そして夜分を越える。
「ッ放せ‼︎放せぇええええ‼︎‼︎ふざけんな‼︎‼︎父ちゃんと母ちゃんをどこに連れて行くつもりだよ‼︎⁈」
……なんだ?
「黙れクソガキ!!よ~く見ておけ!借金を残し続けた奴は全員こうなるんだからな!!」
ガスッ!!と暴れる俺の背中を誰かが踏みつける。
さっきまで腕を掴まれていただけだったのに、今はめり込まされた。背骨が軋むぐらい痛くて、息もまともにできなくなる。ぐぇっと足りない息を吐き出したけど、今はそれよりも目の前の光景しか考えられなくて虫みたいにジタバタ暴れながら手を伸ばす。やめろ、やめろ、連れて行くなと今まで叫んだことない声で叫び続ける。……あれ?俺、なんでこんな。
「感謝しろよ、お前だけは利用価値があるから引き取ってやるんだからなあ?」
ゲラゲラと笑うこの声を、嫌と言うほど俺は知ってる。
伯父さんだ。でもなんで、伯父さんは捕まって、もういないのに、それとももう檻から出てきちまったのか?それに、それにそれにそれになんで
父ちゃんと母ちゃんが荷車に乗せられてるんだ。
……そうだ突然、だった。
夜中にいきなり伯父さんが変な連中と一緒に家に押し入ってきて、悲鳴も殆ど出せないうちに鈍い音だけ聞こえて、俺だけが伯父さんに外まで引き摺り出された。続くように手足も縛られた父ちゃんと母ちゃんが変な男達に運ばれてきて、……二人とも、暴れるどころかぴくりとも動かない。
いくら俺が呼んでも、叫んでも、父ちゃんも母ちゃんも目すら覚まさない。馬車の荷車を開けた途端、奥に他にも縛られた人達が転がされているのがちらりと見えた。男達の持つランプに照らされたそれに、俺はもう一度助けを叫んだ。
誰でも良い‼︎役立たずの衛兵でも騎士でも大人でもなんでも良い‼︎このままじゃ父ちゃん達が連れて行かれる‼︎
「ガキからの提案なんざとも思ったが、ちょうど良かったぜ。〝市場〟は潰されてもフリージア人なら高値で買ってくれる〝商人〟に会えたからなぁ」
母ちゃんはお前の妹だろ⁈
なんで、そんな笑ってこんなことできんだよ⁈父ちゃんだってずっと伯父さんに借金返そうと頑張ってたのに‼︎伯父さんを悪く言ったことなんて一度もなかったのに‼︎なんで、なんで父ちゃんと母ちゃんをこんなっ……
「返せよ‼︎‼︎借金なら俺がちゃんと返すから‼︎テメェら絶対騎士に掴まるぞ‼︎奴隷なんて今の女王は絶対許さねぇんだからな‼︎」
全員処刑だ‼︎と血を吐くぐらいに喉を張る。
うるせぇ、黙れと何度も伯父さんに頭を踏まれても構わず叫ぶ。奴隷商人に届かなくてもせめて近くの奴らに、誰かに聞こえればと微かな希望で叫びまくる。……こんな時、ジジイが居てくれりゃあ良いのにと。一瞬だけ思う。
三年前、ジジイはぽっくり死んじまった。あのクソ女王の王政で、ずっとタダ同然で毎日馬鹿みたいな数の患者を診続けていたら先に自分の方が死んだ。
見ず知らずの連中なんかより、母ちゃんと父ちゃんを泣かせるなよと死ぬほど思った。今だってジジイがいてくれたら、この声で駆けつけてきてくれたかもしれないのに。
なんで皆、俺を捨てていくんだよ
「犠牲になってくれた両親に感謝しろよネイト⁈お陰で今度からはじ~っくり発明できるぜ?時間さえありゃあ武器の一つくらい簡単に作れるようになるだろ」
嫌だ絶対作らねぇ‼︎
荷車に放り込まれている母ちゃんと父ちゃんを見て、伯父さんはなんでもないことみたいに笑う。俺がいくら暴れても手足に力をいれても伯父さんの足一本にすら勝てない。今だけは本気で人を殺せる武器が欲しいと思う。運び込まれた父ちゃんと母ちゃんがそのままに、扉が閉ざされる。父ちゃん達がまるで家畜でも運ぶみたいに連れて行かれちまう。
「フリージア王国の人間二名。確かに受け取った」
荷車から降りてきた男が、そういって伯父さんに布袋を手渡した。
ジャラジャラと音がして、大きく膨らんだその中にはきっと見たことのないような額が入っているんだと見上げた伯父さんの汚い笑い顔でわかった。あんな、たったあれだけの為に母ちゃん達が連れて行かれる。
「ふざけんな‼︎‼︎テメェら全員ティアラ様に殺されちまえ‼︎」
連中の何人かが冷たい目で振り返る。今にも俺を殺そうとしそうな目にそれでも構わず睨み返す。このまま連れていかれちまうよりずっと良い。俺がどうされてもその分時間を稼げれば、もしかしたら見回りの衛兵とかが今度こそ
「アッハハハハハハ!!……あ~……面白い子ねぇ?」
ぞわり、と。
急に撫でられるように響いてきたその声に急に背筋が凍った。
さっきまでいくら伯父さんに踏みつけられても何とも思わなかったのに、急に声すら出なくなった。俺だけじゃない、伯父さんまでガチリと踏んだままの足にそれ以上の力が入らなくなった。
馬車から、もう一人が降りてくる。
いくつもある馬車の中で、唯一荷台じゃないそこから一人の女がゆっくりと。伯父さんに金を渡した連中も、父ちゃん達を運んだ奴も、全員が急に背筋を伸ばしてその女に姿勢を正した。
血みたいに赤い髪と魔女みてぇな紫色の目。顔に手足に肌が見える色んなところに包帯をぐるぐる巻いた気味の悪い女。こいつが連中のボスかと、すぐにわかった。
高いヒールを履いて、夏なのにマントみたいな上着を頭まで被った女が軽い足取りで近付いてくる。フードと包帯に隠れて殆ど顔が見えねぇけど、裂いたように笑ったとわかる口がそれだけでも吐き気がするほど目が離せなくなった。
「ねぇ?この子は商品じゃないの⁇一緒に買い取ってあげても良いのよ?」
舐めるような声で、女が伯父さんを見上げる。伯父さんより身体も細いくせに、偉そうな口でそう言って土汚れひとつない靴のつま先で俺の鼻先を差した。その途端、いつもは横暴な伯父さんが急に畏まって猫なで声で口を早めた。
「いえいえコイツは見たとおり何の役にも立たないガキでして……。どうせ役立たない塵なので売る価値すら無いんです。買っても無駄ですよ」
「えぇ?そうかしらぁ……とぉっても楽しそうじゃない?そんなに要らないなら、いっそさっきの二人と交換してあげましょうか?私の愛玩にしてあげる」
背筋に極寒が駆け抜ける。
足下から覗けたフードの下が、まとめな目をしていない。顔が霧がかって見えないのに、よくわかる。紫色に光ったその目に、このまま死んじまうんじゃないかと思うくらいに心臓が走り出す。身体が自由だったらこのまま逃げたいと衝動だけが先走る。
伯父さんはそれでも「いえいえご冗談を」と手を振る。ニヤニヤと引き上がった口で俺を見下ろす女は伯父さんを全く見ていない。まるで蛇にでも睨まれたように歯が悴んだ。でも、……もし父ちゃんと母ちゃんの代わりに俺が慣れるなら。
「ッッ……そ、れで良いよ‼︎父ちゃんと母ちゃんを返せ‼︎俺が愛玩でも何にでもなってやる‼︎俺は役に立つ!発明だってできるし‼︎それに特殊」
「黙れこのクソガキ殺されてぇか‼︎‼︎」
言い切ろうとした瞬間、舌を噛む勢いで頭を踏んづけられた。
何度も何度も、頭蓋が割れるどころか脳味噌が飛び出そうなほど踏みつけられる。〝痛い〟と言う暇もなく、顎が何度も地面にめり込んで、息をするのもやっとだ。ガン、ガン、ガンと何度も頭が回って目が回って息が苦しくて何が何だかわからなくなって気が遠くなる。
「アッハハハハハ!なぁにこれ、潰れたカエルじゃない‼︎」
ハハハハハッアハハハハハッ‼︎と、俺のこれを見て楽しそうに女が笑う。
今まで何度も伯父さんに殴られたり踏まれたこともあるけれど、こんな風に笑われたのは初めてだ。本当にコイツが同じ人間なのかも怪しくなる。
「……まぁ、売れないなら仕方ないわねぇ?どうせ使えないし、役に立たないのでしょう⁇発明……と言ったかしら?」
「ええ!その通りで‼︎発明なんて本当に子どもの玩具どころかそれ以下のガラクタで‼︎本当に、ラジヤ帝国の方々がお気に召すようなものじゃ……」
「なら、要らないわね?」
……何かが擦れる音がした。
もう顔を上げる余裕も残ってないまま、頭だけがグラグラ回る。耳だけが細く「い、一体何のつもりで……⁈」と伯父さんのひっくり返った声だけを拾った。殆ど同時に俺の頭上から重い足が退いて、伯父さんの喚く声が少し遠のいていく。重しがなくなって息がしやすくなった身体で、少しずつ空気を身体に回す。……なんだろう、どうして伯父さんは退いたんだ。もしかして、本当に衛兵か騎士が助けに
ズパンッ、と。
変な音と、振動と同時に俺の右手に灼熱が走った。
あ、あああッ、あああああああああああああああああああああああああ⁈⁈と、馬鹿みたいにそれしか叫べなくなる。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い‼︎‼︎血が‼︎血が腕から先から噴き出した‼︎‼︎
手があった筈のそこにもう痛み以外の感覚がなくなった。
「ほらほらぁ、ちゃぁんと止血してあげて?〝私達の商品じゃないのに〟死んじゃったら可哀想じゃない」
俺の腕を奪った張本人がそう言って周りの連中に指示をする。
慣れた手つきで俺の腕を縛って止血する中で、女はまた楽しそうに高笑いを上げだした。耳に張り付くその笑い声に、聞くだけで肺が変に縮み出す。痛みに暴れて身体の向きが変われば、視線の先には俺の腕にさっきまでくっついていた筈の手が血だらけのまま転がっていた。なんで、なんで今俺は腕を切られた⁈
「……発明。……別に、ただのガラクタなのでしょう?」
俺がこんなに痛いのに、謳うように問い掛ける女の目は別方向に向いていた。
ええ勿論と伯父さんの震える声が同じ方向から聞こえてくる。違う、ガラクタじゃない!ちゃんと発明は伯父さんにだって売れていた‼︎
「ま・さ・か。発明の特殊能力者なんてことはないわよねぇ?……アッハハ!この私にそんな嘘を吐いたら、貴方も一緒に荷車に乗ってもらうことになるもの」
「ももも、ももも勿論です‼︎腕一本在ろうとなかろうと関係ありませんとも‼︎私がそんな嘘をつくなど絶対にあり得ません‼︎」
アッハハハハハハハハ‼︎と次の瞬間、女の楽しそうな笑い声がまた響き渡った。
……こんな怯える伯父さんの声を聞くのも初めてだな、と。擦れる頭で思う。血が、足りなくて。血は止まった筈なのにもう死ぬのかなと思う。頭が回らない。踏まれた頭も、無くなった手も、全部が自分のものじゃないみたいだ。
あんなに必死に叫んだのに、……今は指一本動かない。目が開いただけの先で、女が笑いながら馬車に戻っていくのが見えた。俺の血がべったりついた剣を腰に納めることなく引き摺って、軽い足取りで馬車の中へと身体を消していく。「おやお早いお帰りで?」とまた別の男の声だけが馬車の中から薄く聞こえた。
連中の一人に扉を閉ざされる前に、一度だけ身を乗り出すように顔を出した。ローブの下から見えた裂けた笑いの口と一緒に、紫色に光る目が確かに俺に向けられていた。まるで、楽しい玩具で遊んだ後のような充実しきった笑みが擦れる視界に焼き付いた。
馬車が動く、父ちゃんと母ちゃんを乗せて行く。
国外に向けて、ゆっくりとした足取りで段々と小さくなっていく。まるで、自分の国みたいに堂々と道の真ん中を走り去って行くその馬車を、……俺はぼやけた視界でただ見ることしかできなかった。
助けは、こなかった。
……
…
「……イト?ネイト⁇大丈夫か。起きてくれ、ネイト?」
……丸い声で、目が開く。
明るい光が入ってきたのに何も見えない。ぼんやりと開いた先は全部が全部滲んでた。
ネイト、と俺の名前が呼ばれて頭を強めに撫でられた後、目元を指で拭われた。なんでか息が凄く苦しくて喉がしゃっくりみたいに引き攣って、……吸い上げた匂いで父ちゃんがそこにいるとわかる。
「良かった、目を覚ましたか。そろそろ夕食だぞ。何か悪い夢でも見たのか?」
「ネイト!だからちゃんとベッドで休みなさいと言ったのに‼︎夕食、後にする?先に寝る⁇」
父ちゃんと、母ちゃんの声。
ただそれだけで、わかんないけどまた両目が熱くなって溢れた。自分でも手で擦って、うつ伏せて父ちゃんの膝に目を擦り付けて、……そのまま蹲る。泣いた顔見られたのが恥ずかしくて、でもそれ以上に凄く泣きたくなった。
怖い夢か、大丈夫か?、やっぱり無理をして、とか二人に言われてもなんでこんなに涙が止まらないのか自分でもわからない。夢を見たのかすら記憶にない。もしかしたら伯父さんの夢でも見たのかなと思うけど、今までだって伯父さんに夢で魘されてもこんな気持ちにならなかったのに。
苦しくて、息が詰まって、今この場から離れたくないと思う。気が付けば自分の右手を力の限り握ってた。リュックより何より、今はこの腕と温もりが大切で。
「……食べる……っ。食べる……!父ちゃんと、母ちゃんと……っ」
わからないくらい、今は二人と一緒に食べたいと思う。
しゃくり上げたまま喉で、ガキみたいな甘えた言葉ばっか言う俺の頭を父ちゃんが撫でて、今度は台所の方に居たはずの母ちゃんまでパタパタ音を立てて抱き締めに来た。どんな夢を見たかもわかんないままの俺に、父ちゃんも母ちゃんもそれ以上聞かないでくれた。
三十分後、三人で食べた夕食は俺の所為でちょっと焦げていたけど、……すごく美味かった。




