる中、ディオスにクロイ、アムレットまでも顎が外れていた。レイが何を言ってるのかわかるはずなのに理解できない。じわじわと何処からか出所のわからない場所から膨れ上がっている殺気の方がずっとわかりやすい。
どうして振り返り際のレイがニヤリと笑っているかの方がずっとわからない。……その意図以外は。
「よって野犬如きに吠えられる筋合いもねぇ」
髪を耳にかけ、フンッと楽しげに鼻で笑ったレイはそこまで言うとわざとらしく私と瑠璃色の目を合わせてきた。
バチリと意思を込めて合わせられた目が、「そうだな?」「口裏を合わせろ」と言っているのが嫌でもわかった。察しの良い自分を呪いたい。
これも協力させる条件に上乗せか!と思いながら、今だけは否定したい気持ちをぐっと堪えて取り敢えず唇をきつく結ぶ。ニヤリと勝気な笑みを向けてきたと思えば、レイは最後にまたディオスと目を合わせ、また笑んだ。……本っっっ当にこの子は。
「じゃあな、ジャンヌ。昼休みは俺様を待たせるなよ?」
もっと耳を剥がすくらいの勢いで引っ張っておけば良かった。
口をパクパクして金魚みたいになるディオスを尻目に、レイが悠々と教室から去っていく。教室中が凍りつく中、彼だけが自由に動いて廊下へと姿を消した。そして数秒後、……教室が阿鼻叫喚に包まれた。
キャァアアアアアアアアアッッ‼︎‼︎と、それはもうコウモリの大群と間違う叫びは中等部中に響いたかもしれない。
ジャンヌが⁈特別教室の⁈いつから⁈貴族と!と、口々の叫声に私は顔色を変えないようにするのが精一杯だった。笑えば良いのか平然と澄ませば良いのか怒っていいのかもわからない。敢えて言うなら窓から飛び降りたい。
「ちょっとジャンヌ‼︎今の本当なわけ⁈君も本当か嘘かくらい良いなよ!ディオスがこれじゃ使い物にならないでしょ‼︎」
「ジャンヌ⁈いつからっ、というか、本当だとしたらあの、バーナーズの二人は知ってるの……⁈」
パクパク金魚のディオスの肩を掴んで支えながらクロイが私に怒鳴り、アムレットが空気に当てられたのか顔色を僅かに紅潮させながら私を見ては何度も周囲へ目を泳がせる。
ここはもう先生が来るまでせめて発言を控えよう。昼休みにちゃんと彼を解いただそうと心に決める。叶うならば速やかに汚名返上したいのだけれど、……うん。
「……も、黙秘します……」
自分でも万引き現行犯のようなぽつぽつした声だったけれど、アムレット達にはなんとか届いた。
肩が勝手に強張り、騙しているような罪悪感で口の中を噛む。クロイがとにかく授業に遅れるからとディオスを引き摺り去ろうとする中、私は現実逃避するようにゲームのレイルートを思い出す。
『待って‼︎何なの貴方‼︎今のはどう考えても悪いのはそっちでしょ!』
『……まだこの学園にも骨のある奴がいたようだな。俺様が何者かを知った上で噛み付いてくる度胸がある女がいたとは』
『貴方が何者かなんて関係ないわよ!ちゃんと謝りなさい!』
アムレットのレイルート、冒頭。
学校で横暴に振る舞うレイに、真っ向から対峙する場面。俺様キャラ特有の〝他の奴らとは違う〟態度のアムレットに彼が興味を抱く第一歩。
この事件をきっかけに、俺様レイ様はそれはもうアムレットの行くところ行くところで彼女に構ってくる。まるでイジメの主犯格のように高いところで見下し暴言を吐いたと思えば、……逆にラスボスからの嫌がらせを受けそうになる彼女を人知れず庇ったりもする。そう、つまりは
気に入った相手ほどいじめたがる。
ほんっとに性格悪い。
本来であれば三年後のアムレットとの流れなのだけれど、今その標的がまさかのディオスにされてしまった。
そして、確実に今の〝恋人〟発言もその為の嫌がらせだ。ディオスの友達を俺様が奪ってやったぞという、嫌なマウンティングだ。
ゲームではアムレットが仲良くなったレイと城下へ降りた時、ラスボスに知られないようにお互い正体を隠していたところのイベントだ。レイが「恋人だ」とわざとその場でアムレットに恋人の振りをさせていた場面。口上は「あくまで恋人同士の方が自然だ」「学園の連中にも気付かれにくいだろ?」とかだっただろうか。尤もな理由だったけれど確実に本来の目的はアムレットを困らせることだけだった。
そして今は、……ディオスを怒らせる為に。
言ってしまえば、レイが気に入ったディオスをからかう為だけに、その場の思い付きで私が〝恋人〟の仮面を被せられた。
そして下手すれば、ライアーが見つかるまではこのままにされるんじゃないかと怖い。一緒に行動しやすいとかその方が自然とかまたそれらしい理由で。
彼は一度気に入った相手には極めてしつこい。ゲームでも、アムレットに嫌われても良いくらいしつこかった。見つけたライアーや従者のディオスとクロイにはそんなことしなかったくせに今世では初対面のディオス相手にこれだ。……という、今の私の心境を一言で言えば
「はぁあああああああああああああああああああああ⁈」
クロイにずるずると引き摺られて教室から消えていくディオスの怒声に、私は心の中だけで大きく頷いた。
間違いなく、それである。




