Ⅱ261.頤使少女は困る。
「ジャンヌ。レイについてですが、もし宜しければ俺とジャックで追い払います」
一限終了後。
教師が立ち去ってすぐにそう言ったステイルに思わずプライドは苦笑う。
これからステイルとアーサーはいつも通り移動教室になる。本来ならばこのまま向かわなければならないがレイが一限後にこの場へ訪れる。今朝の様子で考えれば、こちらの言い分を全く考慮せず俺様登場をするだろうと三人は誰もが理解できた。
ステイルだけでなく、同じくプライドの身を心配するアーサーも真剣な眼差しで頷いた。既にレイの危険性も理解した上、あそこまで無礼な態度の彼とプライド残すのは不安がある。
二人が心配してくれていることに感謝しながら、しかしプライドは首を横に振った。
「大丈夫よ、教室は出ないから。アムレット達も最近は勉強も私無しでもなんとかなるし、きっと何とかなるわ」
二人ならレイを力尽くも本気でできちゃいそうだけれど。そう思いながら断る。
折角以前より協力的になったレイは、ここで一度追い払っただけでも心を閉ざしかねない。何より、目の前の二人とレイで校内大戦争が行われても大変だと思う。
休み時間になればハリソンも何処かで護衛につく。レイも口は悪いが、あくまで協力させる姿勢を最低限ギリギリはみせてくれている。ならきっとこれ以上刺激しなければ安全だろうとプライドは考える。
彼女の笑みに、ステイルもアーサーもまだ心配が抜けきれず眉を寄せたが、それでも渋々頷いた。レイを無理やり追い払うなど取り扱いには重々注意しなければならないことは彼らもよくわかっている。それに今は別の要因も大きかった。
「……わかりました。ただし、決して教室から出ずにまたレイと二人きりにもならないように。何かあったら合図をして下さい」
良いですね?と強めに言い聞かせるステイルにプライドは二度頷いた。
アーサーもそれを確認すると、視線をチラリと別方向に向けた後、「行くぞ」と回収するようにステイルの肩を掴んだ。ぐいっ、と引っ張られプライドから僅かに視線が浮けば、ステイルも口の中を小さく噛んで廊下に足を動かした。視界の隅でアムレットがちょうど席を立ったところを確認する。
「ジャンヌ!今日も宜しくねっ」
背後から聞こえる明るい声に、ステイルは小さく息を吐く。
無事に関わらずに済んだことよりも、今は初めて彼女の存在に安堵した。プライドと彼女とのやり取りを耳だけで確認しながら廊下に出れば、ちょうど五組の方向から覚えのある二人組が歩いてきたところだった。
「セドリック様に四日も……なんて」
「ディオスそれもう五回目。いい加減仕方ないでしょ」
今までも遠目で確認することはあったが、ステイルもアーサーも大して気にしなかった。
しかし今回だけは視界に入った彼らへステイルは上半身ごと振り返り笑みを浮かべる。いつもは自分達に気付いても軽く手を振るだけで去っていく彼が、わざわざ振り返ったことにディオスもクロイも思わず足を止めかけた。
にっこりと笑みを作り、ヒラヒラと好意的に手を振ってから再び背中を向けてくるステイルに二人同時に肩が揺れた。ステイルの腹黒さこそ知らないが、勉強を教わるにあたって彼の底知れなさの片鱗には既に触れている。
顔を見合わせ、またステイル達を見れば今度はいつものようにアーサーがペコリと頭を下げた。ステイルと違いアーサーは彼らに気が付けば必ず背中を向ける前に挨拶を向けている。
クロイが軽く手を上げ、ディオスもブンブンと手を振る中、アーサーの意図がいつもと違うことには二人とも気付かない。
「……なァ、良いのか?あいつらに直接言わなくても」
「言っても言わなくても変わらないだろう。それに「ジャンヌに余計なことをしないように貴族を牽制しろ」なんて言ったところで困らせるだけだ。彼らも平民には変わらない」
彼らの意思を尊重する、とそう言い切るステイルはアーサーに目を配った。
一限後のプライドとアムレット、そしてディオスとクロイも加えた勉強会。
プライドがアムレットだけでなく彼らにも勉強を教えていたことは知っていたが、まさかこんなところで怪我の功名とは思わなかった。
あの双子もプライドに邪なことはしないと限らない。だが、それでもディオスはあくまで可愛い域、そしてクロイは問題なさそうだとステイルは思う。アムレットも含めて三人ともプライドの味方であることは間違いない。
少なくとも三人、プライドとレイのやり取りを見張ってくれる存在がいるのは心強い。更には最終手段にハリソンもちゃんといる。
絶対に何も起きさせはしない、と固い意志を決めながらステイルはアーサーと共に移動教室へと向かう。階段を降り始めたところで、「ジャンヌッ‼︎」と確実にディオスの方であろう元気な声が耳に届いた。
「ディオス、クロイ。ごめんなさい、今日は二人にも言っておかないといけないことがあるの」
教室に響く声で自分を呼んだディオスに、たった今アムレットへ断りをいれたばかりのプライドは座ったまま向き直る。
申し訳なさそうに眉を垂らす彼女に、二人は既に嫌な予感を感じ取った。
さっきのステイルの笑みを思い出せば、彼が主犯かとすら考えてしまう。アムレットもプライドと机を隔てた席で彼らに曖昧な笑みを浮かべるから余計にだ。
「なに。まさかもう勉強会は今日までとか?」
「えっ!なんで⁈もしかして何か僕ら悪いことした⁈」
クロイの言葉を真に受け顔色を変えるディオスが一気にその場で前のめりになる。
違う!違うから!と大慌てでプライドが首を振るが、二人とも眉が寄ったままだった。なら一体何なのさ、とあのステイルの笑みをジャンヌからの話を語られる前に関連づける。二人の早とちりにアムレットは苦笑しながらも「今日だけだよ」と柔らかくプライドへ助け船を出した。
今日だけ?と目が今度は丸くなる二人にプライドは早口で状況を説明す
「ジャンヌ。例の資料はもう読み終えたんだろうな?」
……遅かった。
顔を上げる前から、その声にプライドは一気に苦い顔になる。
ぎゅっと顔の筋肉を中央に寄せた後、恐る恐る覗くようにファーナム兄弟の背後を見れば既に彼が他女子生徒の注目を一身に浴びていた。プライドを呼ぶ声と、そして明らかな彼女の顔色の変化にファーナム兄弟も振り返れば明らかに平民ではない服装の青年がそこにいた。扉を抜け、我が物顔で一直線に自分達の方へも向かってくる。
「ええと、……ごめんなさいねディオス、クロイ。その、実は今日急用が入っちゃって、彼とちょっと話さないといけないから私は勉強を手伝えないの。先週みたいに三人で教え合ってやってみてくれる?」
私もここには居るから、と。もし本当にわからなくなった時は呼べる距離にいることも提示した上でプライドはもう一度謝る。
プライドの話しを聞きながら、彼らの視線は眼前まで近付いてきた青年に突き刺さった。翡翠色の髪に上等な衣服、威圧感しか感じられない芸術的な仮面と、これで貴族でなければ何なのかと言わんばかりの彼に二人とも目が突き刺さったまま声もでない。口を同じ大きさであんぐり開けながら、一体どういう流れでそうなったのかと聞きたくなった。確実に目の前の男こそが、ステイルが愛想を向けてきた理由なのだと確信する。
〝頼みましたよ〟
言われてもいない筈なのに、今だけはステイルの笑みにそんな言葉が含まれていたと頭に勝手に入り込む。
二人揃って同じ顔で絶句してしまう間も、レイは全く二人の存在など気にしなかった。まるで単なる遮蔽物かのように肩を当て、二人の間を無理矢理押しのけ通る。ディオスとクロイが左右に裂かれる中、レイの目は一度もプライドから外れなかった。
「それで聞かせて貰おうか?この状況でどうやって奴を探すのか」
「……その前に、先ず無理矢理二人の間に入ったことを謝って下さい」
自分の要件のみを突きつけるレイに、流石にプライドも溜息を吐いてしまう。
そういう人間だということは分かっていたが、わざわざ二人の間を無理矢理押しのける必要があったのか。無駄な抗議だと理解しながらも彼に呆れてしまう。そしてプライドの窘めにレイは、彼女の予想通りに耳へは通さない。手近な窓際の椅子を引いて腰を下ろすと、髪を耳にかけ足を組んでふんぞり返る。
「頭を下げる相手は俺様が決める。それよりも資料に目を通したのか」
「……ええ、読みましたよちゃんと」
ごめんなさい二人とも、と。最終的にプライドが自ら謝ることになる。
言葉も出ないまま、プライドと傍若無人に話を進める青年にディオスもクロイも言葉が出ない。完全に自分達を路傍の石ころのように扱う男がただこの上なく無礼な人間だということだけは理解した。プライドが謝った後も、全くそれを気にしない彼は文字通り自分達が見えていない。
「ところで貴方の同じ教室に居た子達はどうなの?まだ協力してくれているの?」
「奴らか。学校には居たが、もう無関係だ。もともと俺様を監視する為に絡みついてきた連中だ。雇い主が消えれば俺様と関わる必要もない」
フン、と鼻を鳴らしたレイの言葉に、つまりは全員に遠巻きにされていることかとプライドは理解する。
変に風評被害などを受けていないかと心配にもなったが、彼の性格上何を言われても気にしなさそうだなと思う。むしろ、雇い主がいなくなったことでライアーについての情報を彼らに嫌がらせで漏洩されることの方がレイにとっても憂いではないかと考えたが、……それも問題ないなとすぐに思い直した。
「〝灰になりたくなければ〟と口止めをした以上、もう俺様からも用はない」
やっぱり、と。
あまりの乱暴過ぎる口止めにプライドは肩が上がった。アンカーソンがレイを監視する為にと付けた従者代わり達は、全員お役御免になったことだけが唯一の救いだった。
しかしその上で彼の特殊能力で堂々と脅されたことだけが可哀想に思う。火の特殊能力者自体は特殊能力者としては珍しくないが、レイの場合は炎の色からして禍々しい。もともと手段を選ばずにライアー探しにだけ執着していた彼を知っている取り巻きからすれば、そこで彼を挑発すれば確実に家の力はなくとも手痛いどころじゃないしっぺ返しを喰らうことは目に見えている。
ゲームでは従者の位置にいた人物を脅すどころか、良くも悪くも全くの無干渉を決めていた彼がなかなか荒い手に出たなと思う。学校内に居たゲームのレイの従者は貴族ですらなく、彼にそんな扱いも受けなかった。
呆れながら息を音に出さず吐ききれば、そこで不意にレイから続きが語られないことに気付く。
自分の呆れが気付かれたかとプライドは紫色の瞳を揺らして上目にあげれば、瑠璃色の冷め切った眼差しがそこにあった。
どうしたのか尋ねようと口を動かしかけたところで彼の方が先に口を開く。おもむろに腕を伸ばし、火を灯す素振りもなく長い指が彼女の顎に届いた。
「…………なに?」
「やっぱり化粧気のねぇ女は元が良くても所詮はイモだな」
くいっ、と顎を添えた指で角度を変える程度に持ち上げられる。
色気があるようにも思える仕草だが、プライドからすればそれよりも彼の暴言の方が遥かに顔が引き攣った。ザクリと頭に刺さり、そんなことわかってる‼︎と怒鳴りたくなりながら拳を握り堪えた。今はできる限り彼を逆上させられない。
特にステイルもアーサーもいない今、騒ぎも大きくしたくない。
いまここにハリソンが既に待機しているならば、本当に事前に抑えるように重ねて伝えておいて良かったと思う。そうでなければ今頃目の前の彼はナイフ一本程度じゃ済まされない。
彼女の眉の引き上がりを誘うようにレイの口角が思いつくまま上がる。瞼に力が込められ見開かれた彼女の紫色の瞳に、悪い笑みを浮かべた自分を映す。
「顔がいくら小さくても、無駄にデカい目が釣り上がっていれば台無しだ。正直これから先、お前とこうして並ぶことが増えるだけでも俺様の恥」
「……なっ、……なんなんだよお前⁈」
数十秒以上の長い停止の後、目の前の失礼過ぎるの発言主にやっとディオスの思考が纏まった。
思わずといった様子でひっくり返りかけた声を上げるディオスに、今度はクロイも頭が現実に向く。「ちょっとディオス!」と、貴族に対して声を荒げる兄を止めようと慌てて声を尖らせるが、既に思考に感情がついていったディオスは白い肌が怒りで真っ赤だった。ムッカー!と音に出そうなほど怒りを露わに怒鳴ってくるディオスに初めてレイも視線を向けた。
ディオスの激怒に、流石のプライドとアムレットも目が丸くなる。教室の女子達すら怒鳴るディオスに驚く息を止める中、「ほぉ……」と唯一顔を緩めたのはレイだけだった。
「僕達が先にジャンヌと約束してたのに‼︎それも勝手に話して勝手に進めて‼︎僕らとの予定だったのに‼︎」
「どうやら、中等部にも骨のある野良がいるようだな。俺様が貴族だとわかった上で噛み付いてくる度胸があるとは」
「うるさい‼︎」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、顎に手を添えまた笑う。まるで珍しい雑種犬を見つけたように笑むレイにディオスがまた怒鳴る。
よほどの勇者かそれとも馬鹿かと思いながらも、レイの表情はいっそプライドには機嫌が良く見えた。顔を真っ赤にして拳を握ったまま怒鳴るディオスを楽しそうに眺めている。
「貴族とか知るか馬鹿‼︎貴族なら特別教室に帰れ!」
「それを言うなら平民らしく俺様に傅いてみろ」
「お前なんかに絶対するもんか‼︎」
会話だけ聞けば、大人と子どものじゃれ合いのように聞こえるそれにクロイも呆れを通り越して顔が元より白くなる。
アムレットもまさかディオスがレイと喧嘩を始めるとは思わず、視線が周囲に四散する。「ディオス落ち着いて」と声を掛けたくもなったが、彼女も彼女で目の前にいる貴族が無礼この上ないことは同意だった。悪いのはディオスではなくて彼なのにと思えば、止めるべきかも悩んでしまう。
クロイがとうとう堪えきれず後ろから兄の口を覆って止めれば、ムガムガとそれでもディオスはレイに噛み付こうと声を出す。それを「ハハハッ!」と楽しそうに笑い声を上げるレイは、完全に誰が見ても外道か悪人だった。その様子にプライドは
……なんか、すごいことになってる……。
第二作目のゲーム内容が頭を凄まじい速さで再生されながら、プライドは片方だけの口端が引き攣った。
ゲームでは、主人と従者であった二人の絶対あり得なかった光景に。




