表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
私欲少女とさぼり魔

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

332/1000

Ⅱ225.さぼり魔は声を上げる。


「どうやって開けた?!ガキが勝手に入ってくんじゃねぇ‼︎」


伯父さんの汚ねぇ怒鳴り声が浴びせられる。

突然飛び込んできたそいつは、伯父さんなんかに一目もくれなかった。お陰で俺に乗せられた足も退かされたけど、伯父さんがこのまま何もしないわけがない。背中に縋り付いた腕のままジャンヌの肩越しに目を向ければ、ちょうどこっちに手を伸ばしてくるところだった。

滲んだ視界がジャンヌの服に吸われて明るくなった瞬間、息を飲む。逃げろ、という間もないまま、顔中の筋肉を尖らせた伯父さんが太い手でジャンヌの纏めた後ろ髪を掴


「触ンな‼︎」


バシッ、と。

掴む寸前に、もう一人が伯父さんの腕を真横から肘で弾き飛ばした。

あまりに一瞬で、見ていた筈なのに見えなくて叔父さんも目を丸くして顔ごと向けた。火にでも触れたみたいに手を引っ込めたまま、怖い顔が間抜けに伸びる。

ジャンヌと一緒に飛び込んできたもう一つの影、ジャックだ。

何がどうなっているのかもわからないまま、……そういえばコイツにも一回学校で捕まったことがあると思い出す。騎士でもねぇのに煙幕すらものともしなかった。

叔父さんが、弾かれた仕返しにジャックへ拳を振るう。でも顔を横に傾けるだけですんなり避けられた。構わず今度は掴み上げようとすればまた腕を弾いて避けられて、足で蹴り上げようとしてもジャックは軽く跳ねるだけだった。

俺とジャンヌの傍から殆ど離れずに全部避けきるジャックが信じられなくて涙が止まる。口があんぐり開いたと思えば、叔父さんも目が転がるくらいに丸かった。

なんだテメェはと、伯父さんが今度はジャックに怒鳴る。俺を抱き締めたジャンヌも、睨まれたジャックも全然怖じけない。寧ろ今は、……伯父さんを無言で睨み返すジャックの蒼い眼光の方が怖かった。皮膚が冷えるような冷たい感覚まであって、さっき伯父さんに折られそうになった時とは違う冷たさに肩が上下した。銀縁眼鏡の奥があんなに怖かったけと、記憶を疑う。

こんなに背後が煩くて怖い筈のジャンヌは一度もそっちに振り返ろうとすらしなかった。まるでもう平気かと言っているような腕の力に言葉が見つからない。


「その人にもネイトにも触れンな。次やったら骨折ンぞ」


叔父さんの罵声が続く中、静かにジャックが口を開く。

怒鳴り散らした伯父さんがまたジャンヌをひっ掴もうと手を伸ばした時だった。腕を横から今度は拳で弾かれて、ジャックの腕より倍以上太い伯父さんの腕が引っ込んだ。拳をぶつけられた腕を押さえながら伯父さんがギリギリと歯を鳴らしてジャックを睨む。俺が何発殴ったって絶対痛いとすら思わない筈の伯父さんが、ジャックに弾かれる度に腕を引っ込めた。

ただ真っ直ぐに佇むジャックの声は、信じられないほどに低かった。自分からは手を出さないジャックが、それでも大人の伯父さんを圧倒しているのが俺でもわかる。


「ッッふ、……ざけんな‼︎‼︎」

顔を真っ赤にした伯父さんが、一瞬後ずさったと思ったら椅子を手に取った。

振りかぶり、ジャックと俺達を纏めて薙ぎ払おうと横にぶん回す。思わず目を瞑ったけど、椅子はいつまで経ってもぶつかってこなかった。代わりに聞こえたのはドカンっていう床まで揺れるほどの振動だった。食い縛った歯のまま薄く目を開けると、……伯父さんが仰向けに転がっていた。

椅子を手放して両手で顎を押さえてたから、ジャックに一発入れられたのかなと変に落ち着いた頭で思う。グアアッ……と呻く声まで聞こえて、見れば馬鹿みたいに両足をばたつかせた。


「それもジャンヌとネイトにぶつかンだろォが。次やったら顎砕く」

淡々というジャックが自分より低い位置に転がった叔父さんを見下ろす。

なんであんなにでかい叔父さんが怖くねぇんだと疑問しか出てこない。じたばたと転がったまま両足で床を踏み鳴らす叔父さんは、まだ痛みでしゃべれないようだった。その間にもジャックは転がった椅子だけを拾い上げて部屋の隅に立て直す。平然としたその姿に瞬きも忘れて凝視すると、俺の方に振り向いたジャックが「椅子は壊れてません大丈夫です」とだけ断った。意味が分からねぇ。


「ネイトごめんなさい……もっと早く動けていればっ……‼︎」

呻くだけの叔父さんが怒鳴らなくなった分、ジャンヌの声が耳に届く。

か細い、絞り出すような声は今にも泣きそうだった。なんでだよ、と言おうとしたら喉が枯れてて声が本当に出なかった。そういえばさっきまであんだけ喚き叫んでいたんだと今更思い出す。喉も渇いて腫れて出なかった声を無理矢理絞り出したツケで、錆びたネジみたいな音しか出なかった。

その間もジャンヌが耳元で何度も「こんな怪我を」「早く気づければ」「……れていなかったらどうなっていたかっ」と呟いて、どれもなんでジャンヌが落ち込むのかわからない。大体なんでこいつらここに居るんだよ。俺は、〝こうならない為に〟家の場所もジャンヌ達に教えたくなかったのに。


『方法は二つ。一つはすぐにでも解決できる方法よ。けど、代わりに貴方にも協力して欲しいの。貴方の家に私達を一度連れて行くことと、そして〝来る〟日を教えて』


ジャンヌが、最初に提案してきた二つの方法。

その一つ目をするのに必要なのは……俺の家と伯父さんが来る日を教えることだった。

特殊能力で俺が発明を売っていることを知ったジャンヌは、伯父さんを家から追い出してくれる方法を一つ目に提案した。だからその為に家の場所と伯父さんが来る日を教えてくれって言われて、……選べなかった。


怖かった。


ジャンヌがどうするつもりでも、伯父さんはでかいし怖いし馬鹿だけどその分乱暴なのは俺が一番わかってる。ジャンヌ達に伯父さんを会わすのも、失敗してまた伯父さんに殴られるのも怖かった。俺は発明できるから殺されねぇけど、伯父さんならジャンヌ達ぐらい簡単に殺して埋めると思った。それにいくらあの騎士の力を借りたって、〝法律〟で伯父さんをどうすることもできないのも知ってた。力でもそれ以外でも勝てるわけない伯父さんとジャンヌ達を関わらせたくなかった。

なのに今、その伯父さんをジャックが一人で転がしている。一つ目の方法ってこうやってジャックが叔父さんを追い払ってくれることだったんだと今更思う。こんなにジャックが強いなんて知らなかった。……けど、本当にこれだけで伯父さんは。


「ジャンヌ、怪我看させて下さい。応急処置だけでも先にしますから」


ジャックが膝をついてジャンヌの肩に触れる。

うん、とか細い音を溢したジャンヌがゆっくりと俺に回した腕を緩めた。するりと抜けていく細い腕の感覚が、何故かすごく頭に残る。ジャンヌの支えを失って、また床にべったり転がるのが嫌で自分で起き上がろうとしたら「無理しないで下さい」とジャックに背中から起こされた。

そのまま壁際に寄りかかるように座らせてくれれば、さっきよりもはっきり家の中が視界に入った。医者でもないくせになんで怪我まで見れるんだよと思ったけど、怪我や痛む場所を確認するのは妙に手慣れていた。顔から腹から足まで確認されて、……「どこも折れてはないです」と言った途端、脱力するジャンヌと一緒に俺まで目眩がした。

全身バキバキに痛むけど、折られてないというだけで死ぬほどほっとした。けど傷が膿んでるとか、内出血とか、取り敢えず着替えとか言われても耳にあんまり入ってこないくらい安心して、……また震えが沸き上がった。

ガタン、と。


「ッテメェら……‼︎一体なんなんだ出ていきやがれクソ!!‼︎‼︎」


顎を押さえた伯父さんが、また起き上がる。

その声を聞いた瞬間に、現実に引き戻されたような感覚に全身の気が逆立った。まだ、伯父さんからの報復は終わってない。

ジャックが阻むように立ち、伯父さんを見据える。ジャンヌが壁に寄りかかった俺を庇うようにまた抱き締めた。今度は振り返る顔がしっかりと背後にいる伯父さんへ向けられている。


「出て行くのは貴方の方です。二度とネイト達の前に現れることを許しません」

凜とした声がはっきりと耳の傍で放たれる。

怯えの色を一切感じない声に俺の震えまで押し止められた。いつもの声とは違う、強く貫くような声はジャンヌと同じでまるで別人だった。

伯父さんが唸るけど、ジャックが阻めばそれ以上前には出ない。僅かに喉まで反らす叔父さんは、もうジャックの方が強いと認めているみたいだった。ギリギリ食い縛った歯でさっきまでジャックかジャンヌに向けていた釣り上げた目を俺へと刺す。目が合ってしまった瞬間、殺される前みたいで息が詰まった。


「ネイト‼︎‼︎……覚えとけよ?」


べったりと低めた最後の声に、全身の血が抜かれたようになる。

顎を摩りながら血走ったギョロ目に、忘れかけてた心臓だけがバクバク音をまた鳴らす。汗がぶわりと噴き出てきて、震えがまた足先までガクガク伝わった。伯父さんを追い払えたのはこの瞬間だけなんだと当たり前のことを思い知る。日が遠のいただけで明日か明後日か、それとも今夜かすぐにまた復讐される。

顎まで震えて歯が鳴って、食い縛ることもできなくなる。睨む伯父さんの顔から目が逸らせなくなって、ネジを締めたみたいな音だけが喉から洩れた。つぎ、次こそ本当に駄目だ。今夜か、明日か、どっちにしても今度は本当に足を折られるどころか殺され












「ええ?許さないと言っただろう?」











コンコンッ、と。

開けっ放しにされた扉から軽やかなノックが鳴らされた。

俺も知らない声に、伯父さんも「アァア⁈」と呻りながら振り返った。光の中ではっきり姿が見えなかった声の主は、背の高い優男だった。

誰だテメェはと伯父さんが怒鳴る中、その男は扉を塞ぐように佇んだまま中に入って来ようとはしない。服装から見ても衛兵にも騎士にも見えないそいつは声と背だけで男だということはわかった。

そのまま怒鳴る伯父さんに返事もしない中、向けていた顔を俺へと向ける。ジャンヌ達に続いてその男まで伯父さんが目に入ってないかのように無視して、俺へとヒラヒラ暢気に手を振ってくる。


「やあネイト。家の中、入ってもいいかな?」

誰だよお前。

そう言いたかったけど、喉が潰れたまま一音しか出てこない。抱き締めてくるジャンヌが耳元で「頷いて」と言うから、訳も分からないまま首を縦に振った。すると、逆光で姿の見えなかった男がカタンカタンと家の中に入ってくる。影しかわからなかった男の姿がはっきりして、自分の目が丸くなってくるのがわかる。

伯父さんも「なんだテメェは」と怒鳴りながらも男の姿に二歩も後ずさった。絶対に、俺達とは別の世界の人間だということだけは確信できた。家の中に入った途端「お招き感謝します」と優雅に言った男は、滑らかな笑顔を俺に向ける。何を言えば良いかも声もでない俺にまた軽く手を振ると、それからとうとう伯父さんに向き直った。


「ネイトと今度取引させてもらう予定の者です。友達に会う途中で近くを寄ったので、挨拶だけでもしようかなと思いました」

「取引だぁあ?……ッッまさかそれは‼︎」

「ええ、彼の〝発明〟です。本当に幸運でした。発明の特殊能力者と直に交渉できる機会なんて滅多にありませんから」

まずい。

一気に肩が上がって強張った。あいつ、ジャンヌに言われていた商人だ。まさか大人まで連れてきてたなんて思わなかった。

伯父さんの血走った目が更に鋭くなる。もう駄目だ、伯父さんに発明を売ってることまで知られちまった。本当の本当に殺される。俺だけじゃない、あの商人も伯父さんに絶対殺される。今までだって他の奴らに発明を見せることすら許さなかった伯父さんが、自分以外に売ろうとしてたなんて許すわけがない。俺だけじゃなく、商人までボコボコにしてやろうとするに決まってる。伯父さんにそんなことされたらあんな人の良さそうな商人だって尻尾巻いて取引をしてくれなくなるに決まってる。もう、ここまで我慢してきた全部が駄目になる。こんなことになるんだったら、次にいくらボコられてももっと早く伯父さんを家から追い出して置くんだったと後悔する。

叔父さんが真っ赤な顔で湯気を出す。ふざけんなと、あいつの発明は俺の物だと、二度とネイトに近付くなと、殺されてぇのかと唾を飛ばして怒鳴り出す。ズンズンと大股で商人に歩みよって行く間も今度はジャックも動かない。ジャンヌの傍に突いたままじっと食い入るように伯父さんと商人を見るだけだった。そしてとうとう伯父さんの手が、滑らかに笑み続ける商人の胸ぐらに伸びた



チャキッ。



「無礼者。今すぐその御方から手を離せ」

─瞬間、だった。

開けっ放しの扉からまた一つ、腕が伸びた。銀色に光る剣を携えた手は、商人の胸ぐらを掴む叔父さんの首へ真っ直ぐと突きつけた。

自分の顔の真横を剣が過ぎたにも関わらず商人の顔色は変わらない。滑らかな笑顔を浮かべたまま、自分の胸ぐらを掴む伯父さんを眺めている。まるで最初からこうなることがわかっていたみたいに微動だにしない商人は口を閉じたままだ。……けど、伯父さんの顔は蒼白だ。


さっきまで真っ赤なのが嘘だったみたいに、血の気を引いて真っ青になる伯父さんは胸ぐらを掴んだ手も悴んで固まっていた。放さないんじゃなく、放せないんだ。

視線の先は商人じゃなく、自分に剣を突きつけている光の中の男に向けられていた。

そして俺は、この声を知っている。


「なっ、……どうして、ここに……ッ騎士が……⁈」

「手を放せ。それ以上その御方に暴行するというのならば、この場で粛正する」

震える声で目を溢しそうになる伯父さんに、一閃をいれるように騎士の声が裂いた。

真っ直ぐな強い声が、今まで俺に煩く言ってきたどの声よりも静かで鋭い。あの怖い伯父さんが怯える程の声なのに、不思議と俺には怖くなかった。自分の震えが止まっていることにそこでやっと気が付いた。…………本当に、来た。


騎士の声に、叔父さんが腕ごと振り払うようにして乱暴に商人から手を放す。胸元の皺を軽く掴んで整える商人は、その間もずっと表情は変わらない。むしろこっちの方が俺には怖い。

一歩一歩、騎士が商人と並ぶように前に出る。学校で会うのと同じ格好なのに、今は信じられないくらいに凜々しくて格好良い。

「現行犯だ。この場で連行させてもらう。抵抗すれば安全は保証しない」

「ッ⁈ふざけんな‼︎なんでそうなる⁈俺は善良な一般市民だぞ‼︎⁈」



「抵抗できない子どもへ一方的に暴力を振るって何が〝善良〟ですか」



ピシャリ、とジャンヌの声が割って入る。

俺を抱き締める腕に力をこもったと思えば僅かに震えてもいた。伯父さんが矛先を変えるように釣り上がった目でこっちを睨む。何か言おうと口を開くより先にジャンヌが続きを言う方が早かった。


「ネイトの能力はネイトの為の才能です。貴方の私腹を肥やす為のものではありません。使うも使わないも全ては彼の権利です」

顔を向ければ、ジャンヌの紫色の眼差しが眩しいくらいに光った。

釣り上がった目も、今はただ強さしか感じない。伯父さんが苛立ちをぶつけるようにテメェには聞いてねぇ‼︎と怒鳴ったけれど、もう俺も怖くは感じなかった。遠吠えしている野犬を見ているような感覚で、騎士に……カラムに手枷をかけられようとする伯父さんを眺める。止めろ、なんでだ、不当だ、俺は殴ってないと吼える伯父さんに構わず後ろ手へ回させていく。


「罪状は〝不敬罪〟〝暴行罪〟〝侮辱罪〟〝恐喝〟だ。その御方に刃向かった時点で、お前の罪は決まっている」

「ふざけんな‼︎‼︎ここは俺の家同然だ‼︎そこに入って来た野郎を追い出して何が悪い⁈これくらいのことで捕まってたまるか‼︎一体どこの貴族と繋がってやがる腐れ騎士‼︎」

力尽くで拘束されながら伯父さんが口だけで抵抗して怒鳴る。

貴族、と聞いてやっとピンと来る。目の前の蒼い髪の商人はどっからどう見ても俺達とは着ている服からして違う。しかも、騎士が〝この御方〟っていうということはそれだけ偉いやつだ。ジャンヌもこうする為にわざわざつれて来たんだと思う。

カラムが居て、貴族に伯父さんが手を出せば捕まえられる。けど、本当にこれだけで伯父さんから一生逃げられるのか?またすぐに罰受けて、出てきて、今度こそ報復が



「その御方はレオン・アドニス・コロナリア王子殿下。アネモネ王国の第一王子だ」



…………は?

カラムの言葉に、時間が止まる。

俺も、言われた叔父さんも口を開けたまま表情が固まった。「王子……⁈」って一分以上の間の後に伯父さんが喉を鳴らした。ギョロリと動いた目がわなわなと震える唇と一緒にさっきまで胸ぐらを掴んでいた相手に向けられる。脂汗をダラダラ流しながら顔を引き攣らせる伯父さんに、商人だと思った男はやっぱり滑らかな笑みで応えていた。


「ネイトの家がお前の家同然だと言うならば、レオン王子殿下は次期女王であらせられるプライド第一王女殿下のご盟友だ。その御方に手を上げたことはプライド様への不敬と同意。……正式に城で裁判を受けて貰う」

ジルベール宰相がお待ちだ、と。カラムがそう締めくくった途端に伯父さんが逃げようと暴れ出した。

待て、知らなかったんだ、なんで王子がここに、どうなってる、放せと叫びながら身体をねじらせる伯父さんをカラムは一回も放さなかった。片手で自分より横にでかい伯父さんの後ろ手を掴んだまま、扉の向こうへと投げかける。


「エリック。すまないが、この男の連行を頼めるか。レオン王子殿下の護衛は私が代わろう」

わかりました、と扉の外から返事がくる。

まだ居たのかと思ったら、カラムと同じ格好をした騎士が来て叔父さんを引っ張っていった。本当に連れて行ってくれるのかと思ったら気が遠くなった。口が閉じられないまま伯父さんが居なくなるのを見続ければ、開け放しの扉からまた他の声が聞こえてくる。


「ヴァル。エリック副隊長と共に城までこの男を連行して欲しい」

「あー?急ぎじゃねぇなら歩かせりゃあ良いじゃねぇか」

「す……フィリップ。大丈夫だ、これくらいの距離なら馬がなくても行けるから」

知ってる声と知らない声が入り交じる。フィリップも外にいるのかと思いながら、扉の向こうの光に目を搾る。ただでさえ腫れてよく見えない視界で、やっぱり扉の向こうの光は眩しくてよく見えない。

フィリップが入って来て、でもやっぱり光の中から現れたようにしか見えなかった。昨日からあんなに長かったのにまだ太陽が昇っているのが凄い不思議だ。……長かった、のに。


「さて、ネイト。改めて挨拶をさせて貰えるかな」

商人……じゃなくて、王子が落ち着いた口調で俺の名を呼ぶ。

タン、タン、と伯父さんと違って土汚れ一つない上等な靴で歩み寄ってきたその人が、王子と知れば余計に喉が干上がった。ジャンヌがそっと俺から腕を解いて横に避ける。

ジャンヌの肩越しじゃなく見る王子は、そうだとわかれば余計に神々しく見えた。女みてぇな顔だけど、彫刻みたいな綺麗な顔できっと産まれてから磨かれた道しか歩かなかった人だなとわかる。

それに比べて俺は、叔父さんに踏まれてドロドロの服は水と汗で濡れて血まで沁みている。王族が顰めた顔で避けてもおかしくない格好だ。

叔父さんが連れて行かれた今、ここで王子に触れるだけでも罪になるんじゃないかと怖くなる。なのに、王子は全く気にしないようににこやかな笑顔を向けてきて、片膝をつく。壁に寄りかかる俺に目線を合わせ、手を差し伸べた。


「第一王子、レオン・アドニス・コロナリアと申します。貴方が作ってくれる〝発明〟を楽しみにしています。どうぞこれから宜しくお願いします」


王子が、握手を求めてきた。

腕が痺れたように動かないのが、傷のせいか緊張のせいかわからない。目の前のことが全部おかしすぎて夢だと思う。

絶対夢だ、間違いない。こんなことが立て続けに起きるなんてあり得ない。だって、さっきまで伯父さんに夜通し殴られて足まで折られかけてたのに。どこから夢だよ?わからない。でも絶対夢だ。だって、ほら手だって動かないし、震えるし、痛くもなくて、王子の手だってきっと握れるわけが……


「宜しく、ネイト」


……握れた。

気が付けば、手が勝手に王子の手に伸びていた。俺の手へ触れた途端、王子の手が当たり前みたいに汚れた。それでも包むように握手で返してくれて、息の仕方もわからなくなった。瞬きをどうやれば良いかと頭で考える内に目が乾いていく。王子だけがのんびりとした声で「怪我が治ってからで構わないから」と笑い掛けてくる。女みたいな綺麗な顔に、いっそ死ぬ前のお迎えが来たのかなとまで思う。だって、やっぱりおかしい。なんで、ジャンヌが紹介してくれた商人が隣国の王子なんだよ。


「レオン王子殿下。大変申しわけありません、ネイトの応急処置をさせて頂いても宜しいでしょうか」

ああ、勿論と。王子がカラムの声に笑顔で返すと、手を離してゆっくりと立ち上がった。

入れ替わりに腰を下ろしたカラムが最初に俺の頭のゴーグルに手をかける。盗られる、と一瞬だけ思ったけど、……大丈夫の方が強かった。額のゴーグルを外されて「脱がすぞ」と一言断られると今度は服に手をかけられた。


「このままでは風邪もひく。君の服はどこにある?着替えの場所を教えて欲しい」

脱げた服が床に置かれると、ベシャッと湿った音がした。思っていた以上にぐちゃぐちゃだったんだなと思う。

手袋も取られて上半身が剥き出しになる。服の場所、と言われて応えようとしたら、今度はか細く言えた。鳥の声より微かな声をカラムが耳を近付けて拾う。ジャックが「俺、取りに行ってきます」と俺の怪我の状態を横で説明した後に家の奥に駆けていった。フィリップが「俺も探すのを手伝ってやる」と溜息交じりに言って背後についていく。ジャンヌに「カラム隊長から離れないで下さい」と二人で声を合わせていた。


「話すのが辛かったら無理はしなくて良い。だが、もし何かあったら遠慮なく言ってくれ」

そう言ってカラムが最初に湿った俺の身体を布で拭きだした。ところどころ痣を確認しながら指でなぞって「今回は絆創膏で隠している箇所はないな?」と確認をとってくる。隠すも何も、伯父さんに殴られ続けてそんな暇なかった。

汗と水と血を布が吸ってすぐに汚れていく。周りのことがわかんな過ぎて茫然と目で追っていると、不意に真横からコップが差し出された。


「ネイト、飲める?多分、これ飲める水だと思うのだけれど」

棚の上に水差しがあったわ、と言うジャンヌが口の傍にコップを近付けてくる。叔父さんがぶっかけてきたのとは別の水差しだ。全然飲める、と言う代わりに俺からも口を近付ければ小さく傾けるようにして飲ませてくれた。コク、コク、と沁みる喉を落ち着かせるように潤せば、熱が溜まった。半分近く飲んで口を離せば、自然と深く息が吸い込める。

試しに「あ」と言ったら、ガラガラだけどちゃんと言えた。どうかしたか、とカラムに聞かれて、今度は「なんでもない」とちゃんと言葉にできた。自分でも酷い声だなと思う。

カラムに血が出ているところだけでもと包帯を巻かれながら、ぼんやりと部屋を見回す。さっきまで俺と伯父さんしかいなかったそこに、カラムが居て、王子が立っていて、俺の部屋の方向から「じゃあこっちか⁈」「どこの部屋もお前みたいに整っていると思うな」と騒ぐ声が聞こえてくる。それで隣には……


「……お前。なんなんだよ……?」

半分残ったコップを手に、心配そうに眉を寄せてくるジャンヌに纏めた疑問が湧いてくる。

ガラガラの声で尋ねれば、ジャンヌは大きく瞬きで返してきた。王子もわかんねぇけど、こいつも全然わかんねぇ。隣国の王子を俺に紹介するとかここまで連れてくるとか。しかもジャックがいくら強いからって、女のくせに伯父さんの前に飛び込んできた。自分は弱いくせに俺にくっついて離れなくって、カラムに付いて来たんならフィリップと一緒に家の外に居れば良かったのに。

答えるまで譲らねぇ、と紫色の目を睨み続ければ、ジャンヌは困ったように一度だけ王子を見た。それからカラムを見て、最後に視線を俺に戻せば困った眉のまま俺に笑う。




「ネイトの味方よ」




『約束するわ、私達は貴方の味方です』

……最初に見つかった日の言葉を、そのまま返された。

口を結んだまま、何も言えなくなって瞼がなくなった。心臓の音が妙に遅くて重いと思いながら見返せば、ジャンヌは床にコップを置いた手を俺の手へ重ねてきた。驚くくらいに温かい温度に、俺がそれだけ冷え切ってたんだなと思い知る。

ジャンヌの温度で指先まで血が通う感覚が肩まで伝わった。手袋越しじゃない感覚は久々で、人の手が柔らかいのだと今更思い出す。


「私だけじゃないわ。今この家に居る皆が貴方の味方よ」

温かい熱と、花のように笑うジャンヌは目がまだ少し赤かった。

明るく笑うくせに、さっきまでは泣いていたんだから当然だ。服も正面から見ると濡れて汚れていて、俺の服のが全部染みついたからだ。それを全部なかったことにみたいに笑うジャンヌは、重ねた俺の手を両手で取った。

両手で包まれた温かさが、日だまりにも似た熱量だった。

伯父さんに見つかる直前まで、明るい場所で発明をした日を思い出す。締め切られた部屋と違った広さも風も、全部が気持ち良かった。……もう、外で何をしても殴られない。

もうここに、伯父さんはいない。

明るく、ただ笑うジャンヌがまるでひたすらに「もう終わった」と告げてるみたいだった。


「もう、痛いって隠す必要なんかないから」

「っっ………」


やめろよ。

人の声なのか疑うくらい優しい声に、うっかりまた込み上げる。

温かい手と、撫でるような声が死ぬほど懐かしい。ちょっと昔までこんなの当たり前だった筈なのに。いつの間にか、そんなのが当たり前じゃないくらい怖かったんだと思い出す。

ジャンヌの笑顔に胸の奥が溶かされる一方で、怯え凍えていた部分まで照らされる。気付かないふりをしていた所まで思い出す。

ボロリと、目から大粒が零れる感覚がはっきりわかった。食い縛った歯で堪えたけれど、吐く息に熱が帯びるだけだった。苦しくて、声を上げたくなって内側だけで悲鳴が上がる。

ついさっきの、ほんの数分前のことが思い出せば歯が顎ごとガタついた。あとちょっとで本当に折られてたと思ったら足が正直に震え出した。伯父さんに踏まれていたところが気持ち悪く疼いて熱い。ピシピシと身体の芯まで響いた感触が蘇って全身の血が凍りついてくる。

伯父さんはもう居ないのに、いま目の前でまた俺の足を踏んでいるような感覚にまで襲われる。カチカチと歯が鳴っているのにジャンヌ達が気付くのはすぐだった。さっきまで笑顔を向けていたジャンヌが慌てたように俺の手を握り閉めてくる。


「痛む?寒いの?待ってね、もう少しでジャック達が服を持ってくるし、お医者様にも連れて行くわ」

「…………っ……かった…………」


絞り出した声が歯の隙間から出た。自分の顔がどんだけぐちゃぐちゃか想像もしたくない。

カラムが包帯を巻く手を止めて、自分の上着に手をかける。その間も口から零れそうな言葉を必死で歯で止めて、それでも堪えきれない。寒い、寒い、寒い、寒い‼︎

ガタガタと身体の奥まで震え出して、震えた唇に息まで細切れになる。過呼吸みたいに息が変になりかけて、熱に縋るように俺の手を包むジャンヌを俺からも握って引き寄せる。

弱すぎて自由の聞かない手はひ弱なジャンヌすら引っ張れなくて、気付いたジャンヌの方から俺に身体を寄せてきた。ボロボロと涙で汚れてしわくちゃな顔で倒れ込むようにジャンヌに埋まる。。受けとめたジャンヌがネイト⁈と俺の肩に手を添えてくる。胸が痛い、肺が痛い、喉も息も足も、全部が全部震えて熱くて痛くて寒くて













「ッ怖かったよぉっ………‼︎‼︎」













また、叫んだ。

吐き出した瞬間、まるで決壊したみたいに喉から声が出て、言葉も形成できないまま泣き続けた。

ジャンヌの手と服を掴むしか力も入らないまま、喉だけに力が入り続けた。大声でガキみたいに泣いて格好悪いと思いながらも止められない。「あ゛あ゛あ゛」の一音がガラガラに出たまま泣きじゃくる。

吐き出した恐怖にいくら叫んでも止まらなくて、頭の中が白になる。抱き締め返された腕の柔らかさと、掛けられた上着の温かさに喉を何度も張り上げた。ただただ〝怖かった〟の塊を最後の最後になるまで吐き続けた。


全部が、終わった。


Ⅱ185

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ