Ⅱ173.私欲少女は省みる。
「黙っていて申し訳ありませんでした……」
そうステイルが足元を見つめながら口を開いてくれたのは学校から離れて暫くしてからだった。
セドリックにバーナーズとしてお礼とそしてエリック副隊長に待たせたお詫びを告げた後、パウエルにお願いされた通りに私から〝フィリップ〟が恩人だということの口止めを二人にもお願いした。それから暫くはあえての沈黙に浸かっていた。
本当はネイトのことも少し話せれば良かったのだけれども、エフロン兄妹のことで完全にそれどころでなくなった。セドリックやエリック副隊長達には彼女達がステイルの関係者とまでは知られていないだろうけれど、それでもステイルの不調は明らかだった。私達の様子にエリック副隊長まで気遣うように口を結んでくれて、静けきった空間にぽつんと押し出されたような声だった。
城どころかエリック副隊長が傍にいるままだけれど構わず話し出してくれたことは少し意外だった。てっきり夜にでも近衛騎士達が帰ってから話に来てくれるかと思った。
エリック副隊長にも聞かれて良いと判断してくれたのか、それとも……シンプルに自分の胸に夜まで押し止めるのが限界だったのか。
「いいえ、私こそごめんなさい。貴方がアムレットとの接触を避けていたのは知っていたのに」
ステイルが話すまで決定的な発言をしないように言葉を選びながら謝罪する。
もともとステイルは理由を言わずともアムレットを避けていたのに、私が必要以上に関わってしまったせいだ。私がアムレットに勉強を教えるのを断っていれば、エフロンお兄様も私と関わろうとしないで済んだのに。
ステイルは丸い背中のまま無言で首を横に振ると、肩が大きく上下するほどに大きな溜息を吐いた。視線が変わらず地面に落ちながら、歩みまで落ちてしまう。
ステイルに並ぶように速度を合わせながら頭を傾けて少し覗いてもまだ表情は見えない。眼鏡の黒淵を押さえつけながら黙するステイルは、それでもまだ整理しきれてはいないようだった。
「アー……、……すまない。お前も協力してくれたのに」
「俺に謝ンな。何もできてねぇだろォが」
もう言い直す気力もないのか、一瞬「アーサー」と呼びかけたステイルは言葉を詰まらせ、続ける。
その謝罪にも一言で断ったアーサーは手の甲で軽くステイルの肩を叩いた。ペシッと音がなるくらいの軽さで、それでもステイルの肩ごと上体がぐったりと揺らされた。
いや……と小さく零したけれど、それ以上は言葉がまだ出ないようだった。きっと本当なら充分アーサーは協力してくれたと言いたいくらいなのだろう。さっきだって馬車までステイルを率先して避難させてくれたのはアーサーだ。その後にパウエルを断ったのも、多分パウエルの友人という繋がりでエフロンお兄様をステイルに急接近させたくなかったからだろうと思う。
そこまで考えると、ステイルも同じことを思い出したのか「ほんとに……」と短く溜息と一緒に零し、ゆっくりと正面へ向けて顔を上げた。
「まさか待ち伏せまでするとは思っていませんでした……。万が一にも生徒に姿を変えて潜入するかもとは考えましたが、ジャンヌという女子生徒しか頭になければ男である俺は目に入らないと思いましたし……」
計算外でした、と呟くステイルにやっぱりエフロンお兄様の特殊能力を知っていたんだなと思う。
確かにアムレットも私のことしかもともとは話していなかったようだし、エフロンお兄様の一直線ぷりを見てもその時にはステイルも目に入らないだろう。実際、今回も最初は私にだけでステイルどころかアーサーにも目がいかなかった。悪く言えば視野が狭いと言えるけど、そうでなければ完全にスナイパーだ。
「因みに……馬車の中でどこまで会話は聞こえていた?」
「馬車の前まで接近してきたあいつがジャックに挨拶を始めたところから、全てです。……心臓がもったのは奇跡でした……」
少し話せるようになってきたステイルには、そこまで言うと思い出すようにまた顔を俯けて息を吐き出した。
同じ校門前のラインに立っていたセドリック達や、馬車の前とはいっても耳を澄ませてこっちの様子に集中してくれていたアーサーと違って、ある程度防音処置も施された王族の馬車の中に避難していたステイルだ。もしかすると馬車の中で頭を抱えるか耳を塞いで突っ伏していた可能性もあるけれど、流石に馬車の前でエフロンお兄様やアムレットが叫べば聞こえてしまったのだろう。しかも、途中からは明らかにステイルの話題だ。嫌でも耳を傾けざるを得なくなる。
「あいつは昔からああでした。騒々しくて暑苦しくてしつこくて、…………妹のアムレットを、誰よりも大事にしていた奴です」
声こそ抑えているけれど、とうとうステイルが核心を突いてきた。
流石に〝昔から〟発言に大きく目を開いたエリック副隊長に、ステイルは一度言葉を切ると「ここだけの話にして下さい」と目だけで見上げた。命令を含めたその口調にエリック副隊長も一声で返せば、改めるように低めた声で説明するようにステイルは改まった。
「フィリップ・エフロンは十年以上前の友人です。当時三歳だった妹のアムレットは〝規則〟通りその事実を知らないのでしょう」
具体的な年数に、彼が一体いつの友人なのか明確にされたエリック副隊長が肩を揺らす。
さっきより固く結んだ口と一緒に緊張が走ったのがわかる。王族の養子になったステイルにとってその前の記録は全て極秘事項だ。ステイル自身、養子になった時にその時のことは安易に他言しちゃしけないことが決まっている。養子になったその瞬間、彼は庶民ではなく〝王族〟として生きないといけなかったのだから。
私も、勿論アーサーもティアラもステイルが王族になる前は庶民だったこと以外どんな暮らしをしていたのかさえ知らない。……本当は私だけゲームの設定である程度知っているけれど。
「俺が引き取られた日から、街にも城から箝口令が出ている筈ですから。俺が存在した事実自体が隠匿されています。最初はフィリップがまさかアムレットに俺のことを全て話してるのかと焦りましたが、……違ったようで安心しました」
自分でも言いながら整理しているようだった。
ふぅ、とひと息吐いたステイルに私とアーサーも同時に釣られて息を吐いてしまう。うん、あの時は私もすごく焦った。
王族の養子になった人間はその出生を隠す為だけでなく、過去の関係者が人質や取引材料として第三者に利用されなうようにする為に存在自体を口にしないように決められている。正確に言えばその人物が王族になったという事実と特殊能力や彼の名前を口にすることの禁止だ。
名前や特殊能力だけでも珍しかったらすぐに当て嵌まっちゃうし、身内を特定されなくても王族の過去の関係者というだけで利用の仕方なんていくらでもある。
きっとアムレットもさっきの話から考えても、ステイルではなく〝昔引っ越した兄の友人〟としか聞いていない。つまりはエフロンお兄様がアムレットにステイルの本当の所在も名前も話していないということだ。……けど、そうしてでもエフロンお兄様はステイルを〝友達〟として妹に話してくれていたんだなとも思う。忘れたふりや、アムレットに居たこと自体を話さないこともできたのに。
「良いダチだったンだな」
「大したことない。話すことは何度かあったが一緒に遊んだこともない。アイツはアイツでまだ幼かった妹の為に必死だったからな。家も離れていたから時々共通の友人との付き合いがあったら肩代わりし合うぐらいの仲だ」
なんだかシングルファザー同士みたいな関係だ。
アーサーの言葉にあっさりと答えてしまうステイルは、大分調子を取り戻していた様子だ。ちょっと素直じゃない部分も入った言い方に、アーサーも「それだけってこたァねぇだろ」とステイルの背中を叩いた。
私もそう思う。当時七歳だったステイルもエフロンお兄様もお互いにたった一人の家族と周りの友達付き合いとで忙しかったのだろう。お互い近い境遇だからこそ通じた部分もあるのかもしれない。そうじゃなかったらステイルも正体を隠す時に一番に思い付くのが彼の名前なわけがないもの。
「だが、間違いなく最後の兄妹喧嘩は俺の所為だろう。あいつは俺のことくらいで王族を逆恨みするような奴じゃない。恐らくは、……俺に気を回したのだろうな」
くしゃり、とそこまで言うとステイルは自分の髪を掻き上げ、掴んだ。
同時に少しだけ表情が複雑そうに歪む。口では冷静でも、やっぱりエフロンお兄様とアムレットの喧嘩の原因は胸に引っかかっているんだろう。
規則的には、アムレットがステイルと同じ城で働くこと自体に問題はない。
王族の養子になった人間は前の関係者とは断絶。赤の他人にならないといけない。以前のように関わるのも禁じられる。けれど、逆を言えば元々赤の他人……血縁者や親類以外であれば仕事関係で通じてしまうことくらいは許される。そうじゃないと養子の関係者というだけで働き場所が制限されてしまうし、庶民ではなくて貴族や上層部の人間だったら王族に関わらないことの方が不可能な人もいる。養子の条件は性別と年齢、そして特殊能力だけなのだから。血縁者だって意図せず偶然会ってしまうぐらいなら許容の範囲内だ。勿論あくまで〝他人〟としてだけれど。
ただの過去の関係者なら回りに回って第一王子であるステイルの部下の一人になってしまったとしても、それが本人の実力に相応していれば問題ない。もしそこに「お前の過去を知っているから部下にしろ」みたいな脅迫行為があれば、一気に重罪だけれども。
少なくともステイルの過去を知らされていないアムレットが実力で就職する分は全く問題ない。だから、エフロンお兄様が気にするとしたらそれは……
「俺が過去の関係者に会うことやアムレットが〝兄の友人〟として俺の過去を探るような真似をして迷惑になると考えたのだろう。それに、……アムレットが知らずうちに俺へ〝規則に反する情報〟を提供すれば、本当に罪に問われることになる」
〝規則に反する情報〟……その意味は、私だけでなく騎士であるアーサーとエリック副隊長もよく知っている。それくらい確固たる決まりなのだから。
何より、ステイル本人が王族として過去の関係者に会いたくないと考えている場合だってある。そうだったとしたらアムレットの存在は波風を立てるものになるかもしれない。過去を思い出したくもない人だったら、昔の関係者なんて視界に入るだけで苦痛だ。……勿論、実際にはステイルはそんなこと考えてはいないのだろうけども。
「アムレットが城で働くことになろうとも俺は気にしないというのに……。彼女の中で俺が美化されてること以外はなんら迷惑でもない」
俺をなんだと思っているんだ、と。
少し怒り気味のステイルはそこまで言うと目に見えて歯を食い縛った。くしゃらせた髪をそのままにガシガシ頭を掻いている様子は苛立っているようにも見える。でも、あまりにもステイルらしい言い分には少し笑ってしまった。
やっぱりステイルはそうよね、と心の中だけで今は呟く。美化も何もあれはアムレットの賛辞は事実だと思うけれども、今ステイルが悩んでいるのはそこではない。
せめてここで空気を変えるべく、少しは気持ちの整理がつき始めた様子のステイルに私は「だけど」と言葉を掛けた。
「すごい偶然よね。まさかパウエルとアムレットのお兄様が友達なんて」
第三作目の隠しキャラと第二作目の主人公の兄が友人。ゲームでは絶対語られるわけがない関係はすごく運命的に思えてしまう。
パウエルの話からも、どうやらエフロン兄妹もパウエルの恩人がステイルと気付くどころか名前すら知らなかったようだけど。
僅かに声が弾んでしまえば、ステイルとアーサーが何やら目配せをし合った。なんともいえない表情で見つめ合う二人に私やエリック副隊長達の方が首を傾けてしまう。すると、ステイルが苦々しそうな表情を私に向けた。
「偶然ではありません……」
へ?
偶然じゃない⁇
まさかの返答に小さく声がひっくり返ってしまった。どういうことだろうと辿々しく聞き返せば、まさかの事実が返ってきた。
「四年前。俺がパウエルを送った先が、昔フィリップとよく語らっていた場所だったので。……想定できたことでした……」
申し訳ありませんと、反省するように声を曇らせて片手で頭を抱えるステイルに顔全体が引きつったまま言葉が出ない。
いやそんなことまで予想できるわけないし、何より当時まだ学校作りも提案していなかった上に私が潜入大作戦したいとか言い出すなんてそれこそ予想の範疇を超えている。
パウエルとエフロンお兄様が知り合いになるかもしれないくらいは想定できても、まさかこんな再会になるなんて思える筈もない。むしろ、潜入ではなく普通の視察で学校に訪れた時にでもパウエルを見つけたりアムレットやエフロンお兄様に会えたら表面上は〝初対面〟としてでも冷静に彼らの現状を知って「仲良くなったんだ良かったね」程度の心穏やかに見れたかもしれないのに‼︎‼︎
「……ごめんなさい」
そう思うと、今度は私が謝ってしまう。
いえ貴方が謝ることでは、と首を振ってくれるステイルに私もそれ以上声が出ない。こんな形でステイルに迷惑をかけることになるなんて思わなかった。
四年前、という言葉に瞬きを繰り返すエリック副隊長へ、ステイルから了承を得たアーサーが簡単に説明をしてくれるのを聞きながら私もステイルも再び口を固く閉じてしまった。
ギルクリスト家が見えてきた頃、ステイルから「家に着いたらこの話は置いてネイトの話に集中しましょう」と提案された。……その為に、いま話してくれたのかもしれない。
最後まで私に配慮してくれるステイルに頷き、頬に一筋汗が伝う中私もアーサーも、そして凄まじい運命の巡り合わせに口端を痙攣らせるエリック副隊長もただただ彼の意向に従うしかなかった。
Ⅰ382特殊
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