Ⅱ244. 頤使少女は訪問する。
「疲れていませんか、ジャンヌ」
レイ・カレンの屋敷。
城下内にある、真新しさを感じられる屋敷。それを見据える私を気遣ってくれるステイルに、こちらからも一言返す。
エリック副隊長の家を出てから、レイの家まで意外と距離があった。同じ城下とはいえ、馬車が無ければ通学はわりと歩かされる距離だろう。
王都からは外れたその屋敷は、本当に〝別邸〟という言葉が相応しい佇まいだった。庶民の家と比べれば明らかに豪奢だけれど、貴族の屋敷としてはこじんまりとしている。完全にレイが学校に通う為だけに買い取られた家という印象だ。
今回は、あくまで庶民として訪問するから頑張って徒歩で訪れた私達だけれど、わりと珍しい長距離を歩くことになったなと思う。ラスボスチートで人並み以上の体力があって本当に良かった。少なくとも、ファーナム兄弟やネイトの家より遠い。道こそ舗装された大通りばかりだったけれど、地平線すら歩いたから余計に遠くまで歩いた気分になる。
外出に関しては学校の予知についての調査として、母上にも〝ジャンヌ〟としてなら外出と騎士の極秘護衛を許可して貰えた。
気を遣ってくれるアーサーやステイルに手を取られながら足を進ませ、やっと視界に屋敷を捉えることができた。……ゲームでアムレットが訪れたのと同じ外層の、レイの御自宅を。
「ほんっと……良かったですね。キースさんも付いて来てはいないみたいですし」
エリック副隊長は心配してましたけど、とアーサーの言葉に今度はステイルも小さく笑った。
休日にも関わらずエリック副隊長の家をまたお借りした私達は、今朝は仕事へ出るところだったキースさんにお会いした。今回はエリック副隊長が不在で、代わりにハリソン副隊長が家の近くで先に待機してくれていた。
人質の手帳効果か、それともお仕事がお忙しいからか今回はキースさんも城下案内のお誘いはなく「へー、お爺さんに王都の買い物を頼まれたのか」と話だけ聞いてくれた後はすんなり仕事へ向かっていった。
話によると昨晩に帰って今度は二、三日帰らず職場で寝泊りらしい。印刷機材が壊れて修理で仕事が詰まってる上に取材とついでに新聞も売って回るのもしないといけないから忙しいらしい。馬車馬のようなという言葉が相応しい忙しさだ。纏めた髪を崩さないように優しくわしゃりと頭を撫でて送り出してくれた。……なんだかんだキースさんもいつ寝ているのかと心配になる。
「警備は一人だけというのも妙ですね。お前はどう見るジャック?」
「……外に隠れてる感じはしねぇけど。居るとしたら屋敷ン中だろ」
近付くにつれ、潜め合いながらステイルとアーサーが確認し合う。
二人が妙に思うのも当然だろう。地方ならまだしも、城下ともなれば貴族や上級層の屋敷には基本的に雇われの警備がいる。この程度の屋敷でも片手で数えるくらいは並んでいておかしくない。にも関わらず、外にいるのはたった一人、それこそ私達がここに訪れることを知った罠にも思えてしまうだろう。……まぁ、もっと大きい屋敷でジルベール宰相のような事例もあるけれど。でも、彼の場合は確実にそうではなく。
「……取り敢えず、先ずは御目通りを願いましょう」
こちらを凝視する守衛に近づくにつれ、更に声を潜める。
風貌から判断しても、少なくとも彼は本当に普通の警備で雇われている衛兵だとわかる。私達が目前で立ち止まると、眉こそ顰めるけれどそこまで敵意も感じられない。
こんにちは、と私達は三人で声を合わせて挨拶をした。ステイルが代表として、私達がプラデストの生徒であることと、レイに会いにきたことを伝えてくれた。
「……なので、御目通りをお願いできますか?〝ライアー〟について話したいと言えば、わかって下さると思います」
ぴくっ、とその瞬間に守衛の肩が揺れた。
にっこりと笑顔を崩さないステイルと私、アーサーの顔を順々に確認するように見比べた。さっきと違い転がしたような目で私達を見る彼は、何かを確認しているかのようだった。どうやら彼もレイがライアーを探していることは知っているらしい。
何度も私達を無言で見比べた守衛は、ちょっとここで待つようにとだけ言って門の向こうへ去っていった。
門から屋敷が遠くなかったお陰で、門の柵越し数メートル先にあるお屋敷の扉を開けてその場から誰かに話しかける背中が見えた。代わりの衛兵を呼ばないことから見ても、やっぱり外には彼だけだったらしい。
そのまま少しの間だけ話し終えたあとも扉の前で待機していた衛兵は、再び扉が内側から開かれると隙間の向こうと話をしていた。多分、レイか からの返事だろう。……そして恐らく彼は私達を屋敷に招き入れる。
初対面で、怪しさ満点でしかも何故か自分の家の場所を知っている子どもなんて普通なら門残払いが良いところだ。けれど〝ライアー〟の名前を出した今、きっと彼はそうしない。それだけは確信が持てる。面倒ごと程度はあるだろうけれど、門前払いだけはあり得ない。
「よし、通れ。真っ直ぐあの大扉が玄関だ。ノックを鳴らせば侍女が開く」
戻ってきた衛兵の言葉は期待通りだった。
門となる柵が開けられ、私達三人が通される。左右に広がる芝生から真っ直ぐ伸びる道を歩いて屋敷の扉前に立つ。別宅とはいえ、こうやって見てもジルベール宰相のお屋敷よりこじんまりとしている。まぁ使用人とかは別としても、〝たった一人の為の〟屋敷ならいくらあの家でもこれが当然だろう。
コンコン、とアーサーが強めに拳で扉を叩いた。待ち構えていたのであろう侍女がすぐに内側から扉を開いて迎えてくれた。ようこそいらっしゃいました、と頭を下げてから流れるように私達を二階の客間へと案内してくれる。
「こちらでお寛ぎ下さい。レイ様も間も無くいらっしゃります」
「あ、すみません。窓開けても良いですか?ちょっと暑いんで」
少し大きめの声で発せられたアーサーの言葉に、侍女は「失礼致しました」と言いながら部屋の窓を開けてくれた。
最悪の場合は、ここから逃げ出せるなと思うくらいの大きさの窓を目で確認し、闘争経路を確保する。私とアーサーはもちろんだけど、ステイルも十四歳の身体能力でも二階の高さくらいなら何とかなるだろう。最終手段に瞬間移動もアーサーに抱えてもらうもある。
用意された客間は家具こそそれなりだけれど、シンプルな間取りだった。
一人がけ用のソファーが三個ずつ計六個が向かい合わせに置かれ、テーブルが間に一つ。少しテーブルの幅が足りてないのから考えて、私達の来訪に合わせて慌てて二つソファーを足したのかもしれない。
開けた窓と重厚感のあるカーテンが揺らめいて、客間というよりは秘密の取引に使う部屋という印象だ。……実際、レイにとって私達はそちらの印象の方が強いのもあるだろう。客ではなく、取引相手だ。
「思ったよりあっさり通されましたね。この後、本当にレイが来るかは疑問ですが」
「もしもの時は速攻で逃げるンで。ジャンヌもそこだけはお願いします」
部屋を見回すステイルに、アーサーが神経を僅かに張り詰めさせる。
わかったわ、と返しながら私も思わず肩が強張ってしまう。今この場であくまで敵本陣という意識は私達三人の共通認識だ。
昨日、ステイル達にも〝予知〟の形でレイのゲーム設定を話せるだけは全て話した。お陰で二人もレイ相手に正しい形で警戒してくれている。
カーテンだけじゃなく絨毯やこのソファーに至るまで全部が重厚感のある布地でできていることも全部身の危険への警告に感じてしまう。でも、もしもの時には逃走経路も確保できたし、ステイルやアーサーもいる。それだけでも何とか冷や汗を流さず喉を鳴らすだけで抑えられた。
私が真ん中に座り、左右を守るようにステイルとアーサーが両脇に掛けてから暫くで、さっきと同じ侍女が台車ごとで紅茶を用意してくれた。
部屋でポットから注がれ私達の前に並べてくれるけれど、三人揃って口をつける気にはなれない。再び部屋から去っていく侍女に笑顔でお礼だけ言って、カップの湯気があがるのを眺め続けた。
香りだけなら何ら毒は入っていなさそうだけれど、相手はレイだし気は抜けない。あの人が手段を選ばない人間なのは前世でプレイした私が誰よりもよくわかっている。窓からこっそり捨てようかとも思ったけれど、即効性のものだったら飲んでないとすぐにバレてしまうしここは手を付けずが一番だろう。
「一応俺のと変えとくか?」
「いや、この中だと未だジャンヌが一番警戒されていない。お前の方が体格も良いから危険だ」
「でもさっきライアーの名で直談判したのはテメェだろ」
アーサーとステイルがぼそぼそと呟き合いながら、お互いのカップを鬩ぎ合わせている。
確かに現時点だけだと私達の中で一番強そうなアーサーか、ライアーの名前を出したステイルの方が警戒されそうだ。
どちらかというとステイルの方が狙われやすそうな気がするのだけれど本人はアーサーとカップ交換する気はないらしい。「最悪の場合は何とかできる!」と言い張る彼の言葉もわかるけれど、やっぱりアーサーは騎士として万が一にも安全なカップを王族優先にしたいらしい。二人とも自分のカップをつまみ過ぎてこのまま割らないか心配になる。
声が漏れないか心配しながら見守っていると、途中でピタリと二人が口を閉じた。
鬩ぎ合わせていたカップを止め、扉の向こうに神経を研ぎ澄ます。二人の異変と同時に私も肩が僅かに揺れた。扉の向こうで忍ばせながらいくつもの足音が部屋の前に近付いているのを気配ではっきりと感じる。
来たか?気付かない振りをしろ、とアーサーとステイルが声を更に潜めて身構える中、眼光だけが鋭くなっていく。隠すような薄い覇気がじわじわと二人からもあふれ出し、私の足下を冷やした。
ガチャン、とノックも無しに扉がとうとう開かれる。
いきなり奇襲を受けても良いように、お互い息を止める音だけが耳を掠めた。無遠慮に開かれた扉から足音だけを立たせて入って来たのは、間違いなく攻略対象者のレイだ。
一人分の為だけに開かれたらしい扉は、彼だけを通すとまたパタリと静かに閉ざされた。複数の気配達を私達に紹介するつもりはまだないらしく、一目も見せないまま扉の前に佇んだままだ。結構な数から考えても、レイの従者だけということではなさそうだ。
「要求があるなら手短に言え」
挨拶の余地もなく、向かいのソファーにズカッと乱暴に腰を落とした青年は片手に携えていた本を乱暴にテーブルへと放った。
私達のカップの水面が揺れ、ぴちょりと丸く跳ねる。
第二作目の攻略対象者。
ウェーブがかった翡翠色の髪。ランス国王と似たように前髪ごと背後に流しているけれど、チリリと髪先の揺れた印象で全く違う髪型に見える。瞳は紫を帯びた濃青の瑠璃色だ。
屋敷内でも変わらず上から下まで重厚感のある布地の服で、響くような低い声はそれだけでも女性を虜にする要素に溢れている。
明らかに乙女ゲームの登場人物だとわかりやすい風貌はその顔立ちだけじゃない。整ったその顔を左半分だけ隠す芸術的な仮面。両眼の瞳や口顎は見えるけれど、高い鼻に左の額から頬まで隙間なく覆われている。
学校でも付けていたそれをレイは今もそのままだ。表情が右半分しか見えない状態でも、彼の不機嫌そうな表情と憮然とした態度ははっきりと伝わってくる。どこをとっても特徴だらけの彼はどう見てもキミヒカの攻略対象者だ。……そして、何よりも。
「お忙しい中、突然の訪問をして申し訳ありませんでした。私の名前はジャンヌと」
「聞いてねぇ。話してやっているのはそこの黒髪だ。野良猫は黙るか帰れ」
バキッと見事に挨拶と自己紹介を折られた私は、下げようとした頭の位置が固まったまま口を閉じた。
翡翠の髪を耳にかけた彼は変わらず憮然とした態度で踏ん反り返る。この態度、言い回し、ゲームのレイと全く一緒だと前世の記憶と照合する。
左右の席から冷たい気配を感じた気がしてハッと目だけ上げればステイルとアーサーの眼差しが早々に据わっていた。確かに相手が王族じゃなくても今のは失礼この上ないけれど‼︎
でも、これくらいで目くじら立てていたらこの先きりが無いと私は一人喉を干上がらせる。ゲーム開始までたった三年。こういう性格に形成されていても仕方が無い。だって彼はゲームでも
「この〝俺様〟がわざわざ時間を作ってやったんだ。一秒も無駄な時間を取らせるな」
唯一の権力者ポジション且つ、俺様系性格悪キャラだったのだから。
第一作目に続いて二作目の王道ルートも系統違いの俺様キャラ。つまりは第一作目のセドリックの立ち位置だ。そしてこうして相対してみれば、やっぱり彼はゲームのレイのままだと確信してしまう。回想場面の幼少姿は美少女と言っていいくらい可愛かったけれど、今は仮面も顔も態度も圧しかない。
ステイルが改めてレイへ本題を切り出すのを耳で聞きながら、音に出さずに私は息を吐ききった。
……ナルシストだったセドリックとはまた違った方向で面倒な彼との交渉が難航することを、改めて覚悟しながら。
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