そして泡になる。
「ジャンヌ!またどうして二限いなかったの⁈」
何かあったの⁈と女子生徒を主に大勢が私の前に押し掛けてきた。
一瞬何が起こったのかわからず、おおっ⁈と声も出ないまま背中だけを反らしてしまえばステイルとアーサーが前に出る形で守ってくれた。「体調でも崩したの?」「すぐ戻るって言ってたのに!」という言葉を聞きながら、そういえばまだ同じ授業を受けた子達には言い訳をしていないと思い出す。私が授業に一向に戻ってこないから心配を掛けてしまったらしい。
笑顔が引き攣りながら、私は決めていた言い訳をもう一度彼女達に落ち着けるようにゆっくりとした口調で繰り返す。
心配かけてごめんなさい、猫が木の上に止まっていたのと。たまたま通りすがった見回り中の騎士様が猫も降ろしてくれたから大丈夫だと。それを告げれば、やっと納得したように全員一度唇を結んでくれた。
その隙を突くようにステイルが私達の席へと歩を進める形で促してくれ、私がいつもの席に腰を下ろしたところでまだ彼女達からの言葉が続いた。
「残念だったね。折角今日の二限は楽しかったのに」
そう言って彼女達が見せてくれたものに、私は笑ってみせながら「素敵ね」とそれを眺めた。
本当に素敵だし上手だ。ネイトの発明とは全く違った方向性で羨ましくなる。「でしょ⁈」と何人かの子達が前のめりに同意を求める中、私からもしっかりと頷いて言葉を返す。
「私も移動教室を始めた時から楽しみだったから出れなくて本当に残念だわ。だけど、皆がこうして見せてくれただけで充分よ」
ごめんなさい全力で逃亡しました、と。心の中で謝罪しながら社交界必殺の社交辞令を返す。
本当にこうして見せてくれるのは嬉しいけれど、余計に心臓への負担が増す。バクバクといつもより倍の速さで鳴るし、額に汗がしみそうになる。本音を言えば、逃げて良かったと思うばかりだ。
そうでしょ、また機会があると良いね、選択でとったら?と言ってくれた女子達が次々と捌けていく中で、ステイルとアーサーも私の左右に腰を降ろした。
取り敢えずは上手く乗り越えられたと、いっそ大仕事をやり遂げたような充足感で深呼吸を繰り返す。すると窓際に座るアーサーが「すみません」と潜めた声で私を覗き込んできた。どうしたのだろう、と目を向けると口の横に手を添えてそっと一目を気にするように目配せをしながら顔を近付けてくる。何か話があるらしい。
私からも耳を傾けるようにしてそれを受ければ「失礼します……」と霞ませた声の後にもっと細い声が耳へと続けられた。
「……もしかして、二限の授業に出たくなかったとか。そういう理由で……?」
っっっ⁈‼︎⁈‼︎‼︎
次の瞬間、思わず身体ごとアーサーに振り向いて唇を絞ってしまう。彼の「違っていたら申し訳ありません」の言葉を全て聞ききる前に身体が素直に反応してしまった。
ぷるぷると唇が震えそうになるのを自覚しながら、蒼い目をまん丸にさせるアーサーの表情を見返し、急激に顔が燃えるように熱くなる。
どうして⁈どうしてバレたの⁉︎今!このタイミングで‼︎
ぐぐぐぐ……と何も言えなくなる私に、目が皿のアーサーが「まじっすか……」と零すように呟いた。アーサーへ身体ごと向き直ったことで反対隣のステイルが「どうしかしましたか?」と尋ねてくれるけれど、今は下手に何も言えなくなる。
丸くなった肩のまま、唇に力を込めすぎて顎まで震えてきた。ぽかんとした表情のアーサーと目を合わせるのも耐えられなくなって、俯きながら教室正面へと顔を少しずつ逸らしてしまう。どうしよう逃げたい。
まさかの王女が授業ボイコットなんてスキャンダルをアーサーにまで知られてしまった。膝の上に乗せた両手をぎゅっと握りながら、どんな顔をすれば良いかわからなくなる。その間アーサーからも言葉はなかった。今度こそ呆れられたか引かれたかと思考まで落ち込みながら視線の落としどころを探してその時。
「…………ブッ‼︎」
はっ‼︎
突然の噴き出す音に、私はすぐ理解する。アーサーの方に振り向けば、窓の方へ身体を捻らせながらプルプルと肩を震わせている背中があった。完全に笑っている。
アーサー!と思わず叫びたくなったけれど、この場ではジャックと呼ぶんだと一度唇を噛んで躊躇する。それでも必死に耐えるように肩を震わせながら苦しそうに笑い声を押さえるアーサーに、なんだか私まで中身も子どもに戻った気分で軽く握った拳をパコパコ背中へぶつけて怒りを訴えた。
本気で叩いても痛くないのだろうけれど、王女としての意地でどうしても人様に拳を振るうこと自体に躊躇ってしまう。これが私の前世だったら思いっきり腕を振っていたかもしれない‼︎
けれどアーサーは笑いが収まるどころか、むしろ肩の震えが酷くなる一方だ。一度だけ「ブフッ‼︎」とまた絶えきれないように噴き出して、ここまでツボに嵌まったアーサーを見るのも久々だと思う。……余計に恥ずかしい。
ステイルが「どうしたのですか……⁈」と困惑する中、私は言われる前にと手を打つべくアーサーの背中に向けて声を最小限まで潜めて怒る。
「ステイルにも誰にも言わないで下さいね⁈そのっ……言ったら、言ったらとても怒るから‼︎」
「~~っっ‼︎だ、い丈夫です……‼︎絶ッ対に言いっ……ッッ‼︎」
ブフッ‼︎とまた笑った。
酸欠を起こしかけながら笑うアーサーに、ジャック‼︎と今度こそ間違いなく私は怒鳴る。後ろ姿だけでも耳から首まで真っ赤なアーサーに恥ずかしさが一周回って涙目になるかける。一体どうしてそこまでおかしいのか‼︎
途中から「すみません」と絞り出してくれるけれど、それでもまだ肩からプルプルしている。ステイルも興味深そうに真っ赤な私と背中が丸くなるアーサーを見比べている。
どうしようこのままだと察しが良いステイルにも気疲れちゃうんじゃないかと焦る。アーサーなら言わないと言った限りは秘密を守ってくれるとは思うけれど、ステイルに察せられたら終わりだ。アラン隊長にバレただけでも本当は恥ずかしいし居たたまれないのに、これ以上の人数に知られたら今後どんな顔を見せればいいか分からなくなる。誰か助けて!と心の中で叫んだ、その時。
「ジャンヌ!」
ハツラツとした声が別方向から掛けられた。
さっきまで捌けていた女子とはまた別の聞き覚えのある声に顔を上げれば、アムレットだ。まだ顔の火照りも消えきってないのにと慌てて両手で顔を両側から押さえながら必死に表情筋を引き締める。
今教室に戻ってきたらしいアムレットは真っ直ぐ私の席に駆け寄ると、他の子と同じ言葉で心配してくれた。彼女も私が突然授業で消えてから心配してくれていたらしい。
彼女の登場で気が引き締まったのか、背中の震えが止まって私と同じようにアーサーも顔を上げて振り向いた。アムレットに注意を向けられないように頬杖を突いて他所を向くステイルからも気が逸れる。
救いの天使に、私はさっきの女子生徒達へと同じ言葉を火照りの引いていない顔で返した。猫を見かけて……と心配をかけた謝罪の次に言い訳を繋げれば、ほっとアムレットの上がっていた肩が降りた。
大変だったわねと言ってくれるアムレットに私からも笑顔で返す。ええ本当にと言いながら、肩を竦めて見せると
「だから講師の先生が週明けに補習をしてくれるって。放課後に被服室へ来るようにって伝言を預かったから」
…………はい?
あまりの衝撃的発言に、顔が笑顔のまま固まってしまう。
口を力なく開けたままアムレットを見返せば、彼女は夏の日差しのような眩しい笑顔で言葉を続けた。
「私から〝被服〟講師の先生にジャンヌのこと話したら、来週受けさせてくれるって言ってたの!私も補習だから二人で一緒に頑張ろう!」
私もジャンヌと一緒だと心強いわ!と笑うアムレットに喉がカラカラと干上がっていく。
喉が乾くのに反して額から頬まで冷や汗がすごい。舌先が辛いものを食べた後みたいに痺れて回らなくなった。え?それ、つまりどうなっているの⁇
まだ裁縫あるの?しかも、単なる補習なら理由を付けてサボることもできたけれどまさかのアムレットもご一緒⁈
なら本当に今度こそ逃げられない。アムレットを置いて逃走なんて私が無理だもの!
ソウ、アリガトウ、良カッタワとなんとか舌を動かしきれたところで、とうとう次の講師が教室に入ってきた。本鈴の音も聞こえた気がしたけれど、頭の中に砂が詰まったようで全く響かなかった。
正面に身体がマネキンのように向いたまま、暫く言葉も出なかった。たった今、自分の逃亡が全くの無意味になったのだと思い知る。
『これとか!』
ディオスが見せてくれた、ハンカチに縫い込められた可愛い刺繍。
つまり裁縫の授業初日はと理解すればもう絶望しかなかった。料理の授業同様にあんなのを私ができる筈がないのだから。
……ごめんなさい。
膝に置いた手でぎゅっと自分の裾を握り締め、今からズシリと頭が重くなった。
あの優しい笑顔を思い出し、痛みそうな胃を今から手でそっと押さえながら額をテーブルに墜落させる。驚いたステイルが「体調でも⁈」と覗きこんでくれたり、恐らく色々察したであろうアーサーが「だッ大丈夫すか⁈」と慰めるように背中にそっと手を当ててくれる中、私は今までの苦労が泡になっていくのを五感全てで感じ取った。
天知る地知る我知る人知る。
……やっぱり狡いことはできないものだと、前世の教師に教えられた教訓が今世になって痛いほどに思い知った。




