Ⅱ214.私欲少女は振り返る。
「……これで良いだろう。短くても絶対に今日一日は包帯も外さないように」
管理人室から借りた救急箱を閉じながら告げるカラムの言葉に、やっとプライド達は息を吐けた。
黙して足を伸ばしたままのネイトも唇を尖らせながら、じっと包帯の巻かれた足に視線を落とす。絆創膏がバレた時こそ隠そうとしたがその後プライド達が離れた後は大人しく診断を受けていた。救急箱を取りにカラムが一度退室した時ですら、諦めた彼は放った足のまま手だけで発明の続きに勤しみ始めていた。部屋から出て行こうかとも思ったが、それよりも今のこの作業部屋を手放す方が惜しかった。
救急箱片手に応急処置と診断をするカラムを無視し、腹の絆創膏を外された時すら発明に手だけを動かす姿は憮然にも映ったが、誰一人それを嗜める気にはなれなかった。
大掛かりになるほどの傷ではなかった為、ネイト本人の希望通り医者は諦めて足に応急処置のみ施したが、同様の腹の打撲もまた見逃せない。
「……一体、どういう無茶をすればそんな傷になる」
「発明しててちょっと調子に乗っただけだよ。……別に発明に支障はねぇし、見られたらうるせぇから黙ってたのに」
カラムからの問い掛けに、ちぇっと発明の手をそこで止める。
ステイルは彼が本当のことを言っているのかと尋ねるように視線をアーサーに投げたが、答えは縦の頷きで返ってきた。少なくともアーサーの目にはむくれた様子でカラムからの視線から逃げる今のネイトからはそういった取り繕いは見られない。調子に乗ったという言葉も、また偽りではないと思う。しかし代わりにまた別のことを思い出し、口を結んだままただアーサーは顔を顰めた。
その横で、プライドは今もただただネイトを見つめていた。暫くは口を両手で覆ったまま言葉も出なかったが、その間も思考だけは慌しく回り続けていた。顔色も血の気が引ききり、白い肌が青に近くなった。背筋が冷たくなるだけではなく、指先まで温度をなくしそうになる。
「ネイト。その、やっぱりこっちの方法じゃない方が……」
「はぁ⁈絶対やだ!これぐらいわけねぇし、発明は絶対完成させる‼︎お前も約束絶対守れよな!」
両手で胸を押さえながら絞り出すプライドに、ネイトははっきりと拒絶する。
具体的に言わずとも、お互いに言葉の意図はわかっている。だからこそネイトは断り、そして口に出したもののプライドも断られることに驚きはしなかった。彼女だけではない。ゲームの知識が無くとも、彼女から〝予知〟としてある程度のことを聞かされているステイル達もまた、いくつか予想はできていた。
「けれど、その……せめて貴方の家」
「どうせ今日は誰もいねぇよ。……そうじゃなかったら、この包帯だってもう外してる」
塗られた薬と、傷がしっかりと覆われたことによりネイトは先ほどよりも楽そうに足を曲げて見せた。しかし、断言に近く放った言葉はまるで独り言のように空に残り、プライド達の誰とも目を合わせない。再び膝の上に置いた発明を遊ばせ、ガチャガチャといじり始めた。顔を上げずとも、その場に佇んだまま自分に注がれるいくつもの視線は嫌に感じた。視界を狭めるべく額のゴーグルを再び嵌め直した彼は、思い出したようにもう一度だけ視線を上げ、また降ろす。
「ほらもう行けって。昼休み終わっちまうぞ。まだ飯も食ってねぇんだろ」
追い払いように手だけを振るネイトの言葉に、促されるように時計へ目を向ければ確かに予鈴が鳴る十分前だった。ただでさえ、中等部高等部の校舎からも離れている寮では今から出ないと走ることになるとステイルも考える。
ぐっと口の中を飲み込み、プライドは無言のままそれに一歩下がる形で肯定した。退室を決めるプライドにアーサーも続き、ステイルもパウエルの背中を叩きながら促した。
パウエルに食事の時間を取れなかったことを申しわけなくも思ったが、今は彼も食欲というものは完全に失せていた。状況もわからず、ただ目の前の事実だけで判断するパウエルはネイトへの言葉も見当たらない。ステイルに促されるまま足を動かし、目だけが繋ぎ止められたかのようにネイトへ向いていた。
しかし、ネイト自身はゴーグルの奥の目を誰とも合わせようとしない。
「…………来週の頭。絶対な」
確固たる約束だけを、彼女に放って。
扉を潜る寸前だったプライドは一度だけ振り返った。しかし、気のせいかと思えるほど自分の発明に目を向けたまま足を崩すネイトは手以外を動かさない。ガチャガチャという金具音だけが彼自身の言葉のように鳴り続けていた。
ええ、とその一言だけを覇気のない声で返した後、最後尾のカラムが扉を閉めるまでその横顔を見つめ続けた。
「さぁ、行こう。帰る時も管理人室で君達は手続きが必要になる」
鍵を閉めながら、パウエルもいる為に下手なことも話せないカラムはあくまで講師の一人として彼らに呼びかける。
救急箱を片手に歩む彼もまた、三限の授業がある。先ずは女子生徒であるジャンヌの退室手続きから済まさなければならないと彼らを引率するカラムは、今この場の中で一番背筋も伸びていた。
先輩騎士に倣わなければとアーサーも意識的に背筋を伸ばすが、首の後ろを摩りながらどうにも気持ちが持ち上がらないのを自覚する。管理人室へ救急箱を返却し、カラムの手続きの元で寮から退室した彼らは暫く何も言わなかった。
「……ジャック。少し耳を貸してくれ」
寮の前で別れる直前、カラムに呼ばれたアーサーは僅かに首を傾けながらも早足で彼に駆け寄った。
なんでしょうか、と耳を向けながら尋ねるアーサーにカラムは早口で要件だけを告げた。最後に「頼めるか」と肩に手を置かれれば、アーサーもやっと気が引き締まったかのように覇気の伴う声を返した。
カラムが何をアーサーに託したのかはわからないが、今は敢えてプライドもステイルも口を噤んだ。敢えて耳打ちで済ますということは、少なくともここで尋ねていい話ではない。
それからカラムに生徒として今日の礼を告げたプライド達は、校庭へと急ぐ彼と別れた。早足で校舎へと向かい、パウエルにも時間が伸びてしまったことを謝罪して別れてから、やっと封じられていた口が開かれる。最初に口火を切ったステイルが軽い話題を投げかけた。
「さっきの、カラム隊長から何かあったか?ネイトのことか?」
「いンや、少し遅れるからそれまでジャンヌの傍に居てくれって」
なるほど、とステイルとプライドもその言葉に頷く。
城に帰ってからは近衛騎士をアーサーとエリックと交代するカラムだが、彼が遅くなるならばアーサーに代理を頼むのも頷ける。ネイトの監視の為に一日中学校に残ることになったカラムは、表向きは学校内の警備向上の為に滞在している。だからこそ職員間の関係から今まで通り時間内に城へ帰還も難しいのだろうとプライド達は考える。
改めてカラムに負担を強いているなと思いながら、今はすぐに思考が別の方向へと変わっていった。彼らが本題として話したいのはそこではない。
「……ジャンヌ、あれは。…………また、視たのですか」
その問い掛けに、プライドはただ頷くしかなかった。
予知、と。その形でなければ説明はつかない。ステイルへと返したプライドは視線を落としたままに頭では何度も反復しながらネイトのゲームの設定を思い巡らせていた。
彼女の中で現実に確定した事実は全て話したが、〝それ〟についてはまだ口にはしていなかった。可能性が高いことはネイトで出逢った時点で予感していたが、確証がない為彼女の口に飲み込まれたままだ。しかし、きっとあの傷を見れば自分が語らずとも彼らにもある程度予想できているのだろうとも理解する。それを安易に口にしないのは、自分の〝予知〟としての正答を待っているからか、それとも、と。
「……、どちらにせよ私達のやることは変わらないわ。ネイトが選んだ以上、この方法しか今はないもの」
たとえそうだとしても、フリージア王国では救えない。
その事実を歯痒く感じながらもプライドは目を閉じ、感情をその場で飲み込んだ。予知に関してもやはりまだ事実までは踏み込まず、ただ自分はネイトが〝絆創膏〟と銘打ったそれを剥がした下に傷があった場面を視たのだと告げれば、ステイルも深刻な眼差しのまま頷いた。
彼女の低めた声から、予知はしなくてもきっと自分と同じ結論を抱いていると確信する。その上で、苦渋の決断をしたというのならば頷く他ない。すると、今度はアーサーが沈んだ眼差しのままゆっくりとその口を開いた。
「……今朝。おかしいとは思ったンすよね。アイツ、最後の最後だけ気分わりぃ顔で笑ってたンで」
ぼそりと小さな声にプライドとステイルは同時に振り返る。
気分悪い、という曖昧な表現だったがステイルはその言葉の意味をすぐに理解した。当時のことを鮮明に思い出し、確認するようにアーサーを上目に捉える。
「ジャンヌを巻き込んで倒れた時か?」
ああ、と。その言葉にアーサーは一言で返した。
プライドも当時のことを思い出せば、的確に思い当たる。今朝、木陰に座り込んでいたネイトが急に自分の腕を掴んで倒れた。アーサーのお陰で大事には至らなかったが、そうでなければ二人揃って転がっていたと今でも思う。
プライドが顔を近付け、だからこそ悪戯でネイトが彼女を転ばせようと引っ張り倒れたのだとプライドもステイルも、そしてアーサーも判断していた。更にはネイト本人も笑いながら「ばーか!女のくせに顔近付けてくるのが悪いんだろ!」と悪戯肯定の言葉を放ったのだから余計にだ。
しかし彼の顔が明らかに取り繕われているのにアーサーは気付いていた。何故この時だけそんな顔で笑うのか、誤魔化すのかと、プライドに腕を掴まれ歩いていることにも気づけないほど考え込んだほどだった。だがまさか、彼が怪我を隠す為に誤魔化したとは思わなかった。少なくとも短パンの下から出ていた彼の足は両方とも何の傷も見当たらなかったのだから。
しかし今ならわかる。
彼が何故、今日に限って早く学校に訪れたのか。いつもより自由の利かない足で約束の時間に遅れることを防ぐ為にだと。
彼が何故、あんなところで芝生に座り込んで動かなかったのか。足の負荷を減らす為にだと。
彼が何故、何の脈絡もなくプライドを引っ張ったのか。わざとではなく、転びそうになったところで思わず間近にいた彼女に手を伸ばしてしまったのだと。
そう理解してしまった途端に今度は三人がそれぞれ眉を寄せて片手で頭や額を押さえることになった。
「すみません……俺があの時もっと気付いておけば」
「結果何も変わらないだろう。お前が責任を負う必要は全くない。あの場で気付けなかったのは俺もジャンヌも同じだ」
その通りね……、とステイルの言葉に同意を零しながらプライドは頭が痛くなるほどに猛省した。
アーサーが責任を負う必要は本当にない。たとえあの場でアーサーが不自然に気付き、自分が運良く〝絆創膏〟イベントを思い出せたとしてもネイトは確実に自分達を突っぱねてカラムと共に男子寮へ向かったのだから。本当に結果としては何も変わらなかったと思う。
しかし、うっかりとはいえ手を伸ばした彼は怪我を負っていた。それを隠してまで発明の為にわざわざ訪れてくれた彼を、自分はそのまま置いて行ってしまった。何故そこでたった一言でも「転んだの?」「怪我でもした?」「大丈夫?」と声を掛けてあげられなかったのかと、歩きながらもこの場で額を壁に打ち付けたくなった。そして同時に
……本当に、無理するのが得意な子なんだから……。
呆れには遠い、若干の苛立ちすら感じてしまいながらプライドは思う。
少なくとも思い返してみても、自分にはやっぱりネイトが無理して笑っていたようには見えなかった。本気で笑って、本気で自分を小馬鹿にしていた顔しか思い出せない。セドリックのように絶対的な記憶力もそしてアーサーのように人の取り繕いを見通せるわけでもないプライドだが、彼女もまた〝ゲームの知識〟という武器で彼の行動を理解する。そしてやはり、彼にはのんびりしていられないと確信する。
「……帰ったら、レオンに書状を出しましょう。来週の頭にはと」
「そうですね。アネモネだったら使者一人でも一日で届けられます」
確定した今、連絡は早い方が良い。
ネイトが絶対に来週の頭に完成させるというのならば、レオンにもその旨で今から予定を調節して貰った方が良いとプライドは思う。本来であれば明後日にヴァルに頼む筈だった書状だが、王族の馬車でも数時間で到着できるアネモネ王国ならヴァルを待つよりも今日使者を出した方が早い。
自分達のできる手を全て打つことが今の最善なのだと、そう決めたプライドは教室へ戻る足に力を込めた。
この決断を後悔する日がすぐに来るとは思いもせずに。




