Ⅱ28.騎士は戸惑う。
「ンじゃあ、また後でお願いします」
ああ後でな、と手を振る相手にアーサーは頭を下げてから早足でその場を去った。
騎士団演習場。既に星が見えるほど暗くなった時間に、最後の演習を終えたアーサーは演習場にある騎士館、その自室へと真っ直ぐに戻った。夕食に食堂へと向かう騎士の他に、各自の部屋や外で酒を囲む騎士も少なくない。騎士館に泊まらずに家族の待つ家へ帰る者も、ただ飲みに行くためだけに王都や城下へ降りる者もいる。
アーサーの用件はそのどれでもない。ただ、すぐに部屋へ戻らなければならないと〝わかっていた。〟そして、自室の前まで辿り着いたアーサーは、いつものように扉を開き
「……やっぱもう来てやがったのか、ステイル」
溜息を吐いた。
ハァ……と呆れるように長く深い息を吐き、中に入ってから後ろ手で扉と鍵を閉める。
隊長の為に割り当てられた、防音処置も施された広い部屋の真ん中に堂々と彼は座っていた。部屋の中で唯一の上等な椅子の上で寛ぎながら肘置き側に身体を傾け、足を組んで座る姿はプライドの前どころか、自室でも滅多に見せない横柄な格好だった。黒縁の眼鏡を指先でくいっと上げながら、既にふて腐れた表情でアーサーを睨んでいる。
「お前が来いと呼んだんだろう。そして現段階で待たせたのもお前だ」
「家主より寛ぐなっつってンだろォが。大体、来いとは言ってねぇ」
ケッ、と既に不機嫌そうなステイルを軽く吐き飛ばしながら、アーサーも応じるように突き放す態度で敢えて返す。
ステイルが自分の部屋で先に寛ぐのは慣れたものだが、ここまで機嫌の悪い訪問は珍しい。そして、そうなっているだろうこともアーサーは既に予想できていた。ステイルの言葉に返しながら荷物をいつもの場所に下ろし、腰の剣だけをそのままに団服を皺にならないように掛けた。ステイルは自分を前に辛口で返しながら、平然と背中を向けて鎧を外していくアーサーをじっと眺め、唇だけを尖らせた。確かにステイルはアーサーに「自室へ来い」とは言われていない。
学校から下校後に城へ戻り、そして着替えの為にプライドの部屋から出たステイルに囁いた一言が、彼をここまで瞬間移動させてはいた。しかしそれは呼び出しではなく
『今夜、演習後は一回部屋に戻っから』
その一言だけだった。
別に部屋で待っていろとも来いとも言っていない。だが、今日一日のことから考えて確実にステイルが自分のところに来ることをアーサーはわかっていた。そして、既に今朝の早朝演習の時点でアランに「今夜飲もうぜ」と情報共有の為に誘われていたアーサーは、本来は演習後にも自室に戻らずそのままアランの部屋へ訪れる予定だった。
しかし、確実にステイルが話すならアラン達の前ではなく二人でだということは長年の付き合いでわかっている。プライドにすら話さない内容なら余計に。
だからこそ、そのままアランの部屋に向かうのではなくわざわざ部屋に戻り、ステイルの話を聞きに来てみれば、やはり予想は的中していた。
ステイルは就寝時間の為に自室へ戻ってすぐアーサーの部屋へ瞬間移動し、今の今まで彼を待ちわびていたのだから。
「で?なんでプライド様には言えねぇンだよ?」
最後の鎧を外し終わり、身軽になったアーサーは目線をやっとステイルへ投げながら備え付けの簡素な椅子に腰を下ろした。そのまま逆向きに構えた椅子の背もたれ部分に腕を掛ける。
アーサーの直球にステイルは不服そうに顔を一度背けた。未だに気持ちの整理が纏まってはいないステイルは、ここまで来ても何処まで話すべきか惑う。今回もアーサーが言えと強要した訳ではない。自分が隠し通すつもりだったらアーサーは無理に聞こうともしない人間だということはよくわかっている。そして、その上でアーサーに話すために此所に来てしまったことも事実だった。
無言で葛藤するステイルにアーサーは「この後アラン隊長達とこで飲むか?」と軽く誘う。それにステイルは俯きか頷きかわからない動作で返すと、僅かに口を開いた。
「……色々と、ややこしい上に面倒なことになったからだ。しかも途中で悪化した」
ぼそり、とふて腐れた棘のある声で返すステイルは最後は早口で言い切った。
悪化??とすぐに聞き返されるが、取り繕いのない表情のまま顔ごとまた背ける。
「姉君はプラデストの予知で頭が既に飽和している。ただでさえ最近は妙にうっかりが多いあの人に俺の事情まで巻き込めるものか。しかも途中からはクロイ達まで入ってきた。……正直、俺も頭が破裂しそうだ」
ハァァ……とそこで大きく溜息を吐いて項垂れる。
肘置きに頬杖を付いた手が、付いてすぐに頬ではなくずり上がって頭を抱えた。耳元の眼鏡の蔓が上がってずれる。それでも構わず片手で頭を抱えたまま俯いてしまう。
考えれば考えるほど身体が重く、いっそこのまま椅子ではなくアーサーのベッドに寝転がろうかと本気で思う。
「パウエルに会えた事だけでも驚きが大きいというのに……まさかアムレットが同じクラスになるなど想像もしなかった。………………できることなら関わりたくない」
最後は弱々しい声だった。
そのまま考えが纏まらないように唸るステイルに、アーサーは首を捻る。ステイルをそこまで悩ませるアムレットとは何者なのかと。
少なくともアーサーの目にはそこまで厄介そうな人間には見えなかった。寧ろ話し方もはっきりとし、話す時の表情にも腹黒さの欠片も感じない良い子だ。それを何故ステイルがそこまで敬遠したがるのかわからない。正体をバレたくないだけならばわかるが、〝その心配はない〟とアーサーには思える以上、理由が見つからない。
「一体何なんだよアムレットはお前の。悪い子じゃねぇだろ?」
「悪くはない。それは俺も分かる。わかるが、……………。…………………アムレットは」
アーサーの投げかけに背中を丸め、椅子の上で小さくなる。
弱く呻りながらも首を振り、最後に両手で頭を抱え、整えられた黒髪をぐしゃりと乱すステイルはとうとう絞り出すように重い口を開いた。
現段階でアーサーにしか言えない。言いたくない。そして摂政であるヴェストや両親に知られて下手をすれば、自分だけ視察を外されるかもしれない事実。そして更には今日だけで判明した確かな推測も含めてアーサーに伝えれば、次第にアーサーの目から瞼がなくなった。あんぐりと口を開いたまま「は……?!」と一音がかすかに出たが、それ以上に頭の中ではステイルの話を飲み込むだけで苦労した。やっと、「ンでそう言い切れンだよ」と自分の問いを言葉にしたが、それも更なる確証で叩きつけられれば、言葉も出ない。
プライドから聞いたクロイ達の予知よりも遥かにややこしい事態にアーサーまで頭がパンクしかける。最後にステイルが「……だから、できる限り関わりたくないんだ」と締め括った後も最初は掛ける言葉が見つからなかった。
暫く長い沈黙が続き、アーサーは瞬きの仕方すら忘れかけた。背中が丸まりすぎて項垂れてしまったステイルの方が、アーサーに話せたことで少し胸が軽くなる。ゆっくりと姿勢を正し、気も晴れたように組んでいた足をほどき、両足で床を踏む。それから深呼吸で息を整えてから、アーサーを上目で覗いた。
「……何か質問はあるか?」
「…………ンな偶然あンのかよ」
ステイルからの投げかけに、やっと瞬きをアーサーが思い出す。
開けっ放しだった口を動かし、まだ力の入らない平らな声を出せばステイルは目を閉じてから首を左右に振った。
「偶然じゃない、俺の責任だ。もっと後先の事を考えておけばこんなことにはならなかった」
「いや限度ってもんがあンだろ……流石のお前でもそこまで読めてたらやべぇよ」
右手を左右に振りながらアーサーは首も振る。
どう考えてもステイルに責任はない。運命の悪戯か不運としか言いようがない。だが同時に今日一日だけでのステイルの不可解な言動全てにアーサーは納得できた。
取り敢えずわかった、と今日一日で何度も驚かされ過ぎたアーサーは自分の胸に手を当てながら言葉を返す。
今日あった事が本当にたった一日の出来事なのかと自分の記憶を疑いたくなった。
頭からステイルが両手を下ろしたのと反するように、今度はアーサーが額に右手を当てて俯いた。長く深い溜息を吐いてから床を睨み、肩を落とす。
「……なんか、わりぃ」
「お前が謝ることじゃないだろう」
いや、なんか……、と頭の隅でここまでステイルが頭を悩ませる案件とは思っていなかったアーサーは一人で反省してしまう。
同時に、話を聞くまでの自分の態度がステイルに冷たすぎたことを後から気にしてしまった。ステイルからすればそこは全く気にしていないが、アーサーはもっと気遣ってやるべきだったと思考の中で自分を殴った。それくらい今のステイルが不憫で仕方ない。
「取り敢えず……お前とアムレットだけでもあんま関わらねぇようにすれば良いか……?」
「頼む。できることならこのまま姉君にも隠し通したい。……万が一バレてしまったら、ちゃんと俺から話す」
ステイルの言葉に鉛のようになった頭をゆっくりと頷かせたアーサーは、呪いを解くように椅子から立ち上がる。
了承の言葉を返しながら、上等な椅子に座るステイルへ手を差し出した。
「飲むぞ。アラン隊長達が部屋で待ってっから。潰れるまで飲んどけ」
「……そうだな」
バシンッと勢いよく叩くように自分の手をアーサーの手に重ねて掴む。
これから近衛騎士達から話を聞くのも、現状を共有することも必要だ。アーサーに吐露した事を抜いてもまだ、ステイルにもアーサーにも考えるべきことも頭を抱えるべきことも山のようにあるのだから。
せめてそれだけでも近衛騎士達と愚痴り、語り合おうと思いながらステイルはまた大きく溜息を吐いた。体中の息を全て吐き、吐き、吐き尽くしてからやっと瞬間移動を使う。
「お待たせしました」
自分とアーサーがそれぞれそう言葉を掛ければ、先に始めていた近衛騎士三人はすぐに返した。
ステイルとアーサーが一緒に居ることに全く疑問も抱かないまま、やっぱりなという笑顔で二人を迎え入れた。




