そしてまとめる。
「私は座学なら計算が苦手かな。本を読むのは好きなんだけど、数字は途中式とか何度も間違えちゃって」
二人にも何度も教えて貰ったでしょ?と言うアムレットに、そういえば実力試験でも結構途中式の解説をすることが多かったなと思う。
なるほど、アムレットは文系らしい。まぁ数式なんて、面倒な公式だと生きていくのに必要の無い式も多いから事前知識が役立たないのもあるかもしれない。学校でも一応最低限必要な数字計算以上の数学は、男女共有の選択授業科目になっている。少なくとも前世の電卓を使うような計算は頭でできるように鍛えられた方が良いから普通の数学は必須科目にしてるけど。この世界、そろばんは何故かあっても電卓はないもの。
アムレットの言葉にディオスが「あっ、じゃあ」とクロイの方に視線を上げた。
「計算ならクロイが教えるのも上手いよ。クロイ、それ終わったらアムレットに教えてあげて」
「別に良いけど。ていうか計算なんて覚えるだけでしょ」
「えっ、あ、でも……」
文系と理系の壁が。
そう言うクロイだって、〝覚えるだけ〟の文字の綴りの間違いはディオスより多かったでしょ、という言葉を必死に飲み込んだ。むしろ勉強なんて覚えるだけが殆どだ。それで済まないのは実技やディオスの苦手な読解問題くらいだろう。
じゃあ早くこっちも覚えてね、と軽く皮肉を加えながらクロイに法律文を解説していく。一小節ごとにちゃんと言葉の意味をメモするクロイは、今はもう単語ミスもない。こうやってちゃんと苦手を克服していっているクロイはやっぱり真面目なんだろうなと思う。
解説を終わるとすぐに「はいじゃあ次はディオスよろしく」と短く私に言って、教えやすいようにかわざわざディオスと席を交換してくれた。タイミングばっちりに席替えをする二人にアムレットが大きく瞬きをする。
「ううんっ私は。昨日までずっと三人に教えて貰ったのに……」
「良いからさっさとノート持ってきて。それとも僕らじゃ教わるの不満なの?ジャンヌじゃないと無理?」
遠慮するアムレットに、クロイが圧をかける。
不機嫌そうに低めたクロイの声に、アムレットも喉を小さく鳴らすと急ぎ足で自分の席からノートを持ってきた。
もともと今日は双子優先にするつもりだから持って来なかったノートを歩きながら広げ、クロイに見せる。「あー、これディオスと一緒」と呆れた声を漏らしながらも早速解説を始めてくれた。
「ジャンヌ、ジャンヌ!僕はここがわかんないんだけど……これも文章覚えてたりする?」
二人の様子を見守ってしまった私にディオスが肩がくっつくほどに隣から詰め寄りながら、ノートの箇所を指してきた。
折角席を交換したのにディオスを放ったらかしにしてしまったことに反省しつつ、彼のノートに視線を落とす。見れば、アムレットが解説したのとまた別の箇所だ。殴り書きのように一部抜粋した文章には、登場人物の心情が書かれていて、そこに思いっきり〝↑⁇ジャンヌに聞く!〟と書かれている。……もう、私に聞くことが前提だったらしい。
「ここで〝私〟がなんでそういう心境になったのかわかんなくて。前後読んでもさっぱりだったんだけど……ジャンヌはわかる?」
「ていうかディオスが鈍すぎるだけでしょ。記憶力良いのに読解力低過ぎ」
「!クロイはアムレットの勉強見てろよ!」
むっと顔の筋肉を中心に寄せて怒るディオスに、アムレットが小さく笑った。
ついさっきまでディオスに勉強を教えていた彼女にも、ディオスの鈍さはなんとなくわかったのかもしれない。……記憶力が良くて鈍い、というフレーズに失礼ながらよく知る王弟が頭を過ぎる。本当にディオスとセドリックは色々似ている気がする。流石にディオスはあそこまでの記憶力ではないけれど。
やっぱり我が国の国際郵便機関の為にもセドリックとディオスが揃うならクロイも是が非でも就職お願いしたい。
「ええとね、ここは前文に記載があったと思うわ。冒頭の方で〝私〟が「昔、よく知る女性が同じ事を話していた」と語っていたのは覚えている?」
ディオスに目でもわかるように、ノートへ前文を記憶している内容で書き記していく。基本的に必須科目の文章問題に出るような内容は私が城で教師に教わった内容だ。
私の解説に「あ!そういえばあった!」「そっかー」と相づちを打ってくれるディオスは相変わらず飲み込みが早い。
察して、と言われるとうっかりも多いけれど、解説さえされればすんなりと納得してくれるしまるでスポンジだ。流石はクロイとアムレットを上回る主席。こんな頭の良い二人が同調したら、ゲームでもああなれて当然だわ。
「ディオスは次の特待生試験までに読解問題は特に強化した方がいいわね。暗記だけじゃ済まないから今度からなるべく本を読むようにしましょう?読めば段々と読解もなれてくると思うわ」
うん!と元気よく返してくれるディオスは、本当に素直だ。
早速今日の放課後に本を借りてみると、特待生特権を有効活用する彼に顔が綻ぶ。あどけない笑顔を見ると、うっかり頭を撫でてしまいたくなってしまう。
「クロイもディオスもすごいなぁ……でも、私も負けないから!」
「いやアムレットも充分頭良いでしょ。ほら、もうこれ解けてるし」
コンコン、とそう言ってクロイがペンでアムレットのノートを突いた。
クロイの教え方が上手だからと笑うアムレットだけど、クロイは少なからず不機嫌そうだ。頬杖を付きながら「謙遜とか要らないから」と呟いた。アムレットの頭の良さにライバル意識を持ったのかもしれない。でもアムレットは首を横に振りながら「でも全然」とそこは引かなかった。
「二桁同士の暗算とかも足し算以外はよく間違っちゃうの。だからフィリップとの勝負も絶対自信がなくて」
「勝負⁈」
アムレットの言葉にディオスが首を捻る。
話して良いかと視線で尋ねてくれるアムレットに、私から苦笑しながら二人に説明をした。そもそもの理由は置いといて、今クラスではジャックと力比べ、フィリップと暗算対決が流行っているという旨で話せば二人は同時に「へーー」と声を重ねた。
「いや、フィリップに勝つとか無理でしょ。あの人頭の回転おかしいし」
「ジャックに勝つのも無理だよ!熊倒せる人相手に力比べで勝てるわけないよ!」
クロイ、ディオスの言葉に笑ったままの顔が引き攣って治らない。二人ともステイルの頭の良さもアーサーの強さもその目にしているから当然だ。
アムレットがステイルと勝負しない理由は納得だけれど、ステイルとしては幸運だっただろうなと思う。つまりは得意科目勝負だったらアムレットもステイルに勝負を申し込んだ可能性があるのだから。
まぁ流石のアムレットでも国一番の天才ステイルに勝てるとは思えないけれど。どちらにせよ、アムレットとの接触を避けたいステイルにとっては挑まれないのは望むところだろう。
ディオスの言葉に「く、クマ?!」とアムレットがひっくり返った声で返したけれど、二人は大まじめに頷いていた。アーサーなら実際に勝てるだろうから凄い。
「そういえばジャンヌは?!何か苦手な科目とかある⁇」
ふと思い出したようにディオスが私に視線を向ける。
クロイがすかさず「あるわけないでしょ」と切ったけれど、私から返答があるまではと変わらずきらきらな視線を注いできた。私が勉強ができることは全員が知っている、……けれど。
「…………」
何ともいえない表情のまま唇を結んで私を見つめているアムレットの視線が痛い。
正直、このまま下手に墓穴を掘らず見栄を張りたかったけれど、彼女の視線を前に嘘をつくのは難しい。同じクラスである彼女も私の苦手なことはきっとよ~く知っている。意識的に口を動かしながら喉を震わせれば、思った以上に枯れた声になった。
「……か、家庭的なこと……かしら……?」
できる限りオブラートに包み、薄めて遠回しにそう告げる。
思わずディオスとクロイからも顔ごと目を逸らし、それ以上は言えませんと口を固く閉じた。ディオスがすかさず「家庭的⁇」と更なる疑問で返してきたけれど、クロイの方からは「あ~~……」と何か納得したような一音だけが返された。クロイも私の調理室で起こした惨劇については知らない筈なのだけれども。
あくまで沈黙を貫き続ける私に、十秒以上の間を持ってからアムレットが助け船を出してくれた。
「私も苦手。必須授業なら数字だけど、選択授業もなら結構苦手は多いかな。苦手を克服もしたいけど、将来役に立てたいことも選びたいから迷っちゃう。マナーの授業とかも選びたいし」
まさかの自分を巻き込む形での話逸らし術。
アムレット優しい!ありがとう!!と心の中で叫ぶ中、ディオスはまだ少し納得いかないように隣から前のめりになる形で顔を逸らす私の顔を覗き込んできた。白く整った顔が至近距離まで近付いてくる。
「ジャンヌもアムレットもこんなに女の子らしいのに?こんなに可愛いし優しいし、全然家庭的⁇とか苦手に見えないよ?」
じぃー……、と逸らしているのに視界にディオスの顔が入ってくる。
純粋な若葉色の瞳で見つめられ、しかももの凄く真っ直ぐに褒められてしまって今度は背中が反れた。
中性的な顔立ちだから綺麗だけじゃなく可愛いし、ちょっと目が合っただけで白状してしまいそうで怖い。いま顔をディオスに正面を向けたら鼻同士がぶつかってしまいそうなほど近い。首が冷や汗でしんめりとする中、クロイが「ディオス、ちょっと」と机越しに彼の肩を引っぱった。
「そういうところが読解力ないの。大体アムレットはさておきジャンヌはわりと雑だし強引だしお淑やかともほど遠いでしょ。絶対料理とか丸焦げにする部類」
……フォローに見せかけて、途中からコテンパンに図星込みの駄目出しをされてしまった。
けれどそれに「なんだよそれ!」とディオスが顔の方向を変えたお陰でなんとか熱視線からも逃げられた。ほっと胸をこっそりなで下ろす中、ディオスとクロイがまたいつもの言い合いを始めてしまう。私はわりと見慣れた光景だけれど、アムレットは少し戸惑うようにアワアワと視線を泳がせていた。
大丈夫よ、と話を逸らしてくれたアムレットとクロイに感謝しつつ、机の向こうの彼女に声を潜める。あの二人はあれくらいの口喧嘩は日常だと耳元で伝えれば、アムレットも胸を両手で押さえて息を吐いた。さっきはありがとう、と彼女の耳に囁いた体勢のまま、私はそっと言葉を続ける。
「兄妹喧嘩ってどこでもあるものよ」
その言葉に、アムレットは大きく瞬きをしてから私に目を合わせた。
それから少しおかしそうに笑い、小さく頷いてくれる。私を庇ってくれたクロイも、そして私への駄目出しに怒ってくれたディオスも喧嘩の内容はこの上なく優しいものだ。
アムレットとお兄様の悩みもきっと、それと同じようなものなんじゃないかなと思う。ステイルのことを話せないのはきっとお互いに苦しいだろうけれど。
今は彼女の悩みを聞くことはできなかくても、少しだけでも気負う荷が軽くなれば良い。そしていつか、彼女から打ち明けてくれればもっと良いと思う。
「クロイ、ディオス。脱線させてごめんなさいね、勉強の続きを始めましょう?」
喧嘩の熱を上げていく二人に声を掛け、勉強会を仕切り直す。
二人を分断しないように、今度は四人で分からないところを一つ一つ知恵を出し合いながら順番に復習する。最初は半泣きになりかけていたディオスと、不機嫌な眼差しのクロイだったけれど四人で話を回していく内にまたすぐいつもの様子に戻ってくれた。簡単なことで喧嘩してしまうのが兄弟なら
自然とまた打ち解け合ってくれるのも兄妹であって欲しいなと、心の片隅で少し思った。
……
「?どうしたフィリップ」
移動教室が校庭であるアーサー達は、クラスの男子達に引っ張られながらも校舎から飛び出した。
一秒でも早く再戦したい彼らがさっさと集合場所へと向かうぞと声を張る中で、ステイルは途中で足を止める。突然引っ張っていたステイルが止まったことで周囲の彼らはつんのめり、そしてアーサーもすぐに気が付いた。
投げかけたままにステイルの視線を追えば、すぐに何を見ているかも理解する。
ステイルに続きアーサーまで意思を持って立ち止まれば、一気にひとかたまりになっていた彼らの動きも鈍った。どうした、なんだよジャックまで、と言われる中でアーサーはじっと密集した彼らの隙間から一方向にだけ注意を注ぐ。二人が視線を向けるその先には
「カラム隊長……?」
騎士の選択授業。
その為にいつものように授業準備を行っている教師へと早足で歩み寄るカラムの姿だった。
真っ直ぐに伸びた姿勢を崩さず、教師へ「準備ありがとうございます」と声を掛ける流れはいつもと変わらない。教師も背中を向けていた状態からカラムへと笑みを浮かべて振り返り、……固まった。
険しい表情で教師に歩み寄るカラムは、遠目から見るステイルやアーサーの目にも異常だった。僅かに覇気まで零す彼の姿はいつもと全く違う。
自分が何か怒らすことでもしたのだろうかと、思わず半歩後ずさってしまう教師にカラムは着々と距離を詰め、そして名を呼んだ。騎士としてのカラムの僅かな覇気に、教師のジェリコは思わず「はい⁈」と声を裏返させながら姿勢を背筋を伸ばした。常に礼儀正しく温厚にすら見えるカラムが、今だけは騎士〝様〟であるのだと思い出す。
「遅れてきた上に図々しいとは承知の上で、お願いがあるのですが……!」
カラムの訴える言葉に教師は自由が利かない唇を結び、何度も頷いた。
お任せ下さい、どうぞどうぞ、勿論ですと。そう言葉にしたいが震える舌で滑舌が悪くなり目と首で訴える。カラムもそれを察し、了承を受けた後は「ありがとうございます」と深々と教師へ頭を下げた。
その様子に、話している声は聞こえないまでもステイルとアーサーは酷く胸騒ぎを覚えた。
ネイトだ、と。
確信を覚えるほどに。




