Ⅱ247.頤使少女は詰め寄る。
「ッいえ‼︎ですから本ッ当に大丈夫ですから‼︎ンなわざわざ見る必要もっ……!!」
エリック副隊長の家から帰城後。
ステイルの瞬間移動で自室へ戻った私達は、早々にアーサーを壁際に追い詰めることになった。
ハリソン副隊長が自力で城へと向かってくれる中、部屋には専属侍女のロッテ、マリーと近衛兵のジャック。そして近衛騎士として部屋の外に控えてくれていたカラム隊長が迎えてくれた。
結局、一回目の接触はレイを激昂させるだけで終わってしまい、しかも拒絶どころか情報源を吐けと若干狙われる結果までついてきてしまった。帰って早々溜息しか出ない状況で取り敢えず結果は残念、ジルベール宰相を呼んで着替えたらまた話し合いをしましょうと肩を落とした時だった。
『アーサー、〝火傷〟か?』
さらっ、と。
着替えの為に別室へ移動しようとするアーサーに、カラム隊長が気が付いたようにそう言った。
もう聞いた瞬間に私もステイルも風を切る勢いでアーサーに振り返ったし、アーサー本人もぎくりと肩を上下して早々に私達から隠すように正面を向けてきた。「あっ……いや!そのっ……‼︎」と銀縁眼鏡をずらしたまま口籠もるアーサーの姿はもう確定だった。
レイの屋敷から逃げ出してからギルクリスト家まで私達の背後についていてくれたアーサーの背中をそういえばまだ確認していないと気が付いた。
もしかしないでもあの時に⁈と私が声を上げれば「大丈夫です‼︎大したことありません‼︎」の一点張りで、背中を向けてくれないアーサーはそのまま後ずさって両手の平を前に見せるだけだった。
でも今見せて欲しいのは手の平ではなく、その背中だ。ステイルもカラム隊長の発言には驚いたらしく「背中を見せろ」と黒い覇気を溢しながら私と並んでアーサーに詰め寄っている。
「レイの特殊能力を受けた時だろう。俺達に黙っていようとは良い度胸だ」
「ッだァから‼︎ンな言うほどの傷でもねぇっつってンだろォが‼︎」
「けど火傷をしたのでしょう⁈あの時、私達を庇ったから‼︎」
「いえッ……その……!」
壁まで逃げ場を無くしたアーサーが、冷や汗を垂らしながら喉を反らす。
アーサーが火傷するような状況なんてあの時以外あり得ない。レイの放火から逃げた時、私とステイルの背中を覆うように飛び出してくれたのはアーサーだ。その後に私を運んでくれた時も一緒に帰る時も全くそんな素振りを見せなかったから気付かなかった。
この焦りようから考えても、着替えたら確実にそのまま誤魔化すつもりだったのだろう。とにかく傷の状態を見るまでは安心できない。酷かったらすぐに医者に診てもらわないと!
「……アーサー。プライド様もステイル様も心配しておられる。先ずは傷を見せて見ろ」
私が確認しよう、と詰め寄る私達とアーサーの間に入るようにカラム隊長が立った。
十四才の姿で肩をポンと叩かれた途端、がくりとアーサーの首が落ちた。わかりました……とアーサーが消え入るような声で頷くと、そのままカラム隊長が手で私とステイルに少し下がるようにと制した。
「ですが、あまり傷などを王族の方々の目に晒すのもアーサーは気にすると思うので、できれば距離を取って頂けると幸いです。プライド様に至っては婚姻前の女性ですから、肌を晒すのはあまり」
んぐ、とカラム隊長のこの上なく冷静な正論に唇を絞ってしまう。
確かにその通りだ。個人的には男性の肌や傷とかも既に今までの戦闘や救護棟へお見舞いに行った時とかに何度も目にして慣れている。けれど、だからといってわざわざ傷を見せるという行為自体にアーサーが躊躇うのは当然だった。
あくまで私もステイルも王族だし、アーサーもきっと私達が知ったら心配ちゃうのも傷を確認したがるのもわかっていたから黙っていたのだろう。しかも、私に至っては嫁入り前だ。
わかりました……、とカラム隊長の言葉に頭が冷えて数歩引くと、ステイルも準じるように並んで下がった。
アーサーがカラム隊長を救世主!と言わんばかりに目を輝かせて見上げているのが、まるで今は年の離れた兄弟に見えてくる。……そして、よっぽど私達に傷を見せるのが嫌だったんだなぁということも。
焦ったとはいえ、配慮に欠けてしまったことを反省する。ステイルの方は遠目の距離になりながらも、まだ怒っているように眉間に皺を寄せて、唇を結んでいた。恐らく半分は心配の所為の苛つきだ。
自分の背中で私達からアーサーの姿を軽く隠すようにして、カラム隊長がアーサーに背中を向けさせる。カラム隊長が服を捲る前からちょうどアーサーの背中より腰辺り近くがチラッと焦げ落ちてみえた。改めてその威力にぞっとする。
「傷は拳ほどの大きさもないが、すぐに医者に診せて薬も塗った方が良い。深くはないから痕は残らないだろう。直撃は免れたのか?」
「はい……。避けた直後の余波が結構なもんだったンで。けど、戦闘だったら絶対勝ちます」
「相手は討伐対象ではないだろう」
すみません……、とカラム隊長からの指摘にアーサーの背中が丸くなる。
あの凄まじい特殊能力者を相手にまずは戦闘を考えてしまう辺り、流石アーサーだ。傷も浅く範囲も小さいことに私は胸を撫で下ろす。
その頭胸を両手で押さえ付けながら、カラム隊長からの検診が終わるのを待った。
他にも火傷や傷が無いのを私達の代わりに確認してくれたカラム隊長が「よし良いぞ」と捲り上げていたシャツを元通りに下ろした。どうやらその火傷一つだけらしい。
ステイルもアーサーの怪我が酷くなかったことにほっと息を吐く音を漏らした。見れば、眼鏡の黒縁を押さえ付けた後には眉間の皺もさっきより薄くなっている。……けど、私に付き合わせた所為で怪我をしたのは事実だ。
「アーサー、本当にごめんなさい。鎧も着れない状態なのに護衛なんてさせた所為で怪我を……」
「!全ッ然大丈夫です‼︎プライド様達がご無事だっただけで充分なんで‼︎次は絶ッ対三人全員無傷で避けます‼︎」
歩み寄る私に、アーサーがくるりとまた正面に向き直る。
眉を大きく開いて、私の謝罪をうっかり上塗ってしまう勢いで声を上げるアーサーは首を横に振った。確かに、騎士であるアーサーにとっては護衛として私達を身を挺して守ってくれることは当然だし、任務でもある……それでも。
「私がレイを説得しきれなかったから。それがアーサーが怪我を負っていい理由にはならないわ」
レイ相手でも、私達なら逃げ切れる自信もあった。
けれど、結果としてはアーサーが怪我を負ってしまった。私の考えが甘かった所為だ。レイの特殊能力の恐ろしさも前世のゲームで一番理解していた筈なのに。
そう考えると、段々とアーサーを見上げていた視線が下がってしまう。もし、間が悪くて直撃したらこんなものでは済まなかった。戦でもない私の我が儘で大怪我を負わせていた可能性も充分ある。
考えれば考えるほど息をするのも忘れて胸が苦しくなる。
やっぱり、レイの屋敷に明日も行くのは止めた方が良いだろうか。けど、学校で見つかってまたあんな攻撃をされたらそれこそ大惨事になってしまう。ならいっそレイに協力すること自体を諦めるべきなのか。……けど、それじゃあ。
『ッ黙れ‼︎黙れっ……‼︎俺様に触れるな近付くな‼︎‼︎お前らも〝こう〟なりたいか⁈』
彼が、救われない。
逃げる間際、怒声の中でガラついていた彼の声が耳から離れない。既にあれだけ苦しみ傷ついている彼は、このままだとゲームスタートの三年後に救われるかもわからない。
アムレットがルートに行かなければ、彼はライアーへ辿り着くこともなく潰えてしまうのだから。
それに、ラスボスに良いように利用されるのも見過ごせない。今の彼でははきっとどんなに怪しいと思ってもラスボスの口八丁に騙されてしまう。けれど、また次もレイを怒らせたら今度こそ取り返しのつかないことになるかもしれない。
潜入視察を終えてから、王女として接触を図った方がまだ話を聞いて貰えるだろうか。それならアーサーや護衛の騎士もしっかりと武装できるし、安全だ。けれど、潜入視察が終わるまでこのまま全て停滞させると今度はジルベール宰相やその分学校の方が……‼︎
「……ッ守らせて、くれますよね……?!」
「……え?」
不意に正面から放たれた上擦った声に顔を上げる。
いつの間にか俯いたままだった視界が開けたと思えば、アーサーが眉間を狭めた顔で私を見つめていた。苦しそうとも真剣とも見える表情で、深い蒼が私を映す。拳を握って、逆に私が詰め寄られているようだった。前のめりになるアーサーに、どういう意味かと言葉を探していると今度はバン!と響く音でアーサーが自分の胸を叩いて示した。
「俺は絶ッッ対何が何でも付いていきますから‼︎こんぐらいの怪我で諦めるとか護衛から外すとか考えてた、やめてください!次は絶対本気で怪我しませんから‼︎」
目前にいる相手への声量とは思えないほど声を上げるアーサーとその覇気に、自分でも目が丸くなってしまうのがわかる。
むしろ逆に私を止めてもいい状況なのに、そんなことを言ってくれるとは思わなかった。アーサーだって帰り道にレイのことを良く思っていないようだったのに。
どうやら私が変なところで黙った所為で、気を遣わせてしまったらしい。諦めるかどうかで悩んでしまったことはさておき、私がアーサーを護衛から外すなんてあるわけないのに。だって
「ありがとう、アーサー」
自分の胸を押さえていた手をアーサーの手へ添える。
彼自身を示していた方とは反対の降ろしていた方を両手で包めば、怪我がばれた時みたいに彼の腕が肩ごと上下した。私に視線を注いだまま唇を結んだアーサーの手はほんのり温かい。
アーサー達を巻き込んだことも怪我をさせてしまったことも、今でも考えると苦しい。けれどやっぱり、……応援してくれるのもまた彼らなんだと実感する。
要らない心配まで掛けてしまったことに、眉が垂れてしまいながらそれでも心からの笑顔で彼に応えてみせる。
「外すなんてあるわけないわ。アーサーは私の騎士だもの」
そう言葉にしてみたら、自分でも今度こそ力が抜けた。
私を守ってくれるのがアーサーだということが、良いようもなく心強い。今日だって怪我はさせてしまったけれど、同時に間違いなく私達を守ってくれた。お陰で私もステイルも擦り傷一つないのだからとそこまで考えれば、そもそも彼に掛けるべき言葉が最初から違っていたことに気付く。
見開かれていく瞳と息を引く音を聞きながらちゃんと言うべき言葉を決める。こう言えば、きっとアーサーに気を遣わせる必要だって最初からなかったのに。
「守ってくれてありがとう。流石は聖騎士アーサー様だわ。明日からも宜しくね」
力の抜けた笑みのまま言った声は、ふわふわと浮き立った。
その瞬間、真っ直ぐに私へ視線を注いでくれていたアーサーの顔色がぶわわっと一瞬で茹だった。
へ⁈と思わず私の顔が強張ってしまうくらいの顔色の変化に目を疑うと、蒼色の目が映え過ぎるくらいに火照って、握った手すらさっきよりも熱を持ち出した。
アーサー⁉︎とあまりの高熱に声を上げてしまうと、思い切り顔を背けられてしまった。自分の胸を示してくれていた手を腕ごとつかって口元を押さえ付けたアーサーは、隙間から洩れるような声で「……~様……っ‼︎」と擦れた声が聞こえた。……しまった。様付けはまだ聞き慣れていないらしい。
以前呼んだ時もそういえばすごく顔が赤かったことを思い出す。どうやら未だに聖騎士の称号は彼には名前だけで緊張させてしまう危険物みたいだ。アーサーが頼れる騎士だと敬意を表して呼んだつもりだったのに、照れさせるだけで逆効果だった。
「あの、アーサー!だから私、本当にアーサーのことは信頼してるわ‼︎元気づけてくれてありがとう!次は二人の足を引っ張らないように私も注意するから!」
「ッいえ!俺が守るンで‼︎‼︎本当に、本当に、……勿体ないお言葉で、ありがとうございます…………」
がばっ‼︎と慌てるように真っ赤な顔を私に向けてくれたアーサーが、また途中から萎れるように声が小さくなっていく。
どうしよう、私の気持ち数パーセントも通じている気がしない。どうしてこう私は相手に圧をかけるような言葉ばかり言ってしまうのだろう。レイにだって、もっと怒らせない方法があったかもしれない。
目が泳いだまま唇をわなわなと振るわせるアーサーに、どうしようもなく申し訳ない気持ちになる。握った手を解いて、正面に指を結びながら私まで俯いてしまうと、どこからともなく堪えるような笑い声が聞こえてきた。
くくくっ……と、覚えのあるその声に振り向けたステイルだ。
さっきまでアーサーを心配して険しい表情もしていたステイルが、今は私達から上体ごと捻らせるようにして肩をぷるぷるさせている。姉の感謝下手をそこまで笑わなくても‼︎‼︎
ステイル!と思わず沈黙から逃げるように叫べば、顔を背けられたまま擦れた声の謝罪だけが返ってきた。傍ではカラム隊長を始めにマリー達が何とも言えない表情で半分笑っている。
最終的に笑いが収まったステイルが「そろそろ特殊能力が切れる頃ですから……」とジルベール宰相へ帰還の知らせに向かった衛兵の時間を見計らって声をかけてくれたことで、一度彼らの退室が決まった。
私とステイルと同じく、別室で着替えないといけないアーサーをカラム隊長が茹だった腕を引いて連れて行ってくれた。
元の姿で着替えを終え、ジルベール宰相と一緒にステイル達を改めて迎え
……ステイルが呼んでくれたのであろうハリソン副隊長が、高速の足で王居まで直帰してくれていたのを知るのはそれからだった。




