落ち込み、
「…………ステイル。なんだか私達、……」
「ええ、……申し訳ありません。俺もここまでとは思わず」
マネージャーとして紹介されてから二時間。ステイルとプライドは揃って雲掛かった面持ちで視線も僅かに落ちていた。
騎士部員達がこれからの試合に向け、他の部員達と順次一本勝負を行い身体を温めている間。部室棟から運んだスポーツ飲料水の入ったクーラーボックスを共に騎士館ホールへ運び終えたところだった。
氷とペットボトルが詰まったクーラーボックスはステイル一人でもなかなか重く、ホールまでは台車を使ったが、台車への持ち上げはプライドと共に両端を持ち上げながら行った。互いにその間殆ど無言だったのは疲労や重量の所為だけではなかっただろうと二人も理解している。
「まさか、ここまで役に立てないなんて……」
「いえ役に立っていないわけではないと思います。正確には、…………まぁ。業務を増やしていると、いうか」
〝アーサーの負担を増やしている〟……と。その言葉をステイルは口からは出せず飲み込んだ。
歯切れが悪く濁すステイルの優しさも察しながら、プライドは思わずその場で大きく溜息を落としてしまう。言わずとも業務を増やすの意味はわかる。実際、自分達の所為で今の今までアーサーの顔色は優れないままなのだから。
最初は部室の掃除だった。心の準備ができない内にプライドにずっと見守られてもアーサーも部員達も落ち着かないだろうと、ステイル自身も英断だと思った。部室棟で掃除でもしていれば、少なくともその間は部員達の目に付かない。それから時間を置いて改めて戻れば部員もある程度の心の構えもできているだろうと。それに掃除ならばプライドにもそこまで力仕事をさせずとも自分が充分賄える。
しかし実際に部室棟へ向かえば、途中で騎士部員達に追い抜かれた。何か問題でも起こったのかと急ぐプライドに続いて自分も追いかければ、辿り着いた時には部員達が各々の部室を綺麗に整え終えた後だった。まさか自分達が掃除しようと思っていた部屋を一足先にほんの数分の差で綺麗にされるとは思ってもみなかった。
もともと大して散らかっていなかったのもあるだろうとは理解するが、プライドと各部屋を回った時にはどの部屋もロッカーが全て施錠され私物らしい私物も殆ど転がっていなかった。更には壁やロッカーの扉には何かを剝がしたらしい真新しい日陰跡やテープ跡がいくつも残っており、何かの証拠隠滅だとはステイルも一目で理解した。少なくともアーサーのロッカーがあった部室に貼ってあった記事を見れば、ある程度は想像もつく。
道行途中は「部室をぴかぴかにしましょうね!」と意気込んでいたプライドだったが、結局できたことは綺麗に片付いた部室の隅を箒で掃除するか、もともと大して汚れていない机やロッカー表面の拭き掃除程度だった。予想をはるかに下回る時間で全部室の掃除も終えてしまった。
いっそワックスでも塗ってやろうかとも話したが、さっきのように部室へ途中で駆け込んできた部員が現れたら大怪我にもつながるとそこで諦めた。
せっかくアーサー主導のもと部員総動員で掃除していたホールを、自分達が部室掃除をすると聞いた途端途中で部員の過半数が投げだしたのだと知ったのはホールへ戻ってからだった。
「やっぱり王族って、なんというか家庭的なことは何もできないような印象があるのかしら……」
「そういうわけではないと思います。社交科の授業にもそういった家庭科の授業も一応含まれていますし」
わなわなと手の平から指先を震わせながらクーラーボックスを前に正座し首を垂らすプライドに、ステイルはすぐに何を思い出しているのかわかった。
部室掃除を早々に終えてしまった後、今度こそ役に立とうと意気込んだ洗濯作業だ。
基本的に私物として購入した運動着については今まで部員各自が洗濯も行っていた。しかし共有で使用するタオル類や騎士部専用の運動着予備など定期的に洗濯しているものもある。今溜まっているものだけでも洗おうと洗濯室にあった衣服をステイルと共同で洗濯機に回し、脱水まで完了させたところまでは問題もなかった。
しかし、天気も良いから外かしらと話した二人が洗濯済みの衣類と共にアーサーへどこで干して良いか尋ねた時だった。王族二人に洗濯をさせてしまったと焦る新入部員が慌てて残りは干しますからと名乗り出てしまった。
いつもならば自分達の役割だ。定期的に纏めて洗濯し干す為に溜めていただけだったが、まるで自分達のサボりを王族に拭わせたような感覚に居てもたってもいられなかった。
既にホールの掃除は終わり、部員が数人抜けても問題ない手合わせに入っていた為今回はアーサーも止めなかった。しかし本当ならば部活を一通り終えてからか手が空いた時……少なくとも練習試合関連の日にわざわざ行うわけではない洗濯干しに顔に苦いまま強張った。
「あとは、……ティアラがうっかり連れて来た野次馬についてはプライドに責任はないと思います」
ハァ、と。今度はステイルが低い声と共に溜息を吐いた。
視線を上からホール上の観覧席へと向ければ、最前列にちょこんと座る妹が手を振って来た。プライドがマネージャーをしたいと話した時、ステイルと共に自分も加わりたいと思ったティアラだが、未だ中等部の彼女には高等部騎士部のマネージャーは不可能だった。せめてアーサーの交流戦と姉兄のマネージャー初日を見守りたいと見学に訪れた彼女は、訪れた後も何も問題は起こさず大人しく観覧席に座っている。
問題は彼女が連れて来た同伴者だ。ティアラの隣に座るセフェク、ケメト、そして二列後ろで前の席に足を乗せて寛いでいる普通科生徒のヴァルの登場に最初は騎士部員もどういう反応をすべきか悩んだ。
ティアラの登場は畏れ多くも嬉しく、見学だけと聞いた時も安堵したがその隣ではリードを外された犬のようにヴァルがセフェクとケメトと共に傍若無人にブラついていた。
一人で見学に行くのは寂しいしとセフェクとケメトを誘ったティアラだったが、当然情報がヴァルへと伝われば騎士部がプライド相手に狼狽える姿とまさかのマネージャー業務などを選んだ王族二人へ高見の見物をする機会を逃すわけもなかった。
騎士部の試合には毛ほども興味はないが、プライド達がホールに戻ってきてからはニヤニヤと不快に写る性格の悪い笑みで文字通り上から見下ろし続けていた。
ティアラが見に来るのは良いが、ヴァルに干渉されるのは腹立たしいとステイルも妹の方を向く度に眉間が狭まる。行儀悪く足を伸ばし乗せてふんぞり返っている彼に、アーサーも二度ほど文句を言いに観客席へ上がったが逆にプライドがマネージャーになったことを突かれからかわれた。その時は足を降ろすが、三十分もしない内に足癖の悪い彼はまた大事な備品でもある観客席の背凭れに足を乗せて汚れをつけている。
視線を上げ、またヴァルが注意されたことをやっていることに気が付いたプライドが今度は自分が注意に行こうかと腰を上げたがステイルが止めた。どうせプライドが注意に言っても逆に面白がるだけだと思う。
教師に時々ヴァルの問題行動や回収を相談されることのあるプライドだが、基本的に彼女の言葉をヴァルも必ず聞くわけでもない。むしろ愉快犯になり増長する時もある。それに今はここでプライドとヴァルが言い合いを始めたらそれこそやっと落ち着きかけた部員達の注意がまた散ってしまう。
いえ、でも……!と手持無沙汰になったままぷんすかと細い眉を吊り上げて見上げるプライドに、ヴァルは観覧席でヒラヒラと悪い笑みで手を振った。ティアラにも流石に言葉で注意を受けるが本人は全く歯牙にもかけない。セフェクから「プライド様が怒ってるでしょ!」とぺちぺち伸ばした足を叩かれても、プライドが睨んでくる間はこのままふんぞり返ってやろうとすら考える。
「大丈夫です。どうせ今日は確か、…………!ああほら」
ヘアゴムでも飛ばしてやろうかしらとポケットを探り出すプライドに、ステイルはそこでふと言葉を止めた。
投げかけられた言葉にプライドが視線を上げれば、ティアラ達しかいなかった観覧席の最後列からいくつかの影がちらちら現れる。敢えてヴァル達が気付かないようにと手で示さず、言葉と視線で伝えたステイルと共に、プライドも彼女達に近づく観覧者の様子を伺った。音もなく近づく新たな観覧者は気配も消して前から三列目のヴァルへ背後から近づき、次の瞬間。
ドゴッ、と。肘打ちの音がプライド達の耳までうっすら届いた。
突然の殴打音に目を丸くしたティアラやセフェク達も振り返る中、後頭部を押さえるヴァルも突然の敵襲にすぐ顔を向ける。そのまま殴りかかってやろうかと牙のような歯を剥いたが、すぐに見開いた瞼が勝った。
冷ややかに切れ長な目を向けるジルベールに向け、「なんでいやがる⁈」と声を荒げれば、手合わせ中の騎士部員達も全員が異変に気付き注意を向けた。直後にはそこにいる首相秘書のジルベールと、その護衛と特別講師として共に付いた騎士団長と副団長の二人に全員が姿勢を正し「おはようございます‼︎」と響く声で礼をした。
ティアラもぴょこんと立ち上がり、ジルベールや騎士団長達へと挨拶をする中でヴァル一人が痛む後頭部を押さえながら苦虫を嚙み潰したような顔で最悪の組み合わせ過ぎる三人を見比べていた。
「全く。以前窓硝子を三枚割った時も申しましたが、本校の備品は全て国民の血税が含まれております。それをあろうことか足蹴にするなど。折角あの御方のご厚意で学校に入学できたというのに、文字も読めませんでしたかヴァル。ここに、この張り紙に、前の席へ足を乗せるなとここまではっきり書かれているにも関わらず。しかも今日は騎士部高等部大学部の交流試合という大事な日というのに」
良い度胸です。と、指をパキパキ鳴らすジルベールにヴァルもギリギリと奥歯を食い縛る。
表向きは単なる顔見知り程度でも、実際は仕事の上司でもある。今日はジルベールも忙しく、仕事を任せることはないと連絡があったからこそ暇を満喫していたヴァルだったがまさかそのジルベールが忙しい理由が学校の騎士部視察とは思いもしなかった。
クソが、と口の中だけで吐きながら仕方なく足を降ろす。ジルベール一人でも厄介なのに、更には王国騎士団最強の騎士団長と副団長が睨んでいれば自分が勝てる道理もない。一気に高みの見物から居心地が悪くなり、このままさっさと帰ろうかとも考える。しかしセフェクもケメトもティアラと共に噛り付いて騎士部の試合とプライド達のマネージャーぶりを次は次はと声を跳ねさせている。
「セフェク!ケメト‼︎先帰ってるぞ‼︎三号にでも車で送らせろ!」
「ヴァル。その呼び方は控えなさいと以前も注意した筈ですが」
ちょっと待ってよ!もうちょっと一緒に見たいです!とセフェクとケメトに慌てて止められる中、ジルベールがまた一言と共に睨む。
しかしそれ以上会話をしたくないヴァルはそのまま無理矢理にでも足を動かした。今は一刻も早くこの最悪の居心地から逃げ出したい。
ずるずるとセフェクとケメトを引きずり、階段を降りるところでそのままに引き摺ることもできず行き詰まる。もう少しセフェク達と見ていたかったティアラだが、今は心配そうに数歩背後で三人を見守った。
途中からヴァルの「だあああああ!なら向こうの席だ‼︎‼︎」と怒声が響いた。せめてこの三人が居ないところなら何でもいいと、仕方なく今の席から一番離れた観覧席へと移動を決めるヴァルにケメトとセフェクも喜んで続いた。
いってらっしゃい、とティアラ一人だけその場に残り、離れた席へと向かう三人へ手を振り見送った。今はジルベールと騎士団長達もいる為寂しくもない。
ふぅ、と取り合えず二人もこのまま観覧席には残れることにほっと小さくティアラが息を吐きながら席に座り直したその時、再びまた別方向に向けて騎士部員勢ぞろいの挨拶が響き渡った。
今度は観覧席側ではなく、選手や部員の入場口からだ。
「あっ、もう騎士団長達もいらっしゃってますね。ほらあちらの観覧席に」
「えっどこだよ?!おー……、あれ?一緒にいるのってティアラじゃねぇか?」
「アラン。ティアラ〝様〟だろう。せめて部活中くらいは呼び方を改めろ」
ずらずらと並び現れる大学部騎士部の中、先頭を歩くカラムの背後からアランとエリックは同じ方向へ視線を上げた。
事前に秘書のジルベールと共に特別講師の騎士団長達も今回の交流試合に訪れることは聞かされていたが、まさかティアラまでいるとは思わなかった。
大学部部員全員がホールへ入場終えたところで今度は彼らの方から観覧席にいる騎士団長達へと礼を行った。高等部へと同じく片手を上げてそれに応える騎士団長のロデリックと副団長のクラークだったが、彼らもまた大学部部員達と戸惑いは同じだった。
観覧席から入ってすぐにティアラと、そしてヴァル達が目に入りこそした彼らだが三人もティアラが今日見学に来ていたことは知らされていない。
アーサーが大学部部長のカラムと挨拶を交わし、交流戦に向けて各々が準備を始めたところでジルベールからティアラへも問いが交わされた。何故本日はここに、アーサー殿の応援ですか、プライド様達は、と重ねるジルベールが返答を受けるより、前に
「プライド様」「ステイル様」と。ホールから大学部部員の叫びがバラバラと響き出した。
その騒ぎだけで状況の半分以上を理解したロデリックが頭を片手で押さえる中、クラークも笑い声を漏らした。
ティアラから「あちらに……」とちょうど手でプライドの方向を示されたジルベールも、これには目を皿にする。観覧席ではなく、まさかの運動着姿でホールにステイルと並ぶプライドに。
なるべく視界にジルベール達が入らない遠くの席へと移動するヴァルがその様子をケラケラと嘲笑う中、さらなるアーサーへの心労を増やしてしまっていることを自覚するプライドは肩身を文字通り狭くした。
交流試合前からホール内は、一瞬で熱気に包まれた。




