Ⅱ182.私欲王女は考える。
「はいおしまい。じゃ、僕ら戻るから。この調子なら明日明後日にはプリント全部終わるよね?」
お疲れ様、と。鐘が鳴ると同時にクロイがプリントを纏めて立ち上がった。
ディオスも自分が持参したプリントを手に取り揃えると、すぐに椅子から立った。お疲れさま!と元気よく笑顔を見せてくれる彼にもクロイへと同じ言葉を返し、並んで足早に去っていく双子を私達は見送った。
手を振るディオスと違い、クロイは立ち上がった後はこちらに一度も振り返ることもなく廊下へと消えてしまう。もう背後姿がロバート先生と同じ教師の佇まいだ。……いや、教師というかどちらかというと鬼教官だろうか。
「……すっごく進んだわね、この短時間で。やっぱりジャンヌもディオスもすごい」
「いえ、アムレットが飲み込みが早いからよ。……あとクロイの監視が」
確かに、とアムレットが私の言葉に小さく笑った。
一回脱線を指摘されてからというものの、ディオスや私達がちょっとでも雑談や脱線に入りそうになる度にクロイが「また脱線してるんだけど」「それ、今話す必要ある?」と杭を打って強制終了させてくれた。
クロイが怒るのは当然のことだ。彼も彼で先週分の授業の勉強会をしたいから待たされている。それを今はアムレット最優先で進ませているのだから、一秒でも無駄は許さないのだろう。こうなったら私も早くファーナム兄弟の勉強にも取りかかってあげたい。もう私がいなくても大丈夫でしょとは思うけれど、アムレットにとっても有意義な時間になるはずだ。
「なんだか一緒だとお喋りまでしたくなっちゃって。本当にありがとう、明日も宜しくねジャンヌ」
ふふっ、と恥ずかしそうに笑いながら立ち上がるアムレットに私からも笑みで返した。ちょうど二限目の講師が教室の扉から入ってくる。
そういえばゲームでも攻略対象者との勉強中に、うたた寝したり雑談に花を咲かせるイベントがあった。本気の勉強は一人の方が捗るタイプなのかもしれない。攻略対象者とのイベントがなければ学校の後は寮で毎晩勉強していたもの。
自分の席に戻っていくアムレットの背中を眺めながらそう思う。本当は私としてもエフロンお兄様と仲直りできたのかとか、引っ越しは無事に終わったのかとか、パウエルとはどんな風に知り合ったのかとか聞きたいことはあった。きっとアムレットとしても同じだろう。
パウエルの事情も気になっていたようだし、あの時もエフロンお兄様からの一声がなかったらきっとすぐにでも聞きたかった筈だ。まさかあの後に兄妹喧嘩をしちゃうなんて本人にとっても予想外だったに違いないもの。
「では今日は女性における家庭管理の授業を始めます。結婚し家に入った場合、妻としてとても重要な……」
女性講師の話が始まれば、最前席のアムレットの背中がピンと伸びた。
その様子に、きっと彼女もこれからきっとゲームスタート時である三年後には今より素敵な女性に成長しているんだろうなと思う。ゲームのアムレットもハツラツとした明るい女の子だったけれど、三年も前から学校に携わっているあの子ならきっとそれすら越えるのだろうと思う。攻略対象者に求婚されたルートもあったくらいだもの。
それを考えると十七になったら既に結婚しちゃっている可能性もあり得なくはない。この国の女性の成人年齢は十六だし、ティアラなんてゲームでは殆ど隠しキャラルート以外は全員と結婚してる。……そう思うと余計に、あと半月もしないうちにアムレットに会えなくなるのが残念で仕方が無い。アムレットの結婚式とか友達枠で出席できたらどんなに素敵だろう。本当に城へ就職してくれたら、友達じゃなくて王女のゲスト出演的な形でいいから参列させてくれないかしら。ゲームの花嫁姿のアムレットは本当に本当に綺麗だった。攻略対象者に肩を抱かれ、目に浮かべた涙を優しく指で拭われて幸せそうに
『兄さんにも見せたかった』
……そうだった。
急激に頭にエンディング後のアムレットの台詞を思い出す。攻略対象者の一人と結婚式を挙げた時に彼女が語る言葉だ。その直後には彼が、これからは自分がずっと見ている離れないと格好良く笑い掛けるのだけれど。……ああ、そういえば彼のルートでもアムレットは攻略中に告白していたんだっけ。
ぐわわっ、とアムレットの設定が頭を駆け巡る。最初に彼女と出会った時に大体の設定は思い出したけれど、ゲームの大筋とは関係ないその設定は忘れていた。エフロンお兄様にお会いする時まで全く思い出せなかった設定だ。
教師に気付かれないように頭を抱えたい気持ちを堪え、代わりに奥歯を噛み締める。難しい顔にならないように表情筋に意思を配りながら授業に集中しているふりをして、頭を回した。
アムレット・エフロン。彼女は高等部二年生で途中入学してくることからゲームを始める。
突然入学した彼女は、初めての学校に戸惑いながらも持ち前の明るさと負けん気と真面目さで乗り越え、そして心の傷を負った攻略対象者までも救い、最後は学校最大の危機まで救っていく。それが第二作目の流れだ。
そして勉学にも真面目で、ジルベール宰相基準の勉学に意欲的な生徒だけが許される学校ですぐに入学を許されちゃうほど優秀な彼女が高等部二年の十七になるまで学校に入学しなかったのか。その理由こそが、……エフロンお兄様だったりする。
そう、ゲームの設定でも彼女に兄はいた。けど、名前どころか「兄」としか呼ばれなかったお兄様はシルエットの登場しかなかった。学校でも彼女の私生活でもお兄様は一度も登場していない。何故ならアムレットのお兄様はゲームスタート時には既に
失踪しているからだ。
『私が悪いの。ずっと兄さんにばっかり全部任せきりで辛い想いをさせてきたから。……だから出て行っちゃったの』
そう言って悲しげに瞳を陰らせたアムレットの告白には攻略対象者も心を揺らされていた。
アムレットのお兄様は数年前に突然の失踪。兄を待ちきれず先に寝ちゃったら、翌朝になっても兄の姿はなかった。毎日自分の為に休みもなく働き続けていた兄が、きっと耐えられなくなったのだろうとアムレットは語っていた。それからは周囲の人達に助けられながらも身の回りのことも仕事も勉強も一人で頑張ってきたというアムレットには、吐露された攻略対象者も驚いていた。
ゲームでもアムレットのお兄様が失踪して彼女が一人で生きてきたと語られるのは全ルートではない。冒頭で軽く自己紹介説明みたいなアムレットの語りで「数年前に兄さんもどこかに行っちゃって」と凄く軽く語られていた時は毎回読み流していたけれど、辛い過去を持つ攻略対象者に「お前にわかるものか」「こんなこと言われても困るよね」と突っぱねられ哀しげに笑まれ、明かした悲しい過去でもある。
勉強も家のことも全部一人で頑張りながらアムレットはお兄さんを探し続けていた。学校が創設されてからずっと憧れていたアムレットだけど、兄を見つけるまでは入学しないと決めていたらしい。けど、いつまで経っても兄が見つからず、「もう十八になったら入学できないのよ」という周囲の勧めで十七になってからとうとう夢の学校生活に飛び込んだ。
『ずっと学校生活に憧れていました。興味がある授業は全部です。宜しくお願いします!』
だからアムレットは入学初日にクラスの人達へそう挨拶した。
現実でのアムレットの初日挨拶で彼女が話していた言葉が違ったのも当然だ。歳云々の前に今の彼女にはちゃんとお兄さんも、そしてパウエルまでいる。憧れてくれた学校にすぐ飛び込めるようにお兄さんの後押しがある彼女は、十七歳まで躊躇うこともなく学校入学も済んだ。……まぁ、とはいえゲームでの学校創設はゲーム開始の二年前だった筈だし、同じ時間軸でもゲームの世界では今学校自体ない筈だけれども。
でも、最終的にはこうしてアムレットが憧れる学校生活を送れるようになって良かった。ゲームでは城で働きたいまでは話していなかったし、こうして勉学に集中して将来の展望を持てるのも偏にここまで学校創設に尽力してくれたジルベール宰相達や、アムレットを金銭面的にも生活的にも支えてくれたエフロンお兄様のお陰だ。……ただ。
……どうして、エフロンお兄様は失踪なんてしてしまったのかしら。
ゲームもどのルートでもアムレットのお兄様はシルエット以外登場しなかった。
せめて結婚エンドのルートくらいご都合主義で登場してくれてもと期待したけれど、そこにすら登場しなかった。まぁ基本的に攻略対象者ではない女主人公アムレットの過去をそこまで深く気にしたりするプレーヤーもいない。乙女ゲームだし、プレーヤーが細かい設定を気にするのは男性キャラの方だ。過去に攻略対象者と何か関係を持っていたという展開にでもならない限り気にしない。あくまで主人公の辛い過去は攻略対象者との恋愛の為にある部分が大きい。
けれどこうして現実にアムレットとお兄様にお目に掛かると、どうしてもお兄様がアムレットを放っていなくなるとは思えない。アムレットも今は年頃ということもあってかお兄様にちょっと手厳しい部分もあるけれど、やっぱり仲は良いように思える。何より、あんなに妹想いで一生懸命な素敵なお兄様なのに。ステイルだって子どもの頃から妹のことを大事にしていると話していた。それともこれから先にエフロンお兄様に何かがあるのかしらと心配にすらなってくる。ゲームでもふんわり〝数年前〟としか語られていなかったから全くわからない。
もうゲームとは色々現実は変わっているし、その流れでエフロンお兄様の失踪も防げたのだということならば良いのだけれども。少なくともゲームのお兄様は、ファーナム姉弟ぐらい生活に困窮はしていたのだろうから。
できることならこのままエフロンお兄様にはアムレットと仲良くいて欲しい。アムレットが寮暮らしになったし生活は離ればなれになっちゃっているけれど、少なくとも妹の結婚式には呼ばれて欲しい。ゲームのアムレットだってそれを心から望んで居た。
『私の夢に一番反対しているのは兄さんじゃない!』
……この前叫んでいたアムレットの言葉が胸に突き刺さる。
本当ならお兄様はアムレットを応援したい筈なのに。アムレットからすれば自分の夢を一番身近な存在である兄に否定されてしまっている。一番応援して欲しい人に認められないことほど辛いことなんて滅多にない。
私だって女王になろうともう一度思えたのはティアラ達が応援してくれたからだ。あそこで皆にもうその権利はないと言われたら、確実に心が折れてしまっていた。
しかもアムレットにとって唯一の肉親でもある兄だ。彼女だって自分の夢も大事だけど、兄の願いを受け入れたいという気持ちもあるから余計に辛いのだろう。他では全部アムレット至上主義みたいに大事にしてくれるお兄様からの唯一の反対が自分の夢なんて、きっと辛いに決まっている。
学校にも入学して、特待生にもなって勉学でも既に頭角を現しているのに、それとは関係なくエフロンお兄様はアムレットが城で働くのを反対している。しかもその理由はアムレット自身ではなく
『どうせ、兄さんは昔の友達のことでまだ根にもってるだけでしょ』
ううーーーーーーーーん、と小さく長く唸ってしまう。
それを言うと百パーセント本当に恨まれるべきなのはステイルではなく、元凶である私なのだけれども。
本当に正体さえ明かせればエフロンお兄様にもアムレットにも私から謝りたいくらいだ。エフロンお兄様の気持ちは痛いくらいよくわかる。私がお兄様の立場でも絶対同じ考えをしただろう。
しかもお兄様は王族の規則にも詳しくない上、教師にも教わっていない庶民の生まれだ。余計に王族の規則や内情を知らないからアムレットの行動のどれがいつ規則違反に抵触するかわかったものじゃない。だから余計にアムレットを城からもステイルからも遠ざけたいのだろう。
いっそアムレットがステイルや当時城から告げられた禁止事項を覚えていればこんなややこしい事態にならなかったのだろうけれど、三歳の少女にそれは無理な相談だ。セドリックじゃあるまいし、三歳の頃の記憶なんて私だって殆ど覚えていない。悪知恵優秀な頭のラスボスの私にでもだ。
エフロン兄妹にも何かしてあげれればと思うのだけれど、どうにもこればかりは私にも難しい。できることといえば、こうしてアムレットの勉強を見るか話を聞いてあげることくらいだろうか。
今はネイトや学校のことやカラム隊長から聞いた件、そしてもう一人の攻略対象者の記憶探しで時間もない。誰も不幸な人を出さない為にもここは兄妹喧嘩よりもそちらの方を優先させたい。喧嘩は時間が解決してくれる時もあるけれど、失ったものは取り戻すことは不可能に近い。……だから、彼も。
「……ンヌ、……ジャンヌ。聞いていますか?次の問いに答えて下さい」
はい、と。
気がつけば完全に教師から顔を俯けてしまっていたことに気付く。座ったまま背筋を伸ばし、教師に当てられたことに心臓が変に早くなりながら口の中を飲み込んだ。
投げられた問いに答えて何とか事なきを得た直後、頭の隅でクロイが「また脱線した」と溜息を吐いたのが聞こえた。仰る通り、と私も頭の中だけで返しながら、考えを改める。
とにかく今私が集中すべきはネイト。昼休みになったら速攻で確保に向かえば良い。アムレットにも今やっている実力試験の解説が全部終わりさえすれば、彼女から相談してくれるくらいのこともあるかもしれない。
片手間、といったら嫌な感じだけれど、でもせめてちょっとの時間でも彼女の話を聞いてあげられたらと思う。
ゲームみたいに、大事な兄へ後悔することなく仲良くして欲しい。
Ⅱ20-2




