Ⅱ209.私欲少女は迎えられる。
「おはようございます、ギルクリストさん」
おはよう、と。
いつものように玄関に瞬間移動でお邪魔する私達を、エリック副隊長のご家族は温かく迎えてくれた。
朝食はもう食べてきたのか尋ねられ、勿論ですと答えるのももう習慣になったと思う。家で待機してくれているエリック副隊長も自分の家に王族が訪れることに慣れてくれたのか、初日よりも大分落ち着いた様子で迎えてくれた。殆ど家の奥にいるお爺さまお婆さまや、お仕事に出ているお父様とは会うことも殆どないけれど、お母様とは馴染めた気がする。いつも柔らかい雰囲気のお母様は、挨拶するだけでほっとする。
「!おー、おはよう。ジャンヌ、フィリップ、ジャック。それと兄貴アレ返せ」
「キース、また朝帰りか。ちゃんと寝ているのか?」
「盗んだの返してくれたら安眠できるよ」
それにキースさん。
私達が早々に行ってきますと玄関から出ようとした時、先に扉が開いて外から現れたのはエリック副隊長の弟さんだ。
私達が並んでいるのにも驚く様子もなく笑って挨拶をしてくれたキースさんは、首をぐるぐると回しながらエリック副隊長にだけ声を低めた。ついでのように「おはよ」と通り過ぎざまにエリック副隊長の肩を叩いたけれど、やっぱりマスコミ系のお仕事の人ってどこの世界でも忙しいんだなと思う。
一回エリック副隊長が私物没収の刑をしてからは、ある程度私達に距離を置くというかあっさりするようになったけれど、たまにこうして会う分は親切に声を掛けてくれる。特に私には「がんばれよ」とよく学校生活を応援してくれる優しいお兄さんだ。
家を出ようと挨拶をする私達に、手を振り替えしてくれたキースさんはもう引き留める様子もない。「お爺さんに許可貰えたら遊びに来い」と見送ってくれるキースさんにお礼を言って私達は学校へ向かった。
「今日はカラム隊長と共にネイトの様子を見に行くのですよね?」
昼休みに、と。そう提案してくれるステイルに私も答える。
寮を貸して二日目の今日、確かにネイトがどうしているかも気になる。又貸しとはいえ、部屋を借りて更には貸している立場としても寮の様子を確認すべきだ。
今日は昼休みになったら、ネイトの様子を一度確認する為に昼休みにカラム隊長に同行してもらって男子寮に伺う予定だった。アーサーとステイルは単身でも寮にお邪魔することはできるけれど、女性である私は管理人さんの許可の元で教師同伴じゃないと中に入れない。まぁ女子禁制とは言っても、始業中だから他の生徒は全員校舎内だし、恐らく寮にいるのは管理人さんとネイトだけだろうけれども。
「けど、パウエルは本当に大丈夫かしら。この前もネイトにとても怒っていたし……」
「大丈夫ですよ。俺とパウエルはカラム隊長と一緒に部屋の外で待っていますから。何かあったらすぐに呼んで下さい。ジャック、お前もジャンヌから目を離すなよ」
「わァってる」
ネイトと一触即発だったパウエルは、一区切り落ち着くまではなるべく無理に会わせないようにしようということになった。昼休みはいつも一緒に会ってくれるパウエルだけど、彼はネイトの件とは関係ないし巻き込む必要もないもの。
カラム隊長にもその旨でパウエルも同伴することをお願いしてある。ステイルの護衛もカラム隊長が付いていれば安心だ。私の方もアーサーと、そして何処に居るかは謎のハリソン副隊長も護衛してくれている。……またネイトの失言にナイフ投げないかだけが心配だけれども。
昨日のジルベール宰相との打ち合わせを確認しながら歩き、いつもと殆ど変わらない時間に校門へと辿り着く。エリック副隊長に見送られ、手を振りながら足早に私達は三年の教室を確認するべく中等部の棟へ
「ジャンヌ‼︎」
……向かう、ところで。
前方から聞き覚えのある元気な声で呼びかけられる。注視すれば、予想だにしなかった人物が満面の笑顔で私達の方に手を振っていた。今までこんな良い笑顔で手を振って貰えたことなんてなかったのに。
短パンに巨大に膨らんだ身の丈に合わないリュック、額のゴーグルに金色のツンツン頭と狐色の瞳は間違いなく彼だ。私達より五メートルほど先の木陰に佇んでいたネイトに私達は思わず駆け寄る。その間もにこにこと満面の笑みで手を振ってくれるネイトは、先に行くこともなく私達をその場で待っていてくれた。
「おはよう、ネイト。今日は早いのね」
「早めに家出たら思った以上に早く着いた。しょうがねぇからここで時間潰してたんだよ」
校舎には入れねぇし、と最後はつまらなそうに唇を尖らせるネイトはそのまま大きく欠伸をした。
停学処分中のネイトは校舎内には入れない。けれど、男子寮の部屋鍵を持っているのはカラム隊長だから待ち合わせの時間までの折衷案でここになったのだろう。確かに木陰で芝生もあるし、一息には良いところだ。けど、今までは私達が学校から教室に荷物を置いてそれから一年の教室に居てもネイトの方が後だったのに。
随分と早く出たんだなと思えば、それだけ発明の続きが待ちきれなかったのかもしれないと考える。試しに、発明の方は捗っている?と尋ねてみると思い切り良い声で「最高!」と返ってきた。
「誰にも邪魔されねぇし静かだし途中で邪魔される心配もねぇし床に部品広げ放題だし。まぁあの脳筋騎士に見張られてるのはムカつくけど」
「カラム隊長ですって。世話になってるンすから覚えて下さい」
ネイトの失言にいつものようにアーサーが釘を刺す。
もうネイトの中ではカラム隊長は悪口を言う相手でインプットされてしまっているのだろうか。けれど前回よりちょっと怒った様子のアーサーの声には、軽く肩を上下させていた。
アーサーも尊敬する先輩をそんな風に呼ばれるのは何度聞いても嫌なのだろう。第一、カラム隊長は力持ちではあるけれど脳筋ではない。むしろそれとは正反対のタイプだ。
誰でも彼でも力が強かったらそれに統一しちゃうとしたら、悪口としても完全に的外れだなと思う。
怒られたことにびっくりしたのか、表情にこそあまり出さないけれど目だけは丸く開いたままアーサーに固定されたネイトは唇を絞っていた。すると、アーサーが教え込むように「カ・ラ・ム隊長です」と二度目を言った。珍しくムキになった様子のアーサーにステイルの口がちょっと笑っている。
「……からむ」
「隊長です。……っつーか、本当にあの人悪く言うのやめて下さいよ」
ぼそっと負けたようにカラム隊長の名前をオウム返しするネイトに、アーサーも合わせて声色が丸くなる。
首をすぼめて肩まで丸くなるネイトは、上目でじっとアーサーを見上げた。この前までなら「うるせーな」と済まされた筈だけれど、今回はちょっと殊勝な反応だ。それだけアーサーに強めに言われたことがショックだたのだろうか。
アーサー本人も予想以上にネイトが萎縮してしまったのに逆に戸惑ったのか、すぐに「偉そうなこと言ってすみません」と謝った。どう考えても絶対アーサーは悪くないんだけれども。
すると、そっとステイルが間に入るように一歩前に出てにこやかにネイトへ笑い掛けた。
「ジャックは騎士をとても尊敬してるので、彼の前で悪口は言わない方が良いですよ」
ね?と続きそうなほどの圧の入った言い方に、思わず私が肩が上がってしまう。
やんわりと一般生徒のジャックがカラム隊長のことでムキになることを嘘でない形で誤魔化してくれた。アーサーも少し罰が悪そうに頭を掻くと、拍子に銀縁眼鏡の蔓がずれて傾いていた。すみません、と今度は声を潜めて私にまで言ってくれてアーサーらしいなと思う。
謝ることじゃないわ、と意思を込めて笑みだけで返せば、伝わったように口元を少し緩めてくれた。
けれど、「わかった」とこもりがちな声で返してくれるネイトも頷いてくれた肩がまだ丸い。心の距離がじわじわ離れていく感に慌てて私からも話を切り替える。
「と、ところでネイト!今日のお昼休みに様子を見に行ってもいいかしら?」
抑揚が若干ひっくり返りながらパチンと両手を合わせてお願いする。
カラム隊長には許可を貰っても、まだネイトには事前にお願いしていなかった。昼休み……?と眉を潜めるネイトに私は力いっぱい頷きながら拳を握る。
「ネイトの発明がどれくらい凄いか途中経過も見てみたくって。発明の特殊能力って私も作っているのを見るの初めてで、ジャックも!この前の傘みたいに凄い発明を見てみたいって話してたの!」
だから私達二人で‼︎と、隣にいるアーサーの腕を両手で掴み引き寄せる。
突然引っ張られたことに、おわっ⁈と僅かにアーサーが声を上げたけれど、私達二人とも貴方の発明に興味があります!と意思をしっかり示す。するとネイトも段々と狭まっていた眉の間が開かれていった。さっきまでの少し強張っていた顔が目に見えて段々と解れていく。狐色の目がきらりと光った瞬間、不覚にも返事を聞く前から安堵する。
「しょっ、しょうがねぇなああ!べっ、別に俺は見せたくねぇし邪魔だけど⁈でもジャンヌとジャックがどうしてもって言うなら特別に見せてやっても良いけど……」
腕を組み、胸を張って声を高らかに上げるネイトは顔にも赤みが差した。
嬉しそうに広がった口元と、夏の日差しのような元気な声が昨日のネイトとぴったり合致する。へへーん!とでも言いそうなくらい鼻を高くするネイトに私はアーサーの腕を捕まえながら「是非っ!」と返した。上機嫌のネイトは胸を張りすぎて背中が反っている。私からも目の前に立っているネイトの反った顔でこちらから近付ける勢いで前のめりになれば、次の瞬間。
ぐいっ、と。
「……へ⁈」
突然、ネイトが組んでいた腕を私に伸ばし、引っ張り込んできた。
前のめりの状態だった私は、気がつけば背後へ倒れるように崩れていくネイトに引っ張られるまま前へと倒れ込む。顔が近付いていた所為でこのままだと倒れる前に頭突きしそうだなとどこか暢気に頭の隅で思った直後、幸いにも腕を掴んだままだったアーサーが私達二人を引っ張り上げるようにして支えてくれた。
ネイトが掴んだのがアーサーにしがみついたままの私の腕だったお陰で、彼も一緒に地面へお尻が着く前にアーサーにぶら下がる。突然二人分の加重を与えられたアーサーが声を上げて踏みとどまってくれた後、途中で一時停止してからドスンとネイトは私から手を話す形でお尻から着地した。
「大丈夫っすか⁈」
「ジャンヌ?腕は大丈夫ですか⁈……ネイト、貴方はまた何をするのですか」
大丈夫よ、と慌てて私を前のめり状態から引き上げ起こしてくれるアーサーと、ネイトに掴まれた腕の無事を確認してくれるステイルに答える。
引っ張られたのも一瞬だし、掴まれたの自体も痛くなかった。
突然の引き寄せに、ステイルが溜息を吐いてからネイトを見下ろした。そこまで今回は怒ってないけれど指で押さえた黒縁眼鏡の奥が少しだけ尖っていた。
今回はネイトの方も反応に怯える様子もない。まさかのアーサーが二人分も体重を支えられるとは思わなかったのか、ポカンとした顔でしゃがみこんだ後は「ヘヘッ」と悪戯成功感満載の笑顔で返してきた。
「ばーか!女のくせに顔近付けてくるのが悪いんだろ!」
「それは悪戯をして良い理由にはなりません。……ジャンヌ、もう僕らも教室に向かいましょう」
大笑いするネイトにステイルがピシッと指導してくれる。
それでも反省の色なしで笑ってくるネイトにステイルは呆れたように肩を落とした後、中等部棟へと促してくれた。そうだった、まだ私達は自分達の教室にも辿り着いていない。
芝生に座り込んだまま笑うネイトに一言掛けた私は、アーサーをしがみついたまま腕を引く。ネイトもやはり悪気はなかったのか、私達が去ろうとした途端逆に念を押すように「!昼休み遅れるなよ‼︎」と呼びかけてきた。
私からも手を振って返し、立ち話をしてしまった分少し駆け足気味に教室へと向かった。
アーサーがカラム隊長に続いて、私にも不敬をしちゃったことでネイトを怒ってないかと盗み目のように目だけで彼の顔色を覗いている。すると、やっぱりちょっと難しい顔で眉間に皺が寄っていた。
どうしよう、パウエルに続いてアーサーからも好感度だだ下がりしたらと色々な面で不安になる。一度私からネイトのことについて謝ろうかしら、と考えながら顔の中心に私まで力が入っていく。
中等部の棟から階段を上り、二年の教室に辿り着いた時。
揃って険しい顔をしてしまった私とアーサーにクラスの生徒達が朝の挨拶も忘れるほど大凝視してくるのをこの時はまだ知らない。
潜入視察終了まであと二週間。……にも関わらず、結局今朝も三年のクラスへ行けずに終わることも。




