そして帰る。
今夜だったら、きっとその前にジルベール宰相からいくらか詳細も聞けるだろう。
流石に裁判まで進んではいないけれど、少しでも情報が多い方がカラム隊長が説明する時にもご両親への安心材料になると思う。
「では、そろそろ僕らも行きましょうかジャンヌ」
もう良い時間ですし、とステイルが声を掛けてくれる。
時計をみれば、もう四限が終わる時間だ。確かにそろそろ帰らないといけない。
ネイトの背中から手を降ろしながら一言返す。小さくネイトから「ぁ……」と聞こえた気がして振り返ると、一瞬目があった後にまた逸らされてしまった。……うん、なんだかんだ約束破ったものね。
「ネイト。じゃあ私達はここで帰るわ。今日はゆっくり休んでね。明日も休んだ方が良いわ。それと……」
ステイルが謝った時は許してくれたとはいえ、やっぱり私が約束を破ったことには変わりない。
二つ目の方法に移行したことは後悔していない。どれだけネイトに恨まれても嫌われても、やっぱり彼やご両親が救われなければ意味もないもの。
挨拶をしながら私は一歩ベッドから離れる。合わせてステイルも立ち上がり、アーサーが椅子を元の位置に戻してくれた。
カラム隊長も一度、私の護衛と報告の為にも一緒にエリック副隊長の家へ付き添わないといけない。
全員が帰る準備をし始めれば、ネイトが今度ははっきりと顔を上げて私達を忙しそうに見回した。やっぱりまだ心細いのかもしれない。特にカラム隊長や強いアーサーまで居なくなっちゃうとなるとそういう気持ちになるのもわかる。今日一日でいきなり自分の状況が変わって不安なこともあるだろう。けれど、もう彼はこれで何も怖がる必要なくまた普通に過ごせる。だから
「お願いしていた発明の件だけど、あれももう気にしなくて平気よ。断っても良いし、逆に何年かかっても良いわ。もう借金を返す必要なんてないもの」
もう発明だって急ぐ必要はない。
あの時はレオンの存在感に押されたり、友好関係の為に手を握ってくれたネイトだけれど、もう彼は発明を無理に作る必要もなくなった。もともと借金を返す為にレオンへ売るつもりだったんだもの。レオンだって貿易の為よりもネイトの為に今回は協力してくれた。やっと自由になったのに、また期限を作って発明をさせるなんて
「は……ハァ⁈つっ、作るに決まってんだろ⁈馬鹿‼︎絶っっ対やるからな‼︎」
……まさかの、やる気満々だ。
ガラガラな声を上げたネイトは、突然火が着いたように顔色が変わり血色が良くなった。前のめりになり過ぎてベッドに手をついて四つ足になったネイトは、一瞬痛そうに顔を顰めたけれど、すぐにまた私を真っ直ぐ睨んだ。
絶対に作る、来週覚えておけよと繰り返す彼は、レオンとの取引は継続希望のようだ。更にはまるで今気が付いたかのように、あっと声を上げると自分の背中から周囲を見回して「あれも置いてきた‼︎」と叫び出す。さっきまでのしおらしい様子が嘘のように目を釣り上げると、今度は出て行こうとしていたカラム隊長の手を掴んで引っ張った。
「アレも置いて来ちまったじゃねぇか!カラムがリュック置いてけとか言ったからだぞ‼︎今すぐジャンヌの分だけでも取ってこいよ‼︎」
「怪我人が何を言っている。大人しく今日は休んでいる方が大事だ。ここでも発明などしたら気が休まらないだろう」
「うるせぇえええ‼︎堅物‼︎脳筋‼︎馬鹿騎士‼︎持ってくるまで帰さねぇぞ‼︎」
「離されなかったら取りにも行けないだろう」
両手で掴んで引っ張ってくるネイトに的確に断っている。
少し仕方がなさそうに眉を垂らしているカラム隊長が何だか微笑ましい。取り敢えずまだ発明をする気はあるらしいネイトは、そのまま私に向けても「来週の頭だからな‼︎」と繰り返し念を押した。……まぁ、少なくとももう借金返済用発明の片手間に作らなくて良い分、効率は上がるのだろうけれども。
あまりに元気になったネイトに笑いが引き攣りながら「わかったわ」と返す。本当に彼は発明自体が好きなんだなと思う。
それに、王族であるレオンに期待されたから余計に気合いが入っちゃったのかもしれない。あの一時だけとはいえ、自分を助けてくれたのがあんな格好良い王子様ならレオンの為にも提供したいと思うのもわかる。
もう帰るぞと、無理なく引きはがそうとするカラム隊長へ食い下がり抵抗しながらも「ジャンヌ!」と再び私をガラリとした声でネイトは呼んだ。
「完成させるからな‼︎絶対みろよ!絶ッ対‼︎‼︎」
「……ふふっ!……。……ええ、わかったわ」
生気の戻った顔に、なんだか安心してしまう。
一生懸命に目を尖らせて叫ぶ彼に、思わず嬉しくて笑いを零しながら私は言葉を返す。その途端、唇をぎゅっと絞ったネイトはまた怒った顔で押し黙ってしまった。顔の部品を全部中央に寄せたような表情に、首を傾げると次の瞬間にはまた大声で「ブス‼︎‼︎」と叫ばれてしまう。……もしかして、笑ったのを馬鹿にしたのと勘違いされたのだろうか。
今回はナイフを投げられなくて良かった。いや、近衛騎士二人がいるし今ここにハリソン副隊長はいないか。セドリックの護衛という名目もあるもの。
今だけはいなくて良かった、と失礼ながらちょびっと思いながら、退場へと足を進める。アーサーが扉を開けた途端今度は奥の方から「こらネイト‼︎今友達になんて言った⁈」と嗄れた怒鳴り声が聞こえてきた。……うん、やっぱり壁薄い。
じゃあまた来週、と声を掛けながらステイル達と共に部屋を退場する。これ以上ネイトとお医者様を怒らせない為にもその方が良さそうだ。
カラム隊長だけが未だにネイトにべったり捕まったままだった。力尽くなら大丈夫なんだろうけれど、怪我人相手に無理矢理もしたくないのだろう。
「本当に彼は……あの態度だけは治りませんね」
やれやれと部屋を出た途端、ステイルが呆れたように息を吐いた。
まぁまだ十三だし、と苦笑いでやんわり言っても「もう十三です」と断じられてしまう。扉から横に離れ、廊下でカラム隊長を待ちながら私達三人で壁際に並ぶ。
「でもー、……良かったです」
不意に今度は言葉にしたのはアーサーだった。
ネイトに聞こえないように声こそ潜ませているものの、ぽっかりと自然に出たような口調で言うアーサーの目線はネイトの部屋へと向いていた。
ネイトが元気そうで良かったという意味だろうかと思いながら見返すと、ネイトの「馬鹿騎士!リュック取ってこい‼︎」とカラム隊長への暴言がまた聞こえてきた。それでも今は全く怒らない。
「……好きなこと、発明はまだ嫌いになってなくて。やっぱ好きなことはそのままで居て欲しいですから」
「……そうね」
柔らかく笑うアーサーは凄く彼らしい大人びた笑みだった。
私まで釣られて頬が緩む。ステイルも眼鏡の黒縁を押さえながら小さく笑んでいた。……本当に、そう思う。
ゲームの設定では、ネイトの不幸はまだこの後も終わらない。むしろここからが本番だと言えるほど辛いものだ。そしてその原因もまた同じように彼の特殊能力。それでも、やっぱり発明をするネイトは楽しそうだった。出来ることならこの先もずっとそうであって欲しい。
ネイトをなんとか引きはがしたカラム隊長が廊下に出てきてくれたのは、五分は経ってのことだった。
引っ張られた団服を伸ばして整えながら謝ってくれるカラム隊長に言葉を返しながら、私達は出口へと向かう。
まだ患者さんも来ていないらしく、私達が通りがかるとさっきのお医者さんが「すまないなぁ、あいつは昔から口が悪くて」と頭を掻きながら診療室から出てきてくれた。更にはカラム隊長への罵声も聞こえていたらしく、余計にぺこぺこと頭を下げていた。
「いえ。それよりも、ネイトの治療代なのですが私が立て替えさせて頂きます。この後も夜までお世話になるとのことですが……」
やっぱりカラム隊長しっかりしている。
いや良いよ、昔からの付き合いだから、と断るお医者様に、せめて薬代だけでもとお金を払ってくれたカラム隊長はまた「宜しくお願いします」と礼儀正しく頭を下げた。
私達もそれに倣いながら礼をする。恐縮するように笑い皺を寄せながら返してくれるお医者様は、手を振って私達にも返してくれた。
「……ああ、あと。さっき騎士様がもう一人いらっしゃりまして。赤毛と黒髪と銀髪の子どもと騎士を探しているとのことだったので、お伝えしたら外で待っているとのことでしたよ」
三十分ほど前だったか、とお医者様が出口を指差してくれた。
誰かはすぐに予想がついて、揃って外に出てみるとエリック副隊長が「お疲れ様です」と頭を下げてから笑い掛けてくれる。伯父の連行を終えてすぐに戻って来てくれたらしい。
待たせてしまったことをお詫びすると、「無事見つかって何よりだ」と穏やかな笑顔で返してくれた。
「では、帰りましょうか」
エリック副隊長の優しいその声に、何だか今はすごくほっとしながら私達は帰路へと歩いた。




