Ⅱ201.王弟は考える。
「やはり日替わりも悩むな……。ディオス、クロイ。どちらが良いと思う?」
メニュー表を前に、セドリックは真剣な眼差しのまま声だけを左右にいる二人へと投げかけた。
学食のメニュー内容は初めて目にした時に全て暗記している彼だが、日替わりメニューだけは別だ。その日によってメニューが異なる、という形式は毎回知らないメニューが出てくる為絶対的記憶能力を持つセドリックにとって密かな楽しみでもある。
「日替わりが美味しそうだと思います!やっぱり今日しか食べられないメニューですし……あっ!セドリック様は今まで食べたことありますか?」
「いや、ないな。フリージア王国の料理はまだ食べたことのないものの方が多い」
「でもセドリック様、この前の魚料理はあまりお気に召しませんでしたよね。これ、魚料理ですけれど大丈夫ですか?」
「うむ、確かにそうだったな……。魚自体は好きなのだが……」
ディオスの言葉に揺れた直後、クロイの言葉にセドリックも低く唸る。
決して魚が嫌いなわけでも、その料理の味付けが気にくわなかったわけでもない。ただ、学生向けの値段に相応した魚料理の場合どうしても魚自体の質は王族が普段口にするものとは鮮度からして違った。特に、ハナズオ連合王国の中でも港を持つサーシス王国の王子だった彼にとっては普段口にしている魚介の質は極めて高い。海に面していないフリージア王国の川魚とサーシス王国の海魚ではそれだけでも魚の質差は明らかだった。
しかし、今まで見たことのない料理だと余計に気になってしまう。城ではこんな当たりくじ感覚で料理を選んだことのない彼にとって極めて悩ましい選択だった。
……と、メニューを前に軽い談義が行われるようになった三人の光景に、アランは一人肩を揺らして笑った。
ディオスとクロイが二人揃ってセドリックに付くようになって、まだ数日しか経っていない。にも関わらず、最初の頃とは見違えるほどセドリックへ積極的に話している双子とそして完全に馴染んでいる王弟の姿はただただ微笑ましかった。
毎回メニューを前に悩むセドリックに、嬉嬉として会話を弾ませてくれるディオスも冷静に意見を言うクロイも良いコンビだとアランは思う。
学校初日は自分がその相談に乗っていたが、あの時はセドリックを狙う特別教室の令嬢子息と周囲の注目へ威嚇するハリソンとかなりの忙しさだった。しかし今は、セドリックがファーナム兄弟へ付きっきりなお陰で彼に話しかけようとする令嬢子息はいない。彼を見に来る生徒は特別教室も一般教室関わらず絶えないが、ある程度距離を保った状態で彼ら三人の会話を邪魔しないように心がけてくれるお陰で護衛の自分の負担も減った。そしてハリソンも今は休み時間ごとにプライド達の護衛に消えている為、威嚇の心配もない。今はこうしてセドリックと双子従者の様子を眺める余裕が出てきているのは、アランとしてもありがたいことだった。
「……仕方ない。今回はやはり既存メニューで食べたことのないものにしておくか」
ようやく話が纏まり、食事を注文しに行くセドリックにディオスとクロイも続く。
今やセドリックに持たれなくても特待生として無料で学食を食べる権利が与えられた二人は、注文する時も全く背中は丸くない。むしろ学食無料となる特待生証明を翳す彼はその度に誇らしげにすら見えた。
注文した料理が出されると、クロイが自分とディオスの分を、そしてディオスがセドリックの分のトレーを運ぶ。空き席を探す度に、セドリック達に譲ろうと彼らが近付くだけで生徒達がガタガタと腰を浮かす光景もアランには見慣れたものだった。
いつも通りに三人分の席を確保した彼らが、毒味を済ませて食事を始めれば今はセドリックから話しかけずとも自然とディオスが口を開く。しかし今日は話しかけた相手はセドリックではなく
「あっ。そういえば昨日は届けてくれてありがとうございました」
「……伝言も、ちゃんと伝えてくれてありがとうございます」
思い出したようにペコリと頭を下げるディオスに、クロイもすぐに倣った。
会釈にも近い小さく頭を下げる動作でアランを見上げる。セドリックも二人の視線を追うように振り返った。昨日?と小さく零しながら視線で尋ねればアランは「ああいや」と二人に横へ手を振った後、セドリックに肩を竦めて笑った。二人へ断るよりも先にセドリックへ説明すべく言葉を選ぶ。
「昨日、自分の姪達がファーナム家に頼み事をして自分とエリックがそれを伝達したんですよ。寧ろこっちの方が礼を言う側です」
アランの姪、という言葉にセドリックはすぐにプライドのことだと理解した。
具体的に何があったかまではわからないが、二人がプライドの力になってくれたのだなとわかれば充分だった。また彼女が水面下で動いているのか、とうとう当初語っていた予知で何かを思い出したのかと考えを巡らせる。今は自分の記憶能力に引け目も後悔もないセドリックだが、予知が記憶に明確に残っていないというプライドのことを思い出せば彼女にこそ在ればとも思ってしまう。
何か自分に協力できることがあればと思うが、少なくとも今回は話がないということはそういうことなのだろうとも理解した。
今回のファーナム兄弟のことのように、何か自分に手伝えることがあればプライドかもしくはステイル、ジルベールが許可をくれる筈なのだから。
……ステイル王子の方も些か気に掛かるが。
大丈夫だろうか、とセドリックは数日前のことを鮮明に思い出す。
プライド達を護衛しているハリソンを待つために、校門前で待っていたがあの日はいつもよりもプライド達の帰りが遅かった。しかも、城門前には自分達以外にも一般人の青年が一人、生徒の男女一人ずつがずっと佇んでいた。
フィリップ、パウエル、アムレットと呼ばれた三人を今までも校内や、校門前で姿を目にして覚えていたが、まさか三人もプライド達に用があるとは思わなかった。唯一パウエルの方はプライド達と一緒に学食へ訪れたのを見かけたことは記憶にあるが、視界の端に捉えていた程度だ。
なるべくプライド達と自分達との関係を気付かれないように騎士達と共に興味のない振りをしていたセドリックだが、実際は当然気になって仕方が無かった。特にステイルだけがアーサーに連れられて校門に待つエリックの元へ来た時は何事かと思った。
エリックが「どうしたんだ⁈」とアーサーに尋ね、そして目を泳がせながらフィリップは体調が悪いと語る彼にセドリックも馬車を貸す提案は迷わなかった。あくまで王族がたまたま居合わせてしまっただけ、そこで同じ学校の生徒に馬車を貸す程度なら礼儀にも引っかからない。しかも相手は幸いにも女子でもなく、男子生徒であれば尚更だ。
自分の提案に戸惑うアーサーに反し、ステイルの判断も早かった。
「ありがとうございます」と自分から足早に馬車へ避難した彼が、口の動きだけで「助かった」と告げたのもしっかりとセドリックは目で読み取っていた。あのステイルがあそこまで顔面を蒼白にさせるのはプライドの奪還戦前以来だろうかとセドリックは思う。
その上、プライド達やその後の馬車の前での会話も耳に入ってきたものだけではなく、目を盗み読心術で読み取って把握した分だけでもなかなか複雑な状況だった。フィリップというステイルの仮名と同じ名前の青年、その妹がプライドの友人。アムレットが尊敬するのはステイル。そして妹を何故か城では働かせたくない兄。
王族を恨んでいるという発言も読唇術で読み取ってしまったが、昔の友人が家族ごと城内に移住というだけという、思った以上に平和な理由で安堵した。しかし城に家族ごととなると、それこそ位の高い従者か何かの事情で発覚した貴族だろうかと考えた。
しかし、城で働いてもその友人を見つけることは難しいとセドリックは思う。
自分の故郷のサーシスやチャイネンシスの城ならば時間を掛ければ見つかるかもしれないが、フリージア王国の城は土地も住む人間も規模が段違いだ。
最後に一悶着終わった後にはステイルも頭を抱えながらとはいえ自力で帰れるまで回復したが、それでも顔色の悪さは変わらなかった。彼のそれが本当に単なる体調不良なのか、それともプライドに駆け寄ったアムレットという少女なのか。馬車に入っていったステイルを追い、アーサーに止められたパウエルという青年なのか。ステイルの仮の名と偶然一緒の名を持つフィリップという青年なのかはセドリックにもわからない。
しかし、間違いなくステイルに何らかの事情があるのだろうということだけは彼にも察することはできた。ならば今はプライド達もその解決に動いているのか、とまで考えが進みかけたところでセドリックは思考を止めた。
どちらにせよ、自分が今の時点で何も指示がないということは詮索するなの意味合いもあるのだろうと考える。自分自身が詮索して欲しくないことばかりの人間だった為、人の事情についても相手が言うまでは詮索したいとは思わない。こちらが興味本位でも善意でも、聞かれた側には胸を抉るような傷ということもあるのだから。
プライドに対してもと同じくらいステイルにも力になれればと思う。だが、自分からは言い出せない。しかし、少なくとも今目の前の二人は。
「……そうか。力に、なってくれたのだな」
短く頷いたセドリックは、目の前へ静かに微笑んだ。
食器を一度置き、彼らの頭へと手を伸ばす。セドリックが自分達に手を伸ばしたことで、この後に何があるかすぐに察した二人も食器を手早くトレーに降ろした。直後には、わしわしとセドリックの右手と左手が自分達の上に降ろされる。
「アラン隊長の親戚の力になってくれたのならば、俺からも礼を言わねばならんな。感謝するぞ、ディオス、クロイ」
あくまでジャンヌと自分との関係が公にはできない以上、アランの姪としてと口上を述べながら二人の頭を撫でた。
自分の代わり、というわけではないがそれでも目の前の二人がプライドやステイル、アーサー達の力になってくれたという事実がただ純粋に嬉しい。
別にセドリック様がお礼をいうことじゃ……と、同じ言葉が双子の口から重なって放たれる。しかし、撫でられるくすぐったさと自分達に向けて微笑む燃える眼差しを見上げれば同時に口を途中で噤んでしまった。
緩んでしまいそうな唇を絞り、頭から手が下ろされるまで身動ぎひとつしない。力強い手で頭を撫でられる感覚は、何度されても照れくさくそれ以上に言いようもなく幸福感が強い。
全く違う性格にも関わらず、セドリックへの反応が全く一緒になり封殺される二人にアランも笑ってしまう。昨日のジャンヌへ怒りを露わにしていた姿とは別人なほどにクロイまで大人しい。今はディオスと全く同じ顔で同じ表情のまま固まっているのだから。
まさかそのジャンヌに向けて「直接礼を言いに来い」と伝言を任されたなど、間違っても言わないようにしようとアランは心に決めた。そして、思い出す。
……ネイト、か。
ファーナム家から受け取った男子寮の鍵。
その鍵を使う必要になったネイトという青年。カラムが付いているのなら大丈夫だとアランは思うが、そのネイトという青年に自分とエリックはまだ一度も直接会ったことがない。カラムやステイル達から色々と人物像は聞いたが、そこにプライドの予知も関わるとどうにも気になる。
プライド達の作戦と方針も、そしてレオンとの打ち合わせも全てプライドとジルベールから説明はされている。納得もでき、昨日の時点で順調に運んでいるとも思う。
あとは彼の発明が無事に出来上がるのを待つだけだ。ステイル達の策に穴があるとも思わない。実際、アランが危惧しているのも彼らが按じていたことと全く一緒だ。
そして、アランは自身の経験からどうにもその不安は的中すると思えて仕方が無い。あくまで自分の肌で感じたもので確証はないが、〝そういう〟人間を自分はよく知っている。
そしてネイトのことも他人事のように思えない部分が少なからずある。新兵の頃の自分なら確実にもっと手っ取り早い方法に走っていたんだろうなぁ、と思えば昔よりは大人になったと自分でしみじみ思う。
よし食べるか、と二人から手を離したセドリックが食器を手に取れば、ディオスとクロイも小さく声を合わせて頷いた。
初めて会った時とは別人のように生き生きとして、仲良く並ぶ二人と向かい合い笑むセドリックを見れば、まだ見ぬネイトも最後にはこうなって欲しいなとアランは心の底から思った。




