Ⅱ29.騎士達は明かし合う。
ハァァァァアァァ……
「……アラン」
はぁぁぁぁぁぁあぁ……
「エリック……」
ハァァァアアー……
「アーサー」
ハァァ…………………
「………………ステイル様」
カチ、カチ、カチと秒針の音が今だけは際立つ。
その中でジョッキを片手に溜息を吐く彼らに、カラムは眉間を指で押さえた。
「何故、学校の初日だけでそこまで疲弊を……⁈」
カンッ、と鈍くカラムのジョッキの底がテーブルを叩いた。
アランに誘われるまま情報共有の意味も含めてエリックと三人で飲んでいた時はまだ良かった。アーサーが来るまで話すのは待とう。多分ステイル様も一緒だと話しながら飲んでいた。まさかプライド様の予知が再びとは、セドリック王弟に協力を仰ぐことになるとは、と話しながらもまだ平和だった。
しかし、アーサーとステイルが合流し、開口一番にアーサーからアランへの謝罪後に早速情報共有が行われようとすれば、カラム以外全員が苦々しく酒を飲み、最後は溜息を吐いて俯くことになった。カラムからの、何気ない投げかけ一つで。
ただ「例の予知以外は学校で特に問題は?」という問いに、誰もが問題無しとは答えられなかった。全員持ち場が違うにも関わらず、同じように溜息を吐き項垂れる姿に、カラムはただただ不安だけが募る。明日からは自分もその学校へ特別講師として潜り込むことになるのだから。
アラン、と最初にまず隣に座る人物に呼びかける。
今回、飲み会と情報共有を提案した本人であるアランがジョッキを片手にぐったりしている姿は、彼にしては珍しい疲弊の姿だった。
カラムからの投げかけに「いや〜」と一度濁してから、アランは苦笑いを浮かべて顔を上げる。
「ほんっっとに……セドリック王弟が人気過ぎてさぁ。学校歩く度に女の悲鳴がすげぇのなんの……しかもセドリック王弟も積極的に人の波に突っ込んでいくから耳がすげぇ大変で……」
ハァ……とアランがまた溜息を吐く。
学校へ通うセドリックの護衛をハリソンと共に担ったアラン。
式典や視察などで王族や重鎮の護衛に付くこと自体は珍しくない。しかし男の野太い歓声は聞き慣れているアランでも、女性の甲高い悲鳴を至近距離で浴びることは滅多になかった。
通常は街に降りても王族には一定距離は保たれる。そして式典では悲鳴は上がってもあくまでマナーに則った程度の悲鳴だ。
しかし学校になれば一般の民でもある女性の悲鳴が重なって倍増され、且つ至近距離で遠慮なくアランの耳を劈いた。単なる女性の喚き声や怒鳴り声、騒ぎ声などならばアランもここまで疲弊しない。しかし興奮が冷めない熱の入った女性の悲鳴は超音波のようだった。それを聞いて平然としているセドリックにアランの方が驚かされた。
「教室でも絶対囲まれてるし、セドリック王弟も全員拒まず返答するから余計集まるし……合流した食堂は完全に地獄だった……」
王族ということを抜いても見目だけで多くの女生徒の目を奪ったセドリックは、当然ながらクラス中でも授業以外の時間全て囲まれていた。
そして最もアランが地獄を見たのが食堂だった。最初は「見回り」という大義名分でハリソンと交代で順番に彼の元を離れ、生徒や教師に気付かれないようにプライドのクラスやその周辺を見張っていた。
しかしアランが離れている間に二限目が終わり、ぜひお食事をと誘う令嬢子息に丁寧に断りを入れたセドリックは、その足で上級層の人間は近づかない筈の中高共有の食堂へ向かってしまった。廊下や校内を歩いているだけでもキャアキャアと悲鳴の渦中にいたセドリックが、多くの生徒で賑わう食堂へと突入した結果、下級層から上級層まで入り混じり、広い食堂は混沌を極めた。
「いや何が地獄ってハリソンがさぁ……セドリック王弟にお近付きになりてぇ生徒の半数がアイツの殺気で遠巻きになって、それでセドリック王弟を浮かせて……」
結果、セドリックに近付く人間への警戒が高まり過ぎて殺気まで放ち始めたハリソンを休み時間中はセドリックから外し、プライドへの見回りに回すことになった。
明日からは授業以外は俺がセドリック王弟に付く、と宣言したアランはぐったりと顎をテーブルに乗せるようにして項垂れた。
本当ならば授業以外のプライドの姿も目にしたいが、それをすればセドリックに近付く荒波にハリソンが剣を振りかねない。プライドを間近で見れたのも下校時に校門でエリックと落ち合ったあれだけだった。それ以外は全て遠巻きだったのだから。
お疲れ様です!とエリックが労い、すみませんでした‼︎とアーサーがハリソンに代わり額をテーブルに打ち付ける勢いで頭を下げる。二人の反応に苦笑しながらアランは「まぁ見回りは問題なくやってくれてるけどさ」と軽くハリソンをフォローし、酒を含む。
何より、セドリック本人はハリソンの殺気を全く気にしていないことも救いだった。あくまで「鉄壁の護衛」としか捉えないセドリック自身が平然としていたお陰で、生徒達にも騎士への不審や反感は避けられたのだから。
そのまま「取り敢えずそれ以外は不審者も異常もなかった」と軽く締め括ったアランは、自分の愚痴から話を逸らすように、向かいの席に座るアーサーに目を向ける。お前は?と振れば今度はアーサーが酒を飲む前からゴクリと喉を鳴らした。
「こっちは……プライド様の正体自体は未だバレてはないようでした」
なァ?と隣に座るステイルに確かめる。
アムレットやパウエルのことなどは話せないが、それでもアーサーとステイルには彼らに話せることはあった。クロイ達のことは既にプライドを通して情報共有をしてる今、それ以外で話すべきことはと考えるステイルが今度は続くように口を開く。
「ただ、……恐ろしく注目は受けてしまいましたが」
ため息混じりにそう続け、遠い目をしてジョッキを傾けた。
注目、という言葉にある程度は想像できていた彼らだが、ステイルから学校でのプライドと更には彼女がうっかりで今日行った実力試験を全回答してしまったことを話せば聞いた彼らの顔が強張った。
プライドとステイルならば、試験問題など問の域にすら入らないことは考えるまでもない。しかもステイルの説明では中等部だけでなく高等部で学ばせる予定の範囲まであったと聞き、明日には確実にプライドが浮く事は決定づけられた。
うわぁ……と小さくアランが零す中、アーサーは思い出すように「自分は全ッ然解けませんでした……」とまた別の理由で嘆く。それを聞くと、いの一番にアランは「いや俺も絶対解けねぇよ」と笑いながら返した。カラムやエリックと違い、アランも学には自信がない。すると今度はエリックが「ところで」と様子を伺うような穏やかな声を差し入れた。
「周囲の生徒達はいかがですか?特にプライド様やステイル様は他の生徒にも人気あるのでは」
「いえ、僕は。セドリック王弟が話題に乗ってからは地味なものです。ただ姉君は……」
「すっっっっっっげぇ人気あります……!」
ゴン、と今度こそアーサーの額がテーブルにぶつかった。
ステイルが自分のことは平然と棚に上げようとする中、彼の発言を塗り潰すように力強く言い放ったアーサーにステイルは目だけを向ける。そのまま半笑いを浮かべるカラム達へ向かい無言で頷けば、全員が察したように低い声を漏らした。女子にか男子にか、それは聞くまでもない。彼ら自身危惧したことの一つでもあるのだから。
一度ぐいっと大口の酒で喉を潤したアーサーがクラスでの様子を自分の目線で話せば、それは明らかだった。アーサーの目から見ても、プライドの周りに男子が集まる様子は社交界や式典の時と重なった。
しかも今は身分が気付かれていないにも関わらずの人気である。つまりは社交界でも王女である彼女への挨拶以外の理由で男性達は集っているのだと実証されたようなものだった。
「なンか俺とステイル通して絡んでくるし、……すれ違う度めっっっちゃ見られました」
あ〜〜……だよなぁ、とアランとエリックが半笑う。カラムもそれには納得したように一人頷いた。
実際はクラスの男子生徒に関しては一際背の高いアーサーも注目を浴びていたのだが、本人はプライド同様に自覚もない。自分も彼らと同じ年に年齢操作こそされてはいたが、心境的には全員遥かに年下である為に見上げられることにも違和感はなかった。
アーサーも校内でプライドやステイルが多くの生徒の注目を浴びていたことは気がついていた。特に自分とステイルを巻き込んで男子達が話しかけてきた時には、プライドに話しかけた時だけ彼らの平然を演じる表情に違和感すら覚えていた。
式典などでプライドに話しかける令息や王子にも同じような表情の者はいた。プライドへの好意を表面上は隠そうとする時の取り繕った笑顔に、当然ながらアーサーは違和感として気がついていた。
「いやほんと……下校まで一緒にとか誘われてた時は、一瞬本気で焦りました……」
ハァア……とまた深い溜息が吐き出される。
それにどういう意味だとカラム達が首を捻れば、アーサーに代わってステイルが説明を始めた。クラスでのプライドが主に男子に注目を受けていた様子と、自分がアランの名を使って牽制した後にも彼らが校門までと下校に誘ってきたことを一つ一つ詳しく話し始める。
下校を誘われた時の危機感はステイルは当然のこと、アーサーもそれなりには感じていた。騎士団で既に絶対的な人気を誇るプライドが、同い年の男子に人気があることは彼も充分に予想できていたことだった。ステイルが考えたのと同様に、プライドへの好意をなるべく早めに阻まないとその内、プライドの正体を王女と知らない一般の民である彼らがどのような暴挙に出てしまうかの懸念も同じだった。頭の中では二年前にセドリックが最初にプライドに犯しかけた不敬が何度も何度も思い出された。同じ王族がやっても大問題だが、一般の民がそれをすれば死罪も充分にあり得る。
ステイルの話に、予想はできていた近衛騎士達が半笑いから何とも言えない表情に変わっていく。
まぁそうだろう、という言葉が口にせずとも表情でステイルにも伝わってきた。あの年頃の少年達が〝保護者が怖い〟くらいの理由で無謀をしないとは思えない。
話途中でステイルとアーサーから改めてアランや彼の父親の話題を彼らに出してしまったことも謝罪されたが、アランは一言で笑って返した。エリックに親戚を預けているということになっている時点で、自分もある程度巻き込まれる事は承知している。むしろ「ジャンヌをお爺さんが溺愛している」という設定が面白いと笑い声を上げる余裕まであった。
「……まぁ、最終的に下校では彼らの興味は姉君ではなく騎士であるエリック副隊長やアラン隊長達へと移っていましたが。……正直安心しました」
最後、その時にもまだプライドを諦めていなかったかと警戒したステイルとアーサーだったが、蓋を開ければ単なる騎士目当てだと安堵した。
ちょうど食堂での一件と、彼らを牽制する為に情報として開示したアランとエリックの存在が上手く回ったと。プライドよりも彼らの関心は民の憧れでもある騎士へと向かった。それは嬉しい誤算だった。その分、プライドへの興味が薄れてくれるのだからと二人は思う。
アーサーもステイルの言葉に力強く頷きながら「いや本当に安心しました」とまた大きな溜息と共に上がっていた両肩の力を抜いた。が、
「いえ。今後も絶対に警戒は解かれない方が良いかと」
ステイルとアーサーが肩から力を抜いた直後、エリックからはっきりとした声色で断りが入った。
ステイル相手には珍しいと思うほどの断言にアランやカラムも目を向ければ、半分近く残っていたジョッキを空にすべく傾けたところだった。
一体どういう意味か、とステイルが尋ねるより先にエリックはグビグビと軽く喉を鳴らす。飲みきり、更にジョッキに自分で酒を注ぎながら、今度は落ち着いたいつもの言い方で言葉を続ける。
「……まぁ。……あの年頃の子どもはいつでも再燃しますから。熱も入りやすいですし、一度興味を持てば譲れなくもなりますし、極めたくなる年頃だと思います。何より、プライド様は本当にお綺麗な方ですから。これから目立てば目立つほど、彼らの興味も増してしまうと思います」
酒の嵩が増していくジョッキを眺め、ほがらかに笑いながら返すエリックに、アーサーは一度だけ肩を上下した。エリックが何かごまかしているのだと顔色を見て理解する。
送迎でしか関わっていないエリックだが、ステイルとアーサーの言う、校門で自分を質問攻めにした少年達がプライドへの興味が冷めていないことは確信していた。
子どもの頃に養子になって王族として育てられたステイルや、騎士としての鍛錬や畑仕事、家の手伝いに精を入れていたアーサーと違い、騎士を目指していたとはいえ、庶民として一般的な生活をしていたエリックにははっきりとわかる。
むしろ、彼らのプライドへの熱は増したままだと。
彼らが騎士である自分を本気で慕ってくれていることも、騎士に興味を持つ眼差しも嘘ではなかったと思う。
しかし、話しながらも時折関係のない筈のプライドへ視線を投げたり、わざと大声で彼女にも聞こえるように自分の武勇伝を聞かせたり、騎士に関しての問いに紛れさせるようにプライド関連の質問や家に遊びに行きたいとねだった彼らからは、あの年頃特有の虚栄心と異性への恥じらいが見え隠れしていた。
彼女が自分に興味を持って欲しい、もっと彼女のことが知りたい、もっと近づきたいと思いながらも直接的には関われない。がっついていると思われたくない。友人にすらその恋心を気付かれたくない。だが気になる。偶然を装ってもっと近づきたいと。エリック自身も同年代くらいの頃に覚えがある気恥ずかしい状態の少年達の恋心は、大人であるエリックには筒抜けだった。
自分がプライドに近づく為のだしにされたとまでは思わないが、確実に「あわよくば」とは思っていただろうと。もっと幼い年頃にもなれば、確実にプライドへ好意が裏返っていじわるをした奴もいるだろうなと考えれば、初等部ではなくて中等部への潜入は正解だったとすら思う。
恋心を誰にも気付かれたくない。だから別の憧れや好きなものを理由にして近づく。直接的には関われない。と、少年達の姿はいっそエリックの目には眩しかった。
これが第一王女ではなく、本当に一般人の少女への恋心だったら背中を押してやりたいとすら思う。しかし、悲しいことに彼らの恋は叶わないのだろうと思えば同情すら覚えた。エリックが彼らにしてやれることは、一時の甘酸っぱい思い出を温かく見守ることと、彼らの若さ故の無謀さが一族を巻き込む大罪に繋がらないように祈ることだけだった。
「アーサー。絶対にプライド様から目を離すなよ?……あの年頃は、本当に何でもやるぞ」
グビッ、とまた一口分酒を傾けた後、鉛のような重量感のある声がエリックから放たれる。
最後の言葉に関しては、年上としての経験も込めた助言である。その途端、目を合わせられたアーサーだけでなく、ステイルも背中を一瞬震わせた。「何でもやる」という言葉は少年少女相手であれば微笑ましい意味にも聞こえるが、第一王女へとぶつけられると考えれば恐ろしくもある。
エリックの言葉にアランも「あ~~」と何かを思い出すように引き攣った笑みのまま視線を宙に浮かせた。
アラン自身はプライドに会うまでは恋愛どころか女性に興味も関心も無かったが、当時自分の身の周りにいた年頃の少年少女がどのような無謀さを持っていたかを思い出せば、冷や汗すら伝った。
エリックとアランのその表情にカラムは、余計に頭が痛くなる。貴族出のカラムには縁が遠かった話だが、二人の反応を見れば言葉の重みは充分に察せられた。アーサーもエリックの発言に押されるように当時の自分と、年の近かった友人達を思い出す。母親の小料理店に来ていた客の話でも、そういえばその年頃の子どもが色々やらかして話題になっていたことも何度かあったなと思い出す。
するとちょうど良くアランが「十四かぁ」と呟き、エリックの発言の重さを裏付けるように続けた。
「俺が十四の頃は騎士になるっつって家出る為に親父をぶっ倒したなぁ」
家出るなら俺を倒していけと言われて、と繋げるアランにカラムが「そういえば言っていたな」と返す。
エリックには初耳だったが、アランの発言と言えば納得もいく。だが、アーサーとステイルはそれが十四歳、というところが今だけは引っかかった。すると今度はカラムがアランの話に感化されるように別の話を思い出す。
「そういえば、昔とある伯爵家の令嬢が身分違いの恋人と夜な夜な家を抜け出して逢引をしていたと父から聞いたこともあったが、……確か二人とも十四前後だったような」
逢引⁈と、ステイルとアーサーが同時に目を剥く。
慌てる二人に落ち着いた態度で「あくまで父の代であった、伯爵家中傷の根も歯もない噂だが」と付け加えたが、それでも落ち着かない。
二人に危機感が戻ってきたことに安心したエリックは更にだめ押しするように言葉を重ねた。
「自分が子どもの頃も、やはり十四になると男も女性も色めき立ちました。特に男は自分と年代が近い女性には好きになったら〝早い者勝ち〟みたいなところもありますから。十四にもなると、上手くいけばそのまま相手の女性の年齢に合わせて結婚も普通にありますし」
微笑ましい話をするような口調で言いながら、はっきりとアーサーとステイルに警告を鳴らす。
ステイルも頭では理解していたことではあったが、経験者や証言者がいると余計に現実味を帯びてくる。今、自分達のクラスにいるのは当然ながら全員が同年代。そしてエリックの言う〝早い者勝ち〟の結果、どのような行動をとるかわからない。これは早急に〝友人関係〟で止まるように対処を考えるべきだと改めてステイルは思い直した。
ステイルとアーサー二人の顔色が変わってきたところで、そろそろ脅すのはやめようと、カラムは口を閉じて肩を竦める。二人がいくら子ども相手とはいえ警戒を薄める恐れはなくなった。それよりも、と話を和らげるためにカラムはいつもより少し酒が進んでいるエリックに言葉をかける。
「ところでエリック。お前は今日どうだった?大分疲れているようだが……」
まだエリックの愚痴も報告も聞いていなかった、と気を回して投げかける。
それにエリックは「あー自分は」と眉を垂らし、苦笑いでカラムに顔を向けた。ははは……と言う前から笑い飛ばして欲しいと言わんばかりに自分が枯れた声で笑い、それから言葉を続ける。
「朝から母がプライド様達を朝食に誘って、帰りは弟のキースまで仕事の合間を縫って家に戻ってきてステイル様達をそのまま城下観光に連れて行こうとしまさかの母が第一王女と王子にクッキーを焼いて入学祝いを贈り、城に帰ってから自分が自主回収しようと思えばプライド様にもステイル様にもアーサーにまで断られてしまいました。……もう、明日も家族が何をしでかすのか恐ろしいです」
柔らかい口調ではあるものの、エリックの顔が心なしかやつれて見えるほどに疲弊していた。
すみません……とアーサーが深々と頭を下げる中、ステイルも少し申しわけなさそうに眉間を指で押さえた。
あそこで本来ならば、アーサーやステイルだけでも返せばエリックもここまで気落ちしなかったかもしれないが、二人も正直に言えば折角のクッキーを食べたいという欲とエリックの母親からの厚意を受け取りたいという気持ちが勝ってしまった。王族や後輩が自分の親の手製を食べるということがエリックにとってどれだけいたたまれないかは、同じ男として二人もそれなりに理解はしていた。
エリックの話にアランとカラムまで同情するようにエリックへ目を向けた。隣に座るアランが代表としてポンとエリックの肩にいたわるように手を置く。
アーサーが弁解するかのように「でも、すっげぇ美味かったです!」と声を上げればステイルもそれに同意の言葉を並べた。しかし、エリックからすれば「食べたのか……」とむしろ気恥ずかしさに拍車がかかる。
その様子を眺めながら、アランとカラムは自分達の近衛業務中にプライドが嬉しそうに包みの中のクッキーをおやつ代わりに頬張り、更には第二王女のティアラにまで分けて楽しいお茶の時間を過ごしていたことは言うまいとここに決めた。あの時はプライドも誰から貰ったかまでは明言しなかったが、今はあのクッキーの差出人が誰かは聞くまでもない。
「……うちの母、本当は娘が欲しかったんですよねぇ。二番目の弟も生まれた子どもは二人とも男の子で、末のキースも妹が欲しかったと子どもの頃から言っていて……」
はぁぁぁあぁ……と。
飲みきったジョッキをテーブルに置き、背中が丸みを超えて突っ伏すように平たくなる。また大きな溜息を吐きながら零したエリックの言葉には、この一ヶ月間がとても長いものになるだろうという確信が込められていた。
「まぁ飲めよ」「自分、注ぎます」とアランとアーサーがそれぞれ二度目に空になったエリックのジョッキに同時に酒を注ぐ。
彼の受難もまた、今日がまだ始まったばかりなのだと思いながら。
Ⅰ64-1




