Ⅱ211.私欲少女は噂を聞く。
「さっきはありがとう、アムレット。本当に助かったわ」
一限終了後、移動教室で去って行ったアーサーとステイルと入れ替わるようにしてアムレットが私の席に来てくれた。
ステイルとアーサーを追いかけて男子達も足早に教室を飛び出していったから、今日はいつもより男子の捌けが早い。アムレットが目の前の席に掛けた時にはもう教室には女子だけになっていた。私とアムレットがこの時間も二人で勉強していることは皆が見ていることだからか、今はさっきの子達も話しかけてこようとはしない。本当にアムレットがいてくれて良かった。
「ううん、むしろお節介だったらごめんね。ジャンヌって私と一緒でそういう話苦手かなって思って、つい」
潜めた私に合わせて声を抑えて首を振ってくれるアムレットに、私はぶんぶんと首を横に振る。
お節介なんてとんでもない!本気で天使に見えたくらいだもの‼︎
肩をすくめて笑うアムレットを拝みたい気持ちにすらなってしまう。ゲームでもこんな感じに攻略対象者に甲斐甲斐しく世話を焼いてあげていた場面もあった気がする。
すると、アムレットは思い出すように「あ」と口を開けた。何か忘れ物かしらと、彼女が持ってきた問題用紙に一度視線を落とすけれど少なくとも残り枚数が減っているようにはみられない。トントンと机の上で用紙を綺麗に整えると、アムレットは眉を落とした顔で私に声を潜ませてきた。
「あとっ……さっき、私がキティ達に話したことも内緒にしてくれるかな?つい言っちゃったけど、やっぱり……恥ずかしくて」
僅かに頬を紅潮させて懇願するアムレットに、私は授業前の会話を思い出す。私の玉突き事故で、まさかのアムレットにまで恋の話題が投げられちゃったアレのことだ。
勿論よ、と即答で返しながら本当に申し訳ないことをしちゃったなと思う。私が直接尋ねたわけじゃないにしろ、そもそもアムレットが私を庇わなければあんな質問を投げられることもなかったのだもの。……うん、やっぱり彼女に恋関係の話を振るのは止めておこう。自分が苦手な話題から私を助けてくれたのに、こっちの都合でアムレットに探りを入れるなんてとてもできない。
私の返答にほっと胸をなで下ろしたアムレットは、早速問題用紙を広げ始めた。さっき途中式を私が書いたところで止まった問題だ。
真面目だし、自分の苦手なことからでも友達が困っていたら助けてくれるし、本当に良い子だなと思う。
「今度、何かお礼をするわね。アムレットも何か私にして欲しいことがあったら何でも言って。できることなら力になるから」
「……本当?」
ペンを握りながら笑い掛ければ、アムレットがきょとんと目を丸くした。
ええ、勿論よと言いながら、そんなに私からの申し出が以外だったのかなと思う。でも、本当にさっきは助かったし、あくまで〝ジャンヌ〟としてできることの範囲なら協力したい。
すると、アムレットは一度視線を用紙へでもなく、どこか躊躇うように伏せてから口元に曲げた指を添えて考え出した。そんなに急いで考えなくても良いのだけれど。私から「思いついたら言って」と伝えようと口を動かせば、それよりも先に彼女の細い手がペンを握る私の手を両手でぎゅっと包んだ。
「じゃっ……じゃあ!ジャンヌ、一つお願いが」
「ジャンヌ!アムレット!お待たせっ!」
大きく見開いた朱色が私を映したと思った瞬間、別方向から明るい声が掛けられる。
名指しされたことに驚いてアムレットと一緒に扉の方に振り返れば、いつも通りにディオスとクロイが訪ねて来てくれていた。元気よく手を振って歩み寄ってくれるディオスの背後にクロイも続く。今日もしっかり解説用のメモを書いた紙を持参してくれている。
アムレットも二人が歩み寄って来てくれたことに合わせて握った手をゆっくり話した。視線はディオス達を迎えながら「また今度」と小声で呟き、「おはよう」と二人を迎えた。……一体、何を話すつもりだったのだろう。
けど、二人が来た途端に話を止めるということはそうことなのだろう。私からも頷きだけで返して二人を笑顔で迎える。いつもありがとう、と二人に挨拶すればもう定位置とでも言うようにディオスがアムレットの隣、そしてクロイが私の隣に腰を下ろした。
「何か、……話してる途中だったんじゃないの?」
「実力試験の解説がそろそろ終わるからってお礼を言ってくれていただけよ。勿論、二人にも感謝しているわ」
鋭いクロイからの追求に、やんわりと誤魔化す。
実際、もう実力試験の範囲はもうちょっとで終わりだ。頑張れば今日で全部の解説が終わりそうな状況だし、アムレットなら教えてくれているディオスとクロイに感謝していることも間違いない。
彼女も、私の言葉に合わせるように「う、うん‼︎」と声を上げた後に夏の日差しのような笑顔を二人へ向けた。
「本当に本当にありがとう!三人のお陰でこんなに早くわかるようになったんだもん」
「当然だよ!アムレットももう友達だし、これ終わったら今度は四人で勉強会しよう」
「ほら、そんなこと言ってる間にさっさと一問解こうよ。これ、もう途中式書いてあるじゃん」
アムレットの満面の笑顔に、同じく満面で返すディオスと、一度目を合わせてからすぐに本題へと視線を移してしまうクロイは見事に対象的だ。
「そんな言い方じゃ失礼だろ」とディオスが足を伸ばして机の下から軽くクロイを突いたけれど、本人は全くの無視だ。持参したペン先でトントン私が書いた途中式を指しながらアムレットにどこが分からないのか尋ね出す。
もう早速の勉強モードのクロイにアムレットも慌てて問題文に集中し始めた。すかさずディオスが補助するように「ここはね」と説明をしてくれる。
「……なんか、最近ジャックが有名だけど何なの?」
ぼぞっ、と急に囁くような小さい声が隣から投げかけられる。
向ければクロイだ。顔だけはディオスとアムレットの問題用紙に向けながら、僅かに身体を寄せるような形で近付けていたクロイの言葉は明らかに私に向けていた。聞き違いではないことを確認するように短くオウム返しで尋ねれば、今度はチラッと目もこちらに向いた。
「また高等部の生徒を返り討ちにしたとか、君に振られたとか付き合ってるとか」
「色々と違うけれど……取り敢えずどちらも誤解よ。今朝はその誤解で大変だったけど」
「ふーん」
予想しなかったわけではないけれど、クロイのクラスにまで広まっていたなんて。
声を伏せてくれたのは彼なりの優しさだろうかと思いながら、今度は頭を抱えたくなる。特に返り討ちに関しては、以前のファーナムお姉様に絡んだ輩を追い払った時のことを知ってるから余計に信憑性が高いだろう。しかも〝振られた〟と〝付き合っている〟両方が蔓延してるってどんだ混沌状態だ。そんな噂の中でディオスもクロイも普段通りに振る舞ってくれていたのかと思うと頭が下がる。今も私からの返答を聞いた後はもう興味がなくなったかのように、解き終わったアムレットに次の問題はと促した。
私もクロイに続いて、抱えたくなった頭を回転させてディオスと一緒に問題解説へ臨む。あと数問だし、残りは面倒な説明ではなくて解説だけで済む問題ばかりだ。一問、一問と解け全クリアを前に気が急いてしまいながら解説を始める。
アムレットも残り少しと思ったからか、大分集中力を上げていた。そしてとうとう最後の問題になると、まるで力押しかのように完全に三人がかりだ。
「?けど、だからって先代女王が継承後に突然消えるわけないから。てっきり最上層部は……」
「そうそう。でも王族としての権威こそ失うから、城に住んでるだけなんだって。ずっとあんな大きな城に住んでいられるなんて良いなぁ……」
「ディオス、脱線しない。つまり、贅沢な老後と引き替えに王位継承したら姿も見せないし、法律や国を動かす権利も全部生涯剥奪。庶民に紛れて暮らしてるとか噂ぐらいアムレットも聞いたことあるでしょ?それだけ本当に空気みたいな存在だから、例え生きてても〝最上層部〟には数えられないわけ」
「そうね。だからフリージア王国の最上層部は〝女王〟〝王配〟〝摂政〟の三人だけよ。状況によっては就任初めの頃前最上層部が引継の為に付くこともあるけど、もう最上層部には数えられないわ。そして最上層部と宰相や成人した王族を含めた国を動かす決定権を持つのが〝上層部〟ね」
勿論ここにも先代は含まれないわ、と説明すれば……とうとうアムレットの首がゆっくりと縦に振られた。
全問達成だ。
実力試験にでた全問題の解説終了。これでもう同じ問題を出されてもアムレットは満点を取ることができる。
あまりの達成感に、最初は全員でほっと脱力しちゃったけれど、それからすぐにディオスが「やったね!」と飛びつくようにしてアムレットに抱きついた。クロイがすかさず「それ、アムレットにもやめなって」口で窘めたけれど、アムレットも今は嬉しそうだ。
頬が擦れ合うくらい近くなったディオスを抱き留めながら「ありがとう」と返すアムレットは、笑い皺が見えるくらいの笑顔で本当に嬉しそうだった。嫌がらないアムレットの様子にクロイも諦めたように椅子の背もたれに身体を預けて反らした。
「……じゃあこれで明日からは、授業の復習ね。ジャンヌ、ちゃんとそれも付き合ってよ」
「ええ、勿論よ。本当にありがとうね、二人とも」
感謝してるわ、と顔の横に両手を合わせながら笑みで返す。
私一人じゃ確実にこんなにすいすいと教えられなかった。お陰で私が在学中にアムレットに勉強を教えることができたのだもの、本当に助かった。
心から感謝を示せば、アムレットへ抱きついたままにこにこっと無邪気な笑顔でディオスが返してくれて、クロイも唇を尖らせながらだけど目を合わせてくれた。本当についこの前まで勉強が全然だったなんて思えないくらいの優秀さだ。
「!あ、そうだ」
そう思っていると、ディオスがふいに声を漏らした。
パッとアムレットから手を離し、机越しに前のめりになって私に首を伸ばしてくる。まさか、これは……と次に放たれる言葉を予測して顔を引き攣りそうなのを堪えて待てば、やはりの言葉が放たれた。
「ジャンヌ、ジャックとの噂って本当⁇」
……そりゃあクロイが知ってるのだから同じクラスのディオスが知らないわけがない。
あまりにもあっけらかんと言ってしまうディオスの声が周囲の女子にまで聞こえた気がして慌ててしまう。誤解を解くように私からも同じくらいの声で振ってもいないし、付き合ってもいない旨を宣言する。今頃男子の移動教室でアーサーも同じ苦労を味わっているのだろうかと思うと本当に申し訳なくなる。
私の言葉にクロイと同じく「なーんだ」とすんなり受け入れてくれたディオスは、その後は両手で机に頬杖を突いて再びにこにこに戻っていた。「だよね」という声すら、音符が見えそうな明るい抑揚だ。
もう私の話題に興味がなくなったのか、再びアムレットも課題クリアに顔を綻ばせている。クロイから「ディオス、顔に出すぎ」と言われてもにこにこの可愛い笑顔は変わらない。中性的な顔だからこうやって見ると本当に女の子にもみえてしまいそうだ。
「結構、僕らの教室で色々な噂が回ってくるんだ。有名なのはセドリック様と、この前いらっしゃったアネモネ王国の王子とティアラ王女とか。ジャンヌとジャックのことも時々聞くよ!」
「ジャンヌは変な噂が多いけど。取り巻き連れて高等部絞めてるとか、親戚はべらしてるとか、お爺さんが山の主とか高等部の不良まで手懐けているとか」
……なんか、凄い懐かしいやらかしまで噂で残ってる。
どれも微妙に煙がいつ立ったのかだけは覚えがあるようなものだけど、取り敢えず全部誤解よと笑って誤魔化す。ディオスやアムレットも疑う様子はなかったけど、純粋な眼差しに口端がヒクついてしまう。完全創作人物のお爺様とか若干人外扱いされているのは何故だろう。
けれど、こういう噂を聞けるのは少しありがたい。それこそ残りの攻略対象者を探す手がかりにもなる。試しに「他に私やジャック以外はないのかしら」と尋ねるとディオスが嬉嬉として次々と噂を上げていってくれた。ディオスは流石友達が多いのか、「聞いたよ」と話がぽいぽい湧いてくる。
「校内で次々と生徒が消えて帰ってこないとか、校内に現れて消える黒い影とか、高等部は恋人探しに入学してる生徒が多いとか、セドリック様目当てで今は特別教室の入学希望者が百倍とか悪い人だけが落ちる落とし穴とかどっかの金持ちが学校を牛耳ってるとか高等部二人を返り討ちにした女の子とか指名手配者が学校に潜伏してるとか裏家業の人間が入学しているとか不良から助けてくれる不良がいるとかそれ全部が理事長の愛人か恋人か隠し子か正体を隠した王族だって!」
つらつらと指折り出てくるディオスからの噂の数々に、思わず目眩を覚える。
なんかかなりの割合で既に聞いた情報や覚えのあるものがねじこまれている。色々と尾ひれがついているのもあるけど、大体想像がつく。……取り敢えず校内に現れる黒影はハリソン副隊長のことじゃないかとだけ思う。
更に続けて「姉さんも〝高等部に雪のようにしろい美女〟とか噂になってたんだ!」と自慢げに言えば、そこで「いやそれ喜べないから。姉さんが被害被るだけでしょ」とクロイが釘を刺した。
それを言ったら、きっと彼らの知らないところで〝特待生且つ王弟と親しくしている美少年の双子〟も充分噂されているんじゃないかと思うのだけれども。
そして、残念ながら私が知りたいのは今は美女の噂よりもそういう攻略対象に居そうな〝美少年〟〝イケメン〟の噂だ。
最終的に、予鈴の鐘が鳴るまでディオスの噂情報を聞き続けた私だけれど、残念ながら新しい攻略対象者らしき情報は得られなかった。
明日からまた宜しくねと手を振ってファーナム兄弟を見送った後、アムレットも最前列の席に戻っていく。
……寧ろ第一作目の攻略対象者達の方が噂の的になっている現象に、講師が授業を始めるまで私は一人今度こそ頭を抱え続けた。




