そして投げかける。
「…………アラン隊長」
アーサーを暫く待ち続けていたステイルだが、彼の部屋でも、そしてアランの部屋でも彼は来ない。
最初は直接瞬間移動を試みもしたが、隠れようのない開けた場所に誰かといた為取り止めた。恐らくアランの話を聞けばハリソンだったのだろうとは思う。
時間も既に就寝するべき頃合いに近付いていると判断したステイルは無言のまま一人葛藤をしていた。本来ならばアーサーにしようと思っていた相談を、彼抜きで近衛騎士達にするのは何となく気が乗らなかった。しかし、このまま何も目的も果たさずに胸の蟠りだけ残して部屋に帰ればカラム達にも失礼だろうと思う。ステイルもエリック達としっかりと親交は深めたいとは思っているのだから。
グラスをテーブルに置き、自分の所為でギクシャクとした空気になったことを自覚しながらステイルは向き直る。ただでさえ悩みで悶々としていたのにアーサーに待ちぼうけをされてアランの部屋でも肩すかしにあった所為で、自分ではどうしようもなく胃の中が重い。事前に約束もしていなかったのだか、アーサーがいないのも仕方ないとわかっていても、自身の間の悪さに苛立ってしまう。
そして今、とうとうアーサー抜きで自分の悩みを解消すべくアランへと投げかける。
「……先日の馬車の件なのですが。……セドリック王弟はあれから、何か……」
低くゆっくりとした口調でそう言い放つステイルの眉間は狭まっていた。
へ?と言いたくなる気持ちを抑え、アランは表情筋を固める。馬車の件、ということに数日前セドリックが体調を崩した〝フィリップ〟を馬車へ避難させたことを思い出す。
あの時はそのまま〝王弟〟と〝一般生徒〟としての関わりしか無く、その後も自分達が知る限りはステイルとセドリックに接点はなかった。
やっと、ステイルが気にしているらしいことの片鱗を掴めたアランは「あ~」と声を零しながら、すぐに立て直すように口を動かした。
「いえ、何も言っていません。ステイル様達と別れて馬車に乗った時は心配をされていましたし、本気でステイル様の体調を気にされているご様子でしたけど」
それ以上は何も、と。あっけらかんとそう断言するアランに、ステイルは目に見えて息を吐ききった。
そうですか……とほっとした様子に、やはり気にしていたことはそれかとアランは理解する。
その件について全く知らないカラムだけが視線だけでアランに何の話しかと尋ねるが、アランは「大したことじゃないって」と手を振る動作だけで応えた。読唇術もなければ、近くで聞いていたわけでもないアランにも当時のステイルとアムレット、フィリップのことはあまりわからない。耳である程度聞こうとすれば聞こえたが、生徒同士の個人的なことだった為に敢えてそこまでは耳を立てなかった。
「なら良いのですが。……セドリック王弟には迷惑をかけてしまったので。まだ、僕からは何も礼もしていませんし、今更言ったところで無礼だとはわかっているのですが」
「いえ全然気にしてませんよ!学校でも自分はセドリック王弟と一緒ですけれど、一度も会いに来ないとか気にされている様子はありませんでした。ただ純粋に体調が戻られたかとしか聞かれませんでしたし」
段々と俯きがちに頭を重くするステイルに、アランは明るく否定する。
学校では護衛として授業時間以外はセドリックに付いているアランだが、全くセドリックからそういった不満は見られない。むしろ今はファーナム兄弟も揃って、更に学校生活を満喫していると話を続ければやっとステイルの顔からも曇りが晴れだした。
セドリックに礼をしなければとプライド達に話こそしたが、今日も摂政業務や学校の打ち合わせなどで忙しくセドリックの元へ行く余裕すらなかった。瞬間移動をすれば一瞬だが、基本的にステイルは公には瞬間移動を使いたくはない。それに謝罪の為とはいえ深夜に突然現れるのも無礼でしかない。
顔の力が抜け出したステイルの様子に、カラムもここで何があったか尋ねるのは控えようと決めた。どういったことかはわからないが、今まで自分に情報共有されず、そしてここまでステイルを思案させることであれば無理に踏み込んで良い話ではないと推察できる。エリックもまた、アラン以上にステイルの事情については知っているが、口止めをされていなくても影を落とすステイルを前に掘り返す気にはなれなかった。
ふう、と深く息を吐き出す第一王子に、アランも今度はいつもの調子で酒瓶を片手に歩み寄る。
「セドリック王弟はステイル様達がお忙しいのもわかって下さっています。恐らく何かの折りにまた頼って差し上げればそれだけで喜ばれると思いますよ」
注ぎますね、とそのまま無くなりかけていたステイルのグラスへ酒を注ぐ。
ニカッと歯をみせて明るく笑い掛けるアランに、ステイルも毒の気が抜かれていくようにグラスを口へ傾けた。ありがとうございます、と柔らかな口調で言えばやっと胸の重さも落ち着いた。セドリックが気にしていないのなら、またもう少し礼の方は待って貰おうと思う。プライドも礼をしたいといっていた以上、自分だけでなくちゃんとした形で待たせた分も含めて返したい。
ステイルから機嫌が落ち着いたのを確認して、アランはまた元の席に戻ると「いや~、今もすっげぇセドリック王弟目当てに特別教室がすごくて」とカラムやエリックにも楽しそうに投げかけた。
セドリックの噂が城下に広がってからは、人数が限られている特別教室への体験入学を望む貴族や上級層の人間が後を絶たず、一般教室と異なり満杯のまま順番待ちとなっているとステイルも穏やかな声で続けば、やっと部屋の空気も和やかになった。
「あっ、そういえば今日はすっげぇエリックのところに生徒集まってたよな。なんか殆どアーサーの話だったろ?」
「ええ、まぁ……。件の高等部生徒を医務室に運んだのをきっかけに注目されたようです」
「またか。騎士の授業でも一人目立っていた」
アランの投げかけに苦笑で返すエリックに、カラムも思い出すように自分の授業での彼を思い出す。
アーサー自身は目立つのは不得意なのに、どうしても人目を引く。それにアーサーも苦労しているのだろうなと先輩騎士三人は当然のように察してしまう。
流れるようにカラムの授業ではどんな感じだったんだと話しが進めば、アーサーのやらかしにエリックもアランも思わず笑ってしまう。彼らしい、と思いながら微笑ましくすら思う。
するとステイルまでもが参加するように「その後の休み時間にもまた目立っていましたよ」と思い出したように笑いを含みながら声をかけた。ステイルまで会話に入ってくれたことに安堵しながら、アランが詳細を求めれば彼は饒舌に昼休みのアーサーの様子を語り始めた。
さっきまでの曇った表情が嘘のように楽しそうな笑みを浮かべるステイルは、肩の力も抜けきっていた。それどころかアーサーの話になった途端、若干自慢げにも聞こえる口調になっていく。
「なので、それなりに女子生徒にも人気はあるようです。アーサー自身は全く気付いていませんが」
「あ~、アーサーはそういうの鈍そうですしねぇ……」
「十四から騎士団に入団しているからな。しかしそれまでは実家を手伝っていたのだろう?」
「以前、自分が同期とその前後組で飲み会をした時に話してましたが、あまり接客は得意じゃなかったそうですよ。今も忙しそうだから手伝いはするけれどやはり自分じゃ全然と」
目に浮かぶ。エリックの言葉に、三人は同時に頷いた。
騎士団内で友好的なアーサーだが、彼が客相手に乗り気で話している姿は想像がつかない。しかも、彼の過去を知っているこの場の四人にとっては余計にそういった類いを敬遠していた理由も想像がついた。
頭だけで思い、だがそれ以上は口には誰も出さない。少なくとも騎士として彼は間違いなく大成している事実があればそれで良いと思う。アーサーのことは話題にしても、彼の掘り返されたくない過去を酒の肴にはしたくない。
ただし、アーサーが騎士団長と同じ整った顔立ちで女性に人気があることを未だに自覚していないことは全員苦笑いしてしまう。ずっと接客を避け、畑に逃げ、更に十四からは完璧な男所帯に居たのだから無理もない話だと考えた、その時。
コンコン。
「すみません、アラン隊長……。今、メモに気付きました……」
ボロッ、と明らかに演習直後よりズタボロになったアーサーがノックの後に訪れた。
メモを片手に腰を低くして現れた彼は、何度も地面に転がったかのように土汚れにまみれ、頭の上に括った髪まで汚れ乱れていた。
ハリソンとの死闘を一区切り終え、やっと部屋に戻ったアーサーはアランのメモを見て身嗜みを整える時間も惜しみ駆けつけた。
おー待ってた、呼び出してごめんな、ハリソンと手合わせだったのだろう?、とアランとエリック、そしてカラムが迎える中アーサーはステイルが座っていることに気付き目を丸くする。「ステイル⁈」と言いそうな口を途中でむぎゅっと絞り、後ろ手で扉をしっかり閉めてから改めて彼を見た。
「ステイル、テメェなんで俺より先に飲ンでんだよ‼︎」
「お前が遅いのが悪い。もうこれで二杯目だ」
そう言って半分以上残っているグラスを揺らすステイルは、アーサーの前で一気に中身を空にした。
優雅にグラスを置き、頬杖を突く彼は上機嫌の悪い笑みで彼を眺めた。
すみません、お待たせしてと何度も先輩騎士達に頭を下げながらアーサーは大股でステイルへと接近していく。今日来るって言ってたか?と尋ねるアーサーに、気分だったから来ただけだと一度は切る。
飛びつくようにアーサーへ相談する姿など晒したくはない。
「ちょうどお前の話題で盛り上がっていたところだ」
「アァ⁈ンで俺のいねぇところで話してンだよ!……!まさか今日の」
「そっちはまだ話してない。あとお前が来るのが三分遅かったら話していた」
「ふざけンな‼︎」
今日のプライドからの爆弾発言を頭から燃焼させる為にハリソンと打ち込んだというのに、自分のいないところで掘り返されては溜まらない。
エリックはさておき、アランやカラムはまだ知らない筈の話題を言われることはあまりにも恥ずかしかった。
怒鳴るままに「絶対言うなよ⁈」と叫べば、「さぁどうだかな」と機嫌の良いステイルの悪い笑みだけが返された。
本気で怒ったわけでもないのに顔を赤くさせ、寛ぐ自分を長身から見下ろす相棒を楽しげに眺めながらステイルは自分でグラスに酒を注いだ。「飲むか?」とそのままアーサーに差し出せば、受け取った手で一息に飲み干された。死闘後で喉も枯れていた彼の喉が頭と一緒に冷える。
アーサーが飲み干したのを確認してからステイルは、グラスを返せと手の平を彼へ伸ばした。受け取り、また酒を注ぎながら落ち着いた声で言葉を返す。
「〝ついでに〟セドリック王弟にまだ礼ができてないことでも話そうと思ったが、もう良い。今はお前の話の方が遥かに面白」
「ンなことセドリック王弟がネチネチ気にすっかよ。どうせ後で十倍返しすンだろ。いっつもセドリック王弟のこと雑に扱ってンくせにそォいうとこばっか気にしやがって」
死闘後で疲労困憊な上に自分の話題をされからかわれた所為で、ついいつもより早くに喧嘩口調になる。
しかし自分の発言を遮られたことも気にしない様子でステイルは最後まで聞き終えると、今度は嫌味も言い返しもなく「まぁその通りだな」と余裕の笑みで軽く頷いた。まるでもうわかっているといわんばかりのステイルの言葉に、「なら気にすることねぇだろ」と相棒の背中を叩くアーサーは、そのまま隣に腰を下ろした。
もう一杯くれ、とステイルに再びグラスを借りようとするアーサーにステイルは酒瓶ごと押しやった。あと半分だ、と告げれば飲みきれる自信があるアーサーはそのまま口をつける。
二人のその様子に、先輩騎士達は三人揃って半分だけ笑みを零した。
互いに目配せだけで会話し、ステイルがいつもの調子を取り戻していることを肌で確信する。
自分達と話が盛り上がった時から肩の力を抜いてくれていたステイルだが、やはりアーサーと話している時をみるとこれこそが彼の自然体なのだなと思える。
二人の話が一段落ついたところで先ずエリックは立ち上がり、アーサーの分のグラスを彼に手渡した。「すみません」と頭を下げるアーサーの前に新しい酒瓶を置けば、今度はアランがその横に並ぶ。おつかれさん、とハリソンとの死闘を労いながらアーサーとステイルのグラスに酒を注いだ。カラムも席を立ち、アーサーの背後に回ると乱れた彼の髪を直すように指摘しながら「もう話は終わったから、疲れたなら部屋に戻っても良い」と肩に手を置いた。そしてステイルは
「……調子が戻っていたようで何よりだ」
鼻で笑うように囁いた彼の言葉に、アーサーはすぐ何のことかわかった。
一瞬、まだからかうつもりかと思いコノヤロウと睨んだが、嫌味のない眼差しが漆黒に優しく灯っているのを見れば本当に気にしてくれたのだなと理解する。
帰路ではこの上なく笑い楽しんでしまったステイルだが、だからこそ後になって少しアーサーに悪い気もしていた。
……自分で自分に別の理由をこじ付けて様子を伺いに来ようと思う程度には。
それをアーサーも察し、軽く手の甲でステイルの肩を叩いた。恥ずかしいから思い出させるなとも思うが、それ以上に気にしていてくれたことには感謝する。ステイルの本題は結局そちらなのだから。
ハリソンと死闘して大分燃焼できたアーサーがいつもの調子であることに、ステイルもそれ以上の続きを言わなかった。代わりにいつものように別の言葉で友を突く。
「で、ハリソン副隊長には勝てたのか」
「時間制限つけなけりゃァ勝ってた」
むっ、と痛いところを突かれたアーサーが目を逸らす。
乱れた髪を一度解き、結き直しながら最後の決着を思い出す。あと一本、あと一本で自分が勝てたのにそこで時間になってしまった。
時間制限どころか朝まで戦っても良いと思っていたアーサーだが、通り掛かりに副団長のクラークに「明日もお前達は任務だろう」と一言かけられてしまえば、自分よりも先にハリソンが時間制限を言い出してしまった。
「一体何回転がされたんだ?」
「十回以上は数えてねぇよ」
自然といつもの雑談に話が流れるステイルは、時計を今は確認しない。
テーブルの隅だった彼の席が、自然と近衛騎士達の中心地になったことには誰も気付かなかった。




