Ⅱ196.男は思い付き、
One week before
「ハァ?……奴隷返還だぁ⁇」
親子の再会からひと月以上が経過した。
鬱陶しく舐めるような言葉ばかりを耳へと垂らし続ける皇帝がいなくなったことで、暫くは再び安静にしていたアダムが久々に目をギョロつかせる。
苛つきのままに歯を剥き出しにして睨む怪我人に、属州を任されている領主は縮み上がった。はい‼︎と思わず声を裏返らせながらも既に涙目だった。今まで平穏に過ごしていた彼にとって、皇太子の救護も保護もラジヤ帝国本国からの介入も全てが望まない展開だった。
皇太子を救ったことでによる皇帝からの見返りよりも遥かに、皇太子の機嫌を失った時の報復の方が恐ろしくて仕方が無い。日に日に奴隷を気晴らしで使い潰している彼の元に本当なら自分は近付きたくもなかった。しかし正式な勅命な上、ここで最高地位を持つ自分自ら足を運ばずに部下任せにしたことで不敬と取られることの方が恐ろしい。
情けないことに人生初の恐怖だけで震える足を引き摺りながら訪れた彼は、ベッドの上から自力で身を起こすことすらできない怪我人に礼を尽くしながら話し出す。
ラジヤ帝国とフリージア王国の条約締結から、手始めに奴隷返却を命じられたのは当然ながらフリージア王国に近接した地からだった。そして、フリージア王国から馬車で二日の距離にあたいする近隣国である彼らもまた早々に奴隷返還準備を求められた。
彼の言葉に癇癪を起こす余力も自由もないアダムは、低い音だけを漏らしながらひと月ほど前に父親が話していた条約を思い出す。
自分の生存が気付かれていないだけマシだが、それでもこうして動けない内にまたフリージア王国からジワジワと自分の物が奪われていく事実は全身に蛇が這い回ることよりも不快だった。しかし、ここで拒むことは許されない。
変に拒絶すれば、そこからフリージア王国に目を付けられ最悪の場合は自分を匿っていることも知られてしまう。その方が今のアダムには都合が悪い。自身の生存を知られれば、間違いなく殺されることはわかっている。
あの国の第一王子の目を思い出せば、正式な身柄引き渡し要請が皇帝に下される間もなく自分は暗殺されるだろう。どうか、どうかお許しを……と、全く非のない領主が許しを乞うのを雑音のように聞き流しながら、アダムはそう確信する。
もともと、長年奴隷として圧倒的な価値を持つフリージア王国の民は人身売買の標的になりやすく、国外に流されることも多かった。
この数年で激減こそしたが、特殊能力の有無さえ問わなければ今アダムが保護されている属州でもフリージア王国産の奴隷はいる。高額な金銭でやり取りされた形跡が残るような〝フリージア王国民〟の調べがつく商品は全て手放さなければならない。後からフリージアに調べられて隠蔽を疑われれば、アダム自身の首を絞めることになる。
そして領主もまた、自国で調べてわかるようなフリージア王国民は全て隠蔽せずに手放す覚悟だった。高級品を手放すことは手痛いが、アダムを危険に晒せば自身の領地ごと無に帰されてしまう。今はフリージア王国に目を付けられないように細心の注意を払うことで精一杯だった。
領主の報告の形を取った謝罪を聞きながら、アダムは考える。
自分からプライドを奪ったフリージアに、折角掻き集めた奴隷を目の前で奪われていくのも気に食わない。やろうとすれば偽装も難しくはないが、たかが奴隷なんかの為に自分の命を危険に晒したくはない。
ならばどうすれば、この頭痛のような不快感と手足が震えるほどの苛立ちを解消できるのか。
返還をしらばっくれられる商品は特殊能力を持たない〝出来損ない〟か、もしくはまだ市場に出したこともない、値段もつけていない〝教育中〟の流通歴を持たない商品くらいのものだ。それ以外は全て手放さなければ、いずれフリージアに睨まれる。ならば。
ニタァ……と、そこで思いついたアダムは一人口端を釣り上げた。
「ディペットはま゛だ戻らねぇが」
謝罪を続ける雑音に、全く脈絡のない言葉を投げかける。
その呼び名に領主は、彼を保護した時から皇帝の屈強な護衛を置いていかれた後も尚アダムが手放さなかった怪我人を思い出す。それだけ気に入りなのかとも思ったが、治療を施したばかりの時から何度も単身でフリージア王国への密偵に国を往復させられている扱いは〝大事〟とはほど遠い。使い潰すギリギリを保っている扱いは自国の奴隷と大差なかった。
まだ戻っておりません、と言葉に重々注意しながら応える領主にアダムは舌打ちを零す。
自身が命じておきながら、今ちょうど彼女がここに居ないことが腹立たしい。帰ってきたら殺してやろうと反射的に思うが、自身の最も手足に近い秘密道具を今は下手に壊せない。ただでさえまだ傷が治りきっていない状態で動かし続けているのが現状だ。
領主への謝罪の返事はせず、顔を苛立ちに歪めたアダムは帰り次第すぐに自分の元へ通すように命じた。
承知致しました‼︎と平伏する勢いで応える領主に、一瞥もくれずアダムは独り言のように天井へぼやく。
「良い憂さ晴らじがでぎた」
ねぇ?と、糸を引く口で投げかけるアダムに意味も分からず領主は全力で同意した。
肯定以外、今の彼には許された選択肢など有りはしない。
たとえそれが、どちらにせよフリージアに許されない行為に変わりないとしても。
……
「では、行ってきますエリック副隊長」
気をつけて、といつものように見送ってくれたエリック副隊長と別れ私達は校門を潜る。
二日目の朝。
早速私達はネイトを見つけるべく荷物を置いて彼の教室へと向かった。
廊下から教室を覗けばやっぱりネイトはまだいなかった。前回居た席を確認したけれど空席だ。大体皆いつも決まった席に座っているだけで指定席ではないしと、他の席も注意深く確認したけれど三人でよく確認しても見当たらなかった。
「また気がつけば素通りされている可能性もあります。今度はこまめに教室の中も確認しましょう」
ステイルの言葉に全力で私は頷く。
昨日ネイトがいつの間に教室に入ったのかもまだわからないままだ。お披露目してくれた鍵と傘でそれができたとも思えないし、そう考えるとまだネイトの発明は底知れない部分があるなと思う。
廊下の窓際に寄りかかりながら、三人で並んでネイトを待つ。五分置きくらいにちょこちょこアーサーが教室を覗きに行ってくれながら、私達は生徒の邪魔にならないように壁横一列で待ち続けた。
「これが終わったらファーナム姉弟にもお礼に行かなくちゃね」
「どうせ今はセドリック王弟を迎えている最中でしょうし、いつも通り一限後で良いのではないでしょうか。ヘレネさんには昼休みにでも会いに行きましょう」
学食にいると思います、と手早くステイルが段取りを組んでくれる。
学食無料権を得たファーナム姉弟は一日の内一、二食は学食にしている。きっと昼休みも待っていれば会えるだろう。
双子は昼休みセドリックと一緒だし、ファーナムお姉様とは同じ学食でも一緒に食事というわけでもない。……何より、ディオスもクロイもセドリックとヘレネさんをあまり仲良くさせ過ぎたくないようだもの。
一限後にはファーナム兄弟がまたアムレットと一緒に勉強会を始めるし、その時に私からちゃんとお礼しよう。
「……あとは、ネイトがあの案を受けてくれれば良いのだけれど」
「!良いの思いついたのか⁈」
え⁈
思わず大きな声が出てしまいながら、私は思い切り壁に背中を貼り付けてしまう。
私だけでなく、アーサーとステイルも驚いたように声を漏らして私の正面にいる青年へと向き直った。瞬きを繰り返しながら目の前を確認すればネイトだ。いつも通りの巨大なリュックの肩紐を両手で掴みながら、ゴーグルの向こうの狐色の瞳を持ち前の金髪よりもキラキラ輝かせながらゼロ距離で私を見上げている。
アーサーも突然のことに驚いたように身構えてしまう中、私はひっくり返った声で「いつからそこに⁈」と挨拶代わりに叫んでしまう。けど、私の驚きもよそにネイトは「今さっき」とさらっと言うと窓際へ同化した私へずいっとまた一歩詰め寄ってきた。
「そんなことより良いの考えついたのか⁈そうなんだろ⁈なあって⁈」
どんなの⁈どんなのだよ⁈と繰り返し声を沸き上がらせるネイトに、アーサーが腕を伸ばして阻む。ステイルも狭い間に入ってくれようとする中、腕の力だけでそのままネイトを三歩分私から距離を取らせてくれた。
実力行使をされて少し唇を尖らせたネイトだけど、アーサーの押し出しに途中からは自分の足で後退してくれた。
ディオスのことがあったからか、以前よりまたさらにアーサーとステイルの警備が厳重化された気がする。
距離を置かれたことで少し落ち着いたのか、口を閉ざしたネイトに私からも一息吐いてから「ええ」と短く返して強張った顔を取り直して笑い掛けた。
「おはよう、ネイト。今日は話しかけてきてくれて嬉しいわ」
「んなこと良いから早く教えろよ!!一週間以内に絶対仕上げてみせてやるから!!」
ダンダンッ!と地団駄まで踏むネイトは早く要件を言えとばかりに再び声を荒げた。
Ⅱ150




