そして急ぐ。
「どうか、プライドにも宜しく伝えてくれ。また後日、学校では宜しく頼むと。急に押し掛けてしまってすまなかった」
「!もう行かれるのですかっ?」
「……?………………??」
ティアラの言葉を聞けただけで満足だと、再び外へと踵を返そうと礼をするセドリックに、彼女は大きく瞬きをした。
せっかく勇気を振り絞って階段から降りたのにもう行ってしまうのかと、思わずの気持ちが言葉になってしまった。言ってしまった直後に慌てて口を両手で覆うティアラは、今度こそ自分の言葉に顔が真っ赤になる。まるで自分が引き留めたがっているような、まるでもう少し話したかったかのような、そう受け取られて当然の言葉を、他では無いセドリックに言ってしまったと思えばこの場から逃げたくなった。
しかし自分からこんな言葉を言って置いて逃げるなんて失礼過ぎる。プルプルと恥ずかしさのあまり足や肩震わせながら口を覆った手を下ろせないティアラに、セドリックも流石に目を見開いた。
わざわざ自分の声が届きやすい場所まで階段を降りてきてくれただけでも充分過ぎるほど配慮を受けた今、侍女達どころかティアラにまで気遣わせてしまっては無礼だと思った。だからこそ、これ以上の長居はと去ろうと思ったのに、今の言葉ではまるで自分が去ってはならないようだった。
顔を真っ赤にして怒り、しかも自分の発言を後悔するように口を覆うティアラに、また何か無礼なことを言ってしまったのだろうかと考える。二年ほど前にも、こうして自分の失言に彼女が怒り、そして自分へ言い返した言葉の直後に口を覆っていることがあったと明確に思い出す。そこでついさっきの己が発言を鮮明に顧みれば、もしや第二王女且つ次期王妹相手に同じ王族とはいえ自分がプライドへ言付けを頼むこと自体が無礼に取られてしまったのだろうかと考える。
これからプライドに会うという彼女に、プライドに対しての敬意も含めての挨拶だった筈が何か間違えてしまったのかと。マナーや教養を身につけた筈が、やはりまだ付け焼き刃かと黙々と反省した。つまりは「もう行かれるのですか」は、自分がまだ礼儀が足りていなかったことかとセドリックは神子の頭脳を空回りさせる。
「……すまない、第二王女殿下相手に言付けは無礼だったか。使者を通すべきだったな、伝言は取り消してくれ。ティアラ、また後日レオン王子と学校見学で来訪する時には」
「ちっ、違います‼︎……~~っっばか!」
確実に誤解されたと。早々にセドリックの鈍感さを理解し否定したティアラだったが、直後には顔を林檎にしてまた怒鳴ってしまう。
勘違いされたことにほっとしたような悔しいような恥ずかしいような感情が入り交じり、涙目になりそうなのをぐっと拳を握って堪えた。直後には「す、すまない……?」と背中を反らして謝罪したセドリックだったが、ならば一体どうして怒られたのかと余計にわからなくなった。
むぅぅ!と丸い目を尖らせている今のティアラは誰がどう見ても怒っている。
また言ってしまったと、自分ではつい出てしまった悪い口に後悔でいっぱいになったティアラは尖らせた目のまま今度こそと彼への正答を考えた。
「お、お姉様にっ……、お姉様に私の方から取り計らいましょうかと……思っただけですっ!私もお姉様にお会いしますし、そろそろジルベール宰相とのお話も終わる頃の筈なのでっ!」
「!ああ、そういうことか。失礼した。だが、大丈夫だ。本当に、運良く会えれば程度に寄っただけだ。わざわざお前に取り計らってもらうものではない」
「ですが、……その、こちらとしても王弟殿下に無駄足をさせてしまったことになりますし」
プライドを理由にしていることをずるいと自分で思いながら、やはり引き留めてしまう。
ティアラの怒った理由と謎の発言に納得をしたセドリックと違い、ティアラはまだゆらゆらと胸の奥が揺れてしまう。胃がきゅっと締め付けられるような感覚に、折角自分の休息時間も重なったのにと思う。
ここまでまともに会話をできたのも久々であることを考えれば、いっそプライドの用事が終わるまで自分が客間でお相手しましょうかと言ってしまえば話が早いとわかるのに、そんなことを自分から言えるわけがない。
むぐぐ……と、会話を引き延ばしてしまう自分を恥じらいながら舌を動かしてしまうティアラの頑張りは、全くセドリックには届かなかった。
いや気にしないでくれ、俺が勝手に訪れただけだと、折角の機会を不意にしていることにも気付かない。あまりの鈍さに、ティアラも流石にこれ以上は引き留められないと少し熱が冷め
「お前に一目会えただけで充分幸福だ」
「~~~~っっ‼︎」
ポンッ!と、次の瞬間には折角冷めてきた筈の頭が真っ赤に燃えた。
唇を引き絞り、肩をこれ以上なく上げてしまったまま固まれば、セドリックはまた彼女を怒らせてしまったかと慌てて補足を入れ直した。自分の胸を手で示し、訴えるように声を張る。
「お前とこうして会えるだけで城どころか国を跨ぐ価値がある。無駄足どころか、お前と会う為ならばたとえ星の裏側であろうとも俺はー……」
「ばかっ‼︎‼︎」
もう良いです‼︎と、顔どころか首から手足まで全身真っ赤にしたティアラが今度こそ踵を返して逃げ去った。タタタッと、ドレスの裾を持ちながら背中を向けて駆け出す彼女にセドリックの右手が思わず伸び、そして行き場のなく空を切った。
また怒らせてしまった……と、何故怒らせたのかもわからず肩を落とすセドリックはそのまま階段を駆け上っていく彼女を見届けた。二階へ上がり、さっき最初に声を掛けた場所で一度立ち止まった彼女は俯かせた顔のまま目だけでちらりと彼を見た。未だに帰ることなく自分を見上げ続けている彼に、ぷくっと頬が限界まで膨らんでしまう。哀しげに瞳の焔が揺れているように見えてしまえば、このまま立ち去ってしまうことにも気が咎めた。
「~っ……また!……学校でっ」
ふんっ!と、そこまで言うと今度こそセドリックの返事も待たずに逃げ去った。
ああ、の言葉も届かずパタパタと足音を立てて去って行く彼女を最後まで見届けてから、セドリックは宮殿を去った。また怒らせたと、帰りの馬車でぐったりと項垂れながらも久々に長く話してくれた彼女との会話を鮮明に頭の中で巡らせ続けた。
……
「!おや、ティアラ様」
ぱたぱたと、珍しく駆けながら向かってくるティアラにジルベールは眉を上げた。
俯いたまま急いで階段までも駆け上った所為で息も乱した彼女は、前方からすれ違おうとするジルベールにも最初気付かなかった。彼の声にすぐ速度を落とし、いつもの足並みに戻せばやっと「ジルベール宰相……」と消え入りそうな声が零れた。
「休息時間ですか?先ほど私もプライド様とのお話しが終わったところです。どうぞごゆっくり……、……ティアラ様。もしや、お熱でも?」
「⁈い、いいえ違いますっ!ええと、そのちょっと走ってきちゃったもので……っ」
お姉様に早く会いたくって!と、そう言いながら火照りすぎている自分の頬を両手で挟む。じゅわぁぁ……と、自分の顔が蒸したようになっていると自覚すれば余計に羞恥が込み上げた。
ジルベールもその様子に検討を付ければ、風邪以外の理由などたった一人しか思いつかない。おやおやと呟きたい口を意識的に閉じた。
「……では、そのお熱を冷ました後にプライド様へ窺った方が宜しいですね。一度お自身の部屋で休まれてからにしてはいかがでしょう?きっとプライド様やステイル様も心配されますよ」
はい……。と、ティアラはそこで大きく肩を落とした。
そんな恥ずかしい格好かしら、と赤面のせいで湿らせてしまったドレスと髪に触れる。ジルベールに指摘された通りなら確かに一度顔は冷ました方が良さそうだと、一度自室へ戻るのを決める。この後にセドリックの来訪と伝言も伝えなければいけないのだから、その時にこの顔色を見られるのはあまりに恥ずかしい。一度自室でナイフを十本二十本ほど投げて気を落ち着かせようかしらと考えたその時。
── 『こちらこそ失礼致しました』
── 『その子は妹?それとも』
── 『どうにもならないのです。気付けば目で追ってしまう』
── 『行く当てなど、ありませんから』
「…………」
「……ティアラ様?どうかなさいましたか」
ふと、顔を両手で挟んだまま固まってしまったティアラにジルベールが覗き込む。
ほんの数秒程度の硬直だったが、乱れていた息も止まった様子にやはり風邪の方だろうかと心配になる。しかし、ジルベールからの呼びかけにティアラはすぐ「いえ」と顔を上げて笑い返した。
「また……前兆?でしょうか。なんだか一瞬ぼんやりしちゃって」
覚えてはいない。
しかし、ぼんやりと感情が引き摺られるように先ほどまでの浮き立った気持ちや羞恥心が引いていった。代わりに一瞬で彼女の感情を飲み込んでいったのは全く別のものだった。
前兆、とその言葉の意味を理解するジルベールは眉を上げる。しかしティアラからすれば予知はともかく前兆はもう慣れっこだ。心配をかけないように笑顔を向けながら「大丈夫です」と火照りの引いた頬から手を降ろす。
「今もよく見られるのですか?」
「最近……また少しだけあって。予知ではありませんから、大丈夫ですっ」
……けど、すごくすごく胸が締め付けられた。
ぎゅっと、思わず両手で胸を押さえてしまう。
火照りが嘘のように消えたのは良いが、同時に形のない感情を少し引き摺った。今までも何度もあったことだが、その度にこの一瞬の胸が絞られる感覚は慣れないとティアラは思う。
大丈夫ですか。そう眉を落とすジルベールが尋ねたが、気持ちの切り替えがついたティアラはにっこりと心からの笑みで返した。むしろ今までは隠してきたことをこうして言葉にできるようになっただけ、昔よりは楽だと思う。
しかしそれでもジルベールの表情は優れない。今まで前兆が過ぎても、こうしてすぐに気持ちを切り替えて明るい笑みを周囲へ返してきたのだろうと考える。
「……ところで、ティアラ様」
「はいっ、何でしょう?」
「セドリック王弟殿下はお元気でしたか?」
ぽんっっ‼︎と、まさかのジルベールからの奇襲にティアラの顔色が一気にまた茹だった。
誤魔化したつもりなのに、見事に見破られてしまったことに唇を震わすティアラにジルベールはにっこりと笑みを返した。
「何かご相談があればいつでもお尋ね下さい。私で宜しければ何でもご相談には乗りますので」
まるで前兆のこととも、セドリックのこととも取れる言葉にティアラはあわあわと唇を踊らすだけで声が出なかった。
それでは失礼致しますと深々礼をして背中を向けるジルベールは、やっとそこで気付かれないように胸を撫で下ろす。少なくとも、今の一言で前兆については吹き飛んだだろうと思いながらその場を後にした。
彼女の感情を一瞬で跳ね上がらせた王弟の存在に、心から感謝をしながら。




