Ⅱ217.義弟は鑑みる。
「申し訳ありませんでした、ジャンヌ。またお待たせしてしまって……」
「とんでもないわ!元はといえば私の方こそ、本当にごめんなさい」
四限終了の放課後。
他の生徒より遅れての下校になった俺達は、今やっと昇降口を出たところだった。
本来ならば、エリック副隊長を待たせているだけではなく早々に城へ帰ってレオン王子へ書状やジルベールに生徒名簿を用意させたかった。が、その前に俺もアーサーもやるべきことがあった。……同級生達の口止め兼人払いだ。
アーサーとプライドについての面倒な噂だけなら未だしも、それについてしつこく問いただしてくる彼らを黙させるべく交換条件も含めた勝負。アーサーは腕比べ、俺は数字で押さえ付ければ今朝のように必要以上に騒ぎが騒ぎを呼ぶこともなくなった。
もともと集団心理とあの年代の少々目立つ存在、……どころか、異性から注目を集めている二人が噂の中心だった為の騒ぎだ。代わりの注意を置けば、容易に関心を変えることが出来た。
ついさっきも、授業終了後に勝負を持ちかけてきた彼らだが、途中からは計算通り俺達から話を聞くことよりも誰がアーサーを負かせられるかに躍起になった。女子の方も、……まぁ間近でアーサーを見つつ、俺からも暗算勝負で軽く戯れたら平和的に満足してくれた。
こういう時、社交術や人心掌握術について色々と勉強しておいて良かったと思う。元はといえば違う目的からだったが、結果としてはプライドの役に立てたというのならば悪くない。それにこの術を心得たお陰で、今までも社交界で王侯貴族の女性相手に受け流すことが出来た。社交界の女性やその親と比べたら、学級の女性達は遥かに控えめで淑やかで素直だとつくづく思う。まだ十四なのだから当然か。
結果、アーサーが規定の人数まで勝負を付け終わるまでの少しの間プライドを待たせることとなった。
引き攣った笑みのまま始終固まっていたプライドだが、お陰で彼女への火の粉も極限まで抑えられた。彼女も社交界でそういったやり取りや受け流しは慣れているが、やはり不要な火の粉であれば彼女に掛かる前に消し去りたい。
二限目の移動教室で最初にこの提案を出したのは俺だったが、アーサーもすぐに応じてくれた。「乗った」と机に腕を構えて見せたあの姿は間違いなく嫌々ではなかった。
少なくとも十四そこらの男子生徒でアーサーに勝てる奴などいないだろう。それなりに家の仕事でか鍛えられた生徒も居たが、良くて十四才の俺に勝てるか程度だ。ここで十四のアーサーに腕力だけでも勝てたら、俺が直々に騎士団入団試験へ誘っている。
「この調子でいけば早くて明日か、遅くても来週が開けた頃には噂など興味から外れているでしょう」
「あー、それだとすっげぇ助かる。話すよか力比べのが千倍楽だ」
「寧ろお前は楽しんでいただろう」
途中から、と。
アーサーが力比べを始めてから、時折力量差があるにも関わらずわりと本気で叩きつぶしていたことを思い出しながら指摘する。コイツのことだから噂の標的にされた報復とかではなく、純粋に若い彼らとの意気込んだやり取りを楽しんでいたのだろうが。そういう人の良いところは昔から変わらない。
俺の言葉にぼやかす素振りもなく、まァなと軽く流したアーサーはおかしそうに笑っていた。あいつは割と強かった、あいつは自分もわりと本気を出したと話し出せばプライドも気が晴れたような笑みを浮かべ始めた。アーサーが迷惑ではなくその時間を楽しんでいた事実に安堵しているのだろう。
「フィリップも流石だったわ。あの子達との暗算勝負も絶妙なやりとりだったもの」
声を潜めたプライドが、そのままふふっと口を隠して笑う。
まさかの俺への話題に思わず口の中を飲み込んだ。アーサーが「そうなンすか」と気になるように投げかける中、プライドが敢えて勝負中に俺が計算に悩んでみせたり、彼女達と拮抗した勝負をしているように工夫をしていたことを潜めた声で説明した。
アーサーはその間に力比べをしていたから気付いてなかったのだろうが、確かにずっと小細工していた。あくまで学校内での俺は普通の、……少なくともこの三人の中では一番目立たない生徒だ。変に頭が回ることを気付かれても、暗算勝負で「絶対に勝てない」と思われても困る。
敢えて拮抗してみせて〝勝てるかも〟程度が一番良い。
プライドがそれに気付かないわけもない。しかし、彼女に結果として、未成年とはいえ女性を手玉にとっているような姿が見られていたと思えば何とも居心地が悪い。これでは摂政ではなく詐欺師だ。
首の真後ろを摩り、最後は眼鏡の黒縁を押さえながら平静を保つ。
「勝負も遊びも拮抗した方が夢中になれますから」
「そォいうとこが腹黒ぇンだよ」
それらしい言葉でも誤魔化せば、アーサーからプライド越しに伸ばされた手で背中を叩かれた。
俺が誤魔化していることもどうせわかっている上でこれだ。口を結び、軽く睨んでやったが歯牙にも掛けられない。しかし直後にはプライドがまた楽しそうに笑い声を零し始めたから諦める。彼女とアーサーの中で俺への見方が変わっていないのなら後はどうでも良いか。
昇降口から校門に近付き、やっとエリック副隊長らしき影が見えてくる。プライドが待たせまいと足を速め出す中、俺とアーサーもそれに続く。
守衛とは違う騎士の影と、その少し離れたところにはセドリック王弟とアラン隊長の影もある。今日は三人で話していなかったのかと思えば、よく見るとエリック副隊長の傍にもう一つの影が重なっていたことに気付いた。また俺達の学級の誰かに掴まっていたのかと考えたが、すぐに違うことに気付く。身長からしても同学年のではない。あれは……
「ノーマンさんンとこのっ……」
俺が気付く前にアーサーから声を洩れた。
少し干涸らびた声と共に足並みまでもが俺達よりも遅れ出す。この極秘潜入中で俺がアムレットとその兄に関わりたくないのと同じように、アーサーが最も関わりたくない相手の一人でもある。正確にはその兄に、だが。
プライドと離れないように進みながら喉だけを僅かに反らすアーサーに、俺が先に前に出るように配置を変える。
少なくともまだノーマンはいない。妹のライラだけなら軽く受け流せば良いだけの話だ。
「あっ!お姉ちゃん達!」
俺達に気付いたエリック副隊長の視線に振り返り、プライドが声を掛けるより先に笑い掛けてきた。
手を振り、嬉しそうに笑顔を向けてくる可愛らしい少女は、兄とは似ても似つかないほどに愛想が良い。……いや、正確にはノーマンも愛想が完全に悪いというわけではないことは判明したのだが。
「こんにちは、ライラちゃん。今日はお兄さんはまだ来ていないの?」
エリック副隊長に待たせたことの謝罪を一声掛けてから、プライドが腰を落として彼女を覗き込む。
学校の寮に住んでいるらしいライラだが、離れて暮らす彼女を心配して兄であるノーマンが毎日のように学校に様子を見に来ていた。今のところ遭遇した数は少ないが、彼の直属の上司であるアーサーからすれば生きた心地がしていない。そしてアーサーだけではなく、そこから俺やプライドの正体も気付かれかねない。
笑い掛けるプライドにライラは笑顔で首を振ると、明るい声で「いなーい」と否定した。
「のん兄はもう帰っちゃった。でも今日はライラの友達と約束なくて暇だからこのお兄ちゃんが話してくれてたの!」
そう言って、真っ直ぐにエリック副隊長を指差した。……どちらにせよ、俺達が遅れた所為でまた面倒を掛けさせてしまったらしい。
この潜入視察が始まってからは本当にエリック副隊長には面倒と苦労をかけてばかりだと痛感する。本当に申しわけない。
ノーマンが既に去った後だとわかった途端、俺の隣まで前に出たアーサーが言葉にしないまま勢いよくエリック副隊長へ頭を下げた。俺からも続くように小さくだけ頭を下げる。
そうなの、とライラの相手をしてくれているプライドがそこで思い出したように一度視線を上げてからまた戻す。
「あれ?でもライラちゃん、……このお兄さんが、どんな人かは知ってる……?」
「エリックさん。のん兄のお仕事の先輩で、〝別に関係ない人〟。……あっ。騎士だけど良い人だから好き」
なるほど……。
ライラの発言に、背後からでもプライドが苦笑しているのがわかる。
騎士であるノーマンの妹のライラは、兄が好いている騎士が嫌いらしい。正確には騎士に嫉妬している。兄が騎士への感心が強いからこその可愛い嫉みだが、最初にそれを聞いた時にアーサーは酷く落ち込んでいた。
今もエリック副隊長が嫌われてないことには安堵しているが、同時にやはりライラは騎士が嫌いなのかという事実に複雑そうに眉を寄せて唇を結んでいる。単なる子どもの嫉妬なのだからそれくらいは諦めれば良いものを。
エリック副隊長だって目の前でそれを言われても眉を落とすだけで笑っている。
嫌いの枠に括っても少し関わってみれば、好きになれる程度の嫉みだ。そこまで深刻になる必要もない。
「のん兄がお仕事頑張っているか聞いてたの!ライラはのん兄からお仕事の話聞きたくないから」
……若干、この歯に衣着せない言い方はやはりノーマンの血筋といったところだろうか。
意味がわかっているからこそ聞き流せるが、そうでなかったら兄妹仲が悪いのかとさえ思えてしまう。にっこりと悪気のない子どもらしい笑顔は、余計にノーマンからの言葉より釘のように刺さると思う。プライドも笑みのまま口の端を僅かに引き攣らせながら相づちを打った。そういえば俺達もライラから同じようなお願いをされた覚えがあった。
すると今度はエリック副隊長がライラに合わせて背中を丸めた姿勢からさらに腰を落とす。
「ノーマンはちゃんと任務は正確にこなしている。所属している隊の一番偉い人からも認められているし、ライラちゃん達の分頑張っているから。だからライラちゃんも怪我や病気をしないように気をつけような?」
うん!とライラが元気良くエリック副隊長の言葉に答えた。
よし、とそのまま頭を撫でられれば、照れたように満面の笑みを返す。エリック副隊長が人当たりの良い人物ということもそうだろうが、ライラも本当に人懐こい性格だなと考える。
兄の知り合いだからと安心できる部分と、あとはやはり嫌っていても〝騎士〟という点が安心材料の一つなのだろうが。しかしこういう子どもほど悪い人間に利用されないかと心配にも思ってしまう。……ノーマンが毎日のようにライラの様子を見に来るのも頷ける。
その後もエリック副隊長やプライドに対し「ライラの友達が特待生試験で三位に」「来週は寮で友達の部屋にお泊まりに」「今度ケーキが食べられる」「学食に嫌いなものがでた」と話に花を咲かせ始める。次第に世間話の域にまで入ってきたところで、俺から話に切れ目を入れることにした。
ジャンヌそろそろ帰りましょうか、と声を掛ければプライドも気がついたように腰を上げ話を切り上げる。
「またね!お兄ちゃんとお姉ちゃん!」
ライラもそこであっさりと笑顔で返すと、そのまま満足そうにこちらに手を振って女子寮の方向へ走り去って行った。
背中が見えなくなるまで手を振るプライドと共に見送ったが、……不意にそこで一縷の不安と同時に悔しいことにも気付く。笑みを作ったまま、思わず奥歯だけを噛めれば、アーサーも同じことを思ったらしく俺の耳元で声を潜めてきた。
「いま俺、高等部の不良が減ったことにすっげぇほっとしてる……」
「俺もだ。……少々悔しいが」
素直なアーサーの言葉に、俺もつい本音が零れる。
高等部の一部が下級層生徒を狙っている上、その標的が自分よりも弱い下級生であることを知っている今、ライラも下級層ではないが標的にならないかと一瞬でも不安に思った。ああやって放課後も一人で過ごしているのならば余計にだ。もし既に手を打っていなければ俺だけでも女子寮まで送ってやりたいと思っただろうと自覚する。
しかし、既にその手は打たれている。結果として今日も中等部の平和的な聞き込みに切り替わった片鱗を確認できた。……奴の、凶悪且つ乱暴でしかない方法のお陰で。
先の中等部でもそうだが、これでは明後日に奴を怒るに怒れなくなりそうだ。
「なら問題ねぇじゃねぇか」と奴がしてやったりの悪人顔でニヤリと笑ってくるのが目に浮かぶ。奴が順調に実績を積み立てているのは俺も認めるが、だからといって一般生徒にあそこまでの暴力を振るって良い理由にはならない。
認めた俺が今更文句を言える権利もないが、プライドから許可を得た途端にアレだ。折角セフェクとケメトは多少心配なところはあっても立派に育ったというのに、その途端ヴァル本人が一番の問題人物になってどうする。……いや、それこそ今更か。昔から変わらない。
しかしそれでも仮にもまだプラデストの生徒達である高等部生徒にあそこまで
『ああ、一般生徒ならな』
……少し、引っかかることもあるが。
今日のことといい、中等部の彼らについてもジルベールにも報告しなければ。どうせ奴も同じ結論に達するだろう。
むしろ、生徒名簿を把握しているであろう奴なら俺よりも先に確信を得てしまえる可能性もある。今日のネイトのことに合わせて話すとなると、今回も報告会に同席する為にもヴェスト叔父様に少し時間を頂く必要があるなと考える。城に戻り次第、着替えを始める前に従者に伝達を頼んで置こう。
ライラが見えなくなったところで、やっとエリック副隊長と共に俺達は学校を後にする。
俺達がエリック副隊長と合流したところで既にセドリック王弟達も馬車で去った後の校門は、守衛の騎士以外は誰もいなかった。アーサーがこそこそと俺やエリック副隊長の影にいつものように潜みながら校門を通り過ぎる中、俺は頭の中だけでこの後にプライド達と話し合う内容を纏め出す。
この先に行けばまた人通りのある場所を通る。それを越えて生徒を完全に見かけなくなってから、エリック副隊長にも話すであろう今日のネイトや件の中等部生徒について。
潜入視察の期限までもう日は少ない。しかし、今は先ずネイトとアンカーソン、そして不良生徒の問題を片付けることを考えなければ。
特にネイトに関しては、恐らくプライドもアーサーも俺と同じ結論に至っている。そしてエリック副隊長も聞けば同じ事を考えるだろう。ファーナム兄妹と同様に、ネイトにも危機が隣り合わせなのだとすれば
予断も余所見も許されはしない。




