Ⅱ249.頤使少女は覚悟する。
「それはそれは。……ですがプライド様とステイル様にお怪我が無くて幸いでした」
ほっ、と一息吐いたジルベールは、ようやくそこで肩から力を抜いた。
進捗状況を聞く為に訪れたジルベールを前に、プライドも釣られるように息を吐く。ステイルや近衛兵、近衛騎士と共に待ちかねていた彼女だったが、ジルベールが部屋に入ってきた途端に早速話すべき内容が前後することになった。
彼女の部屋に入ってきた時こそいつものように落ち着いていたジルベールだったが、すぐに彼女の背後に控える近衛騎士を確認して異変に気付いてしまった。本来であれば今日はプライドと共に護衛でレイ・カレンの家から戻って来た筈のアーサーがいなかった。
おやアーサー殿は、と見逃す筈のないジルベールが尋ねれば、敢えての憮然とした態度でステイルが間髪入れずに返した言葉は
「医者の元へ強制退去させた」だったのだから。
プライドからステイル達同様レイの情報を聞いていたジルベールも流石に焦らされた。
強力な火の特殊能力者、という事実に「まさかお怪我を⁈」と顔色を変えたところで慌ててプライドが正しい事実へ修正した。怪我といっても軽傷であること、念のためにステイルが医者の元へ見せるよう早々に取り計らってくれたのだと当時の状況も踏まえて説明すれば、やっと血色を無くしかけていたジルベールの顔色も元に戻った。そこから話を広げるように、今やっとレイの屋敷で顛末全てを語りきったところだった。
「いえ、でも私の軽率な行動でアーサーに怪我を負わせてしまって……」
「アーサー殿は騎士ですから。ある程度の怪我も覚悟の上ですよ」
「さっきまで顔を青くしていた男がよく言うものだ」
プライドへやんわりと埋め合わせるように言葉を掛けるジルベールに、ステイルが紅茶を口に含む直前に両断する。
これにはジルベールも否定が出来ず肩を竦めた。部屋を出る直前まではアーサーとプライドのやり取りに爆笑していたステイルだが、アーサーが不在の今はまたやや機嫌が傾いている。彼が怪我をしたのは仕方が無いとはいえ、それをプライドや自分にも隠しきろうとしていた事実は未だに不服だった。わざと勘違いするようにジルベールへ言ってみせたのも八つ当たりに近い。
今も自分を落ち着けるべくプライドの専属侍女であるロッテとマリーが淹れてくれた紅茶をカップの半分近くまで飲んだが、それをすれば今度はまた別のレイの所業を思い出す。プライドに向けてカップの中身を被せようとし、それが結果として自分の相棒に引被せられた。それを思い出せば、折角の紅茶すら味も香りも落ちて感じた。
ジルベールもステイルの様子だけでそれをいくらか察した上で苦笑した。彼も彼でアーサーが怪我をしたと知った時にはそれなりに焦燥したのだろうと、眉を垂らすプライドと見比べながら理解する。
「お優しいステイル様ほどではありませんとも。それにしても、アーサー殿も避けきれなかったということは相当な威力だったのでしょうね」
むっ‼︎とステイルの眼光が鋭くなったところで、そのまま話を流す。
予想しなかった意趣返しを流されながら、ジルベールの言葉に腕を組んだ。思考がジルベールへどう言い返してやろうかから、改めてレイの特殊能力の威力へと変わっていく。
確かにあの威力は凄まじかったと、それだけは間違いない事実だった。プライドからの合図から、扉の外へ逃げ切れるし間に合うと思ったからこそ奥の手である瞬間移動も使わなかった。が、それも結果としてはレイの特殊能力を甘く見ていたからだと顧みる。自分が攻撃が来ると思った時に瞬間移動をしていれば、アーサーを怪我させることもプライドに自責の念を持たせることもなかったのだから。
「確かにレイの特殊能力は凄まじいものでした。アーサーはあくまで私達を庇ってくれての負傷ですが、扉一個分の範囲に火柱が走りましたから」
プライドの説明にステイルも無言で頷く。
今回は何とか逃げられたが、次こそ大怪我を負わされないとも限らない。黒い焔を纏う彼に再び正面から向かわないといけないと考えればステイルの頭の中で次々と思考が積み上がっていく。黒縁眼鏡の向こうが静かに深淵を帯びていくのを、ジルベールは向かいの席から確認した。
「では、レイ・カレンを説得するのは今の時点では難しいということですね。こちらの強力も拒む上、更にはプライド様……いえ、ジャンヌ達からの情報源を聞き出そうとしているのですから」
「ええ……、あの、ジルベール宰相。因みに例の件の方は……?」
冷静に事実を並べるジルベールに、プライドも膝の上で指を組んだまま肩に力が入る。
明日訪れたところで、また逆上させて攻撃されて逃亡では意味もない。彼女の目的は接触回数を増やすことではなく、あくまで彼の説得と協力なのだから。いっそビギナー用乙女ゲームのように会う回数が増えるだけで親密度が上がってくれれば良いのにと現実逃避なことを考えてしまう。
「勿論、プライド様のご希望通り今は水面下でのみ留めております。ただ、既に王配殿下と陛下もご存じのことなので、長くは難しいでしょう。早々に対処しなければ、折角のアネモネ王国への機会も棒に振ってしまうことになりますから」
「そうですよね……」
今度は肩まで丸くなる。
本来であれば、白日の下に晒すべく自分からジルベール達に任せた仕事でもある。しかしここで先にそちらが完遂してしまえば、今度はレイとの接触が不可能になる。そうなれば極秘視察を終えた後も彼に強力するどころの話ではなくなる。だからこそ自分は今まで穏便にジルベール達へ全てを任せていたのだから。
そして今、〝予知〟という形でジルベール達もプライドが決定打賽を留めている理由はわかっている。だが、既に処分が決定づけられている以上、留め続けるのも難しい。レイが協力的になれば話は別だが、このままでは彼が学校内でプライド達に危害を加えようとする可能性もある。更には借り家として協力を得ているエリックの家までレイ達に調べ上げられれば、今度こそ関係ない相手を巻き込んでしまうとプライドは結んだ口の中を飲み込んだ。今、最も欲しいのはレイに強力を求めさせる為の
「……一つ、提案なのですが」
沈黙が続いた部屋で、酷く落ち着けられた声が落とされた。
視界よりも思考に没頭しかけていたプライドも、はっと顔を上げて隣へ顔を向ける。深淵から戻って来たステイルが、眼鏡の黒縁を押さえてそこに座っていた。
提案、の言葉に何かを思いついたのかとジルベールも視線を正し姿勢を向ければ、目が合った途端ステイルの口端がニヤリと引き上がった。
「いっそ〝追い詰めて〟しまうのも一つの手ではないでしょうか?」
えっ、と。
予想を斜め行くステイルの提案にプライドは息を止める。一体どういうことか、ステイルもレイの状況は知っている筈なのにと思いながら、黒い笑みを浮かべる彼から続きを待つ。ジルベールが「ほう」と興味深そうに声を漏らす中、物騒すぎる言葉にカラムは顔を引き締め、ハリソンは目を光らせた。
全員の注目が集まっていることを視線の熱だけで自覚しながら、ステイルはにっこりとプライドに笑みを向ける。アーサーがこの場にいたら顔を引き攣らせるような腹黒い笑みを。
「一部を残して順番を変えるのですよ。例の件を動かせば、レイが行き場を失う。そして行方を眩ませてしまえば彼に手を差し伸べる方法は永久になくなる。……だから、プライドは先に彼へ協力をしたいと考えたのですよね?」
まるで、酒宴の幕開けを語るような流れる言葉にプライドも一言と共に頷いた。
だからこそレイを追い詰めることになる案件を止めたかった。しかし、ステイルの言葉はむしろその逆だ。未だ彼の真意が掴めないままに唇を結んで瞬きを繰り返すプライドだが、次第に自分の脈が遅くなっていくと感じ出す。
「ならば、〝逃げる必要はない〟まま、彼の矛と盾だけ奪ってしまえば良いのですよ。彼は〝ライアー〟に固執しているのですし、ほんの小さな可能性と手段だけ残して置けば彼はまだあの屋敷に留まり続けるでしょう」
ぞわぞわと、まるで悪の総大将からの発言に聞こえる言葉にプライドの顔が引き攣っていく。
その間にもステイルは、にっこりという笑みを崩さないままテーブルの中央から角砂糖を一つ摘まんで見せた。敢えてわかりやすいように、軽く顔の位置まで掲げてからそれを丁寧に自分のカップへ落とす。半分だけ残された紅茶の中にプクプクと小さな気泡と共に角砂糖が沈んでいった。
「〝ライアー〟を見つけ出せる可能性。そして、〝あくまで自分は捕らえられない状況〟さえ残っていれば、彼は残り続けるでしょう。……たとえ、そこが無人の孤島になろうとも」
最後に怪しく声を低めたステイルは、そこで優雅な仕草で残り半分の紅茶を飲み干した。
先ほどは落ちたように感じた味も香りも、今は逆に際立って感じることを実感する。沈黙の中でも水音立てずにマナー通り飲みきったステイルのカップには、また溶けきらない角砂糖一つだけが残っていた。
〝孤島〟という言葉にプライドは喉を鳴らすこともできず、ぽつりと残された角砂糖に視線を落とす。血の気が薄くなったプライドの顔に、ステイルは一度だけ安心させるようにいつもの笑みで笑い掛けた。彼女が考えているであろう思考をやんわり否定するように、声も柔らかくしながら補足する。
「勿論、レイ・カレンが交渉に応じるような人間性を持ち合わせているか、今日の時点で検討してくれればこんな物騒な手を使わずにも済んだのですが」
まるで、自分も本心では気が引けるのですがと言わんばかりの言葉にプライドは心の中だけで否定する。
ステイルの声や表情、纏わす黒い覇気全てから彼の絶対意思と僅かな私怨も感じられる。レイが交渉に応じるつもりだったらそんな恐ろしい手を使おうとも思わなかったことは本当だろうが、確実に今のステイルは本心からそちらの方向へと進ませることを望んでいる。そして、……確かにその手が最善かもしれないとプライドも納得してしまう。
彼女の枯れた笑みも少し可愛いなと思いながらもステイルは眉を僅かに傾け、そして紅茶のおかわりをとカップを軽く上げてマリーへ合図した。話しの途中でポットを持ち出すことに気が引けていたマリーだが、ステイルからの意思に素早くカップへまだ湯気が上がる紅茶を注いでいく。
「これで、彼の協力者は望むと望まざるも関わらず〝ジャンヌ達〟だけになります。……籠絡も、いくらかしやすいかと」
熱をもった紅茶を注がれ、湿りきっていた角砂糖がボロボロと崩れて溶けていく。
今自分達は悪党の会談をしているのだろうかと、一瞬だけプライドは錯覚する。自分達はレイを手助けする為の相談をしていた筈なのに、完全に逆の意味に取られかねない話が続いている。
首を摩りたい欲求に駆られたが、膝の上で重ねた手を動かすのも躊躇われた。怪しく笑うステイルに、背筋が必要以上に伸びてしまう。湯気と共にあふれ出す香りを楽しんだステイルは、上機嫌の笑みをそのままジルベールへと向けた。
「例の件から〝レイ・カレン〟関係のみを先延ばしにし、それ以外を処断する。……その程度の情報操作、お前には容易いことだろう?」
ジルベール、と。柔らかかった笑みが黒に染まり、漆黒の瞳が確かに光った。
ステイルからのどす黒い提案と笑みに、ジルベールは優雅な笑みだけで返す。流石ステイル様、と改めて彼の策に胸の内だけで舌を巻く。
容赦のない方法ではあるが、確かにそれならば現状の打破だけは間違いない。自分の能力を買ってくれたことも嬉しいが、やはり彼は国一番の頭脳を持つ策士だと実感する。今、この場で全てを計算にいれてしまったのだから。
お望みとあらば、の一言を低めた声でプライドとステイル二人へ返してみせれば、ステイルも同じ表情で彼に返した。熱を持った紅茶を一口味わい、皿の上に戻したところで明るい笑みをプライドへと向ける。
いかがでしょう?と、あくまでプライドの決定を尊重する意思をこの場の全員に示しながら、投げかける。
「彼は随分と〝権力〟を振りかざすことが好きなようでしたし、ここで〝挫折〟と〝苦渋〟を味わわせるのも今後の為の良い勉強になるのではないでしょうか?」
── いやもうがっつり知っているのだけれども!!
ステイルの笑みに、心の中でプライドはそう叫ぶ。
しかし、現にステイルの策こそが最も被害を出さずに穏便に進められる最短コースであることも理解する。それに、一時的にレイを追い詰めることになろうとも最終的に結末は変わらない。彼の望みを考えれば、いっそ手痛い目に合わせてしまってもこちらの方が彼にとっても最善だと考える。それに、少なくとも今後ギルクリスト家や学校の生徒を巻き込む心配はなくなる。
どう考えても聞く耳を持たない彼に対してステイル以上の策など思いつかない。最終的には項垂れるような形ではっきり頷く結果になった。
そのようにお願いします……と消え入りそうな声でジルベールにプライドの口から願えば「お望みのままに」に深々とした礼が返された。この場で決定されたレイへの怒濤の展開に、プライドは今から若干の良心が痛む。ファーナム姉弟やネイトのように覚悟する前に彼の悪役にも自分がなってしまったと確信する。
……アーサーが怪我しちゃったからなぁ……。
確実にそれが噴火点になったのだろうと、プライドはそう思うと溜息が零れてしまう。
どういう理由と形であれ、第一王子にとって唯一無二の親友を怪我させたことがレイの一番の失錯なのかもしれないと思いながらカップに口をつけた。
前世のゲームをやった自分は、レイがどういう理由でライアーへ血眼になって探しているのかも、そうなるまでの経緯から今の俺様な彼が形成された過程もルートで語られた分は把握している。それを思えば、これから彼に降りかかるであろう現実は酷だと思う。あれほどの悲惨な過去を持った結果、ゲームでも現実でも権力を振りかざすようになってしまった彼はこれから
〝最大の権力〟を目の当たりにすることになるのだから。
「早速明日にでも」と腰を上げたジルベールを見送りながら、第一王女プライドは新たに覚悟を決めた。




