Ⅱ254.頤使少女は準備を終える。
「では、お忙しい中ありがとうございました。王配殿下、こちらで解散ということで宜しいでしょうか」
ジルベール宰相の言葉に父上が頷けば、一斉に上層部が父上へと深々頭を下げた。
父上の隣に座っていた私とステイル、ティアラも姿勢を正して静かに礼をする。上層部達を響く声で一言労った父上が腰を浮かせればジルベール宰相が素早くその椅子を引いた。私も立ち上がれば、一足早く立ち上がったステイルが私の椅子を引いてくれた。次にティアラの椅子も引いてくれ、父上、ステイル、私、ティアラと順々に席を立ったところで上層部もその場から従者に椅子を引かせて立ち上がった。
父上から先頭を歩む私達に礼をし、その場で退室するまで見送ってくれる。衛兵により開けられた扉を潜れば、近衛兵のジャック、近衛騎士のアラン隊長とエリック副隊長に迎えられる。専属侍女のマリーとロッテも待っていてくれて、それぞれ護衛と従者と合流したところでやっと父上から小さく息を吐く音が聞こえた。
「……全く。折角の機会を棒に振るなど。やはり領地内とはいえ平民の生活区域への関心は低まりやすいな」
「仰る通りです、王配殿下。下級貴族など小範囲での統治だけではなく、広範囲を統治している領主にもやはり監視体制を強めるべきかもしれません」
父上の独り言のような嘆きに、ジルベール宰相が同程度の声量で呟きを返す。
一歩後ろに引いて歩くジルベール宰相も父上もお互い目配せずに正面を向いての会話だ。淡々とした会話にも聞こえるけれど、やっぱりこうやって仕事の話をする父上とジルベール宰相の会話には無駄がないなと思う。むしろ二人が城で仕事以外の雑談をしている姿が想像つかない。……喧嘩なら昔一度だけ見たことがあるけれども。
「これで無事に今週からは学校見学も再開できますねっお姉様!」
「その前に後継者を決めてからだがな。……まぁ、明日にも通達が届くだろう」
アネモネ王国の学校見学再開に弾む声を放つティアラにステイルも続く。
既に次の理事長については、ジルベール宰相と父上で検討も終えている。アンカーソン卿の没収した管理地は元々の領地所有者であるクロックフォード公爵が暫くは管理してくれるけれど、学校経営までは難しい。
早々にレオンを受け入れる為にも学校の代表者である理事長の席を空けたままにもできない。その為にも早々に埋めさせて貰うことになった。ジルベール宰相が今度こそ間違いない人選の為にと秘密裏に学校側にも働きかけてくれた。
決定してから私も人選については聞かせて貰ったけれど、問題ないと思う。教師陣営に入っているカラム隊長も頷いていたし、今度こそきっとちゃんとした学校経営を行ってくれる。
「プライド。お前も御苦労だったな。無事、予知の件もお陰で早々に手が打てた。例の騎士にも感謝しているとお前からも労っておいてくれ」
「あの、父上。視察の方は、当初の予定通りまで続けさせて頂けませんでしょうか。まだ、予知した全てが明らかにはなってはいません。思い出せることがあると思います」
「僕からもお願い致します、父上。今回の件も予知だけではなく視察の成果とも言えますし」
嘘ではない。まだ、レイ関連のアンカーソン余罪全てが明らかになっているわけではないもの。
母上へ報告すべく玉座の間へ向かおうと別れ際に振り返ってくれた父上に私は懇願する。今回の予知、最初に私が母上達に報告した〝学校の根幹を揺るがす〟事態はこれだ。本来であればこの場で視察を切り上げることもできるけれど、それでは困る。
私の言葉に少し両眉をあげた父上だけど、それでもあと十日だけだぞと言って頷いてくれた。
勿論ですと一言返し、父上とジルベール宰相と一緒にそれぞれ公務補佐へと戻るステイルとティアラとも一度別れを告げる。
ステイルは午後過ぎには戻って来てくれるけれど、それまでは一度ヴェスト叔父様と父上の補佐だ。頑張ってね、と声を掛けて私は二人に手を振った。
今回、上層部が緊急収集されるにあたって王配である父上と補佐のジルベール宰相、そして次期王妹のティアラ。そして学校創設者である私も補佐のステイルと一緒に同席を許された。基本的にまだ謹慎中の私は公務関係に関われないけれど、私が創設者であることとジルベール宰相を通して父上にアンカーソン郷のことを報告したのも私ということで許可を貰えた。
ことの始まりは、カラム隊長からの報告だった。
『非常に、申し上げにくいことなのですが……。今回の学校見学、教師の誰もアネモネ王国の訪問を知らされてはいなかったようです』
レオンが学校見学に訪れた日に、そう切り出してくれた。
教師達も職員室で愚痴というわけじゃないけれど彼らの慌ただしさがカラム隊長は一目でわかり、その後に話を聞いてみたらすぐに打ち明けてくれたらしい。
まさかの隣国の王族訪問を迎える準備どころか学校関係者誰にも報告されていなかった、しかも教師達の話では開校式以降一度も理事長が姿を現していないという事実。
学校初日に全校生徒名簿が城に届かなかったのも、理事長から教師へ通達が届いていなかったからだ。
ジルベール宰相達は驚いていたし、私も頭を抱えたくなった。更には程なくしてジルベール宰相の口から報告されれば父上もなかなかのお怒りだったらしい。
もともと創設者は私だし、具体的に学校を回す為の仕組みこそ私とジルベール宰相から作れていた。だからこそ理事長のすることも大してなかったいえばなかったけれど、それでも学校の代表だ。教師の様子を聞き、校内の問題点も含め報告書に纏め、城に伝えることも大事な役目だ。なのに、それを全部放棄して学校に足すら運ばなかったのだから父上も怒るのは当然だった。しかもその皺寄せは教師だ。
確証が取れた時点でアンカーソンに厳罰を決めた父上の命の元、ジルベール宰相が裏取りと上層部にも事前告知をしてくれていた。
確証を得次第、アンカーソンを処分する為の正式な議会を行うと。
上層部は誰もが忙しいから、我が国では議会を開くことは裁判よりも大仰なことだったりする。だからもう議会に掛けられると決まった場合は、殆どが裏取を終えた有罪確定みたいなものだ。
アンカーソン侯爵の理事長業務放棄は彼が現れる前にジルベール宰相が上層部へ改めて伝えてくれたけれど、皆なかなかの呆れっぷりだった。上層部は全員が元々貴族というわけじゃなく特殊能力と優秀さだけで上り詰めてから貴族の称号を貰った人が多いから、わりとこういう汚職や業務放棄的なことをした人間には皆厳しい。……そして、父上も当然ながら貴族だからと大目にみてくれる人じゃなかった。
ゲームではアンカーソンという名は出てこなかったし、あくまで〝侯爵家〟としか語られていなかった。……たとえ名前が出ていても、第二作目のモブキャラの家名なんて思い出せたか正直怪しいけれども。だってゲームでアンカーソンはあくまで悪役ですらなくただの
レイの父親というだけの立場だったのだから。
しかもゲーム内でレイはあくまで貴族というよりも理事長子息としての立場が強かった。
レイルートにいかないと彼の実家事情も理事長が父親だということも判明しなかった。
彼は母親が男爵家の妻で、一夜の過ちで侯爵との間にできた子どもだ。それから色々と転落が続き最終的に実の父親である侯爵がレイを息子にすることに成功した。
後継どころかアンカーソンを名乗ることすら拒み続けたレイが、ある日唯一の条件として提示したのが〝卒業までの理事長権限譲渡〟。それさえ叶えてくれれば卒業後は望み通りアンカーソンの名を継いで生きると交渉したレイに、父親は頷き彼が望むだけの金も住む屋敷も従者も学校の支配権も与えた。……それだけアンカーソンは、後継者の資格を持つ自分と血の繋がったレイが欲しかった。
ゲームではラスボスプライドの特殊能力者申請義務令から逃れるために、特殊能力を制御できるまでレイを屋敷に匿い続けていたくらいだ。結局、レイが特殊能力を制御できるようになるよりラスボスプライドが死んだ方が早かったけれど。
結果、主人公アムレット入学時には見事に学校の俺様支配者としてレイが君臨している。
……正確には〝真の〟俺様支配者だけれども。
何故なら直接的な立場は彼のものだったけれど、その彼が言いなりになっていたのがラスボスだからだ。
冷酷無慈悲な学園の支配者を味方につけ、ラスボスは自身こそが学校の支配者と言わんばかりに横暴に振る舞っていた。
最終局面では本当に学校を自分の物にしようとまでして、それを止めるのが攻略対象者と主人公。レイルートの時だけは主人公が単身で事実を掴み彼に突きつけるのだけれど。
どのルートでもレイは騙されていたことに怒り狂ってラスボスを排除する。学園追放か、……怒り狂ったレイがラスボスを焼き払う。レイルートなら寸前のところでレイを止め、ラスボスの命まで救うのが主人公アムレットなのだけれど。
ゲームでは教師生徒が認める学校の支配者として、ラスボスほどじゃないにしろ横暴に振る舞っていたレイはやっぱり学校の経営らしいことは何もしてこなかった。そうなるのも当然で、彼が学校の支配権を父親から得たのは学校を実際に経営してみたかったなんていう理由ではない。ライアーについての情報を見つけ出す為だけだ。
ゲームでも優秀な人間だけでなく、下級層や身寄りのない子も一カ所に集める学校を支配することで、効率的に情報を集めることだけが目的だった。
もともと父親のことを嫌っていたこともあって、アンカーソンの名がどれほど落ちぶれてもどうでも良いと思っていた彼は学校が潰れようが家の名が落ちようがどうでも良かった。
お陰で、ゲームが開始する今から三年後……創設してたった二年でバド・ガーデンはなかなかの無法地帯になっていた。
ある意味独立国家といったところだろうか。王様がレイで、傍若無人な王妃がラスボスという印象だった気がする。
そんな中、庶民でありながら真っ向から「そんなのおかしい」「思い通りになんてさせないんだから」と対立するアムレットは本当に格好良かった。レイも自分の思い通りにならないアムレットに興味を抱き少しずつ関わって心を通わせていく……というよくあるパターンだった。
全ルートでラスボスは悪事が暴かれるのだけれど、レイに関しては別段とお咎め場面もなかったなと思う。
他の攻略対象者だったらそのままラスボスがいなくなったことで学校は平和を取り戻しましたで終わったし、レイ本人ルートの時も後から立場を追われたような描写はなかった。……まぁ、単なるゲームのハーピーエンドに水を差さない為のご都合展開だったようにも思えるけれど。
少なくともレイが理事長としての仕事に手をつけていなかった事や理事長権限を使って学校を良いように扱っていたことに関してのお咎めはなかった。事件解決後にちらりと現れたティアラも良かったねーくらいでレイを言及するような場面はなかった気がする。……そうなると、本当になんで学校にきたのかしらティアラ女王様。駄目だそんな細かい内容までは思い出せない。
レイは学校内では自分勝手で、ラスボスみたいに人を自分から傷つけたりすることはなかったけれどその特殊能力と風貌から恐れられていた。
そんな俺様で勝手過ぎて思い通りにならないレイだからこそ、父親も彼に言うことを聞かせる千載一遇の機会を逃がせなかった。学校で彼が好き勝手していても好きにさせ、彼の従者代わりとして年の近い青年まで雇った。それがファーナム兄弟だ。
ゲームには特別教室みたいに貴族と平民を別個にする仕組みはなかったし、ジルベール宰相の見聞のもと入学できる生徒は限られていた。
学校に入学さえして、レイの従者として過ごすだけ。しかも給料が良いこの仕事に就く為に、採用された後のファーナム兄弟は猛勉強しレイと同クラスにも移ることができた。勉強の為ではなくレイの従者としての必須事項だった。まぁそうでなくてもレイの権力ならファーナム兄弟を捩じ込むこともできただろうと思うけれど。
ラスボスが現れてからは目を付けられ、レイの命令の下彼では無くラスボスの従者みたい〝ディオス〟は振る舞っていた。
それでも業務上彼らの仕事内容はレイの従者。学園には従者を同行不可だったから、その代わりにレイと年の近い青年を入学させて従者に仕立てていた。全てレイの行動をしっかり把握して彼が逃げないよう見張りたい父親の差し金だ。
現実ではファーナム兄弟はレイのところに就職する前にお金には困らなくなったし、特別教室に居たレイにも別の取り巻きが居た。
階段で私達に話しかけてきた中等部の子二人が恐らくはファーナム兄弟の代わりだろう。レイが求める情報だけ聞き出し、上階にある特別教室しかない階へ戻っていったのがその証拠だ。
特別教室になって、来る者拒まずで審査もないから理事長権限だけでも軽くレイの取り巻きを侵入させることもできたのだろう。恐らくはアンカーソン家の下位貴族。レイと同年の子どもがいる下級貴族に命じて入学させ、レイの面倒と監視をさせれば良いのだから。
……まぁ、その結果ティアラとジルベール宰相に中等部の特別教室に偏りがあることに気付かれちゃったのだけれど。
ステイルもあの特別教室生徒に会ってからすぐに確認してたし、もうバレるのは時間の問題だった。
彼としても折角校内に侵入させた手駒が次々といなくなっていたから、自分の従者役である彼らを使うしかなかったのだろう。……アンカーソンから貰った金で雇い、理事長権限で秘密裏にねじ込んだ裏稼業の人間はヴァルが追い出したから。
他の棟と違い、中等部の特別教室だけ何故か「一人の〝下級貴族生徒〟を中心に従い統率されている」と報告があって、どうして特別教室で下級貴族に?と疑問が浮かんでいた。そして名簿を確認すれば、中等部だけ中級から上級貴族ほほんの数名で殆どが下級貴族。
ジルベール宰相が上手く情報操作をしてアンカーソンにもレイの罪を一時的に被らせてくれたけれど、最終的にはちゃんとレイに責任を負って貰わないといけない。あくまで今はレイの目眩ましにアンカーソンだけが引っ立てられた状態だ。……どちらにせよ、アンカーソンの余罪についてレイの口から明らかになったらそう結果は変わらない気がするけれども。
でも、これで本当にレイを守る盾はなくなった。
理事長権限もなくなり、アンカーソン家の名前がなくなれば従者になっていた下級貴族も言うことを聞く必要は無くなる。裏稼業へ払う資金も、レイ一人では無限じゃない。ライアーを見つけ出した賞金だったら後払いでなんとでもなるかもしれないけれど、あれだけの数を自分の屋敷に警護としてつけるのにはそれなりに毎日お金も掛かっていた筈だ。形だけが〝カレン家〟で、実質断絶状態の彼には湯水のように使える資金なんて存在しない。
近衛騎士がアーサーとカラム隊長に交代し、この後の為にハリソン副隊長が派遣されてくる頃にはステイルも来てくれる。着替えてレイの屋敷に行く頃には、衛兵と四番隊の騎士達によって確実に全部が終わっているだろう。
城から派遣された衛兵によって、資金も手段も権力も全て奪われたその後が悪人〝ジャンヌ〟の出番だ。
傷口に塩を塗っても彼にこの手を掴ませる。
彼を今ここまで追い詰めることを決めた、私の手を。




