そして耳を立てる。
「ジャンヌ。……それはどういうことでしょうか」
重々しく声を放ったのはステイルだ。
ぎくっと肩が上下しながら、そういえばまだステイルとアーサーにはクロイと約束したことも話していないと思い出す。パウエルとファーナムお姉様の手前、抑えてはくれているようだけれど、確実にちょっと怒っている。目だけをギクシャク向ければ、指で押さえつけた眼鏡の黒縁の向こうが若干光っていた。
あはは……と引き攣った笑いで返せば、漆黒の眼差しの色合いが強まってこの場で平謝りしたくなる。基本的には護衛と正体をバレない為に学校外では生徒と関わらないようにしようという方針だったのを忘れたわけではない。
アーサーも気になるように視線を注いでくる中、私は辿々しくはあるけれどクロイに今回のお礼に家に遊びに来て欲しいと誘われたことを説明した。勿論、仲間はずれではなくフィリップとジャックも一緒に!!と強調して伝えれば、溜息と同時にステイルの肩が落ちた。
また貴方は……と零す声は呆れられているのだろうなと思う。ごめんなさい勝手にとステイルとアーサーへ交互に謝る。
アーサーは「俺も一緒なら」と頷いてくれたけど、ステイルはまだ若干頭が重そうに片手で抱えていた。うん、王族のステイルは特にヴェスト叔父様との予定もあるから予定を組むのも大変なのはわかる。すると、ファーナムお姉様は思いついたように「むしろ」と一言切った。
「ジャンヌちゃん達もご実家からは確か離れているのよね、だったらうちに来ない?三人が一緒に住んでくれたらきっとディオスちゃんもクロイちゃんも喜ぶと思うわ」
勿論家賃は要らないわ、と穏やかに言ってくれるファーナムお姉様に私達は慌てて声を合わせてしまう。
いえいえ!と首を振り、もう今お世話になっている家で充分なのでと丁寧に断った。流石に仲が良くなったとはいえ、潜入視察中にステイルの特殊能力や私達の正体について知られるのはまずい。そう?と微笑むファーナムお姉様に若干罪悪感があるけれどこればかりは仕方が無い。
「パウエルも。もし困ってたら言ってね。お世話になっているのだし、いつでも部屋は貸すわ」
にっこりと朝雪のような眩しい笑顔を流れるようにファーナムお姉様がパウエルに向けた。
一瞬、それはあの二人が許可してくれるかしらという言葉が頭に浮かんだけれど、飲み込む。もうパウエルがお姉様を狙っているという誤解は一度は解けた筈だし〝信用できる相手〟には数えられる筈だ。今までだって献身的にお姉様に良くしてくれていることは双子もわかっている筈だもの。
するとパウエルは「いや俺は」と手を振りながら、ステイルと交換したサンドイッチを最後の一口頬張った。ゴクリと飲み込み、それから改めて口を開く。
「俺は良い。今の家が大事だし、任されてることもあるから」
「あら、私と一緒ね」
ふふふ、と奥ゆかしく笑うファーナムお姉様は本当に明るくなった。
断られても全く嫌な顔ひとつせずに流してくれるところは、淑女の余裕も感じられる。いっそ実年齢の私よりも年上のような気すらしてしまう。少なくとも落ち着きがあるという点においては確実に。
あっさりと美女からの一緒に住もうを断るパウエルに、そういえば今彼はどこに住んでいるのだろうと思う。ゲームと一緒の状況なわけもないし、もしかすると……と頭に浮かぶのはアムレットのお兄様の姿だった。
いやまさか、頼れるお兄ちゃんとはいえそこまで、とは思うけれど初対面の私達にも言ってくれた言葉を思い出せば可能性もなくはないと思ってしまう。
ここはステイルの為にも振らないで置こう、と私は箱の中の猫を放置する気分で意識的に口を閉ざした。ステイルも同じことを考えたかなと目を向ければ、やっぱり視線をパウエルから外していた。アーサーが合わせるように私の背中越しにステイルへ水を回してくれる。
「ヘレネさんはいつも学食で飯食ってるンすよね。人混みとかキツくないっすか」
「最初はちょっと億劫だったけれど……」
話を変えてくれたアーサーに、ファーナムお姉様も首を捻って答える。
うーん、と思い出すように視線を浮かせた後、頬に手を当てた。食器の音を殆ど出さずに食事を勧めるお姉様は本当に行儀が良い。
「でも、最近は平気よ。それにこうして遠目でディオスちゃんとクロイちゃんが楽しそうにしているのを見るのも好きなの。二人に仲が良い人が増えて嬉しいわ」
「ファーナムも女友達作ればいいのに」
「パウエルが友達になってくれただけで充分よ。私に合わせていると移動教室も食事も休み時間も遅らせちゃうからどうしても上手くいかなくて」
しょうが無いわね、と力なく肩を竦めるファーナムお姉様はどうやらお友達はまだ少ないらしい。
確かに勉強を教えた時もパウエル以外いなかったけれど、こんなに優しくておっとりとしたいい人なのに意外だ。まさか綺麗な人過ぎてやっかみを受けているんじゃないかと心配になる。仮にもここは乙女ゲームの世界だし。
けど、そんなドロドロしていたら流石にパウエルも気付く。今こうして話していても彼からは「別に迷惑じゃねぇよ」の一言だけだった。苦みも含みもない、本当に当然のことのように言うパウエルにも影はなかった。
「一人が長かったからもうそんなに寂しくないし……。時々聞こえる噂話とか聞くのも楽しいわ」
勿論ジャンヌちゃん達との食事は嬉しいわよ、と明るく言うファーナムお姉様に何だかまた一緒に食事をしたいなと思ってしまう。
そういえば今はディオスとクロイと一緒に過ごす時間が多いけれど、元々一人で仕事して弟二人を養ったり、逆に一人で家のことを全部やっていた人だった。口説いてくる人はいたらしいけれど、きっと基本的には一人のペースに慣れているのだろう。まるでシングルマザーのような貫禄だと思ってしまう。
「あ、そういえばこの前も面白い噂を聞いたわよ」
「?噂、ですか」
ふふっと笑うファーナムお姉様の言葉にステイルが今度は食い付く。
ヴァルやジルベール宰相、カラム隊長が水面下で動いてくれている今、校内の噂はできる限り知りたい情報だ。学食なんて学年問わず高等部と中等部の噂が錯綜するところだし、そこで聞いた噂なら何か今後の手がかりになるかもしれない。
それに、私としても生徒間の噂なんてそれこそ乙女ゲームの攻略対象者にありそうなイベントだと思う。もしかしたら最後の攻略対象者の手がかりになりかもしれない。
私からも若干前のめりになりながら耳を集中させてお姉様の言葉を待つ。すると、一度スプーンの手を止めたお姉様は一度チラッと視線を一方向に向けてから口を開いた。
「すごい運動神経をした銀髪の男の子がいるって。高等部の生徒を倒して空も飛んで足も馬みたいに速い生徒が中等部にって噂よ」
…………アーサー。
ふふふふっ、とおかしそうにファーナムお姉様の笑い声が聞こえる中で私とステイルは同時に脱力してしまう。
アーサーに目を向ければ、顎が外れそうなほど口を開けていた。まさか自分の噂が学食にまで届いていたなんて思わなかっただろう。
パウエルが納得したようにファーナムお姉様とアーサーを見比べる中、じわじわと少しずつ熱が通るようにアーサーの顔が火照っていく。
「他にも身体能力の特殊能力者だとか、昨日は急に不良生徒が減っているのもその男の子が追い払っているんじゃないかって」
そういって楽しそうにアーサーを見つめるファーナムお姉様は、明らかに噂の正体をわかっていた。
高等部を倒したことに至っては自分も当時関わっていたから当然だろう。そのまま言葉の出ないアーサーに「どこまでが本当かしら」と悪戯っぽく言うお姉様は本当に年頃の女性らしい。
くすくすという笑い声まで聞こえてきて、ディオスとクロイももしかしてこんな風にからかわれることがあるのかなと思う。
「いえ……その、色々誤解ばっかで……」
すんません、と。恐らくはファーナムお姉様へというよりも私達へ向けてだろう謝罪が最後にアーサーの口から落とされる。
目立ちたくないのに目立ってしまうアーサーは流石だなと思う。……結構な割合が私の所為なのだけれども。
しかもいろいろと噂に尾ひれもついちゃっている。まずアーサーは跳躍力が凄まじいだけで空まで飛べないし、身体能力の特殊能力者でもない。しかも昨日不良生徒を物理的に減らしたのはアーサーではなくヴァルだ。
いつの間にか番長みたいに祭り上げられたアーサーになんだか申し訳なくなる。
本物の裏番長は今日も授業をさぼって不良生徒を穴に落としているだろうけれど、アーサーは真面目に授業を受けている優等生なのに。
くくくっ……と気がついて振り向くと、ステイルが口を片手で覆ったまま背中を丸めて笑っていた。有力な情報が手に入らなかったのは残念だけど、まさかのアーサーの噂ということが楽しくなったのだろう。アーサーに隠れるように背中を向けているけれど、アーサー本人も恥ずかしさでステイルに目を向ける余裕はないようだった。反対方向に顔ごと背けながら「たいした事は本当に……‼︎」と擦れた声で絞り出している。
「すごいよな、ジャックって。本当にめちゃくちゃ跳ねるし足も速いし」
「喧嘩も強いものね。乱暴はだめだけれど、ジャックくんみたいに優しい子ならきっと強くて素敵な男の子になるわ」
いえ、本当に、すみません、とモゴモゴと言葉に溺れながら必死に返すアーサーの背中を私からそっと撫でる。
隠してるつもりでも自身の凄まじさが滲み出ている彼に、流石は第一作目の人気攻略対象者だと、熱の高い背中に触れながら心の隅で思った。




