Ⅱ179.私欲少女は聞き、
「ごめんなさいねレオン、突然押しかけてしまって。早速時間を作ってくれてありがとう」
お安いご用さ、と滑らかに笑ってくれるレオンに座ったまま腰が低くなる。
連休二日目。私達はアネモネ王国にいるレオンへと定期訪問に訪れていた。急遽定期訪問を明日か明後日にさせて欲しいと旨を書いた書状を二日前に送ったところ、翌日にはレオンから明日にでもどうぞと心の広い書状が返ってきた。アネモネ王国も次期国王のレオンも忙しい筈なのに本当に頭が下がる。
あまりに無礼過ぎて、ステイルすらアネモネ王国国王宛ではなく第一王子のレオン宛にしたくらいだ。本当は近々くらいに抑えておくのが礼儀だとわかってはいたのだけれど、もう明日からは学校が控えてる。できることなら万全の態勢で迎えるためにも学校前にレオンから話を聞きたかった。それに、……個人的に相談したいこともあった。
「それより今日はステイル王子やティアラも一緒で嬉しいよ。プライドも、君達と一緒じゃないのが寂しいと言ってたからね」
何気ないレオンの言葉に思わず唇を絞る。
その途端、私の左右に掛けていたステイルとティアラが同時にこっちに顔を向けた。妹弟離れできていない姉でごめんなさい。
恥ずかしくなって誤魔化すようにティーカップに口を付けて水面に視線を落とす。淹れたばかりの温かな紅茶の湯気よりも確実に自分の耳のほうが熱い気がする。クスッとレオンの笑い声が聞こえる中、今度は隣からティアラの嬉しそうな笑い声も聞こえてきた。紅茶の香りでこっそり深呼吸してから、少し心を落ち着けた私はカップを降ろした。
今回、久々にアネモネ王国への定期訪問にはステイルとティアラが同行してくれた。それもこれも全ては二日前にカラム隊長から聞いたステイルの誕生祭での話をレオンから聞く為だ。本当は私だけでも済む話だったのだけれど、ジルベール宰相との相談にも同席していたステイルとティアラが心配してついてきてくれた。怪我の功名、といったら変な話だけれどお陰でこうして仲良く三人でのアネモネ訪問だ。
「ステイルもティアラも今は忙しいかったから……」
カップをテーブルに降ろし、大人しく自白をする。膝の上に手を重ねて肩を丸めればティアラがぎゅっと私の腕に両手でしがみついてくれた。「私もご一緒できて嬉しいですっ」と声を跳ねさせられれば、やっと気恥ずかしさも収まる。ありがとう、と言葉を返してからふと反対隣を向くと……ステイルが眼鏡の黒縁を押さえて顔を反らしていた。僅かに肩が震えているのが見えるから多分笑っている。耳を澄ませるとくくくっ……と忍び笑いみたいなのも聞こえてくるから多分十九歳にもなって子どもみたいな姉がおかしかったのだろう。私の視線でティアラも気付いて「兄様ってば」と眉の間を寄せた。一応レオンの手前か、それとも抑えようとはしてくれているのか隠そうとはしてるけど、私どころか正面に座るレオンにも隠しきれていない。むしろカップ片手に「仲良いね」と滑らかに笑むレオンを前にまた恥ずかしくなってくる。客間で大きな声を上げるわけにもいかず、意趣返しでツンツンと指先でステイルの背中を突く。その途端、ステイルは一度噎せるように咳き込んだ後「申しわけありません……!!」と笑い混じりの声が返ってきた。やっぱりまだ笑ってる。
背後に控えてくれているハリソン副隊長はいつも通り冷静だけど、カラム隊長までステイルの爆笑に釣られるように少し口元が緩んでいた。いや、むしろ弟に爆笑されている私にかもしれないけれど。
たっぷり一分くらいかけて笑いをなんとか消化しきったステイルは、眼鏡の黒縁を押さえながら「失礼致しました」と正面のレオンへと向き直った。レオンはにこにこのままだったけれど、寧ろそこまで爆笑された私の方が恥ずかしい。でもまぁ、アーサーや近衛騎士の前だけじゃなくこうしてレオンの前でも笑っちゃうなんてそれだけレオンとも気心が知れた証拠かなと思えたらちょっと嬉しくも思えた。今や私抜きでレオンと秘密のお茶会をするくらいの仲だものね。……う゛、まずい。姉離れがまたこれはこれで寂しい。
「ところで今日は、何のご用かな。学校見学のことはもう話したし、他に僕に協力できることや話せることがあるなら何でも」
仕切り直すように言ってくれたレオンの落ち着いた声でやっと本題へ意識が戻る。
話しながら上目でちらりと私の背後に立つカラム隊長を見たから、もしかしたら見当くらいはついているのかもしれない。もともと、その為に誕生祭でも動いてくれたのだろうし。軽く首だけで振り返ってみると、やっぱりカラム隊長も同じことを考えたらしく深々とレオンに頭を下げていた。そこでやっとステイルからもいつもの口調で「それでは」と口火が切られる。
「先日、僕の誕生祭でレオン王子がカラム隊長と共に〝アンカーソン卿〟と接触を図って下さったと窺いました。なので、是非その時のお話を伺えたら幸いです」
アンカーソン。
その名に勝手に肩に力が入ってしまいそうなのを奥歯を噛んでぐっと堪える。私の〝予知〟関係なく辿り着いてしまった存在だ。カラム隊長の話によると、レオンはステイルの誕生祭で自ら探りと揺さぶりをかける為にアンカーソン卿の元へ接触してくれたらしい。しかも、アネモネ王国次期国王のレオンだけでもかなりの圧迫なのに、とどめとでも言わんばかりにカラム隊長まで仲良くセットだ。アンカーソン郷にとってはかなりの圧迫面接どことか尋問にも近かった可能性がある。カラム隊長だけなら理由をつけて逃げられるけれど、隣国の第一王子のレオンの誘いを断れるわけがない。
ああそれなら、とにこやかに笑うレオンが口を開こうとした時にノックが鳴った。
そのまま扉越しに軽いやり取りの後、開いた先から侍女達がお茶菓子を運んできてくれた。アネモネ王国自慢の輸入菓子と果物だ。
フリージア王国では王族でも滅多にお目にかかれない菓子の数々に私もティアラも揃って声が漏れてしまう。今までもアネモネの定期訪問でお茶会をする度に出してくれた甘味はどれも、私とティアラにとってはお楽しみの一つだ。桃に無花果メロン、しかも今回はマンゴーまである!!
うっかりまた本題を脱線させてしまいそうになるほど目の前の美味しそうな菓子に目が奪われた。
侍女達がテーブルに並べ終わり、音も立てずに部屋から去っていった後レオンが「食べながら聞いて貰おうかな」とやんわりお勧めしてくれた。
ステイルが早速果物から取り分け、私とティアラの前に盛った果物の皿を並べてくれた。お言葉に甘えて一口頂き、あまりの甘さに頬を押さえたところでレオンが話を続けた。
「アンカーソン卿も最初は少し誤魔化してはいたけどね。でも、僕が話しかけた時点で少しは察せたようだよ」
滑らかに笑んだレオンの目の奥がうっすらと妖艶に光る。
カップをテーブルへ置き、侍女も全員人払いをしている為自らフルーツを皿に取るレオンは動作こそ優雅だけど目の奥だけが違う。数日前のことを一つ一つ思い出しながら頭で整理をつけて話してくれる彼の声は、良くも怖くも平坦だった。
「まぁそうだよね。あんなことがあった後だから。それでも他の来賓の手前最初はとぼけていたし、まぁ僕一人ならきっと流されていたかな」
ねっ。と、そこで小さくレオンがまたカラム隊長の方へと笑い掛けた。
振り向かなくてもカラム隊長が今どんな表情をしているのかが想像つく。……うん、カラム隊長以上の隠し刀はきっといなかっただろうなと私も思う。
レオンが自分一人だけじゃなくてカラム隊長にも協力を求めた理由は私達三人聞かずとも理解できていた。本当に有能なカラム隊長を巻き込んでごめんなさいとしか言えない。
そこからレオンは流れるようにアンカーソン家とのやり取りを詳細に話してくれた。
言葉のやり取りだけではなく、アンカーソン卿の一つ一つの反応からどんな感情や動揺が見て取れたかまで鮮明に。聞いていく内になんだか私の方がアンカーソン卿に同情してしまいたくなるくらい見事にレオンとカラム隊長に追い詰められていた。
周囲で来賓が聞いていたかどうかはわからないけど、もし聞かれていたら完全な大恥だ。きっとそれまでは賞賛の嵐であっただろう彼が一度にして白い目で見られることになったんじゃないかと思えば、細かく噛んだ筈の桃が喉を通るだけでゴクリと小さく喉が鳴ってしまった。その後も話を聞いてる内に空になった口の中をその後も何度も飲みこんだ。
最終的には、……まぁ弁論で完璧王子レオンに普通の人が勝てるわけもなく、流石のアンカーソン卿も冷や汗がっつり流して墓穴を掘って下手な誤魔化しで締めくくって肩を落とす結果になったらしい。しかもその墓穴、結構大きい。
こうしてレオンに覚えられこの場でステイルにも聞かれたことを考えると、むしろ致命傷といってもいいかもしれない。これは本当に私が手を下すことなくアンカーソンについてどころか不良生徒問題も潜入視察中に解決できちゃうかもしれない。
狙われている下級生生徒の安全さえ保証されれば個人的には充分くらいなのだけれど、もう後一枚二枚捲れば確実に真実に辿り着く。……本当に私の回りの人達って優秀な人達ばかりだなと思う。
最後には「それくらいかな」と軽く切るレオンは、一息吐くように紅茶を傾けた。
「だから、アンカーソン卿に責任があるのは少なくとも間違いないと思うよ。ただあの言い方だと能力不足以上の問題を鑑みるべきかもしれないね」
「確かに。僕もレオン王子に賛成です。ジルベールに伝えて早速調べさせましょう。奴ならすぐ正体も掴めるでしょうから」
ほらやっぱり優秀!!
見事にレオンとステイルの掛け合いが、アンカーソン卿の墓穴へ目を向けている。ここで見落とすような人達じゃないことは私もよくわかっている。
そ、そうね……と何とか普通に返しながら喉が少しずつ干上がっていくのを感じる。犯人でもないのに真相をしっている手前どうしても探偵二人に追い詰められる犯人気分を味わってしまう。
もしかすると、このまま捜査が続いたら当初の問題解決とは別の問題が発生してしまうんじゃないかと思う。第二作目ゲームスタートの根本的問題を今から解決してくれるのは良いけれど、そこどころか最悪の場合ゲームが始まる前に攻略対象者の約一名がバッドエンドに強制送還する恐れがある。
それだけは絶対困る!
Ⅰ673




