そして捕まえる。
「……セフェク。さっきの子達、確かずっと後ろにいたよね?」
移動教室。
女子の選択授業の為、教室の女子全員で教室を移動していたセフェクは友人の言葉に振り返る。自分達は後続で最後尾から二番目だった筈だが、いつの間にか最後尾の二人組が消えていた。
そうね、と首を傾げるセフェクも、全く彼女達が消えたのに気付かなかった。ついさっきまで確かに背後で話し声が聞こえていた気がしたが、今は全くしない。女子全員での移動でこの行き道以外ない筈なのにと二人で話しながら背後に目を向けるが、物陰からひょっこり姿を現す様子もない。
「また居なくなっちゃったのかしら」
ぽつり、と呟くセフェクの言葉に友人の肩が上下に跳ねた。
それって噂の⁇と尋ねれば、セフェクは躊躇いもなく首を縦に振る。数日前にベイルへ尋ねられた話題を思い出しながら、とうとう身近にもと他人事のように思う。こういうことはセフェクの周りでも大して珍しくはなかった。
授業の合間や休み時間の間に急に生徒が消え、そして暫く経ったら学校を飛び出して帰ってこなくなる。主に下級層の生徒で多くみられたそれに、自分の後続の子達も巻き込まれたのかなと思う彼女は冷静だった。
今はヴァルとケメトと共にそれなりに良い暮らしをしている彼女だが、下級層暮らしも多かった為に自分以外の周りの人間が急に消えたり狙われることには肌に慣れている。
しかし、彼女の隣に並ぶ友人はそうではなかった。
後続の少女達が友人かと聞かれれば、まだ大して親しくもない。しかし、学級の一員がもしかしたらと思えばじっとはしていられなかった。前方の女子生徒達は気付かずに進んでいく中、彼女だけが立ち止まる。
「わ、……私ちょっと見に行ってくるね!」
「えっ、ちょっと待って!なら私も‼︎」
踵を返し、来た道を真っ直ぐ戻る友人をセフェクもすぐに振り返り追いかけた。
自分自身は消えた少女達が心配でもないが、折角友人になってくれた少女のことは気に掛かる。先に行ってて!という気遣う言葉にも構わず、友人と共に少女達が消えた道を駆け足で引き返す。
真っ直ぐ伸びた廊下を駆け戻り、他クラスから書庫や空き教室を通り過ぎ、角を曲がったところでそれは起こった。
まるで待ち構えていたかのように腕が伸び、前方を走る友人を始めに、背後に続くセフェクも殆ど同時に無理矢理腕を引っ張られた。
「ンッ!?」
反射的に声を上げようとしたが、既に口を覆われた後だった。
押さえつけられたまま目だけで友人を探せば、自分と同じように男に腕と口を押さえられている。騒ぐなよ?と耳元で囁かれ、低められたその声にセフェクはぞわりと背筋が震えた。
見れば、自分と友人以外にも後続にいた少女二人が半泣きで男の背後で壁の隅に追いやられている。拘束などはされていない様子から、ただ責められていただけのようだとセフェクは冷静に考える。
階段の踊り場の角でもそこは、移動教室でもない限り授業中の今は誰も通らない物陰だった。そして自分と友人も同じように腕を引っ張られ、彼女達と同じ壁へと纏めて押し飛ばされる。
少女二人に背中がぶつかり、きゃあっと短い悲鳴が上がった。
セフェクと友人はそれぞれ「ごめん」とぶつかったことを慌てて謝りながら、じりじりと責めてくる男二人から壁際へ一緒に下がった。壁には窓が嵌められ、そこから助けは呼べないかと思ったがその向こうは校庭でも校門でもない。ちらりと見ても人通りがあるような場所ではなかった。男二人から「一気に四人か」「まぁ多い分はいいだろ」とニヤニヤ笑いで見下ろされながら、距離を詰められる。声に凄みを利かせ、聞きたいことがあると彼女達に向けて首だけを卑しく伸ばしたところで
ビシャァアッ‼︎と水飛沫が彼らの顔面に直撃した。
「早く行って!!逃げるの!すぐに‼︎」
ぶはぁ⁈と、片手ずつ男達二人の顔面に水を浴びせたセフェクは、怯んだ彼らを尻目に背後の友人達に厳しく声を上げる。
さっさとしてと言わんばかりの強い声に、彼女達も目が覚めたかのように半泣きのまま掛け出す。友人が「セフェクも‼︎」と呼んだが、それも「先に走って‼︎」と怒鳴られて追い出された。ケメトに触れていない彼女はいつものように放水車のような水攻撃は放てない。
「ッなんだこいつ!特殊能力者かよ⁈」
クソ!!と顔に持続的に掛かっていく水を腕で防ぎながら、男は通り過ぎた少女達よりも先にセフェクを睨む。
今は当初の目的よりも、自分達に水を浴びせてきた少女への腹立たしさが強い。水が邪魔で照準は取れないが、釣り上がった目で自分達を睨む少女を掴もうと呼吸を確保しながら反対の手で掴み掛かった。セフェクもこれだけでは彼らを倒せないことはわかっている。
顔を狙ったところで不意打ちなら良いが、その後は水を手で防がれたら届かない。だからこそ一度水を止め、
彼らの喉と鳩尾へ的確に鋭い水を撃ち放った。
まるで大人から拳を受けたかのような衝撃に男達は息も止まる。
水の量を絞った分、その勢いも威力も倍以上に増していた。鎧も着ていない肌着だけの彼らには充分過ぎる威力だった。
よろけ、ふらつく姿を確認してからセフェクは素早く彼らの横を抜けた。追い詰められた場所から抜けられれば後はどうにでもなる。
「こンッの……!!」
真横をセフェクに抜けられるのを血走った目で睨んだ男は鳩尾を押さえながら、倒れ込むようにして手を伸ばす。まだ水弾を撃たれた衝撃で上手く動けない彼は、前に倒れることでセフェクの足に何とか手を届かせた。
突然足を掴まれ、半分転び片膝をついたセフェクは振り返りざまに懐へ手を伸ばす。こういう時の為に隠し持った閃光弾で両目を潰してやろうとピンに指を引っ掛け
「…………ぁ」
止まった。
膝をつき両手を下ろし、男に足を掴まれたまま動きを止める。
腕の力だけで男にそのまま足を引き寄せられたがセフェクは既に水も奥の手も放つ意思は削がれていた。目を血走らせて床から自分を睨む男と、喉を両手で押さえ咳き込みながら両膝を突き睨みを自分に向ける男よりもずっと
その〝背後〟にいる男の方が遥かに凶悪な顔をしていたのだから。
「ヴァ……」
丸く見開いた目でその名を呼ぼうとしたところで、彼に一本立てた指を口元に置く動作と共に睨まれる。
〝呼ぶな〟と言っているのを、彼女はすぐに理解した。唇を結び、視線だけをヴァルに注いだまま黙すれば、次の瞬間には男達二人が背後から頭と足をそれぞれ鷲掴まれた。
突然の背後からの腕に、目も剥いて振り向けば先ほどまで誰もいなかった場所に高身の男が佇んでいた。
明らかに自分達よりも凶悪なその顔付きに呆気をとられ言葉も出ない。そうしている内にもヴァルは躊躇いなく、掴んだ男の足を今度は折らんばかりに踏みつけた。ぎゃあッ‼︎と括られた鳥のような声を上げ、同時にセフェクを掴んでいた男の手も放される。
解放された瞬間、セフェクはすぐに足を引っ込めて男の手が届かない距離まで下がった。服の埃も払わずおもむろに立ち上がればもう彼女の視界にも男達は入らなかった。無言のままヴァルへじっと目を合わせれば、無言のまま一度男の足を放した彼の手が、払うようにセフェクへ向けられた。
〝さっさと行け〟
その意図を動作だけでセフェクは理解し、頷きもせず視線だけで返す。
そのまま元の道へとパタパタと駆けだした。
「……クソが」
足音が遠のき、聞こえなくなってきたところでやっとヴァルは小さく声を漏らす。
自分と彼女との関係が知られない方が報復から考えても都合が良いヴァルにとって、頷きもせずに去って行った彼女の判断は上々だった。名前を呼ばれるどころか、軽い言葉の返しだけでも自分とセフェクが知り合いだと思われれば面倒なことになる。
彼女が無事去ったことを確認してから、ヴァルは改めて倒れた男を踏みつけた。反対の手では頭を掴んだ男を呼吸が戻る前に手近な壁へと叩きつける。ガツン、と額と壁がぶつかる音を心地良く聞きながら、それでもまだ憂さは晴れない。
「どいつもこいつも考えることは変わらねぇなぁ?」
昨日と同じように校舎裏で張っていたヴァルだったが、一限の前後に三度掴まえた以降はパタリと不良生徒が捕まらなくなった。
もう尽きたのかとも考えたが、それ以上に彼らの身になって考えれば簡単に予想はついた。校舎裏で仕事ができなくなったと情報が広がれば場所を変えるのは当然だ。教師も生徒も行き交わない授業中に、人目のない場所に生徒を連れ込めば良い。
プライドから無断で施錠区域に入ってはならないと命じられていたヴァルにとって、それ以外で人目につかない場所はいくつか見当もついていた。
校内を歩き回れば教師や生徒の目に届いて顔を覚えられて面倒になるが、校舎の〝外側〟からであれば問題もない。
特殊能力で校舎裏から壁伝いに移動し、窓からめぼしい場所を確認すれば案の定だった。それから更に二組ほど狩ったヴァルだったが、まさかの今度はセフェクかと呆れすら覚える。
校舎の窓から彼女らしき声が聞こえた時から嫌な予感はしたが、覗いてみれば予想通りの展開だった。しかも、自分が出なかったら出なかったで彼女は確実に男子生徒のどちらかを一生再起不能にしていただろうと静かに思う。セフェクに喉を水砲で撃たれた男は未だヴァルに抵抗する力も残っていなかったのだから。そして事実、閃光弾で一時的に目潰しした後にセフェクは〝水量を最小限絞った最大限の威力で〟男の目を物理的に潰すつもりだった。
彼女の容赦なさをヴァルは昔からよく知っている。そしてそんな彼女に、人体の急所をティアラと一緒に教えたのは他ならない自分だ。
これから彼らにもいくらか聞きたいことはある。そして、彼らもまた今まで掴まえてきた男達と同類であることはほぼ間違いない。ならば、この後も遠慮の必要はなくなる。
そして何よりも、今まで校舎内で掴まえてきた男達同様に自分の姿を見られた以上、彼らは落とし穴に嵌まった男達よりも厄介だった。情報を搾り取るまでは問題ないが、それから自分の容姿についてなど撒かれてしまえば面倒なことになる。あくまで正体は知られたくないのは彼も同じだった。だからこそ
「〝言いたくならねぇ〟程度に痛めつけてやる」
ニヤァァと極悪に口端を引き上げ、捕まえた男達二人の足と頭を掴み引き摺り込む。
先ほどまで彼らがセフェク達を追いやっていた壁際の窓へと連れ込み、まともに身体が動かせず無抵抗な二人を躊躇いなく外へ突き落とす。悲鳴を上げる男子生徒が結果的には無傷で落下したのを確認してから、追いかけるように自分もそのまま窓から飛び降りた。校内よりも教師の目に届きにくい校舎裏の方がヴァルにとって都合が良い。
ヒャッハァッ!!と短く高らかな笑い声を残し、彼もまた校舎から姿を消した。
プライドからの〝許可〟
それを大いに振るえる相手だとわかっている彼は、水を得た魚のように容赦もなかった。
……
「!セフェク!!良かった!今先生達を連れてっ……!!」
廊下を抜けきったところで、教師をつれて来た友人と合流する。
選択授業の講師とは別の、血相を変えてきた教師とそして涙目の友人はそれだけで自分を心配してくれたのだとセフェクは理解する。友人も逃げた後に自分を見捨てたのではないことを確認すれば自然にセフェクもほっと息を吐いた。
無事で良かった、と友人に抱きつかれたのを受け止めている間にも教師に「男子生徒は何処に⁈怪我は⁈何かされなかったか⁈」と矢継ぎ早に問われてしまう。
今行けば、まだ男子生徒達はあの物陰にいるだろうとセフェクは思う。だが、敢えて首を横に振って彼女は答えた。
「もうどっか行っちゃった。怪我もないし何もされなかったわ」
けろりとした声でそう返せば、教師も、そして抱きついたまま顔を上げた友人もセフェクの顔を見る。その顔を見た途端「本当に?」と気の抜けた声しか出なかった。
ええ、本当にとやはり落ち着いた声で返すセフェクは友人の手を取り、早く授業に行きましょうよと促した。教師が「本当に何もなかったのか⁈」ともう少し詳細に話を聞くべくセフェクを追いかける。
「あの、セフェクごめんね私の所為でっ……助けてくれてありがとう!置いて行っちゃって本当に私っ……」
「良いの!別にあんな奴ら怖くもないもの!全然弱かったわ!また何かあったら私が守ってあげる!」
う、うん。と返しながら友人は戸惑いを隠せない。
セフェクに逃がして貰った直後、急いで近くの教室から教師を探し助けを求めてここまで連れてくるまで罪悪感と恐怖でいっぱいだった。
自分がセフェクを巻き込んでしまったのに一人置いて行ってしまった。今頃怪我をしていたら、そうでなくても怖い思いをしていたらと泣くのを堪えながら必死で走った。
なのに途中で再会できた彼女は、無傷で自分から戻ってきた。上手く逃げられたのかと安堵すれば、男達の方が逃げていったと言う。一体どうしてそんなことになったのか、もしかしてセフェクがあの二人を倒しちゃったのかと色々聞きたいことはあった。だが、一番に不思議で仕方が無いのは
……どうして、こんなに嬉しそうなんだろう……?
怖い思いをした筈なのに、危険な目にあって、不快な思いをした筈なのに。
そんなことを微塵も感じさせないセフェクは、それどころか隠しきれないほどの笑顔だった。
今にも鼻歌でも歌ってしまいそうなほど輝く目で顔を綻ばす彼女に、友人も教師も何度も首を傾げた。




