Ⅱ252.頤使少女は起きる。
「レイ、もう止めよう?あの人の言うことを聞いてちゃ駄目。ライアーを探すなら他にもっと方法が……」
「ッなかったんだ一度もな‼︎‼︎何年も手を尽くし!情報を持ってやがったのはあの女だけだ‼︎奴さえ満足させればいつかっ……」
……これは……?
「っ……貴方がこれ以上彼女の言うことを聞くっていうのなら、私は貴方の敵に回ってでも止めるわ」
「ッやめろ‼︎‼︎」
ゲームの、……後半だ。
アムレットに少しずつその心の傷を癒やされたレイが、彼女に過去を語った後。優しくて正しく在ろうとする彼女に、レイも心を傾けた。
だから、苦しんでいる。
必死に、これ以上道を踏み外さないようにと説得するアムレットにそれでも彼は首を縦には振らない。むしろ自分の敵に回ろうとするアムレットを今度は彼自身が止めようとする。
アムレットが自分の、……ラスボスの敵に回れば、自分が彼女をどうすることになるのかもレイ自身がよく分かっているから。
今だって詰め寄る彼女に拳が震えるほど強く握って歯を食いしばって、感情を抑えつけている。……アムレットを、自分の能力で傷つけない為に。
仮面に半分隠された顔が苦しそうな歪み、瑠璃色の目がアムレットを映した途端今にも泣き出しそうに潤みだした。背中をアムレットの方へと前のめるように丸め、髪を掻き乱し、彼女の説得を拒み続ける。
レイ、とその名を囁かれた途端。掻き乱した頭を押さえたままレイが「何故だ‼︎」と胸を突くような声で叫んだ。
「何故だっ……‼︎今までっ……要らなかった……!奴を見つけ出せさえすれば何でも良かった!母だった女の顔だってこの手で焼いたんだ‼︎俺様を捨てた〝カレン家〟なんかどうでも良い……っ屋敷も金も地位も権利も何も要らないあの男さえ見つけ出せれば‼︎……っ、……なのに……っ……。お前だけは、…………傷つけたくないんだっ……」
ガタン、と最後は苦しげに絞り出したレイが膝から崩れた。
同じように膝をついたアムレットが、彼の名を呼びながらそっと震える手へ触れた。翡翠色の髪を撫で、濡れる瑠璃色の瞳を覗き、震える彼を頭から抱き締めた。
目の前の何を捨ててでも過去だけが捨てきれなかったレイに、それでも自分をこの場で傷つけまいと感情を抑え苦しんでくれているレイに。……自分はただ、彼を追い詰めているだけなのだと理解する。
「頼むっ……許してくれアムレット……俺様は奴を見つけなければならないんだ……。奴を見つけ出さない限り俺様はっ………前には、進めないっ……」
そう言って苦しそうに泣き出すレイに、アムレットはそれ以上何も言えなくなった。
彼の過去も知った今、それ以外じゃ何をもってしても彼を救えないとわかったから。
もっと早く私が彼らの存在に気づけてさえいれば─……
……
「ッ待って‼︎それにサインしちゃ駄目‼︎‼︎」
……場面が、……変わった。
「!アムレット……‼︎何故お前がここに……⁈」
「お願い信じてレイ‼︎‼︎彼女の話は全部嘘‼︎だってライアーはッ……」
これは、……そうだ。ゲームの、最終決戦だ。
他ルートではアムレットと攻略対象者が、そして彼のルートではアムレットが。……残酷な現実を、滑り落ちる直前の彼へと突きつける。
「ッ何だと……⁈」
レイルート。攻略対象ではなく、彼女自身が彼を止める場面。愛する人がこれ以上道を踏み外す前にと、彼女自身が必死に辿り着いた真実を語る。
アムレットの話に、みるみるレイの顔が驚愕から憎悪へと染まっていく。「騙したな……‼︎」と噛み締める声と共に歯を剥いた口がギリリッと軋む音を立てた。
さっきまで悠々と笑みを浮かべていたラスボスが顔を蒼白に変えていく。
「俺様を騙していたのか……‼︎奴の存在をちらつかせ……毎日毎日飽きもせずその場凌ぎの作り話で犬みたいに振り回しやがって‼︎‼︎」
ボォッと、周囲から黒い炎が浮び出す。
机に置いた叩きつけたペンも書類も全て、一瞬で黒い炎に呑まれていく。あまりの禍々しさにラスボスが短く悲鳴を上げた。
背中を反らし、さっきまで彼に密着させていた身体で何歩も後ずさり泳ぐように視線を彷徨わす。レイ……!とアムレットが呼びかけても彼の怒りは収まらない。まるで怪物の羽のように背後も周囲全てを黒い炎で取り巻いた。
何年も自分を騙し続けた怨敵へ、視線を刺す。
「嘘だったんだな⁈今まで口遊んだ全て‼︎‼︎たかが聞き齧っただけの情報一つでよくも何度も何度もこの俺様を利用しやがったもんだ……‼︎」
「ち……違うわよ‼︎その女が嘘ついているのよ‼︎ねぇレイ落ち着いて⁈そんなことして良いの⁇私に歯向かうならもうライアーの情報を教えてあげないわよ⁈ね?ねぇ?困るでしょそうでしょレイ!貴方はこの庶民に騙され」
「ッ黙れ‼︎アムレットが俺様に嘘なんざ吐くか‼︎‼︎卑しい売女がコケにしやがって……‼︎消えて償え……‼︎‼︎」
ボワリと、怒りに燃えたレイの黒炎が膨れ上がるように燃えだした。
炎をいくつもいくつも周囲に溢れさせていくレイが、黒に包まれた。重たい扉の部屋が壁から燃え、額縁や絵画の絵の具も溶けて床の絨毯までチリチリと足下から火の海を作りだす。ヒールの靴を履いた踵よりも炎の先が高くなる。
ラスボスの豪奢な服にまで火が燃え移りかけ、彼女もビクリと足を跳ねさせた。逃げようとふらふら後ずさるけれど、怒ったレイを前に逃げ場所なんて無いことを彼女もよく知っている。……そうだ、ネイトやディオスルートでもこれでレイがラスボスを
「やめてレイ‼︎‼︎」
甲高い悲鳴と共に、アムレットは黒炎の中心へと駆け出した。
……大丈夫。このルートなら、レイは誰も殺さない。…………このルートでは。
早く、止めないと。
ゲームでも、そして現実でも過去に囚われている。ただただ過去とライアーの面影しか見えていない。
何年経ってもこのままじゃ、彼は永遠に前へは進めない。
望んだ先がなくても、それでもどうか彼を早く
早く、未来に。
……
…
「!おはようございます、プライド様」
おはよう、といつものように専属侍女のロッテとマリーに挨拶をする。
私が起きていたことに驚いた様子で扉から入ってくる二人に笑い掛け、寄りかかっていた背もたれの枕から身体を起こして伸びをした。んん~……と気持ち良く真っ直ぐ天井へ向けて腕を伸ばしている間にも二人が慣れた動きでカーテンを開け朝日を入れてくれた。
「今日はお早いお目覚めですね。よく眠れましたか?」
「ええ、多分。……なんだか起きた後もぼんやり目だけが冴えちゃって」
マリーの言葉に思わず肩を竦めて笑い返す。
昨日はいつも通りに寝たどころかむしろレイのことで色々考えて少し寝付くのが遅くなっちゃったくらいなのに、三十分も前に目が覚めてしまった。なんだか魘されたのか目が覚めた時には妙に息苦しくて、汗だけすごく掻いてしまった。
お陰で今も寝衣が湿っているのがわかる。額や首も触ってみたらベタベタだし着替え前に身体を拭いてもらった方が良さそうだ。今日はただでさえ忙しいのに、朝から汗臭いままではいられない。
「それではプライド様、朝のお支度を致します」
「ええ、お願いするわ」
準備を終えたロッテの言葉に私もいつものようにベッドから降りる。水を溜めた桶で顔を洗えば、少し頭もすっとした。
レイ・カレン。
昨日協力を名乗り出た私達は、これから彼を追い詰めることになる。
腹黒策士ステイルと天才謀略家ジルベール宰相、二人の協力もあって滞りなく段取りは進んだ。朝食を終えたら早速本番だ。正直今でもレイの設定を思い出すと、……色々と気が引ける部分はある。
『俺様に触れるな近付くな‼︎‼︎』
今でも苦しんでいる彼を、また今以上に苦しめてしまう。
もう過去にあれだけ苦しんだ筈なのに、この後の彼を思うとどうにも胸が痛む。……けど、一生ライアーにも辿り着かず利用されて結局全て失い終わるという悲劇だけでも回避をしたい。このまま放って置いたらたぶんきっと彼はライアーに辿り着けないまま、私の手の届かない場所へと消えてしまう。
レイと協力したとしても、ライアーの方まで上手くいくかはまだわからない。我が国はゲームよりも圧倒的に良い状態ではあるけれど、……ゲームの設定は全てが覆ってくれるほど優しくもない。それに、ゲームではご都合展開でレイルートで偶然ライアーに遭遇できたアムレットだけど現実はそう甘くない。
ライアーにもし辿り着けたとしても、その後にちゃんと幸福が待っているかもまだわからない。ゲームでのレイルートすら彼にとっての完全なハッピーエンドかはわからない。それでもあのルートが彼にとっては唯一前に進むことができた未来だった。
そして今、彼はまだアムレットと知り合ってもいないし、きっかけでもあるラスボスにも出逢っていない。
せめて彼がこれ以上道を踏み外す前にここで止めないと。
あと何度彼を苦しませることになっても、ゲームよりは良い未来を約束したい。
「今日は良い天気ですね。風が吹いているので過ごしやすいかと思います」
「良かったわ。最近は気温も高くなってきてたから」
ドレスに着替え終わり、ロッテに笑いかけながら鏡の前に腰を下ろす。いつのまにか鏡の向こうにいるラスボス顔も見慣れてしまった。
午前の用事が終わったら早速レイの元へ行くし、外も過ごしやすい方がありがたい。
今日、とうとう動き出す。
彼の要塞が音を立てて崩れ出す。現実では早々に決着をつけさせて貰う。
そして再び彼の元へ行き、今度こそ協力させてもらう。
彼が牙さえ剥かなければ、きっと同じ目的に向かって一緒に走ることは難しくない。
彼はどんな手を使ってでも見つけ出すこと、そして私達はそれを助けることが目的で、……本当なら利害も一致している筈なのだから。
『いっそ〝追い詰めて〟しまうのも一つの手ではないでしょうか?』
ステイルの策は、……正しい。
どんな形であれ彼が間違った方法で動いている以上、まずはそれを止めないといけない。目的の為になら彼はいくらでも望んで利用されてしまう人だから。
たとえ彼にとっての悪役になっても、無理矢理にでもこの手を掴ませてみせる。
彼を未来へ向けて歩かせる為になら。




