そして思い付く。
「…………あ。」
気がついた瞬間、思わず一音が口からこぼれ落ちた。
息にも近い擦れた音は二人にも聞こえなかったみたいだけれど、うっかり足が止まりそうになり意識的に前後させ動かす。視線の先では渡り廊下で待っていてくれていたパウエルがこちらに気付いて手を振っていた。
「フィリップ!ジャンヌ!ジャック!!良かった、来てくれたんだな」
ほっと、安心したように顔から力を抜いて笑い掛けてくれるパウエルは待ちきれないように私達の方へ駆け寄ってきた。
まるで初めて待ち合わせをした時のような反応に、そんなに待たせてしまったのかしらと心配になる。ステイルが「待たせて悪かった」と返すと、パウエルはブンブンと首を横に振ってから今度は真下へ向かって頭を下げだした。
「この前は本当にすまねぇ!アムレットと友達なのがまさかジャンヌって俺も知らなくて、それにフィリップは体調悪いのに無理させちまって……!!」
「いやそれは俺の方こそ悪かった。心配してくれたのに何も挨拶ができなかったままで悪かったと思っていたんだ」
平謝りと言っても良い勢いで謝るパウエルにステイルが落ち着かせた声で返す。
そのまま「引っ越しは無事済んだか?」と話を変えると、すぐにパウエルが顔を上げた。ああ!と声を上げるといつもの笑顔が浮かび上がって私もほっとする。どうやらアムレットと一緒で別れ際のことをずっと気に病んでくれていたらしい。やっぱりアムレットもパウエルも本当に良い子だなと思う。
いつもの木陰で良いかと確認を取りながら、ステイルが円滑にパウエルへ食後は少し早めに切り上げることも伝えてくれる。
人を探していると話すとパウエルも「じゃあ俺も一緒で良いか⁈」と前のめりに協力を申し出てくれた。私に確認をとるように視線を投げるステイルに私も頷きで返す。嬉しいわ、と言葉を付けながら明るい話題へ逸らすべく昨日聞いた彼のお仕事の話題を投げかける。
小間物行商だったのね、と話せば照れたように頭を掻きながら答えてくれた。話によると城下から離れた町や村まで商品を回って売る小間物行商の荷物持ちをしてるらしい。健全な仕事をしていてほっとする。
「!そうだわ、フィリップ。お昼を広げた後で良いから、ちょっと〝伝言〟をお願いしたいのだけれど」
さっき考えついたことを頼むべく尋ねてみると、「何なりと」と一言で返してくれた。
前方を歩くステイルに並ぶパウエルと、背後に控えてくれるアーサーが気になるように顔を傾けて私に視線を送る中、今は笑みだけで返した。パウエルになら隠す必要もないとは思うけれど、一応は人通りのない場所に辿り着いてからお願いしよう。
上手くいけば今度こそ昼休みにはネイトに会えるかもしれない。
……
ガチャチャッガチャ!
締め切られた教室で少年が一人籠もる。
物置とされたそこは、ひしめくように真新しい不要物が積み上げられ最低限の足の踏み場しかなかった。換気用の小さな窓から照らされる陽の光だけを頼りに少年は作業に熱中する。
もともと大人一人が座る程度の範囲しかない広さに座り込み、足を組んでリュックの中身をある程度広げていた。他の者が見ても意味不明なそれを少年は足したり引いたりを繰り返しながらひたすら続けていた。
ガチャガチャと歪な音を鳴らす彼は、今やっと作業も開始できていた。
最初こそ順調だった彼だが、最近はよりによって講師の中でも一番見つかったら厄介な騎士に目をつけられ、先週はうっかりリュックを奪われかけた。その為、今回は大人しく一限と二限は授業に加わっていたが、その間は仮眠を取るくらいしかできない。授業にも全く興味のない彼がそれでも大人しく授業を受けたのは、自分の大事なそれをまた没収されたら堪らないからだ。おかげで取り敢えず一限と二限では騎士に掴まることもリュックを没収されることもなく、事なきを得た。
そして昼休み。一番休憩時間の長い今こそが本命だった。昼休みであれば、教室に自分が居なくても問題ない。授業全ての時間を費やすのと比べれば少ないが、それでもリスクはない。何故ならばこの部屋であれば絶対に誰にも邪魔されは
ガチャッ。
「っ⁈」
自分のものではない金属音へ、敏感に彼は反応する。
今までは大して気にしたことはなかったが、最近は騎士に発見されることが増えた為自然とそういうことにも過敏になっていた。
急遽動きを止め、息を止め、小ネジ一つ落とさないように気を払いながら扉の音の主が消えるのを待つ。大丈夫、この部屋なら絶対に誰も入ってくるわけはないと確信する。しかし
素人ごときの気配を歴戦の騎士が見逃す筈もなかった。
ガチャンッとまた音が響く。
先ほどまでのドアノブを捻るだけの音ではなく、確実にそれは〝解錠〟する為の音だった。
まずいまずいまずい!と慌てて広げていたものをリュックに詰め直し逃げようとする彼だったが、それよりも当然ながら扉が開く方が早かった。躊躇いもなく開かれたそれに少年は反射的に恐怖で腰を引く。リュックに詰める暇もないと理解し、手慣れた様子でポケットに手を突っ込み取り出した。
既にあの騎士に閃光が効かないことはわかっている。扉が開いた瞬間一瞬で懐に飛び込まれる前にと、取り出したそれをピンを外し投げ込んだ。カンッカンッと二度跳ねてから転がり、次の瞬間には勢いよく煙が噴出した。勢いのままに口から噴き出す小さな容器がクルクル丸い形状に合わせて回転する。
突然の白い煙に扉の向こうで声が上がったが、その間に少年は今度こそリュックの中に荷物を詰める。今回は横着せずに万全の態勢で作業を始めた為、見つかるとは思っていなかった。逃げる準備どころか、広げきった荷物はそれを片付けるだけでも時間がかかる。だがネジ一本すら忘れることは許されない。煙を吸わないように息を止めたまま視界の悪い中必死に手探り、詰め込んだ。
タンッ、と。駆け出す音が床に響く。
軽やかな音に、やっぱり来た!と少年は心の中で悲鳴を上げた。
とにかく牽制の甲斐もあって荷物は全てリュックに詰め込めた。既に数度の逃亡であの騎士から逃げるのは不可能だとわかっている少年はリュックを両手で抱えて後ずされるだけ下がった。また捕まるとしてもリュックだけは今度は絶対に渡さないと意思を込めて抱える手に力を込める。そして白くなった視界の中でとうとう思った通り、姿が見えない筈の自分の肩が飛び込んできた影に掴まれた。
クソッ、と心の中で悪態を吐きながら影を見上げ顔を顰め、……そこで気付く。
……誰だ、こいつ……?!
視界が白い中、それでも背丈やシルエットだけで思っていたのと違う人物であるとわかった。
しかし、自分の肩を掴む手は振りほどけない程度には強く、抵抗しようとしてもビクともしなかった。てっきり騎士だと思っていた彼は一気に恐怖心が沸き上がる。
喉を逸らし、険しかった顔を引き攣らせ、ゴーグル下の目を血走るほどに見開いた。どうせ効かない、大して怒られないと思った相手に向けていた攻撃が全く違う相手に向けていたことの恐怖が強い。
逃げようと思考を働かせるが、物理的に肩を掴まれればどうしようもない。下手に暴力で抵抗して怒りを買った方が怖い。しかもそう考えている間に自分の思っていたよりも遥かに早く煙の視界が開けていった。本来ならばもっと白に包まれたまま維持していた筈の空間が、霧のように晴れていく。白が薄くなり、シルエットだけでなくお互いの顔がはっきりと見えるようになってからやっと、少年を掴んだまま無言だった腕の主は口を開いた。
「………………そォいうもん、人に向けねぇ方がいいっすよ」
ぷはっ、と止めていた息を吐き出した銀髪の青年は、低い声で彼にそう告げた。
想像以上に穏便な発言に少年は目を丸くする。
煙で薄く白く曇った眼鏡の奥で蒼い眼差しを自分に向ける青年は、それだけを言うと肩を掴んでいた手を少し緩め少年の右手に持ち替えた。
茫然とする彼を前にアーサーは部屋の安全を確認してから扉の方に顔ごと振り返る。
「捕まえました。もう入って来ても大丈夫っす」
ジャンヌ、と。
その呼び声と共に、ひょっこりと扉から黒髪の青年と共に深紅の髪の少女が顔を覗かせた。さらには大柄な身体つきの金髪の青年まできょとんとした顔でこちらを覗いている。
ジャンヌと呼ばれた少女が、若干強張った表情で入ってくると、黒髪の青年と金髪の青年もそれに続いた。いつのまにか扉の前に転がした筈の物が消えているのにそこでネイトは気付く。
誰かが外にでも投げ捨てたのかと思えば、金髪の青年に続いていつもの騎士が最後に顔を覗かせて入り、ガチャリと扉を閉じた。アイツが捨てたのかと少年が眉を寄せて睨む中、深紅の少女は「突然ごめんなさい」と腰を低くしながら彼に歩み寄った。
「一応、初めまして……になるかしら。二年のジャンヌ・バーナーズよ。手荒になってごめんなさい」
自分の腕を掴む青年に並んだ少女は、少年に視線を合わせるべく腰を落とした。
「ちょっとお話させてもらえるかしら?」
事情聴取のようにも聞こえるその言葉は、一緒にベンチに座るくらいの柔らかい声でネイトへ掛けられた。




