Ⅱ241.私欲少女は聞き、
「いよぉ、〝優等生サマ〟」
客間に入った途端、いつもより遥かに上機嫌なヴァルがプライド達に向け軽く手を振った。
先に客間で待たされていた彼らは、備え付けのソファーではなくいつも通り壁際に腰を下ろして寛いでいる。二限目から睡眠も足り、調子が戻った今はかなり機嫌も良い。惰眠を邪魔されたことよりも、目の前にいる王女が授業をサボっていたという事実を突くように言葉を投げた。
プライドも言葉の意味を理解し、お疲れ様ですと返した後もうっかり下唇を噛んでしまう。セフェクとケメトも挨拶をする中、床に座ったままのヴァルはひたすらニヤニヤニヤニヤと嫌な笑みだけで彼女を突いた。
その笑みを一身に受けながらプライドは、あの時に詮索自体を禁じておいて良かったと心から思う。そうでなければ開口一番に指摘されそうなほど、ヴァルの口端は引き上がっていたのだから。
ふと少し気になり、首だけを動かしてアランの方へ振り返ると、なんとも言えないような笑みがそこにはあった。頬を指先で掻き、やんわりとプライドの視線から逃げるアランは、ヴァルの含みも笑いの意味もそしてプライドが結果として不憫な弱みを握られていることもわかっている。
プライドからすればアランも今や自分が優等生とはほど遠いことを知っているのだと思えば、ヴァルに対してだけでなくアランに対しても気まずさを感じてしまう。せめてこの場に事情を察してしまったもう一人であるアーサーが不在なのが救いだった。
「……この一週間、御苦労でした。早速報告の方を聞かせて欲しいのですが」
含みに気付かないふりをしながら、冷静に振る舞う。
ステイル、ティアラ、そしてジルベールと共にソファーへ掛けながらプライドは壁に寄りかかるヴァルに視線を向けた。心の中では彼に向けて「もうその話は良いでしょう!」と鼻の穴を膨らませたい気持ちをぐっと抑えた。この場でそれを言えば確実に自分の首を絞めるのはわかりきっている。
プライドの呼びかけに軽く背中だけを起こしたヴァルは前のめりになる。今日までの一週間、ステイルとジルベールからの話に自ら乗った彼は学校の裏側で不良生徒を締め上げ続けていた。
「取り敢えず初日はうじゃうじゃ釣れたが、三日前ぐらいからは見なくなったな。途中で場所を校内に変えたガキも居たが場所なんざたかが知れてる」
「まさかまた四階から突き落としてはいないだろうな?」
「〝善良〟な生徒にはな」
ステイルの念押しにケラケラと軽く笑い飛ばしながら、ヴァルは話を続ける。
明らかに含みを持たされたその言葉にステイルは眉を上げたが、取り敢えずはそのまま彼の報告に耳を傾けた。校舎裏で仕事中の彼に会った時にも似たような含みを持たされたのをよく覚えている。彼の人間性はともかく、隷属の契約で禁止事項は消して破れないことは間違いない。プライドが彼に降ろした許可と禁止事項を思い出せば、彼の行動には納得がいかないものが多かった。
「とっ捕まえた連中は気絶しねぇ限りは問い詰めてやったが、結局全員言ってることは同じだったな」
当時の情けない彼らの顔を思い出し悪い笑みを浮かべれば、プライド達の眉間が狭まった。
全員、という言葉につまりはそれほど信憑性の高い情報と判断する。元はといえば彼の仕事は、高等部生徒の恐喝行為により学校へ来なくなってしまう下級層生徒への防止策。高等部生徒の恐喝を阻み、そしてあわよくばその大元と彼らの目的や実態を聞き出すことだ。
ヴァルの手によって狙い通りに不良生徒の動きは絶え、その後はプライド達が受けたような手荒ではない平和的な聞き込みだけで今は収まっている。しかしまだ根本的な原因の究明には至っていない。既にジルベールとステイルの推理と調査によって大まかな検討付けには及んでいるが、それでも明確な人間像までは出ていない。ジルベールの手で処分も進み出している中、さっさとそちらの問題も片付けたいのは全員の総意でもあった。「勿体ぶらずにさっさと言え」と腕を組んだステイルが続きを促せば、ヴァルは躊躇う様子もなくその名を明かした。
「レイ・カレン。中等部の特別教室にいるお坊ちゃんがそいつらの〝雇い主〟だとよ」
……やっぱり、と。
プライドは口を結んだまま頭の中だけで唸った。最初からわかっていたこととはいえ、やはり彼の差し金だったと思い知る。
「レイ……」とジルベールが脳内の生徒名簿を検索する中で、ステイルも特別教室という言葉に思考を巡らす。やはり彼らは、と自分達に話しかけてきた中等部生徒とそして同日にジルベールから確認した生徒名簿の名前を同じように思い出す。二人の頭にもはっきりと中等部の特別教室に所属するその生徒の名前は記憶されていた。そこまで思考が行き着けば、ステイルも次の疑問がヴァルの言葉から浮かぶ。
「……〝雇い主〟とはどういうことだ。お前が捕まえた男達は全員我が校の生徒ではなかったのか」
まさか高等部まで、とステイルは一縷の疑念を抱きながら聞き返せばヴァルは面倒そうに欠伸を吐きながら手を横に振った。そんなんじゃねぇ、と切って捨てるような動作と共にここでやっと彼の言動理由が明かされる。
「全員、その坊ちゃんが雇った裏稼業連中だ。入学手続きを踏んだ生徒に違いねぇが、もともと〝ライアー〟を嗅ぎ回らせる為だけに入学させられた連中だ。高等部は空きが多かったからどいつも簡単に入り込めたとよ」
下級層の人間も入学できる。それが、学校の売りでもある。更には高等部の年代は成人も含まれる十六から十八才。既に仕事に手をつけた人間であれば学校を希望する人間も少なく、入学希望者も割合として少ないことはプライド達も把握していた。だからこそ、競争率も倍率もなく全員が高等部に入学することができた。しかも普通教室であれば年齢以外は無条件である。
まさか本当に裏稼業の人間が潜んでいたとはと、これにはステイル達だけでなくプライドも驚いた。てっきり高等部の生徒を買収していたと考えていたが実際は最初から雇われていた。続けてヴァルから裏稼業といっても所詮は下級層を縄張りにするゴロツキとも呼べない小悪党だと説明したが、それでも部屋に張り詰めた衝撃は緩まない。大小関係なく、そんな人間が雇われて一般生徒に害をなしていたのだから。
「学校に生徒として潜り込んで、表立たねぇように〝ライアー〟の情報さえ掴めば報酬をと言われてたらしいぜ。大した危険もなけりゃあ報酬をがっぽり独り占めできる良い稼ぎ話だ」
絶対条件は学校内でも誰にも知られないこと。だからこそ、彼らから尋問を受けた生徒は全員が恐喝といえるほどに脅され口止めを受け、そして身の危険を感じた生徒はその時を境に逃げて戻ってこなかった。裏稼業とは知らずとも、自分達に害を及ぼす可能性のある人間と同じ敷地内に居たくないと思うのは当然だった。特に下級層の人間であれば、自分達を守る後ろ盾など何所にも存在しないのだから。
二本の指で輪っかを作って見せるヴァルはそれも気にせずケタケタと笑い捨てる。自分も下級層に蔓延っていた頃を考えれば割の良い仕事だと思う。
入学には金も掛からず、しかも下級層とは違う安全な場所でこそこそと弱い相手を狙えば良い。運が良ければ暫くは遊んで暮らせる報酬もあると知ればいっそ宝探しのようなものだ。
当時の自分のような腕っ節に自信の無い、もしくは立場の弱い裏稼業の人間には絶好の稼ぎ場だと思う。しかも、問い詰める標的も中級層ではなく後ろ盾や敵に回したら厄介になるような人間のいない下級層の人間。何故ならば
「その〝ライアー〟って奴が下級層の人間らしくてなぁ。乞食だか裏稼業だかは知らねぇが、六年前から行方が眩んだとかでその坊ちゃんが血眼になって探しているんだと」
Ⅱ127-1、Ⅱ143-1




