Ⅱ190.副隊長は向かう。
「よし、……そろそろ向かうか」
廊下で時計を確認したエリックは改めて姿勢を正し、踵を返した。
王居内にある、プライド達の住む宮殿の見回り。それこそが極秘視察中の間に彼とそしてカラムに任じられた仕事だった。
表向きは宮殿内に居るプライドの近衛を担っている彼だが、実際はここに護衛対象はいない。そして自分は〝アランの身内〟の送迎、カラムは学内講師の間だけ王居から離れるが、それ以外は彼女と共にいることになっている。
城に戻った後も騎士団演習場に戻ることどころか、城内を安易に見回ることすら許されない。彼女の近衛任務中の自分達が他の場所で目撃されてしまえば、極秘任務が気付かれてしまう。その為、近衛の時間帯には彼女の居るはずの宮殿で他の衛兵と共に見回りをすることが日課になっていた。
ただし、もともと自分達がいなくても回るように警備体制も衛兵により万全に組まれている。その為、騎士団長であるロデリックからも城下の見回りという形で敢えて遠回りした城への帰還や、纏まった休息日を取れなくなった彼らへの配慮として一時的な自宅休息の許可、プライドからも宮殿内の客室を仮眠室として使って良いという許可も与えられていた。特に表向きは休息日でも、実際はアーサーと同様にプライドの護衛で出勤を余儀なくされているエリックはこうして周囲に隠れて休息を取るように配慮されている。
しかし、プライド達の学校が休みの日に〝城下の見回り〟という形で自宅療養も許されている彼はそこまで疲労もない。もともと騎士として不眠不休で耐えられる身体には細切れの休息を与えられているだけで充分だった。
自宅療養なら未だしも、王族しか住むことの許されない宮殿の客室で休むことは庶民出身のエリックにはあまりにも気が休まらない。プライドの護衛として豪奢な部屋は見慣れたが、それが自分に用意された部屋だと思うとどうしても萎縮してしまう。
その為、本当に自分の身体が休息を求めない限りは客間で休むよりも宮殿内で見回りや侍女の力仕事を手助けすることが日課になっていた。今も掃除の為に家具を動かそうとする侍女に手助けし、飾られた絵画の取り替えを手伝い、洗濯物を宮殿の玄関口まで運ぶのを手伝い終えた後だった。
王国騎士団の副隊長に手伝わせるとなると通常なら侍女も遠慮してしまうが、既にプライドの近衛騎士として宮殿内の侍女達とは顔見知りになっていた為に受け入れられるのも早かった。
そうして今日もプライド達を迎えに行く時間になったエリックは早めの足取りで宮殿を後にした。王居の庭を通り、門を抜け、城内から更に進んだ先にある城門を視界に捉える。城内に住む人間が城内を行き来する為に必ず通る唯一の門だ。
遠目で自分に気がついた門兵の衛兵が敬礼をしてきたところで、エリックもそれに右手で返したその直後。
一人の影に気がついた。
「!ノーマン」
自分と同じ白の団服を身に纏った騎士に先に気付いたのはエリックの方だった。
王居とは別方向である騎士団演習場から足早に現れた彼もまた、城門へと向かっていた。その理由はエリックもよく知っている。
彼の呼びかけに八番隊騎士であるノーマンもすぐに顔を向け、「お疲れ様です」と規則正しく頭を下げた。顔を再び上げてすぐ中指で丸縁眼鏡の位置を直した彼は、水色の眼差しで自分より背の高いエリックをじっと上目に近い角度で見つめ返す。
「エリック副隊長もこれからですか。随分と早いお時間から迎えに向かわれていたのですね」
「ああ、今日は早めに休息時間を貰ったんだ。ノーマンこそ妹さんの迎えだろう?」
「自分も今日は休息時間を前倒しで頂きました。あと、迎えではなく様子を見に行くだけです。以前にもお伝えした筈ですが、妹は学内の寮に住んでいます。アラン隊長のように家へ押しつけることのできる部下も一騎士の自分にはいませんから」
「だから押しつけられていないって」
ヒラヒラと手を振りながら笑って受け流すエリックだが、自分の言葉が間違えたことも踏まえてそれ以上は指摘しない。
人との関わりや連携を嫌う八番隊ではノーマンのような騎士は珍しくもない。むしろ八番隊で人との交流を好み、他の隊の騎士とも馴染めているのはアーサーくらいのものだ。〝八番隊所属〟というだけで半ば他の隊の騎士からは交流に関して諦められているといっても過言ではない。
そしてノーマンもまた、等しくその類いの人間だった。
仏頂面といえる不機嫌そうな表情をエリックに向ける彼は、足を止めた先輩騎士に倣い自分も足を止める。姿勢を正し、真っ直ぐにエリックと目を合わせる姿をシルエットだけで見れば礼儀に添った態度だった。しかし
「ところで、失礼ですがお聞きしても宜しいでしょうか」
「?どうした」
エリックより先に話題を切り出した彼は、じっと釣り上げた眼差しで上官である彼を見る。
てっきりこのまま足早に去ると思っていたノーマンが自分から話しかけてきたことがエリックは少し意外だった。彼とは騎士団演習場でも演習や報告事項でも無い限り会話などしたこともない。一番長い会話こそがつい数週間前にあった学校の校門前でのやり取りだった。
「アラン隊長の。……ご親戚の子ども達はお元気でしょうか」
「?!あ、……ああ」
お陰様で、と一応言葉を返したエリックの心臓がドキリと鳴る。
騎士団でも滅多に他者へ関心を示してこないノーマンが寄りにもよってプライド達に関心を示せば嫌な予感もする。まさか自分が知らない内に気取られたのか、うっかり彼の直属の上官であるアーサーが墓穴を掘ってしまったのではないかとまで考えてしまう。
口調の強いノーマンと嘘が苦手なアーサーでは本気で踏み込まれたら厳しい勝負になることは目に見えている。
そうですか、と短くエリックの言葉に淡々と返すノーマンはそこで一度口を閉じた。顔ごと城門の外へ向け、一度口の中を飲み込んでから小さく開いた。
「…………ライラの、いえ。……妹や、自分について。……何か苦情などは言っていませんでしたか」
「……え?」
珍しくぼそぼそと話したノーマンの言葉に、思わずエリックは間の抜けた声を出した。
しかも今度は自分に真っ直ぐ目を向けず、まるで言いにくい言葉かのように顔ごと目を逸らすノーマンに疑問しか浮かばない。ノーマンからバーナーズ三人に気になることがあるならわかるが、何故彼自身がプライド達の評価を気にするのか。
やはり三人の正体に気付いていて、遠回しにプライドの評価が気になると言いたいのかとエリックが考えたところで、ノーマンは沈黙に耐えられないように紡ぎ出す。
「以前、……ライラが少し彼らに御面倒をお掛けしたようだったので。自分から逃げた子もいましたし、あくまで妹の為に聞いておこうと思っただけです。自分の所為で、妹が悪く見られては困りますから。彼らは初等部の妹にとって上級生ですし、アラン隊長のご親戚に限ってそんなこともないとは思いますが仮にも虐めや嫌がらせに発展しないともいえませんし……」
なにやら次第に早口でまくし立てるノーマンに、エリックは訳も分からず口を開けてしまう。
話を聞く限り、正体は気付かれていないようだと先ずはそれだけに心の中で胸をなで下ろす。つまりは妹が自分の所為で〝ジャンヌ〟達に悪く見られていないかが心配になったということかと判断したエリックは短く息を吐いた。「いやないない」と手を振りながら、彼にもそういうところはあったのだなと関心する。
騎士団では同期どころか、上官にも歯に衣着せない言い方をする彼でも妹のことは思い遣っているのだと理解する。
彼の言い分は基本的に正論ではあるが、言い方が直球なあまり敵を作りかねない。現時点で騎士団で彼を煙たがりまでする人間はいないが、彼に噛み付かれないように若干敬遠してしまう騎士は当然いる。しかし、妹を思い遣れるくらいの心の余裕があるならば、その内誰かしら心を開いてくれるのではないかとうっすら期待した。
出来ることならば、彼の直属の上官であるアーサーとだけにでも打ち解けてくれれば良いが、エリックが知る限りはそれは難しいとも思う。ノーマンがアーサーに対しても鋭い言い分で噛み付くことも、それを受けるアーサーもまた若干敬遠とは言わずともノーマンを苦手としている節があることも騎士団では周知の事実だった。
「大丈夫大丈夫、ジャンヌ達はライラのこともお前のことも悪く言ってないから。……それとも、何か妹さんに心配なことでもあったのか?」
「いえ、全く。妹は表も裏も社交的ですから」
僕と違って、と。その言葉をエリックは言われずともノーマンが含みを入れているような気がして仕方が無い。
てっきり今プライド達が抱えている問題の一つである高等部の不良学生から何か被害を受けたのではないかと心配したエリックだが、きっぱりと否定するノーマンに何とも気が抜ける。ならば本当に妹の立場を気にしただけかと疑問にも思ったが、手元から幼い妹が離れればそれなりに心配するのも当然かと思い直す。
「大丈夫でしたら結構です。失礼致しました。では僕はこれで」
両手を後ろに組んだまま、分度器で測ったかのようにペコリと頭を下げたノーマンは今度こそ城の外へと歩き出した。
あまりにも一方的な会話で終わってしまったことに、エリックは一人苦笑いをする。まだ自分に合わせて足を止めてくれただけ礼儀には添っているが、一方的に会話を切ってしまうのは何とも彼らしい。しかも、行き先は自分と同じ学校にも関わらず。
「良かったら一緒に行かないか?学校ならこっちの方が近いぞ」
「結構です。僕は王都で寄っておきたい店がありますので。その為に休息時間を早めに頂きました。決して直属の上官でもないエリック副隊長とご一緒する為などではありません」
ピシィッ!!と鞭を振るように断られる。
エリックとしても予想できていた返答だったが、やはり丸縁眼鏡の向こうから厳しい眼差しで自分を睨むノーマンにいつも通りだなと思う。少し自分のことを話してくれたのは良いが、やはりそれまでだ。どんな店に寄りたいのかも必要最低限言わず、頭を下げて足早に去って行くノーマンの背中を佇んだまま見送った。
途中までは城までの一本道だというのに先へ行く彼を見送る。後ろ姿が小さくなり、分かれ道になれば自分が向かうのと正反対の道は確かに下級層に近い所に設置された学校ではなく、王都の方だった。
若干、遠回しに〝付いてくるな〟という意図もくみ取れたエリックは、ここは自分も買い物に付き合うと言わない方が親切だろうと理解する。
「アーサーも大変だなぁ……」
ふう、と細い溜息を吐ききった後、やっとエリックも城外へと足を動かした。
他の隊である自分は、ノーマンも含めて八番隊の騎士と関わることは演習以外滅多にない。しかし同じ八番隊であるアーサーはハリソンも含めてノーマンのような騎士達と毎日演習を行っている。そしてそのアーサーでさえ未だに八番隊の騎士とは打ち解けてはいない。他の隊でも八番隊の騎士もしっかり目にかけてくれているのは面倒見の良いカラムくらいだろうかと考える。彼は後輩達は新兵の時からしっかりと一人一人を目に掛けている。……そして、そんなカラムにすら打ち解けない八番隊騎士は筋金入りだった。
「……いや、でも多分嫌われてはいないよなアーサーは。……だってあの時も……」
ぶつぶつと頭を整理するように呟きながら、エリックは三ヶ月近く前のことを思い出す。
当時のことはよく覚えている。しかし、今のノーマンの態度を見るとやはり掴めない。少なくとも、ここ最近はアーサーがノーマンに対して萎縮する数が増えた気がする。ノーマンは彼の正体を知らないが、アーサーからすれば正体を隠して妹のライラと関わり、正体をばれないように生徒の姿でいる時は必死で逃げ回っているのだから。
アーサー自身がノーマンを嫌うことは決して無いだろうが、今は苦しい時だろうなと思う。アーサーが極秘任務だからという理由だけではなく、ノーマンにうっかりバレたらまた彼に厳しい口調で窘められるのを恐れているのだろうということもエリックは予想できていた。ノーマンと違ってアーサーはそれなりにわかりやすい。
そこまで考えてから、エリックは一人首を横に振った。
今はノーマンのことよりも、自分が考えるべきことがある。今日こそはとプライド達が接触を図るべく動いていた〝ネイト〟という少年。その詳細はエリックもアーサー達から共有されている。校内にはいない自分は直接確認することは叶わないが、近衛騎士としてできることは協力したいと思う。しかし今は、プライド達がそのネイトと計画通りに接触を図れたことを願うばかりだった。
「またファーナム家みたいな騒ぎにならなければ良いけど……」
そう良いながら、半分諦めていることを自覚する。
たとえいくら穏便にと自分が願おうと彼女自身が平穏を望もうと、助けが必要であれば迷わず動いてしまう。
自分達が命を懸けて守り、支持すると決めた王女はそういう人間なのだから。




